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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僻地領主子息の廃嫡騒動 ~馬鹿王子をなんとかしろと言っていただろうが!?~

作者: ザイトウ



 アリョカ王国、ハイデン領領主が執務室。

 主であるクーゲル・ハイデン伯爵は、その巨体に見合うだけの厳かな声で、目の前の少年に告げた。


「ハイデン領次男シーゲル・ハイデン、お前を廃嫡のうえ、追放処分とする」

「は、謹んで、お受けします。長い間、お世話になりました」


廃嫡の立ち合い人になった隣接領の領主たるオーガン・ヘンドリッヒ侯爵は、その光景に重々しく頷いた。

 沈黙。そして廃嫡届への自筆での署名。そこまで終わった途端、クーゲル伯爵は号泣した。


「嫌じゃぁ! なんで息子たんを廃嫡なんぞせにゃならんのだ! 絶対にイヤだぁ!」

「ハイデン伯爵! ダダこねないの! そんな父をもった覚えはありませんよ! あ、廃嫡されたから親父ではなくなってしまったか」

「うわぁぁぁぁぁあぁぁぁ!」

「追い打ちかけるなシーゲル坊! ただでさえ面倒臭いのに!」

「うん、とりあえず僕は準備しますので、あとのことお願いします」

「おい待て! 煽っといて放置するつもりかシーゲル坊!? こんなダダこねる中年親父の世話なんぞ嫌だぞ!」

「ですがヘンドリッヒ侯爵、自分はもう、根無し草の平民でしかないので」

「くっそ! お前の元息子も面倒臭いな!」

「元息子とかいうなよぉ! あああああああああああ!」

「いつまて泣くつもりだこのオッサンは!?」

「うわぁぁぁぁぁ! シーゲルぅ! すまんシーゲルぅ!」


思いっきり滂沱のまま叫ぶ実父を置いて、シーゲルは執務室から逃げ出した。

 さて、語るも涙、聞くも涙の廃嫡劇、そこに至るまでには幾つものトラブルがありました。



  ■  ■  ■



『虫しか召喚できない弱小領主の倅め! お前なんかが魔剣を使えるはずがない!』

『なにおう! 学園に保管された魔剣を借りてきたぞ! これを使ってみせてやる!』

『ま、まさか! 意志持つ魔剣が認めるなんて嘘だ! あんなやつが!』

『なんか魔剣使えたぜ! これで文句ないだろ!』

『実家の権威を使ってあいつを攻撃してやる!』

『は?』


 ということが過去にあったわけですが。

 さて、細かい説明でいうと。

 ハイデン領含む複数の貴族家とそれをまとめる王家によって統治されたアリョカ王国は、各領地の当主を始めとした一定年齢以上の青少年や子女が通う国立総合学園が存在しています。そんな学校で今年の入学者にアリョカ王家シディン・アリョカ第三王子がいました。

 こいつが本当におバカ。

 アリョカ王国は大まかに北方領、南方領と南北で貴族勢力が別れ、中央に王族の統治する王国首都含む王領がある形式なのですが、作物が育ち辛く強い魔物の群生地がある北方領を辺境と蔑む風潮が一部の南方貴族にあります。

 その一つが南方領でも比較的大きなシディン第三王子の母であるシャーロウ侯爵家。

 かつて、東方征伐と称し、隣国へ侵略戦争を仕掛けようとしたタカ派の急先鋒でありましたが、先代侯爵が領内の徴兵制、および隣国への侵略を独断で進めようとして失敗、農村部などの経済が破綻寸前、領内荒廃が懸念されるほどに統治をしくじりました。

 王家が当時の公爵家子女を第三婦人へ迎え、他領からの人的援助、徴兵した兵士の他領、及び王領への派遣制度を構築し、なんとか南方側のバランス維持に腐心したことで事なきを得ました。

 しかし、そのまま自裁した先代シャーロウ侯爵の娘、第三夫人もまたその騒動の余波を受けて王家内でも孤立、偏見やら思想やらをこじらせてしまいました。

 そのせいで第三王子も王家権力への過大な依存と、他者への攻撃性を備えた馬鹿王子に成長。もう、現王が苦労に苦労を重ねて解決した南方領徴兵制による経済破綻問題に次いで、今度は南方領と北方領間の対立に発展しかねない学園内での騒ぎを起こしていたのです。

 年若い南方領貴族達の旗頭に立ち、王家、ひいては南方領の方が経済的にも発達し、北は田舎だ、辺境だという視野の狭い妄言をべらべら喋る始末。

 大農園、人口の多い都市圏の多い南方側を誇り、北側の過酷な環境を有す地域をやれ未発達だのやれ貧しいだの、一方的な偏見でこきおろす。

 そういった煽るだけ煽り、北方を侮辱していたうえで北方領出身の女子に手を出そうとしたところで学院に通っていたシーゲルがぶち切れた。


「おやめなさい。王家の格を落とします」

「あ? 北の貧民貴族家が弁えろ」

「なんだと馬鹿王子」


第三王子のどてっぱらに蹴りを叩き込み、返す一撃で従者と取り巻きの貴族家子息を投げ飛ばす。彼等は理解していなかったようであるが、王国騎士団の最高峰であるところの近衛騎士団、その実に七割が北方出身者である。

 過酷な土地で魔物と隣り合って暮らす彼等は、常に武力を求められていた。

 先代シャーロウ侯爵家の隣国侵攻思想も、そういった地方との武力バランスへの焦りが齎したものでもあるのだ。

 王家育ち、剣術はともかく徒手格闘に通じていなかった第三王子は半殺し程度まで叩きのめされ、周囲にいた南方領出身者の多くも王子と距離を置く程度には沈静化していくことになる。

 王家? この時点で報告したしシーゲルにお咎めはなしですよ。

 ただ、第三王子の諦めの悪い、いや思想教育の悪いところがここで発揮され、今度はシーゲルへの嫌がらせを行おうと画策し始める始末。王家の格を落とすという諫言を覚えても居ない様子で煽り始める。

 むしろ、その攻撃性は、何か王子本人に異常があるのではないかというくらいの様子だった。

 シーゲルとしても、北方領側の立場を守る立ち回りが必要になっていることは王子ほどアホではないのでわかっている。

 ここで折れるわけにもいかず「やれ王家に属す自分は聖剣が使えるが、お前はどうだ? まぁ魔剣程度なら扱えるのではないか?」というような、実家の資産というか財産を盾にマウントをとろうとしてくる王子の鼻っ柱を改めて圧し折る準備をする。

 さすがにここらで叩き潰さないと禍根になりかねない以上、学園にも相談する。所蔵する魔剣を使わせてもらえないかと教師に尋ね借り受けようと手筈を整えた。

 そこで学園の保管庫に訪れたところ、封印されていた高位魔剣の一つ『遠吠えが如き剣響(ウルラスソプティム)』がシーゲルに共鳴してしまった。古い戯曲にも登場する意志ある魔剣が彼を選んだのだ。

 魔剣ウルラスは暫くぶりの所有者に仕えることを望み、学園としても意志ある剣を無下に扱うこともよしとせず、そのまま、極めたる魔剣の一つであるウルラスはシーゲルへと譲渡されることとなった。

 それでまた馬鹿王子がやらかす。ついには親を引っ張り出してきたのだ。

 第三夫人、及び第三夫人の実家であるシャーロウ侯爵家が出張ってきたのである。

 自分達の息子、ひいては属する第三王子が煽った結果であるというのにやれ、学生として不適切だの、魔剣を頼りにはばを利かせるだの、お前達が言うなというような意見を平気で垂れ流してくる。

 そんなに内戦を起こしたいのかと北側はうんざりする。

 正直、呆れ果てたシーゲルは、現ハイデン伯爵こと父であるクーゲルを通して王への介入を求めた。この時点でクーゲルも息子に喧嘩を売られたことに半ば堪忍袋の緒が切れる寸前ではあったので、王家に宛てた手紙を直訳するとこんな具合であった。


『おう、息子含めた北方領側に貴様の愚息と母方の実家が喧嘩売ってきやがったが、お前等やんのか?』


いわゆる、北方側ハイデン家の直轄兵力、貴族家の私兵をてめぇんところにぶちこむぞ、という実に直截な恫喝及び主張である。

 さしもの王家も慌てたが、南方側もここまでくると面子に関わる為に折れない。

 すわ、内乱かと関係者一同が頭を悩ませていたところ、当人であるシーゲルが最も大人な対応した。


「自分が王子ぶん殴った咎で廃嫡されるんで、あとは王家でなんとかしてくれ」と。


 現場の責任は自分が負うから、あとは王家で後始末をつけてくれと提案したのである。

 落としどころとしては甚だ遺憾であるが両者痛み分けという状況にもっていける。

 そう言ってのけ、一番難色を示した父にも「恰好つけさせて欲しい」と説得して見せた。

 かくして、ハイデン家次男、シーゲル・ハイデンが、家名なしのシーゲルとなることになる。

 学園内の騒動再燃も嫌い休学申請も出し、廃嫡の手続きも終わってしまった。

 これで晴れて根無し草になったわけである。



  ■  ■  ■



 手早く旅支度をしたシーゲルは、魔剣を腰にぶら下げ、使い魔を肩に止まらせると、外套の具合を確かめる。

 ハイデン家の血を示す黒髪黒眼に、灰色に近い硬い肌。

 かつて巨人種の血が入ったと言われるハイデンは、剛力無双で知られている。

 その家でもシーゲルは変わり種で、得意とするのは召喚術であった。

 中肉中背、硬い肌と刈り上げた髪。

 父親譲りの眼光は、深く被った帽子に隠され、一見するとそう目立つ容貌でもなくなる。


「是非もなし、といったところかね」

『いさぎよいにも程があるヨ』

『まこと、斯様にあっさり、貴族の立場を放棄するとは、剛毅に過ぎるぞ』


シーゲルの言葉に腰と肩からの騒がしく念話で答える仲間達。

 肩に居座る銀色のクワガタ虫は使い魔の『オリバー』。

 腰にある柄から片刃の刀身まで漆黒の魔剣が『ウルラス』。

 勝手に喋る一匹と一振りに対し、にぎやかな出奔になりそうだと密かに安堵する。

 自身が家を出るということを軽く考えていたのは確かだ。

 かといって、家に迷惑をかけるわけにもいかず、国が荒れるのも嫌だった。

 結局は自身の道義に従っただけだと、少しだけ見栄を張る。

 このあと、自分は母方の実家であるイースワット家に一旦は身を寄せ、そこから身の振り方を一度考える予定だ。個人的には、冒険者なり探検家なりにでも転職して、魔物狩りでもやっておこうか程度に考えている。母は四男である末のディードリッヒを産む際に亡くなってしまっているが、家の縁が切れたわけではない。 

 腰の魔剣さえ十全に使えれば、ひとかどの冒険者にだって成れるはずだ。

 俯くものではないと、靴紐を強く結び直し、鞄一つを背に家を出た。

 廊下には頭を下げる使用人が列を作っている。

 無言のまま廊下を進み、玄関を開き、涙を堪える。


「お世話に、なりました!」


それだけ告げるのが精一杯であった。負けてやるものかと首を巡らせた。

 外には朝靄が広がり、すぐにシーゲルの背中は見えなくなった。

 屋敷の中では、突然の別れに涙を流す者も多かった。

 しばしの別れか、それとも。

 王家に出仕し、不在である長男へも文が飛ばされている段階である今、一人の少年の未来は未だ定まっていない。



  ■  ■  ■



 雪が吹き荒び、大気さえ凍って見える極北の大地。

 それが、北方領最北に位置するイースワット領である。

 ハイデン領から国道を通って3日。吹き荒ぶ氷雪と黒雲によって太陽が遮られた土地は、北方領出身者でも立ち入ることを避けるほどに過酷である。母方の祖父の統べる極北の地を進むシーゲルは、喉を傷めそうな冷気に震えながらも、その足を止めることなく足を進めていく。


『さ、寒いヨ。これに比べればまだ、ハイデンの気候が暖かく思えるヨ』

「まったくだよ。あったかい暖炉が恋しい」


フードの中に隠れたオリバーに短く言葉を返し、路面に埋め込まれた魔力線の電熱術式のおかげで雪の積もらないイースワット領内の国道に感謝しながら歩く。道の左右はうず高く雪が積もり、既にシーゲルの背は超えていた。

 領内の北に聳え『黒壁』と地元民に呼ばれるシュバルツ山は、隣国との境界にして防壁にして、冬山を統べる大型の亜竜種、ワイス・ワイバーンの巣でもある。その至近にあるのが領主邸の存在する領主街、ガーレーン鉱山街。シュバルツ山への鉱山道が地下から続き、掘り出される魔石と石炭で街には赤々とした光が常に満ちるアリョカ王国の北端だ。

 遠くから町を目撃するとまるで巨大な松明が山の麓で燃えているように見えるという光景。それは、広場で焚かれる巨大な篝火によるものであり、魔物除けの薬草を焚く為のものだ。

 旅人に見えたであろうシーゲルを発見し門番によって閉じられた外門の傍で備え付けの鐘が鳴らされる。そして近くの通用門が開く。

 姿を現した門番に身分証として冒険者証を提示した。


「名前はシーゲルっと、ほい、こっちの魔力検知器に手を置いて。合致確認と。そったら入んな入んな。こんな寒い日によう来たな坊主」


通用門から中へ通されたシーゲルはほっと息を吐く。外壁沿いに敷設された魔力線により、街と外を区分する大きな障壁が構築されている。街の暖気維持の他、空気が籠らないよう循環系の術式が組み込まれているのを感じたシーゲルは、淀みがないことに安堵しつつ、領主邸が何処か年若い門番に尋ねた。


「お館様かい? 屋敷におられると思うが何か届け物かい?」

「えぇ、実は自分、ハイデン家ゆかりの者でして」

「あぁ、お嬢様が嫁いだ先か。この通りの一番奥だから、気ぃ付けてな」

「ご親切にどうも。ありがとうございました」

「気にすな。なんかあったらそこらの兵隊に聞けばいいさ」

「はい。それでは」


言葉遣いといい、物腰といい、御貴族様の家のもんは上品だな、そんな感想を抱きながらも、腰の得物が随分と剣呑な空気をまとっていることに門番も気付いた。ただ、本人に害意はなさそうだと判断し、そのまま彼の背中を見送った。



  ■  ■  ■



 屋敷に辿り着いたシーゲルは、自らの名乗りとハイデン家の関係者であることを使用人に伝えたところ、そのまま屋敷の奥へ通された。というか、応対した使用人もまた顔見知りだったので、ものすごい同情的な様子で即座に客間まで通された。

 シーゲルは、そのまま壁際で荷物も下ろさず立つ。

 そこへ靴音も荒く現れたのは、白髪を撫でつけた針金のように細い老人であった。


「こんな日によくもまぁ! 寒かったろうに!」

「お久しぶりです。 イースワット辺境伯様」

「壮健そうでなによりだ。ふむ、悪いが内々の話もある、皆は下がらせてくれ」


その言葉と共に深く頭を下げたことに何かを察したのか、ラムワン・イースワット辺境伯は、祖父の顔でなく、為政者の顔として周囲の使用人を下がらせた。

 周囲の気配が無くなりしばらく、空中をくるりと飛び回ったオリバーがそのままフードの奥へ戻ったことを確認したシーゲルは、腰の剣帯の留め具を外し、魔剣を脇へ置いた。

 盗聴痕跡なし、魔術式による遮蔽完了。周辺影響はないことを確認し臨戦態勢を解く。


「それでシーゲル、何があった?」

「えぇ、おじい様。お忙しいところ申し訳ありませんが、つい先日、自分は廃嫡と相成りまして」


その言葉にラムワンの額がぴくりと波打つ。あ、これは機嫌が悪くなる予兆であるな、とはシーゲルも気付くが、黙ってこの街で活動するわけにもいかず、そのまま言葉を続ける。

 第三王子との諍いによる影響。

 北方、南方との問題に発展する可能性。

 自分の廃嫡により騒動に終止符を打ったこと。

 そこまでを話したところで、深い深い眉間に皴を寄せるラムワンは、深く呼吸を吐き出すとシーゲルへ頷く。


「王家には、儂からも少し話をしておこうと思う。ただ、お前には一言だけ言っておきたい」

「はい」

「本当に、よくやった」


その言葉に、シーゲルは僅かに目を見開く。

 それを隠すよう僅かに顔を伏せた。


「いえ、自分が火種を大きくした面もあるので、そこは」

「いや、よくやったんだ。誇れ。お前のおかげで国が助かったのだ」

「・・・はい」


瞼を閉じ、何かを堪えるように頷き返すシーゲル。

 その様子にラムワンの目が些か狂暴な光を宿すが、再びシーゲルが瞼を開いた時には、普段の表情に戻っていた。


「これから、どうするつもりだ?」

「しばらくはこの街を拠点に、冒険者稼業をやろうかと。たまさか、大物の一匹でも仕留めれば、今後の役に立つでしょうから」

「謹慎でもよかったのではないか? 廃嫡までせずとも」

「それでは今後の交渉材料として弱くなるので」

「成程」


娘に似て敏いと、内心で大いに満足しながらもラムワンは領内での行動について続けて質問する。


「誰か、うちの者を帯同させようか?」

「いえ、一切の御助力は不要です。後ろ盾があっては、また難癖をつけられかねないので」

「あい解った。ならば冒険者としての活躍を楽しみにしている」

「はい、いつか、吉報をお聞かせできればと思います」


そのまま茶に口をつけようともせず、即座に腰へ魔剣を戻したシーゲル。


「なにかあれば相談してくれ。これでもお前の祖父だからな」

「・・・不出来な孫で、申し訳ありません」

「どこがだ。お前は儂の誇りだよ」


 抱きしめると同時、シーゲルのポケットに自らの手首にあった腕輪を落とすラムワン。

 離れる際に祖父の手首にあった腕輪がなくなっていることに驚愕したシーゲルであったが、無言のまま一礼し、ラムワンの執務室を後にした。

 執務室に佇むラムワンは、瞑目ののち、使用人を鈴で呼ぶ。


「王都へ赴く。転移術式を起動させろ」


公爵以上の家にしか備わってない設備の稼働指示に、使用人は慌てて屋敷付の魔術師の元へ走り出した。孫に無礼を働いた相手の事を考えているラムワンの背は、まるで噴火寸前の巨山のようであった。



  ■  ■  ■



 冒険者ギルド。

 世界を股にかけ、冒険、探索、開拓を担う無頼漢の群れを統率する組織。

 危険分子の取り締まり、魔物への対策、国家に寄らない自衛組織としての役割を担う。

 ならず者にして何でも屋。それが冒険者であり、その大本が冒険者ギルドである。

 地域によっては国家や地元組織との結びつきからともすれば腐敗から暴力組織となりかねないが、通常は、魔物の脅威から最初に市民を守る防波堤、位階の高いものともなれば各国からも重用される人的資産である。

 さて、イースワット領の冒険者ギルドについて。

 この極寒の地で活動するだけあり、多くが中級、銀等級と呼ばれる以上の者達である。まず初心者は街の出身者であれ他領にて経験を積んでこなければまともに活動ができぬくらいにこの周辺は厳しい。魔物は強く、天候は荒く、生半可な知識や技術ではやっていけない。

 等級でいえば銅でしかないシーゲルに対し、受付嬢は困ったような顔をする。


「あの、シーゲル君、さすがに貴方の等級でこのあたりは厳しいと思うんだけど」

「あぁ、冒険者として登録したのは最近ですが、元々、他所で活動していたので」

「んー、得意なのは?」

「まぁ、剣と槍、あとは召喚術を」

「召喚術? コンジャラー? サモナー? それともメイガス系?」

「部類的には、サモナーです」

「なるほど。数は?」

「片手くらいですね」


ちょいちょいとフードの中を指先でつつき、オリバーを呼ぶ。

 フードから顔を出した銀色のクワガタムシに、受付嬢は思わず驚く。

 対するシーゲルも、あまり一般的でない召喚士の細かな種別まで網羅している受付嬢に舌を巻いていた。

 儀礼召喚士(コンジャラー)

 契約召喚師(サモナー)

 召喚魔術師(サモン・メイガス)

 詳細な区別がついている者など、学園でも教師陣くらいであったというのに、だ。

 他にも召喚術を扱う司教位や、呼ぶものを限定した術士なども数多く、一般的な役職だけでもするする出てきたこの受付嬢の知識はどれほどのものかと思わず顔を凝視してしまう。

 それに対し、銀髪の受付嬢は人懐っこい笑顔で笑うだけだった。

 恐るべし冒険者ギルド。

 それ以上の情報は噤みながらも、ひとまずはやってみなさいと渡されたクエストをシーゲルは受けることにした。



  ■  ■  ■



硬く耐水性の強いブーツだろうと、膝まで雪に漬かり続けることはできない。だが、召喚師というのは出来ない事は出来るやつに頼るものなのだ。


雪原大咢(スノーセンチネル)


術式に魔力を通し、指定した座標に魔法陣を投影する。

 目の前の雪原に現れた巨大な虫は、いわゆる百足だった。

 ただし、通常の百足と違い、大きさは馬を三頭ほど縦に並べたほど高さと長さがある。

一本一本の脚の太さもまるで鉄の杭のように太い。外殻は綿のような細かい毛に覆われており、雪を弾くようになっている。

 北方領に生息する大型昆虫種で、山林の一部に生息し、大型の樹木から樹皮や枝を食べるが、性格は温厚、地元民は雪原大咢と出会っても攻撃するものはいない。ただし、食性に異常が生じた個体は狂暴化し、近隣の作物や動植物を見境なく襲うようになるのでその場合は狩り殺される。通常時に地元民が攻撃しないのも、一定以上の規模で生息圏を維持している限り、異常の出た個体を雪原大咢達自身が始末してくれるからだ。

 さて、そんな雪原大咢であるが、極寒だろうと暴風吹き荒ぶ吹雪の中だろうと平気で移動する。その背中に乗ったシーゲルは、片手に武器屋で買った鉄の槍を携え、ぐいぐいと雪原を移動していた。


「ベーベーシャ、そっちの方に頼む」


まるで海原を泳ぐ魚のよう、ベーベーシャと呼ばれた大咢は雪原をものともしない。

 擦過音にしか聞こえない鳴き声で了解したことを返すと、雪の上を滑るよう幾つもの足で進んでいく。

 召喚師と召喚獣としての魔力経路が繋がっている為、短い意思疎通で通じるのもこの状況ではありがたい。


「北方熊のはぐれたやつ狩ればいんだっけか、ここまで雪深いと痕跡もろくにないな」

「もっとゆっくりしてもよかったヨ、こんな一際雪の深い日にやらなくても」

「ここらはいつだってこんくらい雪深いらしいけど」

「とんでもない土地だヨ」


オリバーとの愚痴もそこそこに雪原で唯一動く影を見つける。

 加速したベーベーシャの気配に振り向いたそれは、北方熊にしては痩せた3mほどの個体だった。


「見つけた。狩るぞ」

「あいあい、何か手助けはいるかヨ?」

「いや、すぐ終わる」


加速していたベーベーシャ―に北方熊が警戒の唸りを上げた刹那、質量が倍近い大咢に蹂躙される。大咢がぶつかった瞬間に跳ね飛ばされ、引き倒された熊へ跳び下りたシーゲルが首元へ槍を突き刺した。

 断末魔さえない。

 手慣れた様子で追撃に剣を抜いていたシーゲルだが、絶命していることを確認し素早く鞘へ戻した。


「うちの領の魔物の方が手強いぞ。これなら」

「山林の化け物達と一緒にするのは違うと思うヨ。普通はこんなもんヨ」

「さっさと戻ろう。マジックバッグ借りてきてよかった」

「貸出賃が銀貨1枚って暴利だヨ」

「狩猟用のやつ持ってないから仕方ない」


腰吊り鞄を外し、口を開いて熊に宛てる。

 すると大きさを無視して鞄の中に熊が吸い込まれてしまった。

 魔法の鞄、マジックバッグが問題なく機能することを確認。

 ほんの半日ばかりで依頼を終わらせた元貴族家子息は、なんのことはないとばかりに踵を返した。



  ■  ■  ■



 王家執務室。平時とあり冠をしていない壮年の男、フリードリヒ・アリョカ国王は、長い銀髪に包まれた頭に手をやりながら平身低頭で目の前の相手に頭を下げる。

 対するは北方領貴族の重鎮、見るだけで竦むほどの重圧を発するラムワン・イースワット辺境伯は、杖替わりにした長刀を手にしたまま喋る。


「第三王子は、どう始末をつけるつもりだ?」

「はっ。ひとまず、実家へ帰し、謹慎する手筈としておりまして」

「そうか、それで?」

「はっ」


かちん、かちんと、硬い爪が長刀の柄頭とぶつかる音が聞こえる。

 国王の傍に立つ騎士団副長は、硬い表情のまま腰の剣の柄を既に握っている。


「うちの孫がな、自ら泥を被ったと聞いて誇らしい思いとともに、顛末を聞いて呆れてものも言えなくなった。まさかそんな馬鹿が王家の人間にいたとは」

「愚息については、まことに、申し訳なく」

「謝罪が聞きたいわけではない。どうする、つもりだ?」


沈黙と、静寂。絞り出すようにフリードリヒ国王が呟く。


「王位継承権剥奪、侯爵家との繋がりを断つ為に、僧院へ送ります」

「国王様、さすがにそれは」

「口を挟むなトーリャ家の坊主。この場に北方領出身の騎士団長が置かれてない理由を理解しているのか?」


かちんと、ひと際高く爪が柄を鳴らす。冷たい汗をかきながらも、クロイツ・トーリャ副団長は口を開く。


「解っているつもりです辺境伯様、ですが、あまり重い処罰、事実上の放逐まですると、南方側もまたそぞろ騒ぎ始めます」

「信賞必罰、それが成されないから馬鹿が増長し始めたのだろうが。言っておくが、孫の顔に免じて穏便に話している。この場の発言の次第ではわかっているな?」


北方貴族家の蜂起、反逆。

 始まれば王都制圧までおそらく一晩とかからぬ。そもそも近衛兵団、団長を含めた過半数が北方領出身者だ。故郷に弓引くだけの義が王になければ全員が反旗を翻すだろう。そして王都制圧のあとは南方側の貴族家が一つずつ潰される。

 シャーロウ侯爵家が危惧していたように、貴族家同士の武力を鑑みれば北方領側の貴族家と南方側の貴族家では保有戦力の差があまりに大きい。資本で優れていようが、傭兵とて主家が貧弱なところに好んで助力しようとはしない。負け戦は金にならないのだ。

 そして南方貴族家は商業的な権利闘争が恒常化しつつあり、他家との仲が悪い。

 ここまでくるとシャーロウ侯爵家が強硬策に近い形であろうと南側の手綱をとりたがっていたか解るだろう。彼等を支えうる物資、衣食住のうち食を握っているのは今も南方領側ではあるが、あの武力で攻め込まれれば屈するしかないという恐怖が常にあったのだ。

 ただ、それを悪い方に勘違いした馬鹿王子のせいで、王がストレスで胃をねじ切らんばかりに痛めているのだが。

 ちなみに北方領側の大半の意見としては「南方領側の飯は美味いし、助かっている」くらいで、物流的な締め上げをしようものなら「しょうがねぇ、獣でも狩って食うか」程度にしか思わない。無論、虚仮にされて黙っていることもないが。


「今回の件、次はないぞ」

「・・・ご迷惑、おかけしました」


音もなく立ち上がったラムワンは、まるで影のように歩み去った。

 震える指をなんとか柄から引き剥がし、やっとの思いでクロイツは息を吐く。


「胆が冷えましたよ国王様」

「すまなかった。ただ、団長殿も今回の件は腹に据えかねている様子でな、お前しかいなかったんだ」

「それで、辺境伯にお伝えになった通り、殿下は廃嫡で?」

「そうするしかなかろうよ。そもそも、あそこまで不作法であることをこちらも把握していなかったのが大きな落ち度だ。偏見、高圧的で他者を慮らない態度、それは王族どころか人として行ってはならぬことよ。わしも先王からも偉そうな人間に誰がついてくるものかと散々に言われたな」

「うちも似たようなものですよ。仲良くできないならできん理由を考えろと、拳骨をくらって散々説教された世代でして」

「それがなぁ、なんでこうも不和が増えるというのか」

「情報官からは何か報告は?」

「今、南方側領地の状況を調べて回らせとる。さすがにここまでくると、きな臭くなってきたからな」

「聖王国ですか?」

「東の大国がなんでこんな小国を? 小国が集まっているここらを刺激してもろくなことにならないと70年前の戦争で思い知っているだろうに」


溜め息と共に、それぞれの業務に戻る国王と副団長。

 国王としても、身内の馬鹿をこれ以上野放しにするわけにもいかないのは確かだった。



  ■  ■  ■



 受付嬢アーリカは、受注済のクエスト表を整理の手を止め、壁掛け時計を見た。自国は午後4時、そろそろ午後に仕事に出た冒険者達も戻ってくる時間帯である。クエスト完了の受付手続きに備えて休憩しておくか悩む。


「おい、アーリカちゃん、ちょっと」

「あ、ギルド長お疲れ様です」


イースワット領冒険者ギルド長、オウルベ・ドーシャンが顔を出す。

 オウルベは縦も横の幅もでかい巨漢で、外見から『黒い北方熊』という渾名もある。元々は高位冒険者であったが、先代のギルド長が高齢で引退する際、その弟子であった彼が引き継いだのだ。


「昼間、シーゲルが来たって本当か?」

「えぇ、あの噂のシーゲル君ですね」

「第三王子ぶん殴って、廃嫡されたって話だったな。北方領出身の女の子に手ぇ出そうとしたところを一撃だったそうだが」

「らしいですね。その後も諍いが続き、けじめとして廃嫡を願い出たそうですが、さすがに詳細を聞いたラウワン辺境伯もお怒りでしょうね。今頃、お城に怒鳴り込んでいてもおかしくないですよ」

「そうだな。あの孫馬鹿の辺境伯、おじいちゃんおじいちゃんって、何かあったら尋ねてきてくれるシーゲルと、その下のリゲル坊のことを特に可愛がっていたからな。成人した長男も近衛騎士団にいるが、あっちだってどうなっていることやら」

「北の一族に難癖つけたんだから、国王様の態度と対応如何では、内乱じゃないですか?」

「怖い事言うなよ」

「起きて可笑しくない段階ですよ。謂れのない偏見に南方領側貴族家の増長、騒動に関係した北方領側の侯爵家子息は本人の申し出で責任をとっての廃嫡。それで、相手側がなんの措置もとらない、または王家側がなにもしなかったらどう思われるか、という話です」

「・・・自浄能力がない、または公平性が保たれていない、か」

「まぁ、さすがに対応するでしょうけど。あと、他国の関与、国内不穏分子の暗躍、そういったものがないかも王家側が調査に入っている段階でしょうし。この件に関わりがなくとも、国内に騒乱の気配があれば喜んで嘴を突っ込んでくるやつらだっていますからら」

「シーゲル坊も難儀だな」

「まぁ、シーゲル君に関しては大丈夫じゃないですか?」

「何故?」

「あのハイデン家の人間ですよ? 喧嘩売られたら億倍返しですよ」

「それ、まきこまれたらやばいんじゃない?」

「そうですね、余所者なら普通に死ぬよりひどい目にあうんじゃないですか?」

「・・・全職員に注意勧告だけしておくか」


そう会話していた二人の居る冒険者ギルド、その外では既に騒ぎが起きているのだが、彼女達が気付くのはもう少し後になる。



  ■  ■  ■



冒険者ギルドの裏にある解体スペース、主に魔物の腑分けや素材のとりわけに使われる場所へ北方熊を出す。クエスト表と対象の魔物の一致を確認してもらうと、そのまま受領判子をもらった。


「討伐部位だけでなく全身だが、素材はどうする?」

「自前のマジックバックないので全て買い取りでお願いします。小計が出たらそれもください」

「あいよ。にしてもシーゲルが専業冒険者とはねぇ、世の中何があるかわかんねぇな」

「まぁ、しばらくは適当にやっておきますよ」

「そうしろ。ま、金の相談以外ならのるからなんかあればこっち来な。そっちの相談はいよいよとなったら爺様に頼れよ?」

「はい。それじゃまた」


顔見知りの解体担当と世間話をして、ギルドの表側に回り込む。

 すると、ギルドの表側で何か揉め事が起きていた。


「ここにシーゲル元侯爵家子息がいるはずだ。出せ」

「この領内で、犯罪者、それに類するものでない限り、住民や旅人を他家の騎士団に引き渡すことはありませんし、そのような要求にはお答えできません」


対面しているのは、妙に派手な貴族服の男と、辺境領の衛兵達である。

貴族服の男の後ろには、分厚い鋲付革鎧を全身に来た私兵らしき者達が控えている。


「これは高度に政治的な問題だ。いいから引き渡せ」

「ご説明できないことにご協力はできかねます」

「・・・我々は貴族家の者だぞ」

「それであれば貴家より我らが辺境伯にお話を通していただけるようお願いします。我々も、あなた方が我が領で行おうとしていたことをご報告させていただきます」

「脅しのつもりか? 田舎者が」

「田舎者であることは否定しませんが、何故、正式な手続きの依頼が脅しととられるのでしょうか?」

「もういい、行け」


指示に従い男達が冒険者ギルドに踏み入る。そのことを衛兵達は止めなかった。

 中で似たような脅迫を行ったらしい自称貴族家の人間は、即座に捕縛された。


「何故だ! 何故こんな真似が許される!?」

「いや、王国法に則ったお話をするなら、普通に脅迫罪および暴行未遂で逮捕、拘束ですよそりゃあ」

「我々の家紋が見えんのか田舎者ぉ!」

「だめだ話が通じん。こいつ薬かなにかやってないかも調べるぞ」

「はなせぇ! はなせぇ!」


冒険者ギルドに叩きのめされ、衛兵に連行される男達を横目に、シーゲルは短く考える。


「・・・しらんぷりしとこ」


今のところ、自分が関わる必要もなさそうなので、クエストの完了処理、バッグの返却、処分した熊素材の金銭受取りをそれぞれ手続きし、さっさと宿屋へ移動した。



  ■  ■  ■



 王宮付き執政官の一人は、今日は厄日だと思いながら目の前の書類を第三王妃に提示する。

 目の前には、顔面を蒼白にした婦人が一人、過去は美人であったのだろうが、現在はひきつれるような皴が目立ち、神経質そうな印象が先立つ。

 アリョカ王国ヘイズル第三王妃の目の前には息子である第三王子の王位継承権剥奪、および出家を命じる旨が通達された書面が提示されていた。


「ここに捺印とお名前をいただけますか? 控えは保管ください」

「なっ、これは、何の冗談ですか!?」


応接机を叩くヘイズル第三王妃に対し、手元の資料を見ながら通達内容の詳細を伝える。


「えー、王子の問題行動から北方領側からの数多くの抗議があがっていること、加えて、実被害を受けるところであったお嬢さんのお家から正式に被害届が王宮当てに提出されています。未遂ということで罰則からは対象外ですが、その他にも同校内での授業妨害、他の学生への配慮に欠けた行動が正式な調査のうえで発覚しており、まことに残念な結果ですが、第三王子は廃嫡、及び出家という形で王より裁定が下っています」

「お、王と、王とお話をせねばなりませぬ!」

「残念ながら奥方様、およびシャーロウ侯爵に対しては学園から交易、および商業的な圧力などによる権利侵害の申し立て出ていますのでそれも出来かねます。さらに、内乱罪及び他国との内通罪の疑いから拘束命令も出ていますので、お部屋で大人しくされておかれますようお願いします」

「貴族家に対する王家からの弾圧ではないですか! このようなことを看過されていいと思っていますの!?」

「個人的には北方領と南方領間で内乱の引き金になりえた可能性からごく当然の御判断かと思いますが。さて、通達は全て終わりましたのでまずこちらの書面に確認した旨のサインをいただけますか?」

「お、お、お、お断りします! お引き取りあそばせ!」

「了解致しました。通達に対する受託拒否とさせていただきます。執務官及びお部屋の警護にあたる近衛騎士との連名でその旨はご報告させていただきますので」

「はやく出ていきなさい!」

「はい、それでは」


やれやれ話にもならなかったなと、足早に部屋を出る執務官。

 苦い表情で部屋の前に立つ近衛騎士にペンを渡し、書面と下敷きにする木板を渡してサインを促す。


「はい」

「すまんね、ありがとう」

「いいさ。ま、ご苦労様」

「仕事だから仕方ないさ」


懐中時計で時間を確認し、自分の名前と記載時刻を足す。提出書類として封筒に押し込むと、次の仕事の為に執務官は駆け出した。

 あぁ忙しい忙しい。こんな馬鹿馬鹿しいことやっている暇なんてないっていうのに。

 累積する業務に対して、退勤時間までに終わるか執務官は脳内でソロバンをはじいた。

 だが、その日。

 警備の目をかいくぐり、ヘイズル・アリョカ第三王妃は失踪した。



  ■  ■  ■



 革鎧から水気を拭い、替えの下着や靴下を用意する。汚れた衣服は皮膚を傷めるので、凍傷を防ぐ為に冬場は特に湯船に入るのが北方民のたしなみだ。暖かいお湯にじわりと漬かると凍りかけた身体が溶けるような快感がある。

 死が身近過ぎる極寒の大地は、常に緊張を強いる。

 そのまま風呂上りに暖かい部屋で鉄槍の手入れをやっていると、備え付けのテーブルの上にいたオリバーが肩へ飛んでくる。


『明日はどうするんだヨ』

「このまま狩りか、近場のダンジョンに潜るかだな。まぁ、相手の出方次第だろうけど」

『現代の事も学んだつもりだが、普通は辺境伯と諍いを起こせばことが大事になるのではないのか?』

「まぁ、普通はな」


魔剣からの問いに槍の手入れを終えたシーゲルは、革鎧の確認を始める。


「さっき、どこかのお家の人間が捕まっているのを見たろう? たかだか貴族家お付きの使用人が、王国法をないがしろにし、強権を振るっているというのは、本来的にはありえない事だ」

『そんな常識が通じない、横紙破りが横行しているような領地が相手方だと?』

「まぁ、腐った人間は何処にでも湧くが、そんな人間の腰巾着なんかが、よそでとりつくろうことすらしない、というのが少しばかり納得できん」

『思想教育、または洗脳』

「・・・即答されるとは思わなかった。前の持ち主は偉いお坊さんか、それとも内政関係者?」

『さてな。それで、何が原因だと推測した?』

「他国じゃぁないな、内乱教唆で先に問題を起こすなら現シャーロウ侯爵か、王宮にいる第三王妃あたりが騒ぎの発端になるはずだ」

『馬鹿息子が単に馬鹿だったというのは?』

「可能性としては勿論あるが。馬鹿というか、あんな選民思想もどきの考え方、何かの影響が強くある、と考えた方がしっくりくる」

『影響、か』

『むずかしい話はわからないヨ。それより、晩御飯にしようヨ』

「それもそうだな」


喋る剣を腰に差し、喋る虫を肩に乗せたままシーゲルは部屋を出た。

 喋る剣、魔剣ウルラスは、付き合いこそ短いものの、このシーゲルが何かに気付いている様子があることを、なんとはなしに察していた。


(・・・ふむ、単なる馬鹿王子の暴走ではない、何かの影響、という言い回し。誰か、ではなく何かと表現するあたりがな)


廃嫡当日に晩飯をたらふく食って大いびきをかく少年に対し、ウルラスはたくましい子だと密かに嘆息した。



  ■  ■  ■



 全ての寝静まる夜半。使い魔も、剣も置いたままシーゲルは宿屋の庭に出る。

 厚い黒雲の隙間から覗く月光は白く。

 街灯の光も届かぬ庭を照らしていた。

 シーゲルがポケットから取り出したのは、金属製の腕輪だった。

 手首に嵌めると、音もなく輪が狭まり、肌に接着されたよう動かなくなる。

 極光の銀環ぎんかん

 祖父であるラムワンから渡されたそれは、神代の時代の道具アーティファクトだ。

 三つの小さな青い宝石以外に装飾もなく、鈍い銀色をした質素な腕輪にしか見えない。

 ただし、その効果、三度だけ行使可能な『極大の魔術式』は、使いようによっては都市どころか国を亡ぼす。

 六節以上の詠唱と多大な魔力によって効果を顕現させるこの腕輪は、祖父の持つ奥の手のうち、かなり危険なものだ。

 これを使わなければならない相手でも出てくるというのか。

 亜神か、それとも魔神の類か。


「・・・さすがに心配し過ぎだとは思うけど」


月明かりにかざした瞬間、青く小さな宝石が微かに瞬いた。

 所有者が月、または星の下に腕輪を晒すことが第一の儀礼、つまり使用条件となっている。

 最低限の準備を終えたシーゲルは、腕輪を袖の下に隠し、宿屋へ戻っていった。



  ■  ■  ■



 第三王子従者ジョニー・ハルトマンは嘆いていた。

 第三王子の母であるシャーロウ侯爵は南方領においても五指に入る大貴族だ。先代王の叔父を曽祖父に持ち、領地の規模から侯爵に甘んじてはいるが、それでも南方の広い範囲に大きな影響力を持つ。その影響力は南方領の片隅にあるハルトマン領も含まれる。

 ハルトマン男爵領は近衛騎士にも代々人員を排出してきた騎士の家系であり、領地内の主要産業である高山植物の栽培や芋類の栽培。その他の規模こそ少ないが重要な畜産、その家畜の売買について領地の近いシャーロウ侯爵家の影響を強く受けるのだ。

 その為、現当主であるハリス・ハルトマン男爵、ジョニーの父は忸怩たる思いのうえ、シャーロウ侯爵家に害意ないことを示す為に第三王子従者として次男のジョニーを仕えさせている。

 そしてまぁ、ジョニーと、そしてその相方であるアンソニー・ボロウは、事あるごと爆発する第三王子の勘気に悩まされていた。

 いわゆるワガママや突発的なお叱りに対してだ。

 この王子、地頭は悪くないようなのに、プライドが空回りして語調も荒い。

 何度となくアンソニーも諫めているが、言い負けそうになると怒鳴り散らして暴れるのだ。乳母の息子であるアンソニーにすらそんな様子だから、比較的新参のジョニー対しても当たりは強い。

 学園でも何時の間にか、馬鹿王子とその腰巾着として悪い意味で知られるようになってしまった。

 いわく、黒い巾着と白い巾着だ。黒がジョニー、白がアンソニーで、それぞれの髪が黒髪と銀髪なことからそんな渾名を不本意にも受けるようになった。

そんな中でジョニーは、第三王子ことシディン王子の勘気のつぼのようなものを何となく察しつつあった。

 次男坊として脳筋の親や兄を支えていることで培われた空気読みのセンスの賜物とも言えよう。いわく、シディン第三王子の勘気の根本は、おそらく母親の教育によって生まれたコンプレックスである。

 いわゆる、第三王子という立場に対する責任と、それに伴うストレスへの転化行為として高圧的な主張や攻撃的な口調が表面化しているのである。

 そして責任、重圧とは、母親であるヘイズル・アリョカ第三王妃による洗脳じみた貴族教育が原因だ。

 ヘイズル第三王妃自体も、ある意味では被害者だったのかもしれない。

 王権への影響力を求めた彼女の父、先代のシャーロウ侯爵の咎に対しての。

 東方征伐と称し、隣国へ侵略戦争を仕掛けようとしたタカ派の急先鋒にして、侵略失敗と領内荒廃から隠居となった先代のせいで、彼女は王家に嫁ぐことになる。

 そのうえで立場は第三王妃。

 まだ十代で嫁いだ彼女の心中を察することは困難だ。

 だが、結果として今度は息子に王権に執着させるようなことを唆す加害者になったのだから救いようがない。十代半ばの息子の暴走に対しても諫める様子もなく、あのハイデン家の息子にしこたまぶん殴られた時ですら息子には叱咤激励のふりをした恨み言を送ってきたクソババァだ。

 心配する一言もないのだから一緒に殴られた身ではあるものの、さすがに可哀想になった。

 ただ、だとしても王子の豹変は何かおかしいとも思っていたが。

 そして今、謹慎を名目に学園から放り出され、シャーロウ侯爵家に戻ってくるはめとなった従者二人と第三王子だが、領地に戻る途中で聞かされたのが母親の失踪。


 慌てて侯爵家の屋敷にとびこむと、返ってきたのはしんと静まり返った屋敷の空気だった。

 従者の気配はかけらもない。

 むしろ、なにがしかの魔力の影響が感じられ、そういった能力に秀でた第三王子の顔色が一瞬で青くなった。


 この王子、そもそもが剣の才能より魔術系の才能の方に秀でているのだ。

 それをクソババァが介入してきて向いていない剣術ばかりをやらせるから成果も出ない。それにまた嫌味を言うのだから第三王子にとってもたまったものではないだろう。

 最近はもうバカバカしくなって剣術の授業はさぼるよう唆してしまった。その間は図書館に居座っているのだが、この王子、独学で魔術式の勉強を初めて中級の魔術式を幾つかものにしてしまっている。

 そういった成果をつい母親に近況報告と一緒に送ってしまってまた嫌味を言われる。

 正直、最近は悪夢に魘され眠りを浅かったからもうそろそろ危険だとは思っていたレベルではあった。

 学園の保健室にいくのも拒否するし、いよいよとなれば誰かにかけあわねばとアンソニーと相談していた矢先の事件である。

 間に合わなかったと後悔すると同時、もうとっとと僧院にでも入って解放されてしまえばよいとも思っていた。

 聖職者として精神修養でも受けたらすぐにでもまともになるだろうと。

 いっそ母親にも三行半つけれやりゃあいいだろうと思って帰ってきた途端にこれだ。


 なんだこの邪悪な気配は。

 

 屋敷に満ちた深い静寂とこびりつくような魔の気配。

 そっと王子は魔術媒体である銀の指輪を中指に嵌め、アンソニーは馬車から斧槍を持ってきた。自分は腰の長剣の位置を直すと、壁にあったラウンドシールドを失敬してくる。

このままとんずらすべきか考え、原因だけでも探っておくべきと王子の指示に従い屋敷の奥を目指す。

 誰もいない。

 何の音もしない。

 そのまま淀んだ気配に誘われるように辿り着いたのは、残念ながらクソババァ、否、ヘイズル第三王妃の私室だった。

 アンソニーが扉をゆっくり押し上げ、シディン王子が何かに急かされるよう踏み込む。

 そこは地獄だった。


「あら、シディン。どうしたの?」

「母様、これは」

「え? あぁ、私の為になってもらったの」


死体、遺骸、亡骸。

 何人もの人間が命を失い、まるで荷物か何かのように死んでいる。

 そして彼女の背後には、黒とも、赤ともつかぬ表皮をした異形達が、まるで闇に溶けるような恰好でこちらを赤く爛々と光る眼でこちらを睨んでいた。

 このクソババァ。

 この屋敷の人間、それも人数的に逃げそびれた側近たちばかりだろうが、そいつらを生贄にこの異形と契約しやがったな。


「全部、ぜぇんぶ、終わりでいいのよ。貴方はそのあとに、新しい国を建てるの」

「・・・・」

「窮屈で、だれも、気にもしない、寄っても来ない、哀れな箱庭に居るのなんてもうたくさん。最初っからそうすればよかった」

「・・・・」


 なんて身勝手な言いぐさなのかと思う。

 王宮という場での孤立は、確かに父の代の行いもあった。

 だがそれ以上に、孤立を含めた要因は己の立ち居振る舞いであったというのに。

 それとも、この異形の元となったなにがしかの品か、存在が、その心に影響を与えたか。

 どちらが先かはジョニーには皆目見当もつかない。

 しかして危機は、眼前にある。

 徐々に距離を縮めてくる異形の群れからは、生臭い吐息が届きそうだ。

 しばしの沈黙から、王子が口を開く。


「母様、私は王子なのです。この国を害すことを、赦すわけにはいきません」

「そう、愚かな子」


この馬鹿王子。

 こんなところで根性見せるんじゃねぇ、そう思いつつもジョニーは笑っていた。

 だって、笑うしかねぇだろ?

 王子が魔術式を放つと同時、部屋に潜んでいた幾つもの異形が、こちらに殺到してきた。

 その光景に、王妃の後ろの空間で、何かが笑ったような気がした。

 まさに修羅場であった。



  ■  ■  ■



 じっくりと魔剣の刀身を眺め、油で拭っていたシーゲルは、刃こぼれ一つないことに感嘆する。何時の時代かどのような業かも定かでないが、澄み渡ったこの刀身たるや惚れ惚れするような匠の技術である。

 しかしてハイデン流剣術は戦場無頼の技術。

 鞘は金属を用い、剣は刃が潰れれば刀身でもって殴るということを平気でやる。

 このような切れ味鋭い魔剣を使うには相応しい人間かといえば頷き辛いのだが。


「まぁ、使えるものはなんでも使うだけか」

『あるじ、ちょっとオブラートに包もうヨ』

『主の家柄、ともすれば蛮族とか暗殺者とか言われそうだな』

「殺し合いの技術なんぞ行き着けばそんなもんだろう?」


さっぱりとしたことである。

 北の地は過酷であり、実際にシーゲルの母も流行り病にて幼き頃に亡くなっている。

 寒さとは常に厳しい。

 だからこそ環境と、魔物と、そして人と戦った北方領の人間は戦いを軽んじない。

 やらねばならぬ時に躊躇だけはするなと、固く父から、祖父から教えられて育つ。


「生きねばならんのだ。だが、生かす為に死なねばならん時もあるのだ、ってな」

『とんでもないな。極寒の国とは』

『こいつの家が特殊なだけだヨ』


虫の身体で器用に腕組みのような仕草をする銀色のクワガタ虫ことオリバー。

 漆黒の魔剣ウルラスは、その特殊な家についてシーゲルに問う。


「面白い話でもないぞ?」


 北方領でも北に位置するハイデン伯爵領。極北と言われるイースワット領に比べれば暴風じみた山からの吹きおろしがないだけマシではあるものの、その寒さは変わらない。冬の時期には全てが雪に閉ざされ、一面が白く染まる。

 そんな土地の領主家の話だ。



  ■  ■  ■



 長男アルカイン、次男シーゲル、三男のリゲル。

 年の離れた長男は、母を早くに亡くした次男と三男を年のころ八つの時より乳母と共に面倒見ることになった。次男が2歳、三男が0歳の時からだ。

 政務に追われる父親のクーゲルは彼等の寝顔しか見ることは叶わぬも、片親がないままだろうとすくすくと子供達は育った。

 そして長男が十三歳、士官学校の入学年齢となる。

 残された次男が七歳、三男が五歳となり、何年か続いた冬季の災害にも決着がつき、激務からクーゲルも解放された。その年に初めて二人は祖父と顔合わせすることになる。


「ほう、よい顔つきよ。儂が爺様じゃぞ」

「じいちゃん!」

「おじいさま!」


国王にすら畏れられる極北の守り人、ラムワン・イースワット辺境伯は二人にとって頼れる祖父であった。ラムワン自身も己に染みついた武人の気配にすら物怖じせず懐く幼い孫達を可愛く思い、殊更に可愛がった。

 それは父の忙しさから長男が祖父の住まう極北のイースワット領へ滅多に来られず、初孫との仲が疎遠になってしまったことへの反動とも言えるかもしれない。

 次男は召喚術、末の三男は魔術の適性を見出され、同時に、北方領の人間に不可欠な戦場心得も幼くして叩き込まれる。

 泣き喚く二人に対し、心を鬼にした祖父は、その剣に潜む狂気を、身をもって教えた。


「いいか? 二人とも。戦場でも、魔物の縄張りでも、だっれも手加減などしてくれぬ。己の身は己で守らねばならんのだ」


それだけ厳しい教えを受けて尚も祖父を嫌わなかったのは、彼等もその行為の裏にある真心が伝わっていたからだろう。命が軽い極北の地にて、二人の幼い兄弟は自然の厳しさ、戦場にあるという無常、そして、祖父の剣術を教え込まれた。

 祖父の教えは苛烈の一言であり、十歳に満たない二人は、冬季の備えとして行われている魔物の間引きにまで参加させた。

 そして二人が9歳と7歳の年、雪原の主と言われる雪原大咢(スノーセンチネル)の大量発生という災害が発生。雪原から熱を求め、巨大な百足の魔物である彼等が街の方向へ殺到していく中、群れを横殴りにした若い孤独種の雪原大咢(スノーセンチネル)と共に撃退に成功。

 ちなみに孤独種とは、大型化などを理由に群れから排斥された個体のことだ。

 この群れのことと、孤独種のことを教えたのが今となってはシーゲルの相棒となったオリバーである。

むしろ、森で彷徨っていた銀色のクワガタ虫である彼との出会いが、その年の騒ぎの発端であったとも言えよう。

 オリバーが孤独種に追われていたところをたまたま間引きの偵察班にいたシーゲルが助け、その時に群れと孤独種の話が彼よりもたらされた。

 その話を元に防衛線を構築、そのおかげで少ない犠牲で退けることに成功。

 のちに孤独種もシーゲルと契約し、召喚獣の一人となる。

 十五歳となり学園より戻った長兄アルカインが見たのは、冬の森に潜む凶悪な小型昆虫の魔物を自在に操る次男と、氷のブロックを魔術で操り、積み木遊びをしている三男の姿であった。

 剣術、格闘術に関してもシーゲルは皆伝とまでいわないが、一兵卒に劣らぬと祖父に評された。

 剣術で僅かに勝ちを拾うも、格闘術で叩きのめされたことに、その後アルカインは鍛錬を一段厳しくすることとした。

 そういった騒動を経て、虫使いシーゲルという異端の召喚術士は形成されていったのだ。


「案外、冒険者生活というのも悪くないな」

『極寒のこの地で平気に活動しているあたり、たしかにこの者もどうかしているな』

『だろうヨ』


羽音のような軋んだ声を漏らし、オリバーは笑う。

 準備を終えたシーゲルが出かける用意をして冒険者ギルドへ向かうと、表通りでは大きな騒ぎが起きていた。



  ■  ■  ■


 

 学園の校長執務室で報告書を手にしていた男は眉間にしわを寄せる。

 内容が内容だけに、扱いには厳重な注意が必要だった。


「蛙の子は蛙か」

「おや、それは?」

「ヘイズル・シャーロウについて、在学中だった頃の情報請求ですな」

「あぁ、彼女の」


 校長であるディオス・へパンの言葉に、副校長である学園の生き字引ことシュワルツ老は唸る。


「専攻していた儀礼魔術の成績はトップ。一身上の都合で中途退学となり王家に輿入れした時は随分と残念に思いました。卒業前年に提出されたレポートも素晴らしく、評価としてAに+をはっきりつけたのはその年ではあのレポートだけでしたな」

「よく覚えていらっしゃる」

「当時、儀礼魔術と刻印魔術を私が担当していましたからね。あれももう何十年と前になりますか。歳をとるとどうも」


白い眉と髭をした老人が声もなく笑う様子に頷く。

 年齢も定かでないこのシュワルツ老は、学園解説当初から存在しているとさえ言われ、魔術科においては長年の経験と実力に加え、幾人も優秀な生徒を輩出したことから大きな発言力を持つ。

その彼をして優秀と言わしめたヘイズル第三王妃とはどのような人物であったのか。


「ただ、少し気になる要項がありまして」

「何か?」

「呪術汚染や、洗脳魔術式に関する知識の有無と」

「む? それは」


二人の脳内に、謹慎中として実家に戻された第三王子の顔が浮かぶ。

 勉学への集中を妨げるような勘気と一貫しない行動。

 高圧的で他者を寄せ付けない言動。

 いつも神経質で、コミュニケーション能力の欠如ともとれる様子。


「報告を聞いた時、ストレス性の精神衰弱の予兆と思っていたが」

「まさか」


校長は即座に保険医を呼んだ。

 第三王子洗脳、または呪詛による精神支配の可能性。

 そんな馬鹿なと保険医が過去の健康診断や保健室での治療から探った結果、残念ながらその兆候はあった。


「魔力値の変動がありますね。正直、成長中の生徒であれば誤差といってもいいくらいの数値ですが」

「属性についても闇の適性と精神汚染耐性が若干であるが上がってますね」

「こんな、まさか」

「彼女は呪術系統については学院教授も目指せた才女ですからな。それを悪用すれば」

「………馬鹿者め。実の息子に、なんということを」

「これは、保険医として私の責任です」

「いや、王子であるなら耐性装備のアクセサリは常につけているはずだ。そこに影響を出さぬよう精神に影響を与えるなど、それも母親が行っているなど簡単に気付けるものではない」


そして、これは一個人、保険医だけの責任では既に無いのだ。

 学園長が手元の資料をまとめるとすぐに立ち上がる。


「第三王子は既にシャーロウ領へ戻ったのだな。誰か、すぐに追いかけられる者は」

「所在が解っていて、近隣ですぐに連絡がとれるのは、あの」

「なんだ? 誰がいる?」


言い淀むシュバルツ老に、遅れてディオス校長も気付く。


「シーゲル君か」

「はい、残念ながら」


暫く瞑目した校長であったが、その決断は速かった。

 即座に校長室を出ていく彼に、保険医とシュバルツ老も続いた。



  ■  ■  ■


 

 シャーロウ侯爵領から瀕死の重体に陥った第三王子を抱えて裸馬で逃げ帰ってきた従者二人。片腕をボロ雑巾のようにしてぶら下げたジョニーという青年が語ったのは、第三王妃の豹変、屋敷を満たす狂気の魔力についてだった。


「既に正気だったのかも、定かでありません」


国内の魔術師ギルドの調査でも巨大な魔術的汚染の兆候が感知され、報告を受けた国は国軍によって付近の住人へ避難勧告が発令された。つまり龍種の襲撃、またはそれに準ずる脅威として第三王妃の反乱は見なされたのだ。

 冒険者ギルドを経由し、そういった情報を聞き及んだシーゲルは旅装を整えた。


『まさかお前』

「好機だ」

『行くつもりなのか!?』


魔剣から迸る思念の声に頷き、腰へと剣を佩くシーゲル。

その手は僅かに震えているものの、それが恐怖ではなく武者震いであることは付き合いの短いウルラスにも解った。


「そうだ。行かなければならない」

『何故?』

「もう我慢しなくていいからだ」

『お前』


手に纏った手甲がみしみしと軋む。

 ともすれば噴き出さんとしているのは殺意だ。怒りと、鬱憤を拭き散らすように滾る敵意だ。


「俺は、そのクソババァをぶん殴らねば気が済まん」

『・・・お前は、間違いなくハイデンの血族だよ』

『ウル、ここはもう諦めるんだヨ』


魔剣が行動を咎めるような持ち主が、どれだけいるのやら。

 イースワットの屋敷に飛び込んだシーゲルに対し、ラムワンもまた、無言で転移術式の起動準備の終わった部屋を示した。


「さすがに儂等は動けん」

「いえ、自分だけで十分です。転移先は何処まで?」

「シャーロウ伯爵領の領都だ。魔力汚染の影響が広がれば、同じ手段では帰ってこれなくなることだけは覚えておけ」

「十分です。落とし前を付けた後はのんびり帰ってきますよ」

「ならば行ってこい」

「はい」


ちらりと腕輪を見たラムワンに頷き、シーゲルは術式の中央、魔法陣の中へ飛び込んだ。

 瞬く間に姿の消えた孫の背を、ラムワンは苦み走った笑顔で見送った。

 彼が笑っていたのは、まさか貸し渡した腕輪を使うほどの敵が出て来たという運命と、それを打ち破るであろう信頼する孫の姿に対してだ。



  ■  ■  ■



 ヘイズル第三王妃が父、自裁したシャーロウ前侯爵こと、ダエーワ・シャーロウは、時に強い酒をすがるように飲むことがあった。まるで何かを振り切るように一人で琥珀色の液体を呷る姿は痛々しかった。それを止めようと声をかける母に、父であるダエーワは力なく首を振って再び酒に手を伸ばすのだ。

 成人前にたった一度、その行為を問うたことがある。

 それは父であるダエーワが、隣国への独断による侵攻を図る前の頃であった。


「我々、南の貴族達は敗北者なのだ。本当の脅威から南部へ逃れてきた人間の成れの果てだ」


アリョカ王国は北より始まった、と彼は語る。

 アリョカは建国神話なんてものなども存在しない程度の若い国だ。辿ればひいひい爺さんのまた爺さんの頃、今の王から数えて6代ほど前に、遠い山領を超えて祖先達はこの地に渡ってきたのだという。元々はどこか南方の島国に住む者達の末裔であったとか、どこぞの没落した大貴族とも言われるが、当時、山の裾野に僅かな集落しかなかったこの地をアリョカと呼び、現地民と共に国を興したのが始まりだという。

 アリョカとは現地の古い言葉で『甘いもの』を指していたらしい。

 それこそ「いつかこの地で、豊穣を実らせる日を」と当時の王が記した手記には残されていたという。

 当時、南方側は湿地帯が多く、開墾するにも人手が足らなかった。

 北方の極寒に覆われた地を皮膚が強張り、吐息が凍える中で必死に切り開いてきたのだ。

 ただし、そんな艱難辛苦に耐えられぬ者もいた。

 彼等は南方の探査を名目に、湿地他の一部に僅かばかり存在していた平地に居を構え、新たな居住地を生み出す。

 これが、現在の南方貴族の始まりだ。


「わかるか? 逃げたのだよ我々の祖は。北の地での戦いから」


結果、アリョカ王国として近隣に認められる規模となった頃、王家に次いで権力を握っていたのがあのイースワット領である。堅牢な工業街を備え、まるで冬を押し留めるように輝きを放つあの街は王都が完成するまで国の国政の中枢を司る政庁が存在する地でもあったのだ。

 しかし、山岳からの脅威排除の役目から政治と距離を置いたイースワット領初代当主により、権力を二分するような内紛によって王権が乱れる、または国の統制が荒れたりすることはなかった。そのおかげで、今日までこのアリョカ国は続いているのだ。


「商業的な成功などほんの些細なことさ。その商業的な成功だって、天地貫くあの黒い山、その脅威を遮る辺境軍の練度、そんな練度を持ちながらも侵攻しないアリョカを、近隣でも領地拡大を目論んだ者達にとっても脅威と知られているからだ」


逃げ出した負い目、他人の威光によって得られる信頼。

 手に入れた栄光は仮初で、過去に起きた出来事は拭えない。

 様々な要素が積み重なり、そういった歴史を知る南方貴族達は鬱屈していた。

 結果、暴発までは秒読みであったのだ。


「おそらく、お前達には多大なる苦労をかけるだろう。だがな、私とて一度くらい、自分に誇りをもちたいんだよ」


その真意を知るのは、ダエーワが()()での隣国侵攻を行った後だ。

 公的な文章では国境警備隊と侯爵家騎士団との間に『些か』の争いがあっただけ。

 隣国への被害が及ぶものはなく終わったことになっている。公的な文章には。

 実際の武力衝突には至っていないし、だからこそ国内の処罰だけで事は済んだのだ、と。

 父が愚かな行いをしたことにより委縮する南方貴族達、そうやって国の平穏が保たれた。


 なんて。

 なんて()()()()()のか。 

 

 得られたのは短い平穏だ。簡単に崩れてしまう淡い平穏。

 そんなものを守る為に家族を、領地の民に犠牲を強いた父を認めることなど出来るはずもないし、そんなことで自身の求めていた道が閉ざされたことがたまらなく屈辱的だった。

 学園で学んでいた魔術的な研究がまとまれば、自身の名は近代魔術史において燦然と残ったかもしれない。そうならなくとも、研究成果から何かが生まれていたかもしれない。それこそ、教科書に載ることもないような、ちっぽけな成果でしかないかもしれなけれど。

 そう、私は。

 もっと学びたかったのだ。あの学校で、もっと、大切な時間を過ごしたかった。

 けれどそれは叶わず、宮廷雀の囁きに惑わされる王宮生活。

 奸臣の娘、そう陰で嗤う声を聴くのにも慣れた日々。王は正妃と仲睦まじく、私自身も彼に興味はなかった。第二王妃とおなじく、お義理で息子を産んでそれで終わり。彼にとっても、父であるダエーワの犠牲がどんな意味をもっていたかを理解したうえで私に憐憫こそあれど愛するほどの魅力はなかったのだろう。

 空虚な人生。

 そう理解した瞬間から少しずつ歯車は壊れてしまったような気はしていた。

 ヘイズル元第三王妃はかつてあった壮麗な庭園が異様な雰囲気をまとった動き回る蔦や蔓草で覆われていく中、残っていたガーデニングテーブルの腰掛ける。

 抑えきれない憎悪が、尽きせぬ嫉妬が。

 何から始まったのかと考えたこともある。

 答えはなかった。

 国王の態度は裏切りというほど手酷いものでもなかった。さほどの愛がなかったというのもある。

 宮廷の生活に不満はあった。だが、我慢できないほどのストレスでもなかった。

 実家の暮らしや、自ら生んだ息子にも興味はなかった。執着するほどのことでもないと思ったから。

 ならば何故。

 それらを全てぶち壊してしまいたいとタガは外れたのか。

 いうなれば。

 それは。


「なんのことはない。鬱憤晴らしだろう? つまりは」


そう口にして下品な笑い声と共に両手を叩くのは一つ目の悪魔。

 まるで白い人型の岩壁、巨大な一つ目が爛々と輝く巨人。

 封鎖のアルピオン。神話に名の残る巨人だったとされる神性存在、その成れの果てに近い存在だ。

 元々の神々は既にこの世界を離れたが、遺された土地に染みつく神性やアーティファクト、あとは精霊や妖精などを元に生まれたものは悪魔と呼ばれる。

 精霊や妖精と比べれば、ずっと人間側に近い存在。

 よくもわるくも、だ。

 

「そうかもしれない。そうでしょうね」


感情、そして行動を明確に表現できる言葉はない。

 どうしようもない暗い感情が、腹の奥深いところで囁いたのだ。

 そうしてやってしまったこと、これからやろうとしていることを考えれば。

 鬱憤晴らしと言われても仕方のない行為かもしれない。


「圧倒的な脅威が存在する時に、この国はどうなるのかしらね?」


父が守ろうとした。

 王であるあの男が守ろうとした。

 こんな国が。

 どこで破綻するか、それはそれで見ものかもしれない。

 だが。


 急激に空気が冷える。

 息が白く染まり、窓ガラスには白く霜に覆われた。


「な、に?」

「これはこれは」


悪魔と元第三王妃は強大な魔力の反応に目を見開く。


「あれは、冬か」


そう悪魔が呟いた瞬間、窓の留め金を吹き飛ばし、暴風が吹きこんで来た。



  ■  ■  ■



 シーゲル・ハイデン、今となってはただのシーゲル。

 彼は召喚師だ。

 道具が、準備が、方法があれば、どんなものだってんでみせる。

 それこそが召喚師という技だ。

 屋敷の傍へ転移してきたシーゲルは、地面に魔剣を刺し、魔力を編んで周囲へ魔法陣を刻んでいく。

 ここが自陣で、目の前の屋敷が敵陣。

 魔力によって干渉された地面に魔法が刻まれていき、真っ青な光で満たされた線が図形を描いていく。


『お前、何を』

「一番大きなものを喚ぶ」


魔剣からの問いに、短くシーゲルが返す。

 我慢した。

 クソ王子の言動にも、これまでの加害にも。

 家の為に、故郷の為に、そう思ったからこそ短慮だけは起こさないようにしながら、立場と、誇りを守るために断固として立ち向かった。

 全ての原因がクソババァの所為だと聞いた。クソババァが人に害をもたらしたと聞いた。


 もういいだろう?

 

 父に、あれだけ嘆かせた自分が情けない。

 祖父に、あれだけ怒りを堪えさせた自分が情けない。

 廃嫡後に会えていない兄だって、弟だって、どれだけ心配してくれたかわからない。

 その原因は何だ?

 目の前の誰かだ。

 許して。

 許してなるものか。

 理由? 知ったことではない。

 被害? 知ったことではない。

 滾る怒りを、深い呼吸と共に吐き出す。

 魔法陣の発光が魔力に呼応し、強く激しく反応を繰り返し、魔術式に流し込む魔力のルートを腕輪から魔法陣へと接続する。

 

「厳しき冷たい地。声は途絶え、暴れる雪と泣き叫ぶ風に全てが閉ざされる」


 詠唱。

 極光の銀環に輝く魔石が輝きを強め、腕の周囲に物理的な質量を備えるほどの魔力が収束していく。


「獣は息絶え、白く染め抜かれた全ては凍てついて止まる。我らが故郷にして全てが支配された静止する世界」

 

 詠唱。

 魔法陣の中をぐるぐると魔力が巡り、魔術式を司る回路を加速させていく。


「汝は遙か遠き冬の山領、染め抜かれた凍土。天上より黒き雲に遮られ太陽と別たれた地」


 詠唱。

 既に6節。魔法陣は脈動し、その領域を定義する。


黒き巌の山壁(シュバルツ)より来たれ。かつての神たるものの記憶よ」


 詠唱。

 荒れ狂う力は既に周囲に暴風雪を振りまき、曇天が空に生じる。


霜の神霊フロスティア


その時。

 まぎれもなく気温が一気に下がった。熱量を全て食いつくし、一体の神格、その残滓が顕現する。

 真っ白な暴風を展開し、白い貫頭位を幾重にもまとったかの姿。

 まるで雪が人型に集まったような輪郭も朧げなそれは冬そのものだった。


 冬にして雪山の化身。祖から縁をもつ故郷から呼び放った存在。

 その圧倒的な極低温、僅かばかりの神性を核に顕現した極寒の機構は、一瞬にして屋敷全てを雪と氷で支配した。天候どころか環境すら支配するかつて神に連なる存在であった者は、同じよう顕現しようとした魔界の植物も悪魔の眷属もたちどころに氷像にしてしまった。


「なっ!?」

「これはすごい」


驚愕と嘲笑。

 悪魔の放つ魔力障壁によって遮られた安全地帯の中、まったく逆の反応をする一人と一体。

 しかし、まるで冷凍庫の如く温度が下がっていき、周囲が厚い氷におおわれる前に転移の魔術式が発動する。

 屋敷の上空へ移動した元王妃と悪魔は、そこに雪山の化身を見た。


『貴様が元第三王妃か』


底冷えするような声が伝達の魔術式を通じて王妃に届けられる。

 敵意だ。混ざりっ気のない。

 殺意だ。怒りを秘めた。

 周辺数キロを覆うこの極寒の魔力で包まれた領域によって閉じ込められていることを遅れて気付く。短距離の転移だけで王城から持ち出した魔力結晶、国宝として保管されていたものの内容量が数割削られていた。この空間において移動そのものが制限されているのだ。

 雪が閉ざし、暴風が阻む極寒の世界。

 大雪山の山中そのものの異常な光景を前に、さしもの元王妃の顔色も次第に悪くなる。

 魔術研究に携わったからこそわかるのだ。この異常な現象がどれだけの神秘をもって成されているのかを。

 血、歴史、あらゆる要素の顕現だ。

 生まれ育った土地の化身を、血脈に紐づく魔力の影響を元に呼び出したという。

 土地を統べるもの。

 土地と生きたもの。

 目の前にいたのは、父が畏れ、己に楔が打たれる根源となった存在の末裔。

 まるで運命が追いかけてきたような錯覚さえ覚えた。

 足が竦むのを感じながらも、元王妃は彼を見据えた。


「貴方は、何故?」

『ここに居るのかということか? それとも、こんなことをしているのか、ということか? ヘイズル元第三王妃』


声からは痛みを感じるほどの敵意が燻り続けている。


「………そうね」

『どちらも答えは同じだ』


銀色に輝く腕輪をはめた手が、前へ伸ばされる。


『お前の敵だからだ』


凍てつく暴風の中で生じていた氷の礫が、一斉に王妃を襲った。

 アルピオンが魔力障壁を何層も重ね攻撃を遮るが、まるで雪崩のよう襲い掛かってくる氷の粒が瞬く間に魔力障壁を削る。

 事前準備、アーティファクト、そして術者の技量を尽くした最高出力だ。たとえ悪魔であろうとそう簡単に上回れる力ではない。

 そして、そこまでしていながらこれは単なる()()()だ。

 来る。

 冬を割って戦士が来る。

 首を狩りに冬の支配者が来る

 真っ白な繊毛で覆われた分厚い白鎧で覆われた人影が、その手に魔剣を携え、銀の虫を伴い吹雪きの中を歩いてくる。


「召喚獣で構成した鎧・・・!?」

「おやまぁ、多芸なことで」

 

その姿、その意味を元第三王妃は看破する。腐ってもかつては教師すら唸らせた才女であり、その為に、その姿の脅威を正しく理解してしまった。

 憑依召喚、武器召喚、転化召喚と呼ばれる召喚術式がある。

 召喚する際に媒介の中に宿す、または本来とは別の形に顕現される技術だ。

 召喚術の属性や技能、特性を宿された武具や防具は、その力を術者の力に上乗せする。

 そうして雪原大咢(スノーセンチネル)の力によって構成された白鎧の特性は二つ。

 雪原適応(高)と、低温硬化外殻。

 極寒に能力低下を受けず、むしろ身体体能力を増強する力、そして、低温により外殻の強度を更に鍛える力。

 雪原大咢を雪上の捕食者たらしめるそれらの力によって豪雪をものともせず、吹雪に屈することのない狂戦士は、既に魔剣を握り、踏み込む瞬間を狙い定めている。

 すでに手札のうち魔界の植物は無効化され、悪魔アルピオンも環境による能力の制限を受けている。

 止める手段を探るも、風、水、地属性の術式は既に相手の支配下に置かれ、この段階から炎による反抗を行おうとしても種火すら起こすことが難しい。

 戦場を支配し、そのうえで直接攻撃で黙らせる。

 時代が時代なら彼もまた将を務めるに足る器だ。

 才能も、若さも、なんと憎らしいことか。

 第三王妃の噛み締めた唇から毒々しいほど赤い血がしたたる。

 その血を指先で拭い、自らの血で掌に図形を描く。

 三角形を分断する一本の線それは図化された矢尻だ。


やじりよ飛べ!」


魔力を編んで形作られる魔力の矢。初歩的な魔術式である魔力弾による射撃攻撃、その派生だ。

 ただし、暴風に負けぬ速度で飛来する矢は、当たり所が悪ければ


「ふっ!」


魔剣を鋭く振るシーゲル。魔剣を振り払う際に放つ余波だけで風が裂け、魔力の矢は逸れる。

 続けて放たれる魔力の矢は精度が高く、前進するシーゲルの兜を削り目元や首筋、装甲が薄いはずの関節を狙って動きを封じてくる。


「アルピオン!」

「いいのかい?」

「いまさら構わないわ!」

「では」


 それでも前進を止めないシーゲルに、魔力壁を解除したアルピオンが飛び込んできた。

 巨大な掌から放たれた魔力が鉤爪の形に構築される。

 振り払う一撃で凍った地面に四条の溝が刻まれ、衝撃波に地面が揺れた。

 しかし攻撃範囲に居たシーゲルは無傷。魔剣によって受け流し、返す一太刀で胴体に一撃を加える。

 だが頑強なアルピオンの身体は剣撃を弾き、痛痒すら感じた様子もなく攻撃を重ねてくる。


「忌々しいねぇ。冬の化身たる召喚獣で場を封じ、直接攻撃を除けば大きく制限されるとは」

「そこまでわかっていながら、なぜあの女に従う?」

「悪魔とは契約に準ずるものさ。でなければ面白くないだろう?」

「そうか」


シーゲルが踏み出す。鉤爪の攻撃範囲、その内側に踏み込む躊躇いの無さは悪魔をしてさえ狂気を感じた。

 獣だ。

 冬を連れ、獲物を殺す為に来たる獣。

 人の形をした暴威は、通らぬはずの悪魔への反撃の瞬間、全身の魔力を活性化させる。


「っせい!」


魔力による身体強化。

 通常なら足首を具足ごと叩き折る下段の足払いによって足をひっかけ、悪魔を()()()()()()

 体勢を崩した悪魔が立ち直るより先に、魔剣に漲る魔力の色が変わる。


「響け!」


剣術技の一つ貫通ベネトレイトを剣響の名をもつ魔剣によって行う。

 魔力波動による悪魔の身体を構成する魔力と霊力の結合を破砕し、表層の顕現化障壁をたったの一撃で貫いていた。

 しかもシーゲルは、そのまま地面に魔剣を突き刺して悪魔の身体を磔にする。

 肉体結合を崩され、しかも魔剣という強大な存在の力を体に遺されたことで体に力の入らぬ悪魔は痙攣するように身を震わせる。

 弱々しくもがくアルピオンに対し、背に背負っていた短槍を口の中に刺し、首筋から突き出す形で更にシーゲルは固定する。人外とはいえ容赦のない追撃に対し、さしもの悪魔たるアルピオンも動きを止めた。


「これでも死なないのか。しぶといな」


舌打ちするシーゲルは魔剣を遺したまま振り返る。

 そこには、魔力の矢の射撃姿勢のまま動けない元第三王妃がいた。

 残念ながら彼女に戦士と悪魔の戦いに横槍を放り込めるほどの技量はなかった。所詮は戦闘訓練を行ったこともない素人である以上、どれだけの魔力があろうとそこは覆らない。

 悪魔が動きを止めたことでシーゲルに追撃しようとしたのだが、それも空中を自在に舞う存在によって阻まれていた。


「さすがだオリバー」

『この程度、わけないヨ』


追撃のタイミングを狙って隠れていたオリバーによる奇襲。

 後詰めや援護など、戦術の基本中の基本であるが、それすら彼女は知らない。

 恨みを持っていようと、憎しみを煮詰めていようと、それを成す技術など一つとして学んでいなかった。

 たまさか手に入れた悪魔というチケットを、いたずらに浪費することしか出来なかった。

 それだけなのだ。

 そこへ無言で歩み寄るシーゲルは、その拳をぎちぎちと籠手が軋むほど強く握る。

 魔力による矢が第三王妃によって放たれるが、兜によって阻まれ、再び飛来したオリバーが彼女の顔を掠めるように飛んだ際の意識の乱れで残りの矢も狙いを逸らして方々に散っていく。

 目の前に立つ少年が、自分の息子より背が低いことに気付くこともなく。

 身構える時間はあったのに、目を見開くばかりで。

 振り払われた容赦ない拳。

 冷たい地面を転がる王妃。

 契約者が意識を失ったことで悪魔もまた抵抗を辞めた。

 その顔に浮かんだ欠落した無表情は、彼自身が契約者の怨みや嫉みの感情を映し出す単なる鏡であることを象徴するようであった。


 王妃が完全に動きを止めたことを確認し、シーゲルは全ての術式を解除した。

 

 吹き荒ぶ風が消え、それまでの支配から解放された霜の神霊フロスティアは、その存在を希薄化させていく。そのまま風の中に溶けるよう姿を消した冬の化身に心中で感謝を述べ、そのまま単なる鉄の全身鎧に戻った防具を取り払う。


「何も選ばなかった結果がこれか。クソババァ」


それは泣き喚いてでも諍いを起こそうとする父を止めなかったことか。

 なんらかの形で学園に戻ろうとしなかったことか。

 魔術研究をどのような形であれ続けようとしなかったことか。

 王宮で王に対話の場を設けなかったことか。

 それとも、息子と一度でも向き合わなかったことか。

 どれに対して揶揄する為の言葉だったのか、舌打ちしたシーゲルは、それ以上語ろうとはしなかった。



  ■  ■  ■



 上司の制止を振り切り、無断で転送魔法陣を使用して現場に駆け付けた近衛第三騎士団、副団長アルカイン・ハイデンが見た光景は凄惨であった。かつて美しく整えられていたであろう庭園は引き裂かれ、まるで極寒の暴風雪が吹き荒れたのか、半壊した建物、深く地面に刻まれた爪痕のような痕跡。

 さらには地面に縫い留められた悪魔と、顔の半分を潰され、拘束された元第三王妃。

 そして見知った弟が、全身に魔力欠乏による鈍痛と身体強化魔術式や魔剣の余波と思われる赤黒い内出血による痛みに死人のような顔をしているというとんでもない状況だった。

 魔剣による術者の保護によって後遺症が残るような状態ではないが、どうやらかなりの無茶をしたことはわかった。指先一つ動かすことすら億劫であろうに、駆け付けた兄と、その部下である第三騎士団を見たシーゲルは、作法に則った礼をとり彼等を迎え入れる。


「やめろシーゲル、無理をするな」

「といっても、立場として今の自分は、単なる冒険者、単なる平民に過ぎませんので、そこはやっぱり」

「そんな話は聞いていない。おそらく伝達に時間がかかっているのだろうな。だからお前はハイデン家の次男坊でいいんだ」

「………然様で」

「騎士団随伴の僧侶の方もいる。せめて内出血だけでも回復してもらおう」

「痛み入ります」

「だから他人行儀はやめろ。今まで助けてやれなかった俺への当てつけか」

「それは特に。逆にしゃしゃり出てきたら邪魔だったろうな、とは思いますが」

「相変わらず失礼だなお前は!?」


久しぶりである兄との邂逅を軽口で応じシーゲルだが、やっと到着した増援のおかげで、満足に動くことすら出来ないまま現場を維持し続けるという苦行から解放されることとなった。

 到着と同時に騎士団に囲まれ始末される哀れな悪魔はさておき、下手をしたら首が圧し折れているのではないかという状況だった王妃だが、残念ながら彼女も存命だった。


「手加減したのか?」

「まさか。同級生の親だろうが死んでも構わないつもりで殴りましたよ」

「殺すつもり、ではなく?」

「そこはまぁ、残り滓程度の魔力障壁であれ、カバーしているようだったので」


魔術式で強化した肉体で魔力障壁をぶち破ったのか。

 その馬鹿力に渋面を作りながらアルカインは話を続ける。


「こちらとしては助かるよ。主犯が死んでいれば後の問題がまた面倒なことになったろうからな」

「そこは是非、ひったてて死ぬより辛い目に合わせてください」

「………ちょっとその台詞を聞いてさすがに弟の将来が心配になってきたぞ」

「うちの家系が敵に容赦なんかするわけないじゃないですか」

「親父と爺様は本当にどんな教育したんだよ!」


ともかく、主犯は拘束、関係者と目された王宮の後宮警備担当、宝物庫関係者数名、学園側職員が次々と逮捕され、事件は、一応の解決となるはずだ。

 後始末を考えると、アルカインはうんざりした気分になったが。


「勲一等だな。褒章はどうする?」

「あぁ、であるなら」


シーゲルの望みを聞いて、アルカインは天を仰いだ。



  ■  ■  ■


 瀕死になるまで段々と力を入れながら殴られ続けるのと。

 死ぬかもしれない全力で一発殴られるの、どちかをお選びください。


 そう、勲一等のシーゲルの言葉を伝えられた王の顔色は真っ青だった。

 併せて伝えられた元第三王妃の惨状は既に伝えられている。

 右眼底骨折、顎関節の脱落、頬骨の複雑骨折、奥歯はのきなみ圧し折れていたという。

 首はむちうちになり、動くだけで難儀する有様だ。

 その拳をもって殴らせろとシーゲルは王に言って来たのだ。


「先程もお伝えした通り、辛うじて展開されたとはいえ、魔術障壁を叩き割ってその威力です」

「ほ、他の要望はなかったのか? 金銭的褒章も、貴族籍の復活も許すぞ?」

「ありません。それだけです。加えて付け加えるなら今回の事件解決の恩賞として貴族籍の復活は当然です。シーゲルが望まずとも戻さねばなりません」

「そう、そうか」

「それに、粗略に扱って祖父が許すとでも? 今回は被害が拡大するまで見逃していた王に対して、既に書状が届けられたとも聞きましたが」

「………あぁ」

絶望的な気分だった。事件が無事に収まったかと思えばこれだ。

 同時に、これが自分に対する罰なのだろうと心中ではどこか納得していた。父としても、夫としても、ついには役割を果たせなかった無能な自分に対する天でも運命でもなく人によって行われる罰であるのだろうな、と。

 ヘイズルもまた、とんでもなく痛かったのだろうなと、思わず瞑目する。


「鎧でも用意しますか?」

「いや、素手でいくよ。ただし一週間だけ待つよう伝えてもらえるか?」

「伝えておきます」


せめて、少しでも軽傷で済むよう身体を動かしておこう。

 政務で鈍った身体を、王は玉座から持ち上げた。

 あと、鎧を拒否したのは英断だった。鎧を砕く為に更に憑依召喚式でも使われた日には、骨格の原型が残るか賭けになっただろう。



  ■  ■  ■



 第三王子従者ジョニー・ハルトマンは病室に居た。

 あの化け物植物達に襲われ、辛うじて逃げ延びたのは幸運以外の何物でもなかった。

 環境全てが敵になるという悪夢は二度と味わいたくない。

 即座に剣を捨てた第三王子が火属性の魔術式で面制圧を行い、そのまま自分とアンソニーが虫とも獣ともつかぬ化け物達を切り払い、再度、植物の群れが雪崩の様に襲い掛かる前に大きく後退していく。自画自賛するわけではないが、学校の授業を上回るほど様になった連携だった。

 そりゃ命がかかっていれば火事場の馬鹿力の一つも出るだろう。

 そのまま屋敷から飛び出したまではよかった。

 だが、話はそこで終わらず事態は悪化する。

 屋敷の屋根から悪魔と思しき存在が強襲してきたのだ。

 王子を庇ったアンソニーがまず吹き飛ばされ、ジョニー自身も魔力の鎖によって捉えられようとした。

 そこを王子に庇われた。

 その時の王子は展開した魔力障壁を自ら暴走させ、障壁の暴発による反作用で鎖を破るというとんでもない方法で戒めから逃れてみせる。

 おおよそ王族がやるような技でない。実際に王子は全身がズタズタに裂けるほどの大怪我を負った。

 それでもその身が解放された王子をアンソニーが担ぎ、それを逃す為のしんがりに自分が残ることになる。

 貧乏くじここに極まれり、である。


 騎士道とは己を殺し、そのうえで敵を殺すところから始めるものなり。

 

 そんな師匠が諳んじた何かの指南書の一節を思い出す。

 走馬燈にしては速すぎるが、心は少しばかり落ち着いた。

 己を殺せ。そして敵も殺せ。

 感情を抑え、一撃を放り込むのだ。

 勝負は紙一重だった。

 剣撃を隠れ蓑に腕一本を犠牲にして放った捨て身の魔術式にる爆炎が悪魔の顔を焼き、僅かな間だが視界と聴覚、そして嗅覚をも封じることに成功する。

 そのまま棒立ちになる悪魔を確認する間もなく踵を返し、即座にとんずらをこいたのだ。

 あとはアンソニーが辛うじて確保した裸馬に乗ってなんとか逃げ延びた。

 あんな博打は二度とごめんである。本当に。

 結果として王家からは褒章が与えられたが、仕えていたシャーロウ家はおとり潰し。第三王子も洗脳の可能性があるということから魔術治療が可能な病院で精密検査を受け、そのうえで僧院送りだろう。さすがにあれだけの騒動後に王家に戻すわけにもいくまい。

 僧院ともなれば従者を連れて行けるはずもない。自分も、そしてアンソニーもお役御免というわけだ。

 一旦は家に戻るが、騒動の関係者ともなればどこかの家に再び仕えることになろうと色眼鏡に晒されることになるし、どうしたものやら。

 出奔した方が、まだ道があるかもしれぬ。

 重い溜め息と共にジョニーは椅子に身体を預ける。

 王子は医師の処方によって今も眠ったままだ。しばらく起きることはない。

 外には近衛騎士団から派遣された護衛もいる。自分の役は既にないのだ。

 それでも部屋内に居るのは、最後の御奉公くらいはと王子に付き添っている次第だ。

 腕? すぐに回復術士を呼んでもらえたおかげでまだ動きづらいが、斬り落とさずには済んだ。

 じきに後遺症もなく動かせるだろうという話だ。

 そんな時、部屋の外がにわかに騒がしい。

 まさか客人だろうか?

 治療院で看護を務める修道女が、慌てた様子で手紙を差し出してくる。

 差出人は、まさかのシーゲル。

 王子ともども殴り倒された相手。

 あらためた中身は王子の母であるヘイゼル元王妃の顛末が綴られていた。

 被害状況、損害の大まかな内容。

 極刑ではないにしろ、重罰にあたるであろうこと。

 端的な言葉であるが、王子が知らねばならない真実が、短くまとめられていた。

 そして末尾には。


『詫びるつもりはない。だが、それでも納得がいかぬこともあるだろう。一個人としてなら、決闘程度なら受けてたとう。自分は既に、貴き者ではないが』


いや御免だよ。やりたくねぇ。

 素手とはいえ3人がかりで叩きのめされ、悪魔と契約した元王妃さえ倒してのけた相手に喧嘩など売りたくもない。王子がどう判断するかはともかく、個人的にはわざわざ敵対したい相手ではない。

 だが、この手紙は。

 彼なりの誠意と、多少の後悔の現れなのだろうと思う。

 そう考え、王子が意識を取り戻した数日後に手紙は渡した。


 王子は、何かをかみしめるように中身へ目を通すと、声もなく静かに泣いていた。

 母親と二度と会えぬというのは、どういった気持ちなのだろうか。

 それを察することはできないし、洗脳じみた真似をされた事への割り切れない気持ちもあるだろう。

 それでも、ここまで育ててくれた相手という懐かしくも大切な思い出だってあるはずだ。

 結局、王子は何の弁明もなく僧院へ入ることに同意した。

 なぜか傷だらけで包帯を巻いていた王と、一度だけだが面会も叶ったらしい。

 そのおかげか、自分とアンソニーも近衛騎士の見習いとして王宮仕えが出来るという話だ。

 アンソニーは最後まで彼に付き従おうとしたが、十年来、同じ時を過ごしていたであろう乳兄弟に対し王子は別れを告げた。

 無念であるのかもしれないし、やっと、彼に付きまとう呪いのようなものから解放された瞬間なのかもしれない。

 今生の別れになるかもしれないが、まぁ、生きていれば、また会えるかもしれない。


 さようならだ、シディン第三王子。

 まぁ癇癪もちで、言動にやきもきさせられたが、それでも束の間とはいえ我慢できたのは。

 あんたのことは、友達と思っていたからだろうしな。



  ■  ■  ■



 のちに、第三王妃事件と呼ばれる話の顛末はこんなところである。

 貴族籍への復帰を申し渡されたシーゲルであるが、実家であるハイデン家へ長男が戻ることとなったことにあわせ、祖父ラムワンの跡を継ぎ、イースワット辺境伯の後継となることを選んだ。イースワット直系として残っていたのがラムワンにとって孫にあたるハイデン家の3兄弟、アルカイン、シーゲル、リゲルの3人しかいなかったという事情もあり、以前からもあった話だ。

 ラムワンには二人の息子もいたのだが、叔父にあたる二人のうち、長男は若い時に魔獣との戦いによって亡くなり、次男は他国へ婿養子として出てしまっているという事情だ。

 元々、祖父の薫陶を受け、以前からも知られていた孫のうちの一人だ。領内の人々からの反発も少なかった。

 一方で王宮はというと、第三王妃の暴走、宮廷内秩序の問題、ハイデン家長男の騎士団離籍、それらによって王が顔に青あざを作る経緯などの事情が重なり、求心力低下や宮廷のパワーバランスの激変で四苦八苦している状況であるという。わりをくったのは第一王子と第二王子達であろうが、そこは王族の責務として受け止めてもらう他ない。

 一時は、シーゲルを今回の功績から降嫁させた大公家の娘などを娶らせ、宮廷内の調停役としようかという動きもあったが、ラムワンが眼を光らせたことと、本人の拒否により実現には至らなかった。そもそも、北の家々は、今回の騒動による被害に関して一切の助力を拒否している。残った南側の家々と王宮は、今回の騒ぎを治めるためにどれだけ苦労する必要があるのやら。

 一部の北側の家では、南方と取引を行っていた狩猟による取得物などを国外の商人を通して販売することに切り替えたところも出ているので、北側と距離を置いていた商取引関連の家は傾くことになるだろう。

 さて、次代のイースワット辺境伯となることが決まり、シーゲル・イースワットとなった彼であるが、ここで新たな問題に直面することになる。

 継嗣なくば、シーゲルが死んだらまた跡継ぎがいなくなってしまう。それを防ぐためには嫁取りを早々にしなければならない。

 第三王妃捕縛の立役者にして国の鉱物資源を支える次の辺境伯。

 こんな条件で募集をすればどうなるか。

 海賊と揶揄される他国でも有数の海運商会を統べる令嬢。

 寒冷地に特化した騎獣の一大産地にある大牧場の跡取り娘。

 鉱石の研究を担う錬金術学園の才媛にして賢者の弟子。

 そういった女性の釣書がそれはそれは立派な仲介役の手で持ち込まれるのだ。

 嫁取り一つとっても一大事であるのが貴族の家柄というもの。

 渋面のシーゲルがどんな決断をするのか。

 それはまぁ、事件の事後処理とはかかわりがないことだ。

 王家の人々がことの推移を胃を痛めながら探ってもいるが知ったことではない。

 彼はまた、自分の心に沿って選び取るだけなのだろうから。


 今日もまた、冷たく吹雪く地に、地味で、飾らず、傍目には貴族とも見えぬ青年がいる。

 シーゲル・イースワット。

 この国の記録に、何度か名前を載せざるをえなくなる、一人の貴族の名だ。


 

 

 


 








 




 

 











 

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