天命秤の交易人②
食堂の机に伏せて、聞き耳を立てる。この制服をまた着ることになるとは……
「トレイダルの奴なら北に行ったそうだよ。……それより君可愛いね、所属は何処なの?」
「ごめんね忙しいんだ。教えてくれて有難う。」
エルノアは三つ編みにしたおさげが垂れ下がるほどに、深々と頭を下げてその場を去る。
「……行くぞ。」
突っ伏した俺の後ろを通り、そう言って立ち去っていく。何処の優等生キャラだろうか。知らない人、知らない人。
「おい、行くぞ。ナッ!・ナッ!……、」
シッ、と言わせる前にエルノアの口を塞ぐ。
「分かった分かった。名前を呼ぶな……、バレたらどうする。」
俺はエルノアの丸眼鏡と魔法帽を取り、首巻をたくし上げ背を丸めて後に続いた。
「――君の返事が遅いからだ。それより似合うだろ?この制服。」
「あぁ、最高だな。そのままアカデミアに入るといいさ。」
「フフっ……、どうも。」
皮肉だ。
「え、なに?」
エルノアが魔女らしく俺を睨んだ。
――――――――
それから俺たちは北へと向かった。北へ着けば次は東に、東に追えば次は南。追えども追えども本隊はそこにない。結局俺たちはエルノアのキャラバンを持ってしても、トレイダルの行商隊には追いつけなかった。ルート取りが悪かったのか、はたまた巧みな策略に陥っているのか。先回りは愚か、追っていた隊商の場所すらも見逃す始末だ。ただ彼らを追っているだけなのに、まるで張り巡らされた罠の中を進んでいるような感覚が有った。
「今夜はここまでにする。御飯は明日にしてもう寝よう。」
竈の煙で場所を悟られないようにする為だ。食料は中央からの支援で腐るほど有ったが、こればっかりは仕方が無い。
「……君は寝ないのか?」
「あぁ。」
「どうして?」
エルノアは首を傾げた。
「無理に寝ると悪夢を見る。」
「そうか。」
エルノアは興味無さげに横になり、キャラバンの柱や壁から木を借りるようにして寝床を作り、布団に包まった。眠れるというのは良いことだ。実に悪夢とは本当に厄介なもので、どれだけの地位や富や力を手に入れようと、悪夢の中では無力で有り続ける。死ぬまで囚われるのだから終身刑のそれに近い。そう悟った時に編み出したのが、眠くなるまで眠らないという対応策だった。理由はと言えば、どうやら夢というのは睡眠の浅い頃合いに発生する現象だそうで、すなわち、ノンレム睡眠を増やし睡眠時間を短くしてしまえば、夢を見ることは少なくなるという算段。今夜は上手くいくことを信じている。
俺は静かに目を閉じ、エルノアを起こさないようにジッと座った。
「…………。」
時の流れとは残酷である。きっと、人を苦しませるように神が作ったのだろう。ともすれば、この世の全てが憎たらしい。ずっと、負の感情が渦巻いて収まらない。いっそ、この短剣に頼ってしまおうか。
「昨日のは、酷かったな。」
唐突にエルノアが声を発する。暗がりの中、目を閉じて俺は応える。
「何がでしょうか……?」
「……カルト教団の中、君が一人。女も子供もみんな自殺していく。君はずっと独り、裏切り者と悟られないように怯えていた。」
「……え?」
――なんでエルノアは、知っているのだろう。
「激しい感情は分かり易い。君の苦しみも痛みも、ボクは知っている。」
悪夢まで読めるのか。高みの見物だな……。
「……そうじゃないよ。君の夢もボクの夢だ。だから、こっちに来い。ナナシ。」
嫌です。
「じゃあ、ボクが行くよ。」
もはや、言葉を介していなかった。筒抜けだ。普段を疑う程に。エルノアは布団に包まったままテトテトと歩いてくる。裸足の音が、静寂の闇の中で近付いてくる。
「一緒に寝よう、ナナシ。……今夜の悪夢は、ボクも一緒だ。」
そう言って彼女は目を閉じて、一つの布団をこの肩に掛けた。
――――――
{ウェスティリア魔術学院・大食堂}
「まさか、魔術学院に戻ることになるとはな。」
デジャヴだ。
「トレイダルの奴なら闘技場で待ち合わせが有るって。……それより君可愛いね、ってかアレまた会った?」
「ごめんね忙しいんだ。教えてくれて有難う。」
エルノアは三つ編みにしたおさげが垂れ下がるほどに、深々と頭を下げてその場を去った。
「好都合だな。しかし、再三振り回されて最後がこことは……。」
「出来過ぎだ。」
エルノアが三つ編みを解き、そう呟いた。
「そうだな。」
俺もそれに同意する。
「気を付けろナナシ。再三振り回されたということは、初めからバレていたんだろう。きっと待ち伏せされている。」
「……分かってる。」
待ち受けるのは、策略に整えられた決戦の舞台か、或いは呆けた顔をした学徒か。どちらにせよやることは同じ。俺は万全を期して闘技場へと向かった。