深淵の死霊姫③ 戦闘
墓を掘る少女が俺に気付き、月光の差す小さな天井を見上げた。どうやら死体を埋めていたらしい。身ぐるみは剥がされていた。
「死体漁りとは良い趣味だな。」
黒髪に長髪、背丈は低く、肌は月光に照らされ透き通っていた。月明りの少女は悲しそうな表情を浮かべ、冷たい声で俺に言う。
「……人や物は、忘れた人を思い出させる。そして人は、やがて朽ちる。」
「だからどうした。」
仄明るい月光と果てしない闇に重なる彼女は、まるで朧な死霊のように、魅惑的に美しく佇んでいた。
「……遺品は人伝に色褪せ無い。彼らの生きた証が、欺瞞を跳ね除け生き続ける。……貴方もきっと旅人でしょ?」
旅人……。これが旅かと問われれば疑問だ。旅とはもっと、自由では無かっただろうか。俺はそっと短剣を抜く。
「弔いに来たの?……それとも、弔われに来たの?」
少女は陰りの中で、はっきりと俺と目を合わせた。
「両方違う。お前を弔うつもりは、さらさら無い。」
「……そうなんだ。」
{アミテイル第6空洞、前哨基地レイスの墓標前}。彼女は闇の中へ消え、カチャリと金属が音を鳴らした。刹那、あらぬ方向から視線を感じ、身体を仰け反る瞬間の銃声。全くもって理解し難いことでは有るが、この世界で俺は、狙撃されたのである。脇腹の布が裂ける。
「冗談だろッ……!!」
対死霊姫戦が、確かに幕を降ろした。
「……僕は君を弔うよ、せめて安らかに眠れば良い。」
四方八方から声が反響し、敵の所在が掴めない。ただ闇の中を何かが蠢き、まるで集団に囲まれているかのような恐怖が有った。しかし、多少は所在を掴める。北から西へと反時計回りの移動、南、東、また北へ、今は西……。俺は気配のする方向へ、短剣から魔力の斬撃を放つ。しかし、次の銃弾は真後ろから飛来した。
「チッ、……ブラフかよ。」
敢えて気配を立て、一瞬で後ろに回り込まれていた。おかしい、尋常な人間が移動できるような速度では無い。死霊姫の気配は常に、40メートル先、高さは5メートル辺りをグルグルと回っていた。それが一瞬にして背後を取られたのである。
「オーパーツ……。」
死霊姫は呟く、残念ながら不正解だ。この短剣は魔力をストックする電池のようなもの……。その回数には限りがある。
――ダァンッと銃声が響きすんでのところで身をかわす。
「死ねッ!!」
シンプルな暴言を吐き捨てながら斬撃を飛ばした。相手はストックのことなど知る由も無い。俺が奴の射撃に制限が有るかを知らないように。つまり悟られてはいけない。情報を隠しながら一方的に引き出す。しかし、戦況は全く不利のままに変わらない。それなら、奥の手を隠し続けて死ぬのが一番しょうもない。時間制限は生まれるだろう。しかし、尋常ならざるその動きのタネを見抜くチャンスにはなる。つまりガンガンいこうぜ。形勢を変えて速攻で叩く。
『神衣!!』
手の甲を切り裂き、出血と共に覚醒させる。内在する魔素を血流に乗せ物理的に巡らせ、眠っていた聴覚を視覚を触覚を神経を肉体を強制的に突き動かす。問題は興奮状態による呼吸の不安定化。究極の無酸素運動である400メートル走は約50秒の間息を止め続けるという。この技で全力を出し続ければ限度はその位だろうか。温存しても3分は持たないだろう。しかしそれを、悟られてはいけない。
「こっち。」
死霊姫の声がする。ブラフか否か。しかし、そこに居ることは確かだ。微かに上がる足音も、死霊姫の輪郭も、軌道も装備も、40メートル先の茂みの中で確かに捉えることが出来る。
「……分かってらッ!!」
短剣の斬撃を飛ばしながら間合いを詰める。俺の武器はいわば懐中電灯。電池が無くなれば斬撃は出なくなる。無駄撃ち禁止、しかし追えども追えども距離は縮まらない。だが斬撃を飛ばし進路を狭めた一時、その刹那の暇に捉える。死霊姫の高速移動を可能とさせるそのタネだ。天井へ向かい伸びていく、闇に眼が慣れたのか、いいや神衣を使わなければ見えなかっただろう。見えずに推測のままで終わっていた。俺は奴の隠しダネである天井まで射出された"アンカーのロープ"目掛け斬撃を飛ばす。ロープは斬撃を持ってしても切れずに揺蕩うが、ドサッと鈍い音を立て、死霊姫は俺の前へ姿を現した。
「終わりにし……」
腹部からの落下。致命的な隙。しかし何メートルから落下したのか分からないその身で、死霊姫はこの世界に有っては成らない程の大きさのライフルを俺に向けた。聴こえるのはコッキング音。捉えたのはその銃口。照準に映るはこの身体。
「ア……トモスフィア……、九七式大気砲ッ……!!」
呼吸が止まるコンマ数秒の世界。砲撃の残響が間延びしている刹那の見切り、低空に飛ばされた真っ白な空気の集積を、つまりは死へ誘う大弾丸を、鼓動の一拍すらも置き去りにする暇に弾いていく。短剣に触れ、かき消すように、しかし感触は想定よりも重々しかった。それはまるで金属をいなしたかのような。そしてやっと理解する。空気の流れすら制止した暇のこと、死線の上で送られた殺意は、魔法で象られたようなものではなく、正真正銘の実弾だった。不運なことに、それは短剣から跳弾し、左膝を大きく貫通させる。飛んだ足は見なかった。そのまま俺は右足で飛び、振り切った短剣は切り返すように、死霊姫のライフルへ刃を当てた。
「ンンッ………!!!!!!!!!」
歯を食い縛り激しい痛みを堪える。神衣のお陰で痛覚は鈍くなっているはずだ。これでも……。
「ッ……‼」
死霊姫の華奢な身体を抑え込み、最期の抵抗に取り出した拳銃を手で掴み、こめかみの横で弾丸をかわす。
「はぁッ……、はぁッ……!!」
「どう、して……?」
驚くべきことに、全力で振り捌いた斬撃を持ってしても、そのライフルは両断されなかった。
「何がだッ!!」
俺は必死に叫ぶ。どうして殺せなかったか?そう聞くなら答えは持っている。どうして敗けたのか?そう問われても答えは持っている。、
「どうして僕は……、死ぬんだろうか?」
ただ、その答えの所在は知らない。その後は目一杯、短剣を振りかぶった。
「世界樹にでも、聞きなよ。」
それしか、言えなかった。