深淵の死霊姫①
世界樹のお告げを聞き、それを受領した日から、このキャラバンの壁には{ユグド・クエスト}と題された、まな板サイズの木版が埋め込まれている。キャラバンは悠々と浮かぶ雲を置き去りにし、魔術学院から西北の森へ、エルノアと名乗る魔女がアクセルも踏まずに移動させていた。
{ユグド・クエスト}が刻み示すのは{厄災の苗床}と呼ばれる不穏分子の四つの名前だ。その最初の一人となる人物がこの森を越えた先{ダンジョン・アミテイル}に潜伏している。詳細な話はエルノアの頭の中に有る。彼女は木版へ触り、最初の標的についての情報を俺に話した。
「深淵の死霊姫はダンジョン・アミテイルの住人だ。つまり、戦場は奴のホーム。奴自身の情報が無いこともさることながら、問題は戦いを強いられる"環境"に有ると言える。」
「どうでもいい……。俺は勝てるのか?」
問題はそこだけである。
「勝てなければ死ぬだけだ。だから君には出来る限り、戦いを有利にするための情報を蓄えておいて欲しい。それに、死霊姫の住処へ辿り着くことすら叶うかどうか分からない。」
魔女は脚を組んで不敵に笑った。
「どういうことだ。」
「{ダンジョン・アミテイル}は特殊領域だということだ。人知の及ぶ全ての理が意味を成さず、挑み行くものを死へと誘う。あのダンジョンは、シーカーと呼ばれるその手の専門家を持ってしても、一筋縄ではいかない場所だ。魔法を使う事すら叶わない。そんな場所で死霊姫は待っている。」
「シーラか、聞いたことはある。死にに行くようなもんだな。」
魔法が使えない超高難易度ダンジョンのことをこの世界ではシーラと呼ぶ。つまりは深い深い闇の奥地で強敵と相対し、例え勝てど生きて戻れるかは分からない。……絶望じゃないか。
「不安か?」
また心を読んだのか、或いは顔色を覗かれたのか、エルノアは俺にそう聞いた。
「……お前は不安じゃないのか?」
俺はそう返す。エルノアは常に落ち着いた顔をしていた。死地に赴く人間の作り切った表情とも違う、まるで感情の無いフランス人形のような、穏やかな微笑み。
「あぁ、不安など無い。ダンジョンの中はボクが先導する。このキャラバンの全てと、ボクの持てる力の全てを使ってな。それがボクの役目で有り、箱船の主たらしめる存在意義だ。お前はただ死霊姫に勝てば良い。」
一方的な自信だ。対して俺には自信も熱意も無く。総じてやる気と心の余裕が無かった。熱意の無い戦いとは哀れである。しかし"やらなくては"いけない。悲劇の芽を摘むために。そういった単純な義務感だけが、今の俺をただ淡々と支配していたのである。