始まりの大食堂
愛すべき、第二の故郷{マウスリィ}。
俺たちが守るべくして旅立ったその地で、西に聳える神聖な塔から、はたまた東に聳える城壁のてっぺんから。愛すべき街の市民達は、何人も何人もその身を投げて地面へ散らした。
見下ろす者たちに曇りなく、見上げる者たちは泣き叫ぶ。ただ列を成しては悠々と、使命の如く頭蓋を打ち付ける。地獄より、地獄に近い街路には、血肉に染まった季節が有った。
【マウスリィの悲劇/狂信的集団飛び降り自殺】
新聞の一面を飾った大事件の、その要因は明確だった。……英雄が、凱旋した為である。
ファンタジーでは良くある話だ。
忌むべき敵が世界に降り立ち、使命を持った誰彼が、復讐に燃えた誰彼が、正義を掲げた誰彼が、最後に巨悪を打倒す。大義はある。俺はそいつに、ある人を殺され、そいつを殺すために旅に出た。何処にでもある凡庸な物語。しかし、稀有な事であったのは、その巨悪を殺したことで、崩壊してしまう世界が有ったこと。つまりそれは理由の如何に寄らず、そいつは紛れも無い崇拝対象であった。
教団『キリエ』。崇拝対象ガレス。
彼の崇拝者が宙を舞い、無慈悲にも落下死し続けたあの惨状を今でも覚えている。一人、一人とまた落ちていく。自らの主張を天に捧げながら、或いは英雄への罵詈雑言を叫びながら、恨みつらみを叫びながら。あるいは、救われると信じながら。
そして時が経ち、現在。
その英雄は、
全くもって関係ない場所で、
全くもって関係ない理由で、
ちょっと、
イジメられている。
―――――――
{ウェスティリア魔術学院・大食堂}
――カーン、カーン。とチャイムの音が鳴った。紙に書かれた内容を長ったらしく説明する退屈な時間が、ようやくと終わったのである。ウェスティリア魔術学院3回生{ナナシ}。生まれた歳が分からず、留年しているのか飛び級しているのか分からない手前だが、遂に、晴れて、堂々と、この学院を卒業することになった。専攻は{騎士課程}。もちろん、選びたくて選んだ訳では無い。ガテン系は苦手。
しかし、
元来。この学院には、
『探索士』『騎士』『魔導士』『交易士』『技巧士』
を基軸単位とした五つの組み分けが存在し、俺には単純な戦闘技術での卒業が狙えた{騎士課程}しか選択肢が残されていなかった。実に、この{騎士課程}を選んだのが運のツキで、とにかく優秀な人材を数多輩出してきたこの"ウェスティリア魔術学院"の騎士課程に進む人間というのは、どうにも家の出だとか、血筋だとかを自慢したがるお高い奴が多いようで、そういった奴らは往々にして遺伝的な固有魔法を得意としている訳で、何が言いたいかといえばつまり、実力も有り正確にも難が有るといった意識高い系のクソッタレばかりであった。
そして往々にして奴らは騎士課程に残り、近衛騎士課程の1回生から始め直す。その後は家でも継ぐんだろう。対して俺は、孤児という転落人生から這い上がり、万人が恐れるあの「悪神」を倒した後、副産物的に魔法を失いまた落ちこぼれへと転落した。加えてこの学院に入る前より定められていた”成すべき目標”が有り、進学するには至らない。それ故に奴らを見返すことなく、今日日この学校を卒業しなければ成らないのだ。無論悔しいという感情は無い。有るのは強い安堵と、清々しさ。そして次なる宿命への若干の不安。
そして、一抹の孤独感。
「何を伏せてる。」
風の匂いが、ふわりと変る。
「晴れ日だと言うのに、また一人か。」
……死ね。
心の中でそう呟くと、長髪の少女は俺を叩いた。
「死ね、と言われたような気がした。」
仕立てたローブのフードが揺れる。ふてぶてしい顔をしたこの少女の名前はエルノア。アイギス城の地下から見つかった"黒い世界樹"の守り人。反逆者である。一見すれば、他人事ならば、彼女はきっと魅力的な魔女なのだろう。凛とした瞳と眉に魅惑的な口元、顔のパーツには非の打ち所がなく、清楚という言葉の似合う天衣無縫な立ち居。飾り気のない真っ黒なローブを着こなし、大きすぎる魔女帽もダサさとは無縁、まるでさまに成っているから凄いと思う。しかし、ひとたび口角を上げ八重歯に挟まれた赤い舌を覗かせたと思えば、その性格と毒舌には筆舌に尽くしがたい難が有り、人の古傷を簡単に抉るような、利己的で傲慢で高飛車で、可愛げなど微塵も無い性悪な心を持っている。加えて、あたかもオマケのように、ほんのついで程度に、俺の心を読むことが出来る。メンタリズムなどではない。「バ~カ」と心で唱えれば「――パシリッ」と後頭部がはたかれる。
「痛った…」
「あぁ私も心が痛いよ、君が誰にも祝われなくて。実にざまぁない。ばーかばーか。」
「……卒業するのは俺だけなんだ。まぁ、、魔法も使えず卒業出来ただけでも大金星なんだろうな。」
「――そうか、憐れだな。」
エルノアは当たり前のようにそう言って、俺の背中を叩いた。
「ワールドクエスト討伐対象。世界中を敵に回した"悪神ガレス"を倒したはずの君が、祝福されし英傑であるはずの君が、今やこんな食堂の端っこで一人、卒業証書を眺めて伏せる落ちこぼれに成るとはな。どう転べばこんな楽しい仕打ちになるのか、全く世界とは愉快なものだな。超ウケる。」
「そうだな。」
悪神ガレスを倒したのは確かに俺だ。だから今でも{マウスリィの大自殺}を思い出しては、脳みそが狂いそうになるほど疲弊する。心も身体もズタボロになる。しかしながら、魔法史に残った英雄はサテラ=カミサキと言う大魔導士の名前だけだった。その彼女はこの世界で最強とされており、同時にガレスを倒した功績から、命を狙われる身となった。つまりは身代わりとなった。何処かの魔法を失った落ちこぼれ学徒の為に。
「――だが、旅が始まってからもウジウジされては堪らない。ボクはこの話を何度も君にしているとは思うが、改めてこの晴れの日にも伝えておきたい。君の記憶に刻まれるようにな。要は"おまじない"だ。」
そうしてエルノアは、いつも通りのセリフを俺に言った。「――君は、正しかった。」と。分かっている。そんなことは分かっている。だからこそ旅に出るのだ。ガレスによって沢山の命が奪われた。カルトはそれを死すべきだった悪魔と評するが、その中にはリル=カミサキ、俺の義妹も居た。当然に彼女は悪魔ではない。
それに、発令されたワールドクエストは世界の意志だ。完遂され、確かに一つの悲劇が終わった。誰もがそう思っている。だからこそ俺は、ガレスがもたらしたあの悲劇を繰り返さない為に、もう一度剣を握らなくてはならない。奴を倒すために培った魔法は「全て」失った。
それでも、である。
「さぁ、行こうか。」
無力な俺に無慈悲にも、可憐な魔女はそう告げた。俺は静かに立ち上がる。絶望している訳では無い。全くもって無謀では無いだろう。ガレスは確かに強かったのだ。この世界で一番強かった。奴を倒した経験は、きっとこの腕に残っている。だからきっと無謀では無い。だからきっと無力では無い。
そう例えばそれは、ラスボス撃破後の凱旋世界で、レベル0から裏ボス四人を倒すような、そんな所業の譚なのである。