第10話 冴子(サエコ)(1)
あの後、羽峰が手を上げたことを参加の意思表示であると勝手に理解した二階堂が、彼女と同席していた俺たちの方にも近づいてきて断る機会を与えない勧誘を行い、その場にいた全員がモンスターハントという馬鹿げた計画に強制参加させられるハメになってしまった。
そして、あっさりと学校の外に出てしまって良いのかという疑問はあるが、俺たちはたいした紆余曲折もなく校門を通り抜け、現在牛のような動物がいるとの情報があった辺りへと向かっている。
「悠斗、意外ね。あなたみたいなのが、こんな計画に参加してくるなんて。陰キャのくせに」
俺に並びかけながら、瑞穂がそう声をかけてきた。
手を首元へと持っていき、サラリと腰まで伸びた髪を後ろに流す。ほのかな甘い香りが俺の鼻をついた。
学校を出てからはだいぶ時間が経つ。シャワーを浴びてきたばかりというわけではないのに、瑞穂がそのような匂いをさせていることを若干不思議に思った。
「そんなの、俺だって参加したくないよ」
と鼻を擦りながら、言葉を返す。
「長良はどうしているの? 元気にしてる?」
俺の返答を無視して、瑞穂は尋ねてきた。
「長良? ああ、元気にやっているよ。たぶんな」
どうでも良い質問だったので、適当に言う。
「同じクラスでしょう。また喧嘩しているの? まったくふたりともどうしようもないわね」
と嘲笑気味に声を吐いてから、瑞穂は頭を軽く振った。
「……喧嘩なんてしてない。そんなことできるわけないだろ、長良とは口も聞いてないからな」
語気を若干荒げて、言い返す。
彼女と長良の話をするのは面倒だ。そして、何となく腹立たしくもある。
「何、その態度? またやられたいの?」
そう挑戦的に確認してくるや否や、瑞穂は腕まくりを始めた。
「……瑞穂? あ、いや。その、違うんだ。長良はもちろん元気さ。昨日も春日ってやつと楽しく話していたよ」
適当なことを言って、彼女を落ち着かせた。
瑞穂は俺のふたつ上で幼年時代からの知り合いだ。
とある時期から事あるごとに俺をいじめ抜き、俺に消えない心の傷を負わせた人物でもある。
そう意味では、この瑞穂が俺を陰キャに仕立て上げた張本人だともいえる。
原因は曖昧でよくわからないのだが、彼女にとって許せないことを俺がしたそうだ。
何にせよ、彼女との記憶は消したいものが多い。そして、どのようにいじめられたのかは、今更思い返したくもない。
おそらく彼女は、俺が学校を異世界に送ってやろうと思った一因になっているはずだ。
「羽峰です。瑞穂先輩がまさか荒戸君と知り合いだったとはね……でも、いくら生徒会だからって、こんな計画に参加するとはさすが瑞穂先輩ですね」
と言って、羽峰が俺と瑞穂の間に割って入る。
羽峰は俺がこんな場所にいる原因となった張本人である。
もちろん、俺はそこまで彼女を責める気はない。なぜなら、言うまでもなく真犯人は上機嫌に先頭で鼻歌まじりに芝生の上を歩く二階堂だからだ。
ある意味、彼女はあの男の被害者だともいえる。
「瑞穂先輩……涼風です。よろしくお願いします」
二階堂の被害者C、涼風も自己紹介を兼ねて瑞穂に挨拶をする。
彼女たちが瑞穂の名前を知っているのは、瑞穂が生徒会副会長という分不相応な身分であるためだ。
容姿端麗なこともあってか、校内では有名で人気も高く、俺や長良など一部は除くが一年生のほとんどから瑞穂先輩という名で親しまれている。
俺に会う度にヘッドロックや踵落としをしてくるような女が、そんな慕われるような存在になるとは、まったく思わなかった。
その馬鹿に丁寧な態度を取ることはないぞ、羽峰、そして涼風。
胸の内だけではあるが、俺はそう囁いた。
そして、羽峰に同席していた者が強制参加させられたということは、当然三船も俺たちと同行している。陰キャ度では俺と相違ない彼なので、瑞穂に話しかけることはない。一連の会話の最中、ただモジモジとしているだけだった。
「ほれ、ウジウジしてないで、あんたも名乗りな」
背後から、そんな三船に語りかける声がした。
次に肩を叩く音もする。
透明人間が見えている人物がいる?
怪訝に思い、その声がする方向を見やった。
この顔は確か麦田麦、食堂のおばさん。
外出時もなぜか頭巾とエプロン姿。何で調理人がこんな計画に参加しているんだ?
麦の姿を確認した俺は、眉を顰めた。
「三船俊也です……一年です。荒戸やみんなとは同じクラスで――あの、その……よろしくです」
俺が若干困惑している最中、三船はしどろもどろになりながらも自分の名を紹介した。
「もっとはっきりするさね。ほんじゃあ、トシ君でいいかね。私は麦田麦。で、そっちは?」
麦は次に俺の名を確認してきた。
フルネームを伝えると、彼女は俺のことを、「悠斗ね」と下の名で呼んだ。
「麦さんは何でこんなのに参加することにしたんですか?」
羽峰が動機を尋ねた。
「あんたは……そうそう、羽峰ちゃんだったね。ねえ、羽峰ちゃん。食糧がなかったら、外に出て狩りでもするしかないじゃん。ほら、そこに牛がいるさね」
単純過ぎて本心なのかはわからないが、そんな理由で参加したらしい。
「牛? ああ、あれですか。麦さん――でも、あれって牛なんでしょうか?」
羽峰が麦にそう問いかけた。
その後もゴニョゴニョと会話を続ける羽峰と麦。彼女たちの視線の先には、牛のようではあるが妙に赤みを帯びた色の角が長い生物がいた。




