第2話 オレと母と友達
現れた巨大な獣。その姿を見て、カノンはハッとした。
「う……うそ……まさか……伝説の守護獣……森の母……フェンリル?」
オレに背負われていなければ、カノンは腰を抜かすか卒倒して倒れていたところだった。
この大森林に住むというおとぎ話や絵本でしか聞いたことのない伝説の存在。
まさか本物がいるとは思わなかったことに加え、さらにオレがフェンリルに対して笑顔で言った『ママ』という言葉に唖然とした。
「ガル、グウ、ガウガウオオン」
「グル、ガルルル、ワオンオン!」
「~~~?」
「~~~!」
そして、人語ではない、明らかに獣の言葉でオレはフェンリルと話し、そして意思疎通できていると感じたカノンは言葉を失った。
だが、次の瞬間、フェンリルはカノンを見て……
「……私の言葉が分かるかしら? 人間の娘よ」
「……え?」
「人の言葉を使うのは久しぶりだけど、どう? 分かる?」
「ッ!?」
なんと、フェンリルが人語で喋ったのだ。オレのように片言ではなく、流暢に。
「息子のオレが、自分の番を見つけたと話してくれたけど、そうなのかしら? この子には人の言葉はあまり教えてなかったから、勘違いかもしれないと思って」
「え、ええ!? いやいや、え、しゃ、しゃべっ、え? つがい? え? 待って、私、今、混乱中ぅ!」
「……流石に混乱しているようねぇ」
伝説のフェンリルが存在していただけでなく、人の言葉使う。その衝撃の事態に頭を抱えるカノンだった。
「私はほら、美人で頭もいいので人間の言葉ぐらいは喋れるわ」
「……え?」
「………………ビジンデショウ?」
「はい、美人です! すごい美人です! 私が男の子なら好きになってました!」
「うふふふ、賢く見る目がある娘ね」
そして、フェンリルは神々しく、有無を言わせぬ圧倒的な威圧感に委縮してしまいそうになるが、口を開けばかなりお茶目な所もあり、カノンは毒気が抜かれてしまった。
そして……
「あの、私はカノンです。危ないところをオレに助けてもらいました。オレもフェンリルですか? やっぱり、すごい獣だと、人の姿になれるとか……?」
「いいえ、オレは人間よ」
「……え!?」
「十年以上前……森の中で捨てられていた赤ん坊……それがオレで、私が拾って育てたの」
「ッ!?」
赤ん坊のころからフェンリルに育てられた人間。驚くカノンにフェンリルは続ける。
「森でこの子を見つけた時、そのまま放置して森の獣の餌にしても良かったけど……何だったら人里に戻してあげても良かったけど………………ほら、オレは……世界一かわいいでしょ?」
「……………………………?」
「カワイイデショ?」
「可愛いです! すっごい! カッコいいし惚れます惚れます!」
「むふ~!」
このとき、胸張ってドヤ顔するフェンリルを見て、カノンは思った。このフェンリルはとんでもない親ばかだと。
だが同時に……
「そう、小さくて、元気に笑って……かわいくて……放置して死なせるなんてできなくて……そのうち手放せなくなってしまってね……」
嬉しそうに誇らしげにするフェンリルの姿を見て……
(嗚呼、このヒト……本当にオレのことを愛しているんだ……)
と感じ取り、気づけばカノンも胸が温かくなって微笑んでいた。
「ガウ、ウガル、ガウガウ!」
「ワウ、ガウウ、ガルガル♪」
「ワウ!」
そして、オレと笑顔でまた話し合う二人から、種族は違えど本当に親子の姿に感じたのだった。
ただ……
「だから、オレが初めてのツガイを見つけてくれて、母としては嬉しさと寂しさを感じるけど……孫を早く見せてくれると嬉しいわ」
「……………?」
「最初はオレが勝手に言ってるだけだと思っていたけど、あなたもオレに『惚れる』と言ってくれたことだし、歓迎するわ。カノン」
「……え? あ……え?」
それは、カノンがフェンリルに威圧されて思わず口にしてしまったこと……それをフェンリルは本気で捉えてしまい……
「あ、いや、ちょ、待ってください! さっきのは……」
さっきのは言葉の……ともし言ったらどうなるだろうか? その瞬間、カノンはフェンリルに殺されてしまうのではないかと恐怖した。
とはいえ、いきなりツガイになるだとか、孫がどうのと言われてもカノンは困る。そもそも自分には叶えたい夢もあるのだから、ここでこのまま暮らすというのも以ての外であった。
「えっと、わ、私は……ここで暮らせないと言いますか……」
「ハ?」
「っ、あの、わ、私、まだまだ人間の世界でやりたいこと、なりたいものがあるんです! オレには感謝してますし、オレがカッコいいっていうのは本当だし、何だったら周りにいる男子よりずっとカッコいいから全然恋人にはアリだよとか思ってますけど、それでも私は帰らないといけないんです! だから、ここで一緒に暮らせません!」
「……………ふむ」
一緒に暮らすことはできないと、カノンは正直に言うしかなかった。
「カノン? ン? ヨメ! ツガイ! コウビ!」
「……オレ……」
「ウン、オレ!」
そして、カノンの言葉の全部を理解できず、状況が分かっていないオレは、変わらず純真無垢な笑顔をカノンに向ける。
その純真さにカノンは胸が締め付けられた。
だがそれでも……
「ゴメンね、オレ……」
「……? ゴメン? カノン、ゴメン? ナンデ?」
「私はオレのお嫁さんになれないよ……オレと結婚……えっと、ツガイ、なれない、私とオレ」
「……ッ!?」
「帰る。家。帰らないと、駄目。……分かるかなぁ?」
そして、何とか簡単な単語と申し訳ない想いを言葉と瞳に込めてオレにカノンが伝えた瞬間、オレに伝わったのか、オレは……
「……ワカタ」
「え……」
そう言って、オレはオンブしていたカノンをゆっくりと降ろした。
「オレ、カノンスキ。カノン、オレキライ。ワカタ」
「ッ!?」
「バイバイカノン」
その瞬間、カノンの心は強い衝撃を受けてしまった。
今この瞬間まで、おぶわれていたというのにそのことを意識しなくなるぐらい自然と心を許してしまっていたことと、降ろされたことで僅かな喪失感、そしてオレの優しくも切なそうな微笑に、胸が激しく締め付けられた。
「やれやれ……残念だけど、安心しなさい、人の娘よ。オレは初めて年の近い人間の雌を見て興奮して一目惚れをしたようだけど、だからと言って無理やり力ずくで……ということはしない」
「……オレ……」
「火竜も戻ってこないので、このまま真っすぐ帰りなさい」
この時、カノンの耳にはフェンリルの声すらも入らなかった。
目の前の男にこんな顔をされて、このまま別れてしまうのは、あまりにも……
「オレ……お嫁さんになれないけど、まずは友達から。友達! だめ? 友達」
「トモダチ……トモダチ!」
「嫁、バッテン。友達、マル。どうかなぁ?」
せめて、友達に……と告げたカノンはハッとした。
(あれ? でも、これって私結構ひどいかな? だってここで暮らすわけでもなく、私は帰るわけで……フッた男の子に、友達でいましょうとかって、何様ってことに……)
命を救われた相手に対して、この言葉は酷いのではないのか? とカノンは言った後で後悔した……が……
「トモダチ! オレ、カノントモダチ!」
「きゃ、ちょ、わっ!」
オレは嬉しそうに喜び、カノンを抱きかかえて持ち上げた。
「トモダチ! トモダチ! トモダチ!」
「も、もぉ、オレ……ははは、んもう……」
ただ、友達になる。それだけでもオレは嬉しかったようだ。
「やれやれね……まぁ、オレも人間の友達は初めてだから……まぁ、まずは……まずはね」
息子の喜ぶ姿にフェンリルも呆れたように溜息を吐きながらも、その口角は少しだけ優しい笑みを浮かべていた。




