千賛知翔子はもういない
捕食:生物が餌となる対象の動物を捉えて食べること。また対象となる動物が生きていることに加え、逃げる・対抗すると言った防御行動が可能であり、それを何らかの方法で拘束し、抵抗を排除し、食べるに至る過程
────自分の人生をふり返っても、彼女の存在は異質だった。変わり者で、言動も行動も突拍子もなくて、けれどこちらが嫌になるくらいどうしようもなく真っ直ぐで。あたしなんかでは想像もできないほどの夢を抱えて、ただひたすらに真っ直ぐ前だけを見て走ってゆく。彼女はその大きな夢をあたしに支えさせてくれることも触れさせてくれることも許してはくれないまま、まるで忘れてゆくようにあたしの前からいなくなってしまって、あたしは結局彼女が残した夢の残骸を拾ってそれを何とか元の形に戻そうとしているだけにすぎない。
近付いてしまえば劣等感で自己嫌悪するほど苦しくなるのに、いなくなってしまえば胸の奥がどうしようもなく空っぽで、一緒にいたってきっと理解なんて本当の意味では出来ないのに、どうしようもなくその存在に救われている。彼女が描く、空を掴むような夢が叶うであろう日々をどこか夢見ている。
────あの時、あたしを赦しても寄り添ってもくれなかったのは彼女の方で、あたしを置いて大人になってしまったのは彼女の方で、だけど彼女から逃げ出したのはあたしの方だった。一緒にいたってきっと幸せになんてなれなくて、理解しあえる日々が訪れないことなんて解りきっていたことだったのに、彼女と一緒に過ごしたあの変わった時間がまるで失った学生生活を少しだけ取り戻せたようでどうしようもなく満たされて、そんなことが酷く怖かった。失った穴を埋めることだけが自分の夢だったから、それを失ってしまった自分には何も残らない。そんな空っぽな自分が、彼女の未来ある人生を食いつぶしてゆくのが耐えられなかった。大人と言う箱庭の中で生きてきた期間はあまりにも長くて、そこから飛び出す勇気もそれを捨てて彼女と二人で生きてゆく覚悟も無かった。
あたしは今でも彼女と過ごしたあの準備室で、この感情が恋なのかもわからないまま、彼女との熱に浮かされるほどの思い出が心を蝕んでいる。彼女と別れたあの日からずっと息が苦しいままだ。どれだけ悩んで苦しんでも彼女があたしを愛してくれることは無かったし、あたしも自分の人生を全て投げうって衝動的に彼女とともに生きていくほど彼女を愛することも出来なかった。未来を変える力がある変わり者と何も持たない人間が一緒に生きてゆくことは難しくて、結局最後は互いに疲弊して共倒れをして彼女は一人で行ってしまった。「寄り添いたい」なんて熱意ばかりが先行して彼女も自分も救えなかったなんて、本当にどうしようもない終わり方だ。どうしようもなかったのはあたし自身で、恐らく彼女はただ真っ直ぐに生きていただけだったけれど。
「……今頃どうしてるのかな、君は」
────あたしは彼女がいない星花女子学園の美術準備室で、あの頃より少し汚れた窓に寄りかかりながら彼女が勢いよく開けることもない美術準備室の扉を見つめる。結局大人にはなれなかったなと皮肉気に呟いた自分の言葉が、誰もいない美術準備室の中に静かに落ちた。