●憑いて見なけりゃよかった
ギャハハと下品な笑い声、腹を強く蹴る踏み潰された汚い上履きの足、顔を殴る拳。おれが見る風景はいつも下から。ニヤニヤ笑った顔たちが、おれを囲んで見下ろしていたんだ。
中学に上がってクラスメートのヤンキーに何故か目をつけられて虐められるようになった。誰も助けてくれる人なんか居らず、先生も笑って見ているだけだった。おれがびしょ濡れで教室に戻ってきても、痣だらけで鼻血が出ていても、戯れも程々になと言うだけ。それだけだ。
リーダー格のヤンキーに早く死ねよと毎日言われる。おれが何したって言うんだ。憎しみだけがどんどん積み重なっていくがやり返す気力はもはや起こらず、奴の希望通り死んでやろうとある日飛び降りた。
「はい、どうもこんにちは〜」
「…………え?誰……ですか?」
気づいたら目の前に男が立っている。ニコニコと笑いながおれの名前を確認してきた。
「私は案内仏。貴方を彼岸までお連れするために来たんですよ。ささ、パパッと昇っちゃいましょうね〜」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
さあ行くぞと言わんばかりに腕を掴まれる。
「……い、今すぐいかないといけないのか?」
「はて。むしろここにいる理由ありますう?もう魂だけですし、此岸で出来ることないですけど」
「…………憎んでる相手が居るんだ」
「彼岸へいけばそんな気持ちも無くなるので楽ですよ。それに憎んでるからと言っても、もう何もできませんし」
「だったら!……だからこそ、あいつが死ぬまで監視したい。少しでも嫌な目に合えばいい」
「ふむ。ほんじゃ、そのお相手が務めを終える時にもう一度迎えに来ましょうかねえ」
「えっいいんですか」
思いのほか軽く了承され拍子抜けしたが、それじゃまたウン10年後に迎えに来ますね〜ストーカー頑張って!と始終笑顔のまま手を振りながらそいつは消えていった。
こうしてこの世に残ったおれは、その足で学校へ行き奴に取り憑いた。学校ではおれの死が伝えられクラスには動揺が広がる。教師の顔なんか顔面蒼白でこわばっている。良い気味だと高笑いした。おれをいじめていた奴らはクラスの皆から避けられるようになり孤立。俺は違うあいつらだ、私は虐めてないと自己保身の為に責任を擦り付け逃れようとするクラスメート。おれ一人が死んだだけで人間の醜い部分がダダ漏れである。
おれをいじめていたメンバーは不登校になったり逆にいじめられるようになって大人しくなったりする中、主犯の奴だけは違っていた。今までと変わらず堂々とし、死ねと言って本当に死ぬおれが悪いなどと豪語する始末だ。
腹が立って首を絞めようとしたり暴言を吐いてみたが、仏が言っていた通り奴に触ることも声が届くこともなかった。
奴の家は母子家庭だった。金髪の母親は真っ赤な口紅を塗ると、セクシーなドレスを来て夜出て行く。親子の会話はほとんど無く、家ではいつも一人だった。おれは毎晩、このまま孤独に死ねよと背後からずっと投げかけていた。
中学を卒業して奴は工事現場で働き始めた。持ち前の会話力と元気さで、周りの人から可愛がられていてイライラする。が、家に帰ればそれが鳴りを潜め、暗い部屋で寂しそうにテレビを見ながら弁当を食べるのだ。この頃になると母親はいつの間にか男を作り、滅多に帰って来なくなっていた。おれはこの時間が大好きだった。飯が食える体なら、この光景をおかずに美味しく飯を食べただろう。
働いて資金が貯まったのか、働きながら通信制の高校に通い始めた。よくもまあそんなに頑張れるなと思いつつ、なんの面白みも無いまま数年が経過した。
奴は通信制高校を卒業した後、大型トラックの免許を取得しトラック運転手になった。この会社でも皆に可愛がられていてモヤモヤする。皆にこいつは昔クラスメートを虐めて自殺させた醜いゴミ野郎だと伝えたいが、もちろん何もできない。
そうして運転手として10数年が立った頃、奴は結婚した。ゴミ野郎に相応しく頭の軽そうなアホ女だ。よく喧嘩していたが別れることは無く、数年後に子供が産まれた。ちなみに今までずっと奴と色んな女との行為を見てきたが、魂だけになると三大欲求は一切無くなるらしい。何も感じなかった。
数年後、子供は順調に育ちよく喋る女児になった。パパ早く帰ってきてね!なんて声をかけ、それに対して元気いっぱいの笑顔で応!と答え頭を撫でる。中学からずっと憑いて見てきたが、いつの間にか奴の目尻には年相応の皺が浮かぶようになっていた。夫婦間の喧嘩もあまりしなくなり、普通に仲の良い家族だ。
女に俺こういう家庭を作るのが夢だったんだと話している事があったが、そりゃあの家で育てばそれが夢になるだろうなと思った。
奴の不幸を見たかったのに、ここ数年ずっと幸せな家庭を見せられ続けていた。休日は親子でショッピングや公園に出かけ、平日は仕事頑張ってと見送られ、帰ってきたら子供がおかえりと抱きつく。女の腹は大きくなり、子供にもうすぐお姉ちゃんになるのよと話しかけている。
どうしておれは死んで、こいつは幸せに暮らしているのか。いつになったらこいつは不幸になるのか。最近はそればかり考えるようになっていた。おれも死ななければこんな未来が待っていたのだろうか。
「あなた、行ってらっしゃい」
「パパ早く帰ってきてね!!!」
赤子を抱いた女と小学生に上がる子供に見送られ、奴は今日も仕事に出かける。鼻歌混じりに慣れた手付きで差し込んだままのシートベルトへ体を通した。
隣県へいつものように荷物を運ぶ。おれは助手席に乗り込み、代わり映えのない風景を眺めていた。その時、対向車線の車が追突事故を起こした。それを避けようと後ろを走っていたトラックが、速いスピードのままハンドルを切る。
その瞬間物凄い衝撃と音が響き渡った。おれは死んでいるので何ともないのだが、横を見ると奴がいない。ぶつかった衝撃でおれらが乗っていたトラックは横転していた。大きくひしゃげた窓のガラスは割れ、血が付いている。まさかと思いトラックをすり抜け外に出たら、奴は頭をパックリ割ったまま地面にうつ伏せで倒れていた。
近寄ってみると右腕はガラスで切ったのか骨が見えるほど裂けていて真っ赤な血が流れ続けている。ヴヴゥ……と潰れた呻き声が聞こえる。こんな状態になっても奴はまだ生きていた。呆然と立ちつくしていたら、背後からこんにちは〜と声がかかる。あの時の仏だった。
「はいどうも。迎えにきましたよ〜」
「……!!おい、頼む。あ、あいつを、助けてくれ、このままでは死んでしまう」
おれは震える足で仏に縋りついた。奴はまだ生きようともがいているのだ。だが、仏はキョトンとしておれを見る。
「助ける?なぜ?」
「なぜ……って、あいつには家族がいて、2人目の子供も生まれたばかりなんだよ!」
「憎い相手だったのでは?」
「そ、れは……そうなんだけどっ」
「良かったですね!どちらにしろ手遅れなんで暫くしたら死にますよ」
「…………ッなん」
ニコニコと仏は喋る。
「嬉しくないのですか?死ぬほど憎い相手だったでしょう。貴方の目の前で今逝こうとしているのに」
「そうだけど……!でもっ!!」
「ああ、彼が亡くなるのを待ちますか?肉体が終われば魂になるので姿も見えるし会話もできますが」
「はあ!?そんなこと……」
「必要なければもう行きましょ。彼の担当は私じゃないので……まだ何かあります?一応事切れるまで眺めますか?」
淡々と話し続ける仏に対し、おれは息がままならなかった。涙なんか出ないはずなのに目頭が熱い。
「……確かにおれは、奴が憎くて憎くて堪らなかった。不幸になれと思っていたし、早く死ねと思ってた……でも、あいつには今、家族がいて……帰りを待ってて」
「はあ」
仏が気の抜けた返事をしてくる。
「なんなんだよ、何なんだよこの気持ち!!死んで欲しかったのに、不幸になれと思ってたのに……、どうして、なんで、おれは……もうぐちゃぐちゃだ……こんな気持ちになるくらいなら、憑いて見なけりゃ良かった!!!」
うああああと叫びながら頭を抱える。仏はそんなおれの背中を優しく撫でながら笑顔を向けた。
「大丈夫ですよ。さあ彼岸へ行きましょ。そんな苦しい気持ちも消えちゃいますから!罪深い者も、可哀想な者も皆救われ、幸せに暮らせる場所が彼岸なのです」
さあさ!と背中を押され、躊躇しつつも震える足を1歩前へ出す。背後からは奴の呻き声が小さく聞こえ続けていた。




