●愛シイアナタ
ふわりふわりと柔らかい粉雪が優しく舞うように降っております。
東北のとある田舎道を、わたくしは独りで歩き続けておりました。今は夜更けで電灯もほとんど見当たらないので、薄い雲の奥に見えるお月様とスマートフォンの光だけが頼りです。
それでもわたくしは愛する貴方に会うために、進まねばならないのです。
わたくしには心から愛している恋人がございました。彼はとてもお優しく、またお人好しでありましたので御友人からお金を貸して欲しいと頼まれたら、自らが苦しくともお貸しするような方でした。
彼も余裕はありませんでしたが、生活が苦しいから頼むと懇願する御友人のことも無下にはできず、収入から援助をしていたようでした。それでも彼はわたくしに、手元に残った少ないお金でプレゼントを買ってくれました。
「安くてごめんな。いつか宝石の輝く指輪を買ってあげるから」
と申し訳なさそうに笑うのです。
わたくしは彼の深い愛情に心打たれました。指輪など無くとも、貴方が傍にいるだけで幸せなのよと手をしっかりと握りお伝えしました。その後は有難う有難うと繰り返す彼を抱きしめ、二人で泣いたのを覚えております。
わたくしも働いておりましたので、彼の生活費やお小遣いなどをできる限り支援致しました。彼とデートする時はわたくしがお金を出し、家に来る時は食事を用意、必要だと言われた物は後日買ってプレゼントしていました。彼はわたくしが何かして差し上げる度に
「ありがとう、本当にすまない」
とまなこに涙を目一杯に溜めて私をぎゅうぎゅうと抱きしめ、髪を優しく撫でてくれるのです。貧しくてもわたくしは本当に幸せでした。
そうして2年が経った頃、彼は仕事が忙しくあまり会えない日々が続いておりましたが久しぶりに家に尋ねてくれた時、彼は嬉しそうに
「仕事で一大プロジェクトのリーダーに任命されたんだ!これが成功すれば給料も大幅にアップする」
そうすれば君とずっと一緒にいられる。と嬉しそうに教えてくれました。そしてこの仕事が終わったら一緒に暮らそうと涙ながらに仰ってくれたのです。わたくしも嬉しくなり二人で泣きながらお祝いしました。
翌日の朝、少量ですが手助けになればとお金や日用品を渡し、頑張ってと送り出しました。彼も泣きながら君の為に頑張ると言ってくれ、仕事へ向かって行きました。
その日を境に、連絡が一切来なくなったのです。
何度もメールを出し、電話もしました。しかし返事はなく、電話も呼び出し音がずっと耳の奥で鳴り響くばかりで繋がることはありませんでした。
わたくしは彼の住んでいる家や会社を知らなかったので、携帯で連絡を取るしか術がなかったのです。
彼の身に何かあったのではないかと、毎日毎日不安な日々を過ごしておりました。そしてその不安は的中してしまいました。
連絡が取れなくなって3週間程経った頃です。彼の携帯から電話がありました。間髪を容れず取ると、彼の妹だという女性からでした。以前より妹がいると聞いておりましたが、こうして話をするのは初めてでした。
彼は3週間前に仕事中の事故で帰らぬ人となった。いきなりのことでバタバタしていて連絡が遅くなってしまった。彼女がいると兄からは聞いていたが、家族皆詳しくは聞いておらず、兄の携帯に来ていたメール内容や着信の量からあなたが兄の彼女なのではないか、と思って連絡をしたとのことでした。
わたくしは突然の知らせに驚愕し、声が出ませんでした。彼が、死んだ?そんなはずはありえません。つい此間まで、一緒に笑い合っていたのに。
言葉に詰まるわたくしを置いたまま妹は言葉を続けます。葬式も終え、彼が住んでいたアパートも解約した。この携帯も数日後に解約する予定であると。私たち家族も頑張って前へ進むからあなたもどうか兄のことを忘れ前へ進んで欲しい、今まで兄と恋人でいてくれて有難う。そう仰ると、静かに電話をお切りになりました。
彼のことを忘れて前へ?冗談じゃない、そんなこと、できるはずがありません。わたくしは泣きながら叫びました。叫んで叫んで叫んで、部屋の物を手当たり次第投げました。そうでもしないとおかしくなりそうだったのです。
それから3日経ちました。わたくしは滅茶苦茶になった部屋の真ん中で屍のように倒れ、泣き続けていました。そして彼が言っていた言葉をふと思い出したのです。ずっと一緒にいよう、と。
そうです、彼の元へ行けばいいのです。わたくしはパッと視界が晴れた気分になりました。
冬が来るのを待ち、部屋にあった物は全て処分しました。残した小さなテーブルに遺書を置き、家を出ました。
こうしてわたくしは、彼に会う為に歩いているのです。
殆ど真っ暗な、道なき道を歩き続けます。ボフ、ボフとわたくしが雪を踏みしめる音しか聞こえてきません。気温もかなり下がっているようで、寒さで歯がガチガチと鳴ります。それでも彼に会う為に進まねばならぬのです。
立ち止まることもせず歩き続けていると視界が広がりました。緩やかな丘になっているようでした。周りは山で囲まれ、なぜか電灯が1本だけ立っており、絵になるような美しい場所でした。
わたくしは鞄から睡眠薬を取り出し全て飲み込んで、コートを脱ぎました。コートの下は薄いノースリーブの真っ赤なドレスです。赤を選んだのは彼に、君は黒い髪がとても美しいから赤がよく映えると言われたからでした。
鞄やコート、靴を全て道に置き捨てて、わたくしは緩やかな丘の上まで登り静かに横たわりました。体はあり得ないほど震えておりましたが、さほど寒さは感じずむしろ暑いくらいでした。
これで彼に会える。北の地方を選んだのは、寒いところで死ねば体も美しいままだと思ったからです。寒さと眠気と少しの気持ち悪さが混じり合って、不思議な感覚でした。これでわたくしは死んでしまうのかと思いましたが、彼に会える嬉しさで恐怖は全くありませんでした。
ふわりふわりと舞っている雪を見ながら目を閉じます。愛する貴方と再会することを願って……。
ゆっくりと目を開けると、辺りは白んでおりました。雪も止んでいるようです。
あんなにも寒かったのに、今は一切寒さを感じないので不思議に思っていると足元にわたくしが倒れておりました。真っ白な雪の上に真っ黒な髪の毛を靡かせ、真っ赤なルージュとドレスがとても幻想的でした。体の所々に積もった雪がなんとも言えない美しさを引き出していて、やはり赤を選んで正解だったとわたくしは他人事のように思っておりました。そうしていたら背後から声をかけられたのです。
後光が輝く、スーツを着た男性でした。すぐにこの世の者ではないと感じた私はその方に駆け寄りました。早く彼に合わせてくださいと、みっともなく縋りつきました。
その方はそんなわたくしを嫌がりはせず、彼を調べますから名前を教えていただけますかと優しく聞いてくれました。そしてその方は書類をペラペラと調べた後、こう言ったのです。
「その男性は死んでないようですが」
「……………………え?」
わたくしが言葉を続ける前に、その方は話し続けます。
「あなたとの関係もついでに調べました。彼がお金を貸していた、という友人の存在は見当たりませんし、彼はあなたとお付き合いする前から付き合っていた女性がいます。こちらの女性が本命ですね。この女性の方もあなたの事を知っていて、彼があなたと付き合うことを容認していたようです。あなたが彼に渡していたお金でデートしたり、生活資金や結婚資金に充てていました。彼女が欲しいと思ったものを上手くあなたに伝えたりしていたようですね。あなたが渡していた物は、殆どが彼ではなく彼女が欲しかった物です。」
────わたくしは、上手く息をすることができません。
「あなたのおかげで結婚資金が貯まったみたいですね。死んだことにしてあなたとの関係を切る方法を考えたのは彼自身。妹を名乗って電話してきたのは本命の彼女です。彼に兄弟はいません。……あなたのおかげで彼は彼女と籍を入れ、豪華な結婚式を挙げることができました。今は夫婦として幸せに暮らしているようですので、あの世に彼は居りません。お二人とも、あなたにとても感謝しているようですよ」




