ライフジャケット
青天、新緑の山々、自然に囲まれたこの場所に、とても穏やかに川が流れている。一度見たら忘れないくらい、とても美しい風景。
同じ夢を、幼い頃から度々見ていた。
「おう!勇樹、はよ。今日1限からか?」
「おはよう、そうなんだよ……すっげえ眠い。タケも1限からなん?」
「俺は2限目から。彼女とカフェで朝飯食う約束してんの」
「羨ましいなちくしょう」
勇樹は大学生になり、充実した学生生活を送っている。
昔から見る夢のおかげか、泳ぐのが大好きな青年になった。小学校に上がる頃には親に強請って水泳を習うようになり、地元の子供水泳大会では何回も優勝。中学高校と水泳部に所属し、県大会、全国大会と出場するほどの実力を持つまでに成長した。周りから世界大会やオリンピックも夢じゃないと大いに期待されたが、本人はスピードを競う大会に興味は無く、辞退して周囲を驚かせた過去がある。
彼はライフセービングの方に興味を持ち、大学でその部活に入って講習やトレーニングを受けたりしていた。ただ、そういうのは海や湖がメインで、バイトや講習も海で行われることが多いが、勇樹は昔から海より川に興味があった。
「勇樹君さあ、本当海好きだよねぇ」
「ああ、海っていうか泳ぐのが好きで……あと海にそんな興味なくて川が好き」
「そういやお前昔っから泳ぐの好きだったよな。てかなんで川?」
昼にタケカップルと合流し一緒に昼食を摂る。
「……昔から同じ夢を時々見るんだけど、その風景がすごい綺麗なんだよ。その風景に川が流れてるからさあ」
「なんじゃそら。夢の中の川がめっちゃ綺麗だから好き!!ってなったわけ?」
笑いながらタケが言う。笑ったら失礼でしょ!と彼女が咎めながらスマホの画面を見せてきた。画面にはあなたは河童です!とデフォルメされた河童がでかでかと描かれている。
「勇樹君を前世占いしてみたけど、前世は河童だって!結構当たってない?」
「はははは!川好きだしな!?」
「ちょっと、結局二人して俺のことおちょくってる!?」
「ごめんごめん、でもよく同じ夢をみるって前世と繋がりがあるって言うよね。その風景と泳ぐのが好きなの、なんだかんだ前世と関わりがあったりして」
「……じゃあやっぱ河童だろ?お前河童だったんだよ」
「なんでだよっ!河童確定かよ!」
からかってくる二人にツッコミを入れながら、勇樹自身も、もしかしたら前世の記憶なんじゃないかと薄々感じていた。前世があるなどと信じているわけではないが、夢の風景は一度も現実で見たことがなかった。そして恐怖を感じたこともなく、ただただ透き通った風景が広がる綺麗な夢。前世があるならば、昔の自分はきっとこの場所で泳ぐのが好きだったのだろう。
本格的に夏に入り、海やプールでライフガードのバイト話が部活にも入ってくるようになった。勇樹もかなり手際が良くなり、部員の中でも一目置かれるようになっていた。水辺へ遊びにいったりするので、何かあった時の為、マイカーにはライフジャケットを2つ常備している。
夏休みも間近になった頃、タケからバーベキューに誘われた。タケのサークル仲間が道具とか全部用意してくれるらしく、友達も誘ってOKとの事で声をかけてくれたようだ。
「いや〜俺車持ってねえしさあ、ガソ代は俺払うからよ!」
上手い事使われた気もするが、悪い気はしないので了承した。
バーベキュー当日、15人ほどの大所帯になり、4台の車に分かれて出発することになった。勇樹の車にはタケカップルの二人。3台の車の後ろを着いていく。
「いや〜勇樹いてくれて助かったわ!先輩達もマイカー持ってる人は少ないからさあ」
「それに勇樹君なら先輩方みたいに気使わなくていいから、緊張も解れるし?」
「お前らなあ……」
いつものテンションで盛り上がる車内にため息をついたら、タケが後部座席から身を乗り出してきた。
「そういや、これから行く場所結構綺麗らしいぞ!?川の側だってよ、良かったな勇樹!川だぞ川!」
「まじか!河童の俺はキュウリ持ってくればよかったな」
「ははは!ってかお前それまだ根に持ってんのかよっ!」
車内で盛り上がっているうちにどんどん山奥へ進んでいき、前の車が傍へ寄せて止まったので、勇気もそれに倣って後ろへ止めた。
「おーっしお疲れさん!着いたぞー!手空いてる奴、道具運ぶの手伝ってくれー!」
前の車に乗っていた先輩から声がかかる。タケがハイ今すぐー!と威勢の良い声を出して走って行った。勇樹はタケの彼女と一緒に後ろに乗せた食材を持って運ぶ。もちろんライフジャケットも2つ、忘れずに持った。
「わぁ!すごい良い所だね!!」
「…………ここは……」
道路から川辺へ降りたところで彼女が声をあげたので勇樹も顔をあげた。そこは何度も夢で見てきた、あの場所だった。彼女が固まってしまった勇樹に気づいてどうしたのと声をかけてくる。
「ここ、夢の場所なんだよ!ここだ!間違いない……実在してたんだ!!」
「本当に!?じゃあ勇樹君が河童として泳いでた川はここだったの!?」
「おいっ!だからなんで河童確定なんだよっ!」
「あははっ」
おーい!食材早く〜!と川辺で先輩達が手を振っている。はい、ただいまー!と声を出して急いで向かった。
皆好き勝手にジュージュー焼いて盛り上がっている。トウモロコシを頬張りながら辺りを見渡すと、結構人気スポットらしく、色々なグループが遊びに来ていた。
「たくさん遊びに来てますね」
勇樹はビールを飲んでいる先輩に話しかけた。
「そうだな!ここ川も緩やかだし、広いし、風景も良いだろ?だから夏休みが始まるとスペース無くなるほど人気なのよ。今の時期がチャンス!ってな」
「ここの川、今は緩やかだけどな〜、昔はかなり荒れてたらしいぞ?」
「うわっビビったお前、いきなり出てくんなよ」
「……えっそうなんですか?」
ビールを飲んでいた先輩の後ろから、眼鏡をかけた別の先輩がヌッと現れた。
「数百年前、しょっちゅう氾濫起こしてたみたいでさ。集落で全滅したとこもあったりね」
「お前なんでそんな詳しいんだよ」
「俺の学部忘れたのかボケ」
「ああ!!そうだった!お前文学部だったっけ!?」
わりーわりー忘れてた!天才!と言いながら眼鏡の先輩をバンバンと叩いている。
「まあ、そんな川だったのに、ちゃんと整備すればこんなになるってことだな」
「そうなんですね、今の川から想像できないですね」
「だよな、俺も!そんなことより肉食おうぜ肉!!」
酔っ払っている先輩にぐいぐい背中を押されその話はお開きになったが、勇樹はなんとなく、今の話に見覚えがあるような気がした。
時間が経ち、酒を飲んでベロンベロンになっている人も出てきた。タケもその一人で勇樹にウザ絡みしてくる。
「お〜い勇樹〜飲んでるかぁ〜」
「運転手だっつーの!」
「心配すんな俺が帰り運転してやっからぁ!ほら飲め飲め」
「飲んでるお前がどうやって運転すんだよ」
「俺飲んでねぇぞぉ〜」
「あークソ酔っ払いめ!」
彼女にタケをぐいぐい押し付けていると、誰かに呼ばれたような気がしてふと川上に目を向けた。目を向けた先に着物を羽織った少女が、目線は勇樹のまま川の方を指差し立っている。
「…………え……?」
何も履いておらず裸足のまま、しかも全身ずぶ濡れで、足元の石が濡れて変色していた。顔や着物が捲れて見えている手足には、傷なのか汚れなのかわからないが黒ずんでいる箇所がある。どうみても生きてる人間じゃないと気づき、身が竦んだ。周りにいる人たちは誰もその少女に気づいていないようだった。
(お、俺だけかよ…………)
恐怖で声も出ないし動けなかったが、少女が指差している方向が気になり目線を向ける。そして子供の手が一瞬水面に出て見えなくなったのに気づき、体が一気に覚醒した。
「溺れてる!!!」
「……え!?勇樹君どうしたの!?」
「子供が溺れてる!すぐ救急に連絡して!あと空のペットボトル用意して!!!」
グループからどよめきが起こったが、無視してライフジャケットを着て、もう一枚を持ち駆け出す。子供の親も気づいたのか悲鳴が上がった。
幸い勇樹達がいた場所は子供よりも川下だった。流れも緩やかなので急いで泳げば辿り着く。靴を脱いで川へ飛び込んだ。
川へ飛び込んだ途端、頭に覚えのない映像が広がる。見知らぬ女性が俺に着物を着せてくれる。川から少し高い岩場に大勢集まっていて、皆硬い表情でこちらを見ている。水はすごい勢いで流れ、荒れていた。濁流の中をそのまま進んで……気づけば自分は川辺に立っていた。
(ああ……そうだったのか。だから、俺は…………!!)
流れてくる子供の位置を定め、必死で泳ぐ。子供もこちらに気づき、必死に手を伸ばそうとして沈みかける。勇樹は沈んでしまう前に、その手をしっかりと掴んだ。
おふくは貧しい村の娘だった。畑の手伝いをし、夜はほつれた着物や巾着などを直したり、草鞋を編んだりして暮らしていた。貧しかったが両親共々明るく元気で、おふくも貧しさに嘆くことはなく、幸せに日々を過ごしていた。
だが、村の近くの川は荒く、梅雨の時期や野分に見舞われるとすぐに氾濫を起こした。隣山の村は氾濫だけでなく、山肌も崩れて埋まった。今年は雨が多く、川もずっと荒れている。それにより村から人柱を捧げようという話になったのだ。村で、明るく育ち盛りの娘はおふくしか居なかった。働き者で物分かりが良く、誰にでも優しい。おふくが選ばれるのは必然だった。その日から母はずっと泣いていた。
「おふく、この着物はね、おふくが嫁さ行く時のためにおれが縫ってたんだあ。……龍神様の嫁になるんだ。……だからこれを着てお行き」
薄汚れた継ぎ接ぎの着物しか着たことがなかったおふくは、綺麗な着物に大層喜んだ。髪は着物の端切れで作った紐で結い、唇には薄く紅を引いてもらった。
村長を先頭に村の男達と、両親と一緒に山へ入る。そうして連れてこられた岩の上。その崖下には荒れ狂ったように、濁った水が轟々と流れていた。おふくはその勢いに恐れ慄いたが、村長が重い口を開いた。
「おふく、本当にすまねえ。村の皆の為だあ、村の為に龍神様を鎮めてくれ」
一緒に来た者達は皆、悲しそうな、苦しそうな、なんとも言えない表情をしていた。おふくは一度深呼吸をし、皆の顔を見て明るく言う。
「大丈夫だあ。おれがちゃんと龍神様さ会いに行って、鎮めてもらうから。おっかあ、着物ありがとう。この美しい着物なら龍神様もおれの事、貧しい村娘だとは思わねえはずだ」
そう言って、後ろ向きに一歩踏み出す。濁流により巻き上がった風が肌に当たった。
「それじゃあ行ってくる。皆は安心して村さ戻ってな」
怖くないと言えば嘘になる。だが、村の皆が自分に期待してくれているのを、裏切るのも嫌だった。おふくは濁流を見ないようにして背中から身を投げた。水に落ちる直前に、覗き込んだ村長や両親の顔が見えたが、茶色い水に瞬時にのまれ何も見えなくなった。
「…………ここは……?おれはどうなって」
おふくが目を覚ますと、川辺に倒れていた。水は比較的緩やかな流れになっていて、村で見たような荒々しさは無い。だいぶ下流まで流されたようだった。下駄や髪飾りは取れてしまったのか近くには無く、岩や枝に当たって出来たであろう傷が手足にいくつもある。不思議と痛みはなく、その場で立ち尽くしていると、天から仏が降りてきた。
「……仏様?」
「こんにちは、おふくさん。迎えが遅くなり申し訳ない」
「本当にお寺にある仏像様と同じ格好をしているのですね」
「ああ、この服装の方が解りやすいかな、と思いまして」
ニコニコと喋る仏とは裏腹に、おふくは沈んだ表情になっていく。
「……おれは、龍神様の嫁にはなれなかったのですか」
「ああ、そもそもこの川に龍神は居ない……」
「えっ」
おふくが今にも泣きそうな顔になったので、あわてて訂正する。
「龍神はいませんが水分神は居ますよ。ええと、とりあえず彼らは人間を食べたり、妻として娶ったりしないので」
「……人柱は意味ねえって事ですか」
「…………少なくとも、村の者たちにとっては、意味はあります。貴女の死は、決して無駄では無いですよ」
そう言って優しくおふくの手を取る。
「さあ彼岸へ参りましょう。向こうで両親を待ってもいいし、すぐ生まれ変わってもいい。おふくさんは生まれ変わるなら、どんな人間になりたいですか?」
おふくは暫し考えた後、答えた。
「おれ、次は泳げる人になりてぇ。もし泳げていたらあのままずっと泳いで、下流の村で生きることだって出来たかも……あと、体はおっとうみたいに大きくなりたい。おれみたいに人柱さなって、流される人を助けてぇんだ」
子供と共に岸へ戻ると、安堵の声があちこちから上がった。子供も少し水を飲んだようだが意識はあり、無事だった。救急が到着するまでに、先輩やタケカップルだけでなく一部始終を目撃していた人達からも労いの言葉を貰ったが、勇樹本人は子供用のライフジャケットを用意しておくべきだったと心の中で反省していた。ふと目を川上に向けると、着物をきた少女がまだ立っている。こちらを見て静かに微笑み、流れる水のように消えていった。勇樹は自分の胸に手を当てる。
「……大丈夫、この人生でたくさんの人を助けるよ」
「え?なんか言ったか?」
「なんでもない。今日ここに来て本当に良かった!って思ったとこさ」
「なんだそりゃ」
タケと二人でグループの方へ戻るため歩き出す。青天、新緑の山々に囲まれて、川は優しく緩やかに流れ続けていた。




