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案内仏の報告書  作者: あさひ
11/14

●コトダマ




 窓をすり抜け入った部屋はゴミや服で溢れ足の踏み場もなく、カーテンが閉められていて日中でも薄暗い。

 部屋の隅に足を進めると積まれた大量のゴミ袋に、痩せこけた幼女がぐったりと体を横たえていた。薄く開いた目と唇には生気がなく、カサついた唇にハエが止まり口内を出入りしているが、幼女がそれを阻止しようとすることはなかった。


「……こんにちは、王冠(ティアラ)さん。僕は案内仏です。あの世へお連れするために参りました」


 男が幼女に声をかけると、横たえた体からスゥーと霊体が出てきた。幼女はチラッと男を見ると、自分の体に腰掛けてため息をついた。


「あーすまねえが仏さん、タバコをくれねぇか。銘柄は別になんでもいい」

「!……どうぞ」


幼女らしからぬ言葉を投げかけられ仏は少々驚いたが、言われた通りタバコとライターを手渡した。


「はは、驚いてる顔だな。……実は俺ァ案内仏に会うのはこれで6回目なんだ。……いや、1回は自分であの世へ昇ったから5回か」

「そうなんですか!?そこまで前の記憶を保持しているのは珍し……いえ申し訳ありません。ええと、僕の書類にはあなたの前世までしか書かれてなくてですね。僕まだ新人なもので、今すぐデータバンクから貴方の転生6世代までを……」


慌てて言うと、幼女は煙をはきながらハッハと笑う。


「それも良いが、だったら是非俺の話を聞いちゃくれねえか。俺は昭蔵という。……なぜ俺が6回分の記憶を持っているのか。俺の罪を聞いてくれ…………」


そういうと、昭蔵と名乗る幼女はポツポツと話し始めた。










 政権が幕府から政府に替わり、生活がガラッと変わった明治時代。昭蔵は時代の流れに揉まれながらも、妻子と暮らしていた。古くからの友人である喜助は家族ぐるみで付き合いがあり、月に一度くらいのペースで交流が続いていた。


 大勢の人と関わる仕事をしていた喜助は、明治政府のお膝元で働いている人と縁があり、職を変えてから羽振りが良くなった。服は洋装に変わり、まだ庶民にはあまり浸透していなかった獣肉もよく食べるようになった。そして高級住宅だった洋風建築の家を買い、近いから是非いつでも遊びに来てくれと言葉を残し、家族で越して行った。

 昭蔵は少し僻んだが、喜助の今までの苦労は全部知っている。嫉妬心を持ってしまった己の醜さを恥じ、素直に友人の出世を祝い、喜んだ。


 喜助は生活水準は変われど昭蔵に対する態度は変わることなく、遊びに行けばいつももてなしてくれた。己では買えないような食事や菓子をいっぱい振る舞い、聞いたことのない西洋の話を沢山聞かせてくれた。昭蔵の妻や子供たちも毎度大喜びで、次に訪れる日を楽しみにしているほどだった。

 


 だからそう、これは、魔が差してしまったのだ。



 昭蔵は仕事で街へ出ていた。夕方、たまたま仕事終わりの喜助と出会い、居酒屋で一杯引っ掛けることにしたのだ。そこで喜助の姉に4人目の子供が産まれたこと、出産祝いで高級なべべと祝金を持っていく予定だということを知った。

 夜も更け酒も回った頃いくら包むか聞き出せば、昭蔵が半年働いてやっと手に入るような目も眩む金額だった。3人の子供や姉へのお金も入っているのだという。うつらうつらと話す喜助はとても幸せそうな顔をしていた。その日は祝金を持っていく日付や場所を聞き、たわいもない話をした後喜助と別れた。






 西洋化を推し進めているがまだ中心街だけだ。街から少し離れればそこはもう長閑な田舎道と風景が広がるばかりであった。

 当日喜助は子供の着物を風呂敷に包んで背負い、一人歩いていた。川と森に挟まれた田舎道をしっかりとした足取りで進んでいく。


「………ッ!?」


何気なく川の方へ顔を向けた瞬間、反対側から強く引っ張られ森へ引きずり込まれた。バランスを崩して背中から倒れ込む。いったい誰が、と後ろを見ようとした途端、紐で首を強く絞められそれどころでは無くなった。倒れた喜助の両肩に足を掛け、ギリギリと絞めてくる。喜助は足をバタつかせ勢いよく体を捻った。力を込めていた敵の足が肩から外れ、首が一瞬緩まったのを機に、勢いよく横に転がりながら敵から離れる。


「ッッッ!!……ア゛ァッ!…………ッ!……!!」


さっきまで強く絞められていたせいで上手く息ができず、生理的な涙が流れる。ビュービューと濁った音と、涎をぼたぼたと出しながら肩で息をする。四つん這いで唸っていると、ゆっくりと近づいてくる足音。視界に足が見え、頭に影が落ちた。喜助はゆるゆると顔をあげる。


「…………なんでだよ……」


自分の首を絞めてきた相手を確認し、喜助の顔は酷く歪んだ。





 喜助は驚きと絶望と悲痛が混じったような、何とも言えない顔をしていた。真っ赤な顔で涙と鼻水と涎を垂らしていて、少し笑ってしまった。まだ上手く息を吸えないのか苦しそうだ。そのまま飛びかかり馬乗りになった。抵抗されないよう膝で腕を固定し、肩にかかったままの紐に手をかけ、首を締め直す。喜助は暴れるし腕の力だけになるので先ほどのようには上手く締まらない。なんで、どうしてお前が、などと苦しそうな息遣いの合間で聞こえてくる。

 喜助の顔がどんどん真っ赤になっていく。もう少し、と思ったところで喜助が目を合わせ叫んだ。


「昭蔵、俺はお前を許さないからな!呪ってやる!絶対呪ってやる!!」


潰れた声はしゃがれて解りにくかったが、ハッキリそう聞こえた。


「……今から死に行くお前に何ができるんだよ!!あ゛あ!?」


大声で返しながら思いっきり首を絞めた。喜助は声にならない声をあげたがずっと昭蔵を睨み続けていた。







 あらかじめ深く深く掘っていた穴に亡骸を落とす。喜助の懐に入っていた包みは、結構な厚みがあった。


「すまねえな喜助。大事に使わせてもらうよ」


土を被せながら返事のない喜助に投げかけた。人がいないのを確認し、森から出て一直線に川へ向かう。喜助が背負っていた風呂敷を川に投げ手を洗い、昭蔵はその場を後にした。


「あんた聞いた?喜助さん、行方不明らしいのよ」


数日後、妻からそう聞かされた。姉に出産祝いを届けるといって出かけたまま帰ってきていないらしい。姉の家にも来なかったようだ。警察が調べたところ、川の下流で喜助の荷物が見つかった。家に向かう途中で川に立ち寄り、足を滑らせ流されたのではないかという推測が流れたが結局遺体は見つからず、そのまま事故として処理された。

 喜助の家族はその後家を売り払い、親戚の家へと引っ越して行った。


 昭蔵は盗んだ金を自室の箪笥の奥に隠し、給料のたびに少しずつその金を付け足して銀行に預けた。たまに金が貯まったからと伝え、妻や子に欲しい物を買ってやったりすると、とても喜んでくれた。

 そしてそのままバレることなく往生し、昭蔵は親戚や孫たちに囲まれ幸せに人生を終えたのだった。







 常子は東京の裕福な家庭に嫁ぎ、幸せに暮らしていた。子供たちも成人して大手企業や良いとこのお家に嫁いで行った。25年前に常子は相手の顔も知らず嫁いだのだが、夫はとても優しい人でお金も生活も何不自由なく順風満帆であった。

 その日は部屋でレコードを聴きながら編み物をしていた。地の底から低い音が聞こえてくると思った瞬間、体が突如跳ね上がる。今まで経験したことのない揺れが常子を襲い、天井の柱が自分に向かって落ちてくるのが見えた。


 気がついた時には真っ暗だった。よくよく見渡せば崩れた壁や屋根の隙間から薄っすらと光が差し込んでいる。常子は這い出そうと力を込めたが下半身が柱に挟まれ、身動きが取れない。


「誰かー!誰か、助けてください!!」


差し込んでいる光が人の行き来でしょっちゅう影になるのと、多数の人の声がくぐもって聞こえてくるので常子は叫んでみたが、常子がいた部屋は運の悪いことに一番奥の部屋で、気づいてくれる者は誰一人としていなかった。そのうち火がこっちに来るぞ!逃げろ!!という声が焦げ臭い匂いと共に耳に届く。


「誰か……誰か!!気づいて!!お願いします!助けて!!!」


 常子の声は最期まで届くことはなかった。意識を失う直前、頭に唐突に流れ込んできたのは

「昭蔵、俺はお前を許さないからな!呪ってやる!絶対呪ってやる!!」

という声と首を絞められている男の映像だった。

ああ、懐かしいな。そうだ、俺は昔昭蔵だった。そんなこともあったな。なんて思いながら2回目の生涯を閉じた。


 



 3回目は戦争で出兵し、敵に撃たれ深傷を負い、凄まじい痛みを感じながら数日後死んだ。その時も死ぬ直後に思い出したのは喜助を殺す時に言われたあのシーンだった。



 


「修……プロポーズしてくれてありがとう。私本当に幸せ」

「俺も。お前と結婚できるの本当に幸せ」


時は高度戦長期。さまざまな家電製品が登場し、洋服が主流になっていた。東京には新しいビルが次々と建っている。

 修は2年付き合った彼女にプロポーズし、幸せな気持ちで歩いていた。彼女と見つめ合い、キスしようと立ち止まる。その瞬間大きな音と共に目の前が真っ暗になって人生が終了した。

 気付かなかったが、頭上でクレーン車が重い資材を吊り上げて移動させていた最中だったのだ。運の悪いことに金具が外れ、修はぺちゃんこになった。体液と血飛沫を浴びた彼女が半狂乱で叫んでいるのを目の前で見ながら、思い出したのは喜助を殺したあの記憶。


 4回目となると流石に少し怖くなった。


「昭蔵、俺はお前を許さないからな!呪ってやる!絶対呪ってやる!!」


あの言葉。俺はもしかして本当に呪われてしまったのではないか。しかも死ぬ年齢がどんどん早くなっている気がする。

 昭蔵は自分を迎えにきた案内仏に経緯を話し、俺には喜助の霊が憑いているのかと聞いてみた。憑いていると言われたらどうしようと内心恐れを抱いていたが、そうではなかった。


 仏によると憑いているのは喜助ではなく、言霊だった。喜助は死ぬ直前、ありったけの負の気持ちを乗せて叫んだ。その言霊が呪詛になり、最初よりは薄くなっているが未だにまとわりついているという。喜助自体はその事などとうに忘れていて、何度目かの人生を送っていると。





 昭蔵が気付いた時、厳つい中年の男に腹を滅多刺しにされている最中だった。周りにも倒れている生徒が何人もいて、逃げ惑う生徒と抗おうとする先生で阿鼻叫喚だった。授業中の中学校に男が刃物を持って侵入してきたのだ。

 体から流れ出る真っ赤な血と共に、体温も徐々に失っていく。そうしてまた、思い出した。


「…………なんで、お、れ……生まれ変わって、ん……だ……」


 そうだ。言霊の話を聞いた時、こうなったら生まれ変わらずあの世で罪を償おうと決めたはずだったのだ。詳しくは思い出せないがそう決意して4回目の人生を終えたあの日、彼岸へ向かったはずだった。それなのに、なぜ。




 昭蔵は案内仏を待たず、彼岸へ昇った。そうして彼岸の仏に喜助が居ないか探してもらった。

 喜助は2回の転生を果たした後、今は彼岸にいることが分かり、昭蔵はなりふり構わず喜助の元へ会いにいった。喜助の姿はあの時とは違っていた。背の高い、現代人らしい若い男の出立ちをしており、名は雅紀と名乗っていた。


「ああ!あんたが昭蔵、か?」

「そうだ、あの時は本当に悪かった!お前を憎んでいたわけじゃなかったんだ。あの夜聞いた金の額に目が眩んでしまったんだ……!すまない、本当にすまなかった!許してくれ……!!」


会うなり早々、地面に伏せ土下座する。謝りながら頭を何度も打ちつけた。喜助は慌てて近寄り、頭を上げてくれと焦った声で言う。


「そんなに謝らないでくれ……仏さんから君の話を聞いて、喜助時代の自分の記録をさっき確認したんだ。それで、そんなこともあったかな?と思える程度の記憶しかない。君に殺された俺自身がすっかり忘れてるような事なんだから、本当に気にしなくていい。ずっとその罪に苛まれていたのなら、俺の方こそすまなかった」

「……喜助ェ……すまねえ、本当にすまねえ……!」


昭蔵はその言葉にとても心が軽くなった。本人はもう気にしていなかったし覚えてすらなかったのだ。


「俺は妻が来るまでもうしばらく彼岸にいるつもりだし、これからまた仲良くやっていこう!あと、すまないが喜助の記憶がないから、これからは雅紀と呼んでくれると嬉しい」

「…………!ああ、ああ!!分かった!お前に記憶がなくても何かしら償いはさせてくれ……!」


喜助と昭蔵は固い握手を交わした。もう転生せず、喜助に償おうと堅く誓った。










「…………それなのにこれだ」


6回目の人生を先程終えた昭蔵は、短くなったタバコをプッと床に吐き捨てた。地面に落ちた吸い殻は数秒後フッと消える。


「転生せず償うと決めたのに、気がついたら俺ァまた生まれ変わってた。そして死ぬ直前に頭に流れ込んできたのは、喜助を殺すあの映像だ……」


昭蔵は顔を上げる。その表情は今にも泣きそうだった。


「喜助には心から謝ったし、あいつも許してくれた。その後のことはよく思い出せないが、償うために色々したはずなんだ。それなのになんで、喜助を殺す記憶を未だに思い出すんだ……!許してもらったはずの喜助に、なぜ許さないと言われるんだ!!」


大声で叫びながら狼狽える。昭蔵の6回分の人生を全て確認した仏は、なんとも言いにくそうな表情をしながら口を開いた。


「今までに呪詛を落とす方法を、他の仏に聞いたことは……?」

「……無い。本人に償えば良いのかと思って、だから会いにいった」

「…………違うんです。昭蔵さん」


眉をハの字に曲げ、仏は呟く。


「因果応報。付いた呪詛はどうしようもできないんです。それと、現世で受けた物は、現世でしか返せない。あの世で償っても全く意味がないんですよ」

「……………は?」


昭蔵は豆鉄砲を食らったような顔になる。


「喜助さんは殺される時、言葉にありったけの思いを込めたのです。貴方が俺と同じように死ぬように、寿命まで生きられぬようにと。その時の生涯を円満に終えたとしても、魂に纏わり付いた呪詛は消えません。魂の汚れを浄化するために、次の人生から効力を発揮します。」

「…………」

「呪詛の内容や強さによっては1回の人生で浄化されますが、貴方の受けた思いは相当強かった。だから今までずっと言霊通りになっているのです。生まれ変わらずあの世にずっと居たい、償いたいと願っても、魂の浄化は現世でしか出来ない。勝手に浄化作用が働きますので貴方の意思とは関係なく、自然と転生する気になってしまうんですよ」


それと、言いにくいのですが……と前置きして仏は言葉を続けた。


「貴方はまだ浄化されていません。呪詛がうっすらと残っています……おそらく、あと1回は」

「……待ってくれ!!あ、あと1回だと!?」


昭蔵は立ち上がって叫んだ。


「分かるか……?今まで徐々に死ぬ時期が早くなってる。俺、今回3歳だぞ!?そうなると次って……」


仏は何も言わずに目を伏せる。


「……嫌だ!頼む!俺ァもう本っ当に反省してるんだ!あの罪を償てえんだ!!なんとか……なんとかあの世で償わせちゃくれねえか!?」

「ですから、それは無理なんですよ……」

「だって、だっておめえ、次転生したら良くて享年2歳になるんだろ!?そんなの、呪詛を取り払う為だけに産まれたようなもんじゃねえか……!」

「…………たったあと一回です。頑張ってください……」


「なあ、なあ、頼むよ!俺が悪かったんだ!!もうずっと反省してんだ!こんなことで死ぬのは嫌だ、また殺す時の喜助を思い出すのは嫌だ……!!喜助本人は忘れて新しい人生を幸せに歩んでいるのに!!!」


昭蔵は仏に精一杯手を伸ばし、服を掴んで懇願する。だが、仏は悲しい顔で首を振るばかりだった。


「昭蔵さん、貴方はそれだけの事を犯したのです。なんの罪もない友を貴方は殺した。……死んだ後にどんなに反省し後悔しても、全く意味がないんですよ……」


どうせすぐ死んでしまうので、あの世へ着いたらすぐ転生申請すればいい。後1回です。どうか、どうか頑張って。


仏は昭蔵の両肩に手を置いて、諭すように何度も言う。




 昭蔵は力なく、だらりと腕を落とした。仏の悲しそうな瞳の中に、貧相で惨めな己の姿がありありと映っていた。





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