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案内仏の報告書  作者: あさひ
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 約束ひとつ、君を待つ



 学生達が賑やかに、自宅へと駆けていくそんな時間。河川敷のたもとに地蔵が祀られている覆堂がある。そのそばに睡蓮柄の浴衣を着て、髪を綺麗にまとめた若い女が、姿勢良くして立っていた。賑やかな声をラジオ代わりに聴きながら、飽きることなくずっと佇んでいる。


「あの、純子さん、ですよね……?」


しばらくして、その女に声をかける者がいた。黒いスーツをピシッと決めた、こちらも若そうな男であった。


「そうですけど、何か?」

「いえ、その。とても可愛らしい格好をしていたので……誰か待っているのですか?」


純子と呼ばれた女はきょとんと男を見つめた後、口元を隠して小さく笑う。


「女性を褒めるのがお上手ですね。ええと、彼を待っているんです」

「彼を……」

「はい。今日は夏祭りがあって、一緒に行く約束を以前していたので」


純子は少し照れたように伝えてくるのに対し、男の方は段々と憂い顔になっていく。


「その彼には待ち合わせ場所や時間を伝えているのですか……?」

「いえ。でも前にも1度、一緒に行ったことがあるんです。だから、あの人は分かるはず」


ゆっくりと首を左右に振りつつも力強く答える。


「しかし、彼が来ない場合も」

「いいえ。あの人は必ず来てくれる。だって約束したんですもの。来るまでずっと、ずっと待ちますわ」


笑顔で答える彼女の言葉に、一切迷いは見えない。男はますます困った顔になり、手に持っていた書類に暫く目を落とした後、意を決したように顔を上げた。


「……そうですか、解りました。あの、じゃあ、また後で会いに来ますね」


男は言葉につまりながらもそう言うと、綺麗に一礼をして去っていった。


 太陽は西へ落ちて姿が見えなくなり、余光だけになる。河川敷には家族連れや浴衣を着た人たちが増え、祭の方向へ楽しそうに歩いていくが、純子は未だにその場から動くこともせず立っていた。


空に視線を向ければ、藍色と橙色が混じり合った世界の中にぽつぽつと星が輝き始めている。


「……綺麗ね」


純子は静かに呟くと前へ向き直り、姿勢を正した。





 微かに祭囃子の音が聞こえる。とうの昔に沈んでしまった太陽に代わり、街灯の光が辺りをやわらかく照らす。


「……純ちゃん」


相も変わらず延々と待ち続けていた純子の元へ、やっと声をかける者が現れたのだ。グレーの浴衣にカンカン帽を被った、若い男であった。


「……正一さん!」


純子は今日初めて立っていた場所から離れ、正一の元へ駆け寄った。その表情には安堵と嬉しさで溢れていた。


「良かったわ。絶対来てくれると思って、ずっとずっと待つと決めていたのよ」

「あのなあ、俺だってずっと……まあ後でいい、先に夏祭りに行こう。とっくに始まってる」


正一は目を眇めながら苦笑するが、時間を確認して純子に片手を差し出す。


「純ちゃん、待たせてごめん。さあ、行こうか」

「ええ、行きましょう!」


純子は嬉しそうにその手をとり、他の人々と混じって河川敷を歩いていった。





 夜も更け、河川敷を歩く人も疎らになっている。夏祭りを終えた2人もまた、静かに手を繋いで河川敷を歩いていた。その手を一度ぎゅっと握り、純子は口を開く。


「正一さん、今日は本当にありがとう。とっても楽しかったわ」


正一が顔を向けると、そこには人の良さそうな老婆が笑顔を向けていた。


「そうか……満足したか?」


そう尋ねる正一の姿も、腰の曲がった老爺になっていた。


「ええ、とっても!あなたを待ってた甲斐がありましたわ」

「お前なあ、わしは今日お前が来ると聞いてあの世の入り口でずっと待ってたんだぞ。時間になっても来ないと思ったら、仏さんが“純子さんが此岸と彼岸の間であなたを待ってます”なんて慌てて伝えにくるから……」

「あら、だってあなたが死んだ時に、次また会えたら夏祭りに一緒に行こうって言ったんじゃない。だからこうして待ってたのに」

「……あの世で毎日のように祭をやっとるんじゃあ。だからわしは、お前がこっちに来たら一緒に祭へと」

「でも私はあの世に祭があるなんて知らないもの」


可笑しそうに純子は笑う。そうして話しながら歩いていると、目の前に見覚えのある人物が立っていた。


「……!!あなたは夕べ、声をかけてきた……」


不思議そうな顔で男を見る純子とは違い、正一は被っていたカンカン帽を取りお辞儀する。


「案内仏様、この度はどうもご迷惑をおかけしまして」

「このスーツの御方が仏様……?」

「ああ!そんな畏まらなくていいですよ。僕は仏の中でも下の下、会社でいえば平社員みたいなものなので……。先程はいきなり失礼致しました。私は案内仏といいまして、“狭間”で迷子になっている方や、あの世への行き方が分からない方を、現世まで迎えに行く係でございます」


スーツの男は穏やかに微笑んだ後、苦笑する。


「……しかし純子さんのように自ら“狭間”に向かう方は珍しいですね。病院に迎えに行ったら居なかったので、少し焦りました」



予定では純子が入院している病院へ迎えに行き、あの世の入り口で正一と再会を果たす手筈だった。だが、彼女は生前の約束を果たそうと“狭間”で空間を作り出してしまった為に、逆に正一を連れてくる羽目になり、男は行ったり来たりとてんやわんやであった。


「ああもう本当に、妻が大変ご足労を」


また頭を下げようとする正一を、男は焦って止めさせる。


「いえ、全然構いませんよ!現世の未練は綺麗さっぱり無くしておいた方が良い。……純子さん、もう大丈夫ですか?」


そう聞くと純子は晴れやかな笑顔を見せた。


「ええ、もう充分!とても楽しかったわ。本当にありがとう」


純子が満足したことにより、辺りが黄金にキラキラと輝いて徐々に光の粒に変わっていく。


「それは良かったです。この空間も消えてしまうので、それではこれからあの世……彼岸へ、ご案内致しましょう」


男が伝えると2人は頷き、手を繋ぎ直す。


「純子、現世は楽しかったか」

「もちろんよ!子供たちに遺書も託したし、喋れるうちにお別れもきちんとしたわ。……あなたに早く会いたかったから、今は嬉しいのよ」

「……まだまだ先でも良かったのにのう」


そう言いつつも正一は嬉しそうだった。そんな2人のやり取りを聞きながら、男は力強く先導する。消えかかっている空間の端まで来ると、あ。と声をあげ、一度純子の方へ向き直り頭を下げる。


「この度は現世でのお務め、ご苦労様でした」

「まあ!ご丁寧に有難うございます。今度はあの世の祭に行くのが楽しみね」


3人は楽しそうに笑い合いながら、静かに光の外へと消えていった。





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