あの子
授業中はいつも通り。どうしようもなく大人しい私。誰にも嫌われたくなくて、誰にも迷惑をかけないようにする。ただ逃げているだけだって分かってるし、分かっていて抜け出せない自分が嫌になる。
一応、怪我の巧妙というか大人しくしていた甲斐があって、信頼のようなものを得られてはいる。でもそれは都合のいい存在として、という感じ。何をしても文句を言わないみたいな。先生は私のことを良い生徒と言ってくれるけど、「手がかからないから」という意識がにじみ出ているように思う。私に声をかける人からは、そういう空気を感じる。けど、あの子だけは違う、ちゃんと私のことを見てくれる。
くるみは本当に周りと違うし、私とも違う。あの子はみんなにに愛されている。惹きつける力で右に出る者はいないと思わせるくらい。
明るくて流れるような髪、柔和な笑みを作り出す眼、艶のある瑞々しい唇、細くしなやかで踊るように動く指、幼い頃の残り香がある、ふっくらした足。全てがまるで愛されるために生まれてきたみたい。
「……って何を分析してるんだろ。」
自分でもおかしいと思うのだけど、私は無意識にくるみを見ていることが多い。それもずっと前から。あの子を見ていると温かい気持ちになる。仕草とか表情とか、全部が可愛くて、すごく癒される。まさに癒しキャラ、愛されキャラだ。
他のみんなもそう思っているのだろう。あの子の隣は特等席で、いつも競争が絶えない。特に男子は。今朝もいきなり「昼休み空いてるか」なんて聞いてたのもいたし。それは朝一で言うセリフではないでしょ、まあやんわり流されてたけどね。
それにしても、あんな相手にも優しく対応できるなんて流石だ。みんながあの子を愛するように、あの子もみんなを愛している。
昼休みもくるみは注目の的で、当然のように人だかりができる。つい気になってしまうけど、さすがにあそこをジロジロ見つめるわけにもいかない。だからといって、この長い休み時間を何もせずに過ごせるような精神力は、私の中に存在しなかった。
こういう時は鞄から紙パックを取り出してストローを刺す。私の大切な、お昼のお供。一息入れて午後に備える。
少し口に含んだだけで、甘い香りが鼻を抜けて舌の上で広がっていく。
(やっぱり助かるなぁこれ。)
孤独を紛らわせるために、目を閉じてその世界に浸る。パック詰めの決して質の高いものじゃないのに、ちゃんと紅茶とミルクを感じられる。口にまとわりつくような強い甘さも、気分を変えるには丁度いい。
お世辞にも食レポとは言い切れない言葉でミルクティーを褒めていると、私の側に、口に広がるものとは別の甘い香りが届いた。
「サキ、まーたそれ飲んでるの?いいかげんにしないと太るぞ~。」
目を開くと、そこにはいつものようにニコニコしているくるみがいた。いやよく見ると、少しニヤついているような?
「いいでしょ、好きなんだから。」
指摘をかき消すつもりで、ぶっきらぼうに返事をする。くるみと一緒にパックの裏の168キロカロリーという数字が何かを訴えかけている気がするけど、何も聞こえない。私だって自覚はあるから、あまりツッコまないでほしいのが本音だ。
「はー、お熱いねぇ。」
「これホットじゃないけど。」
「いやそうじゃなくて……。」
「フフッ、わかってる。」
正直、今のネタはあまり面白くなかった。気まずい流れになる前に話題を変えよう。はぁ、また反省点が増えてしまった。
「ここにいて大丈夫なの?くるみ。さっきまであっちの人たちと話してたみたいだけど。」
実はさっきから気になっていた。向こうの机の子たちが冷たい目で私を見てくるから。そりゃそうだよね、クラスのアイドルを私なんかが独り占めしてるんだから当然の反応だよ。ごめんなさい、どうか私を許して。あなたたちから奪うつもりなんてないけど、私だってくるみの近くにいたいの。
「……大丈夫だよー。それに今はサキと話したい気分だから!」
サッパリとした返事が、一人で沈んでいく私を掬い上げる。ああ、やっぱりくるみはいい子だ。私を気にかけてくれる。私の隣にいてくれる。少しの間が気になったけど、今はどうだっていい。
「それよりそっちこそ大丈夫?原材料ちゃんと見てる? ミルクティーなんて名前だけど一番多いのは砂糖だからね!」
話題を戻されてしまった。そういうとこは気にかけなくていいんだよ……。でも心配してくれるのはちょっと嬉しかったり。
「うう……私はもうこれがないと生きていけないの……。」
「そんなにハマるものかなぁ、これ。」
演技がかったセリフを言ってみたのに素の反応をされてしまった。どうしよう。今すごく恥ずかしい。
「あ、そうだ」
「ん⁉ なになに?」
恥ずかしさをごまかして食い気味に彼女の呟きに乗っかる。
「もう五月になっちゃったわけだけど、高校生活はどう? 友達とか」
「あ、えと、そういう話? それ聞いちゃうの?」
「ちょっと気になって、ダメだったかな。」
「そういうことじゃないんだけど……その……全然です……。前からの知り合いがいるにはいるけど違うクラスだし、このクラスだとくるみだけ……。」
「ああ~そっか、そうなのか~。それなら確かにこれがなきゃ生きていけないねぇ。」
「うぐっ、図星……。」
「大丈夫だよ、サキ。私がいるから。私が欠席したときは……まあ、がんばって♡」
「ハートで隠してもトゲが見えてるよ!」
(なんかくるみ小さいころより性格悪くなってない⁉ でも、こういう反応ってむしろ心開いてくれてるってことかな。ほら、冗談を言い合える仲ってやつ。普通なら「お気の毒に……」みたいな顔されて終わりじゃん!うん、きっとそう。はぁ~、ポジティブに考えられてるよ、私!)
「あ、そろそろ移動しよ。次理科室だよ。」
「もうそんな時間?やば、早くしなきゃ。」
またウダウダと自問自答している間に、もう数十分経っていた。
今朝もそうだったけど、どうして時間は楽しいときに限って急かしてくるのだろうか。
私は素早く手に持ったパックを片付けようとして、それがまだ重いことに気づいた。どうやら半分以上は残っている。くるみと話してたから? 今思うと前もこんなことがあった気がする。くるみと一緒にいる間はあまりネガティブにならないし、ほんの少しだけど普通に話せる。あの子が隣にいる時はすごく楽しい。なんというか、もうくるみ自身がミルクティー? はは、何言ってるんだろう私。
自分でもよくわからないことを想像しながら中身を飲み干す。一気に飲んだせいで、ミルクティーがお腹に重くのしかかった。
(いや、くるみが重いって言ってるわけじゃないの! ごめん!)
心の中で彼女に謝罪して、教室を後にした。