伝説の勇者から心臓をもらいました
時は不明。
太古なのか、それとも中世なのか。
ただひとつ分かる事は、この世界にはいまだ
王族が民衆を統べて回っていた。
もしかしたらよくあるファンタジーな
世界なのかもしれない。
姫君。
エコーフットの寝っ転がり姫。16歳。
本名クレアス。
誰がいつそのような呼び方をし始めたのかは
分からない。
生まれつき心臓が弱く、動けない。
まったく動けない訳ではないが、
血を送り出すチカラが弱いために
酸欠になってしまう。
本を読んで演出にドキドキハラハラするのは
かろうじて可能であったので、
寝室に近い部屋には書斎が設けられ、
個人の読む量としてはだいぶ多い本が
備えられていた。
マンガも少々。
ある日の事。
書斎で本を読んでいたクレアス。
本の上にクモが降りて来た。
「わっ、大きなクモ!」
特段気持ちが悪いという事は無い。
ただ、つぶすのも何だかためらいがあったので
ティッシュで軽くつまんで窓の外に逃がした。
ただそれだけだった
それなのに。
姫の背後で老人の姿があった。
「だ、誰っ!?」
老人は足腰が丈夫らしい。
老いてなお健在で、優しくも厳しい目をしていた。
「なぜクモを救った。」
「はい?」
「なぜクモを殺さずに放したのか。」
理由なんてない。あえて言えば。
「命が理不尽に扱われる世の中を見て来たから。」
貴族同士のいがみ合い。
嫉妬と羨望の区別もつかなくなった民衆と
ぶつかり合う内乱。
今ではすっかり落ち着いたが、姫の幼少時の
荒れ果てた記憶は無くなりはしなかった。
老人は事情を察すると、言った。
「クモはね、縁起がいいとも悪いとも言われている。
本当に人間の勝手で扱われる。生きづらいものだ。」
「そうなんですか。」
「だが、姫が優しい心を忘れずにいるのを嬉しく思う。」
優しいかどうかは本人にも分からない。
いつも本ばかり読んで周囲の事を気にしない。
いい歳になっているのに社交界にも出ていけない。
そもそも優しさってなんだっけ。
分からなくなってきた。
特に寝室と書斎を行ったり来たりする
単調な生活では。
「おじいちゃん、誰なの?このお城の人?」
老人は語った。
「わしは....伝説の勇者。」
「はい?」
「嘘か誠か、おまえ自身で確かめてみるといい。
わしの胸、特に中央に手を当ててみなさい。」
姫はうさん臭く感じつつも老人の胸に手をやった。
すると、ドクンドクンと脈打つ力強い音を感じた。
すごい、こんな心臓があるのか。
少し歩いただけで息切れする姫の心臓とは
違い過ぎる。
寝っ転がり姫は嘆く。
「私にも強い心臓があったらなあ...。」
姫は悲しくなった。
これが嫉妬と羨望の間で揺れ動く理不尽なのか。
だが老人は言った。
「命は公平なんかではないんだよ。使い方があるだけ。」
「えっ?」
「与えられた命を使いなさい。あなたはもう心臓を得ている。」
心臓を得ている、とはどういった意味か。
ドクン。
姫の胸の中で鼓動する心臓が強くなった。
これは何だ?
老人の心臓には及ばないが、それでも寝っ転がっていた
前の心臓よりはるかに強い。
これは何だ?
まさか、勇者のチカラが分け与えられたのか?
老人は言った。
「チカラを活かすも無駄にするもその者次第。
あなたはあなたのままであなたらしく行動することを願う。」
それだけ言って、自称勇者の老人は去った。
話によると、内乱時に突如現れて敵味方構わず
殴って解決に導いた本当の意味で勇者らしかった。
なんの爵位も恩賞も求めず、ただ自由に暮らすことを
望んでいた。
夕方。
寝っ転がり姫返上。
「クレアス・エコーフット!」
彼女の願いはただひとつ。
駆けて行きたい。
思い出のあの人の元へ。
心臓のチカラを分けてもらった今ならできる。
後悔したくない思い出の根源へ。
お城から1キロも走ればすぐにそこに行ける。
前は100メートルも歩けなかった私。
勇者のチカラがいつまで持つのか分からないけれど、
私はあの人に会いたい。
城下のお屋敷。
主の名をケン・ウッドという。
クレアス姫とは幼なじみだったがとある件で
距離が出来てそのまま大人になった。
後悔はあるがあの頃には戻れない。
紅茶を飲み干しやってきたのは静寂。
のはずだったのだが。
誰かがやってきた。
それもここから分かるほどの勢いで走ってくる。
何者か。少なくとも淑女ではないんだろう。
犯罪者か。ならばこの銃で撃ち抜く。
と思ったが、目の前に現れたのはオレンジ色の
ドレス姿の幼なじみ。
顔立ちは少し変わってしまっているが、
とにかくオレンジ色でもう分る。
クレアス姫。
「クレアス、感動の再会...ではないのだろうなあ。」
「感動の再会よ、なんで分からないかなあ?」
「そんな事より心臓は大丈夫なのか!?」
「今のところは。」
「不安なことを。」
クレアスは、勇者から心臓のチカラを分けてもらい、
一時的に強くなっていた。
そして、アレを伝えたかったのだ。
クレアスは多少涙ぐんでいた。
「ケン、あなたが、私のスカートめくった際、
ひじで滅多打ちにしてごめんね、病院送りにしてごめんね。」
「うっ、そんな昔の事?」
「ずっと気にしていたんだから、ごめんね!」
「ごめんも何も、何ひとつ憎んでいない。」
「ありがとう、すっきりした。」
そこでクレアス姫の身体からチカラが抜けた。
崩れ落ちる。
「クレアス?クレアス!」
弱った鳥を抱えるように、ケンがクレアスを
介抱するがそこまでだった。
勇者の心臓のチカラが消えたのだ。
死にはしない。ただ二度目はおそらくないのだろう。
心臓のチカラの乱用は、元々が弱かったクレアス姫の
心臓に過大な負担をかける。
逆に死に至らしめるかも知れない。
エコーフットの寝っ転がり姫に戻った。
かわいそうなお姫さまの物語。
では無かった。
クレアス姫の生活は元に戻った。
あまり起きてはいられないが、
本は普通に読めるし意欲もある。
会いたい人に会えるようになった。
心臓は少し強くなって、ジャンプくらい
出来るようになった。
医師によると無理のない程度まで来たら、
階段も登れるようになるらしい。
そのときには、彼女もレディの枠を超えた
素敵な女性になっているだろう。




