10
とっぷりと日が暮れた中、寮についた俺はドアの隙間から香る料理の匂いに軽く口笛を吹いて叫んだ。
「ただいまハニー」
「誰がハニー、だっ!!」
がちゃ、とドアを開けて叫びながら部屋の中に入ればリビングにエプロン姿の哲平がいた。
跳んできたクッションをよけながら哲平に抱きつく。
「だああっくっつくな阿呆!!」
真っ赤なエプロンを腰で蝶々結びにしている哲平の腹へと腕を回しすりよる。
こっそりとその結び目を解くというちんけな嫌がらせをすると俺は直ぐに離れた。
「もう先食ったっしょ?チンしよチンチンチン!!」
「まだあったけーよ、つーか小学生かてめぇ」
かちゃかちゃと音を立てながらテーブルに夕飯の皿を置いた哲平。
俺はカーペットに座りお箸を手に取った。いい香りのするおかず達に腹の虫が音を立てる。口の中にあふれる唾液をごくりと飲み込んだ。
「うんまぁぁい」
「そりゃどーも、今日は誰の集会だったんだ?」
目の前に腰を下ろした哲平は茶を啜りながら尋ねた。
「人見緑だよ。いやーびびったよ、森崎って知ってる?」
「森崎…ああ、人見の幼馴染じゃなかったか、森崎フィ、なんかそんなんだった?」
「そうそう!へぇ幼馴染ね。先輩?タメ?」
「一個上だから三年」
そう、と呟いて米を口に押し込む。もぐもぐと租借しながら俺は今日みた姿を思い浮かべてにへらっと笑う。
「森崎先輩良かったなー…尻の形がよかった」
「変態」
「あらまー悪いお口だ事。俺のやや左曲がりで蓋をしてあげましょうか」
「そのままねじ切るぞ」
全く相手にされていない俺は食べ終わった食器を水につけに立ち上がった。
ソファに腰掛こちらに背を向けながらボソッ、と意地悪気な声で哲平が笑う。
「あんまファンの真似事ばっかしてると本気でファンに染まっちまうかもよお前」
「えー俺がゲイになったら哲平襲うからいーよ」
「お前が俺を?ハッ、あほらし。まぁお前はねぇだろうな」
「なんで?わかんねーかも。俺も野郎といちゃいちゃしてるかも」
「ないない。だって多分お前に付き合える奴なんかいねーよ」
「人をじゃじゃ馬みたいに言わないで下さーい」
ぼすっ、と同じように哲平の隣に腰を落とした。
跳ねるな、と哲平が俺の頭を叩いたが大して痛くなかったのであまーり気にしない。
「つかさー神田にlineきかれたんだよなー」
「はあ?教えたのか?」
「うん、即効ブロックして消したけどなー。メール見た?」
見てない、と首を振る相手に苦笑した。
哲平はスマホをあまり見ない。
「神田のIDは結構使えるかなーと思って、とってんだよな」
「使える?」
「そー、もしなんかあった時身代わりに差し出せるじゃん?あわよくば俺がぼこられそうになった時に俺と交換的な」
「本気で性格悪い奴だなお前」
「まぁまぁ、だって使えるもんは使わないとなあ」
あ、でも哲平は別ね。と付け足すように言えば哲平は顔を背けながら「馬鹿じゃねぇの」とそっぽを向いたまま黙ってしまった。
なにそれ可愛い。
俺は欠伸ひとつ、伸びをするとソファから立ち上がり着替える。スウェットとパンツ一枚なんてまぬけな格好になった俺は自分の部屋のドアに手をかけた。
「じゃあ俺寝るわ~」
「は?ちょ、、まだ8時だぞ?」
「うん、眠いし。朝風呂はいるしー」
「ちょっおま課題どうす……まさか俺にやっとけって言うんじゃないだろうな」
「…ふふふ~ん♪」
こぶしを戦慄かせる哲平に俺はありとあらゆるものを投げつけられないうちに、部屋へと逃げ篭った。哲平はおやすみ~、と自室へ戻っていった小豆のあほ面を思い出し、ただでさえうねっている髪をぐしゃりと掻く。
(何がおやすみ、だ。今時こんな時間小学生だって寝てねーつの…。)
ガチャガチャと洗い物をしながら考える。
大体この洗い物だって、いや家事だってほとんど俺がしているのだ。これ以上あのあほの世話なんてたまったもんじゃない。甘やかしている自覚はあるが、勿論毎日なわけじゃない。だからまぁいいか、と思ってしまうのは結局自覚が足りないという事だ。
ころころ雰囲気を変えたかと思うとキャラまで変えて、仕草も、匂いも、雰囲気も。
一度小豆の部屋にある小箱を開けたことがあるが中には伊達眼鏡が数個と香水が数種類。
匂いもまったく違うものを取り揃えたそれは普段の姿とはかけ離れていた。
『哲平ー俺ちょっとふらついてくるわ』
数日前、ふらついてくるといって本気で殴りたくなった。
だってあいつ"ちょっと”っていいながら帰ってきたのは翌日の深夜だ。一体どこでなにをしてたんだ。
だが俺にはわかる、確実に悪さをしてきたに決まっている。
俺その間ずーっとメール送るか迷って作っては消してを繰り返してたんだぞ。
ふらふらあっちらこっちら。
何が普通男子だよ馬鹿野郎。
お前みたいに自由で他人に利用価値を見出して楽しんでふらふらして我侭で…。
食器を持つ手が止まる。水の流れる音を暫く聞きながら、また手を動かした。
「悪いところいいだしたらキリがねーんだけど」
甘やかす行為は殆どしない。優しい声をかけるのは本当に相手がギリギリの時だけ。
それ以外はずーーっと性悪。面倒な事が嫌いで、楽しい事が好き。
謝罪も妥協も全部言葉だけだ。いつもヘラッとした顔で軽く言う。プライドはないし恥もないし、軟体動物かっつーの。
まぁそんなとんでもない自由人にくっついてる俺も大概馬鹿なのだが。
「かれこれ付き合いは長げぇしな…俺も焼きが回ったな」
小さく笑いながら水濡れの手を拭く。
一度一緒にいてしまうともう二度と抜け出せない魔性の男、なんてそんな大層なものじゃない。
ただラーメンにかけるコショウのような。
なくても美味いけどなんかちょっと物足りなさを感じてしまう、無償にコショウがかけたくなってくる、みたいな。
ふと、思い出して強烈に恋しくなる。
「あ゛ー!!面倒くせぇ、もう止めた」
がしがしと頭を掻きまくるとぼさっとなった頭のままソファに寝転がった。
動く気力もないという事。
体力も気力も消耗する付き合いって奴だけど…それもまた一興なんて思える程いかれてる。
そんな事気にするタマじゃあないけれど。
薄れ行く意識の中で妙に腹立つ顔をした小豆が見えたのでとりあえず全力で殴っておいた。




