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大脱走②

 樹と合流した八雲はそれから30分ほどふたりでひたすら山の麓にある鉄道の駅を目指して雪道を駆けていた。 


 だが、その道程は八雲にとって予想外と驚きの連続であった。


 八雲は、現在は東京に住んではいるものの、樹とは違いイエヌで……それも都市部ではなく、山間部で生活していたことがあり、冬の雪山も歩き慣れている。だからこそ、当初はイエヌに対する知識が何もない樹の脱走をサポートして駅まで送り届ければ、最悪の場合でも死ぬことはないだろうと考えていた。


 だからこそ、樹の「足手まといになるようだったら……」発言には苦笑したものだったが、その考えこそが思い違いであり八雲の傲慢だったことを思い知らされる結果となったのだった。


 合流した直後、八雲は行きに楓の車で来た広い道で駅まで歩くことを提案した。しかし、樹は真っ向から拒否。つづら折りの道ではなく山中を一直線に下って駅まで突っ切ると宣言した。理由は「つづら折りの道を遠回りするよりも一直線のほうが早いから」。


 そして、八雲の説得も虚しく、山林の中に姿を消す樹。


 その後姿を後から追いかける八雲。


 だが八雲は、樹のその計画がただの自信過剰なバカの焦りではないことを思い知るのだった。


 それほど、山道を行く樹の歩みの速さは異常だった。


 八雲も山道を歩くのには自信はあったが、樹はそれ以上だった。


 いや、あれはもはや歩いているとは言えない。走っているといってもいいくらいのスピードで、八雲はその背中を見失わないように追いかけるだけで必死だった。なるほど、たしかにこのルートをこのペースで走りきれるのなら、八雲の目算の3分の1ほどの時間で麓の駅までたどり着くことができるだろう。


〝なんて奴だ……〟


 もはや今では樹がサルの変化か何かとしか思えないのだった。


 だが、それでも走り始めて10分前後という、有酸素運動における身体的に厳しい時間帯のひとつをなんとか凌ぎきった八雲は、樹の問いかけに返答するくらいの余裕はでき始めたのだった。


「ふーん。この山道でボクを見失わず後をついてこれるなんて、やるじゃん」


「ありがとな」


「まあ、でも、さすがに置いてけぼりにしたら可哀想だから、これでもだいぶペースは控えてやってるんだけどな。っーか、イエヌ、日没が早すぎだよ。本州じゃあ、考えられねえ!」


 樹はこれだけ激しい運動をこなしているにもかかわらず、楓の車の中で冗談を言っていた時とまったく変わらない涼しい笑顔でそう答えるのだった。


「オマエ、いったい何者なんだ? この山道をこのスピードで走り抜けられるなんて、いったい今までどんな環境で育ってきたんだ?」


「だから、さっきから何度言ってるだろ。ボクは伊賀の山奥で生まれ育ったって」


「なに言ってる。山間部で生まれ育ったっていうだけでこんな身体能力を身に付けられるなら、田舎で育った人間はみんなオリンピックのメダリストだよ」


 もっといろいろ言いたいことはあるが、これ以上の言葉は心肺能力的に限界だった。しかし、そんな八雲を余所に樹はまだまだ余裕のそぶりをみせて、「あー、それね」と涼しい顔で答える。


「ぼくんちってさあ、代々忍者の家系なんだよ」


「ニンジャ? ニンジャってあの忍者か?」


「そうそう。蜂須賀流忍術は今はボクのじいちゃんが頭首なんだだけど、このじいちゃん若い頃はただの忍術の修行じゃ飽き足らず、ろくにフランス語も英語も話せないくせにフランスに行って外人部隊に志願するような正真正銘のバトルジャンキーでさ、落下傘に所属して、その後はフリーランスの傭兵になったんだ。そして代々伝えられていた古流の忍術のみならず自分の理想とする忍術を完成させようと考えていた、まあ正真正銘のバカだったんだよ。それでもその手の世界ではかなりの有名人だったから傭兵をやめて、帰国後にその自分の理想とする忍術を世に広めるために、弟子を取ろうとしたんだけど、これがもう大失敗! まったく弟子が育たなかったんだよ」


「どうしてだ? まあ、たしかにオマエのじいさんは思考回路はたしかに一般人の常識とかけ離れてはいるが、兵士としても武道家としても優秀だったんだろ?」


 八雲が走りながら、質問するのだった。

「そんなの決まってるじゃん。忍者なんて時代錯誤の武術。習いにくる連中なんてカンフー映画の影響で中国拳法を習いに来るアメリカ人とそう気概は変わらないよ。そんな連中に相手にじいちゃんが死ぬ思いで練りあげてきた自分の理想とする忍術を伝えようとしたって、無理に決まっているさ」


 さらに樹は言葉を続ける。


「それでなくてもじいちゃんはボクを育てるときに『日本人のほとんどが米を主食にするようになったのは、永い歴史の中で戦後のほんの七十年。そんな日本人には米は本来なら重たすぎて、身体の動きが鈍くなる』なんて時代錯誤なこと平気でのたまう正真正銘のイカレじじいで、山で暮らしていた時のボクにアワやヒエ豆類ばっか食わしてたんだぜ。

 ふざけんなあのじじい! 運動に必要な糖を米という炭水化物から摂取しないで、どうやって修行しろっていうんだよ!」


 なるほど──だから樹は楓の車内でお菓子をあれだけうまそうに食っていたのか、八雲は納得する。


「それでさ、じいちゃんには子供が娘ひとりしかいなかったんだけど、そのひとり娘が結婚したいって言ってきた相手っていうのが、じいちゃんのメガネに適わない普通のサラリーマンで猛反対だったんだよ。それでも最後には折れたじいちゃんはたった一つの条件で結婚を許可した。その条件はひとり娘のお腹の中にいる子供の養育権を譲ること。そして、そのお腹の中の子供っていうのは、もちろんボク。この学校に入学するまでほとんど学校には行かずに、火遁や水遁などのクラシックな技から銃火器の扱いや外科手術のやり方まで徹底的にじいちゃんの理想とする忍者の修行をさせられてきたってわけさ」


 まさに絵空事。映画や漫画のなかの話のような荒唐無稽さだ。今の話を1時間前の自分が聞いていたら、一笑にすら値しない冗談だと聞き流していただろう。


 だが、今まさにイエヌの雪山を息ひとつ切らさずに猛スピードで駆け下りていく樹の姿を目の当たりにしたら、真実として受け止めるしかないのだった。





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