龍嵐
「ふぅん。八雲の過去にそんな過去があったのか」
帰りの道中、八雲の過去を楓の口から聞いた樹がそんなつぶやきを漏らす。
すでに、八雲が雪龍を討ち取ってから30分ほどの時間が経過している。だが、八雲は一向に目覚める気配はなく、今でも楓におぶさったまま眠り続けているのだった。
「先生……ここは?」
だが、その八雲がようやく覚醒して、楓に問いかけたのだった。
「栗橋、気がついたのか?」
「はい」
「あのときのことは覚えているか?」
「はい。あの|雪(ウパシ|)龍が子供を人質に取って頭に血が昇ったところまでは覚えているんですけど、それ以降のことはあまり……。でも、あの雪龍を殺した時の手の感触はハッキリと覚えています。あれは俺がやったんですよね?」
「ああ、そうだ。でも、もういい。今はなにも考えず休んでおけ」
そう諭す楓。だが、八雲は憔悴しきってはいるものの確かな口調で問いかけてくる。
「先生……」
「なんだ?」
「あの仔龍はどうなりましたか?」
「殺したよ。あんなにも人間に対して憎悪を抱いている個体を生かしておくのは、あまりにリスクが高すぎるからな」
「そうですか……」
八雲の声が悲しみで深く沈む。
今、ここで八雲を悲しませないために耳触りのいい嘘を並べることは簡単だったが、楓はそれを良しとしなかった。
「あたしを恨むか?」
「いえ……」
そう八雲が返事した瞬間──
空からまるで綿毛のような軽やかな雪が舞い落ちる。
そして、それまで晴天だったにもかかわらず分厚い雲がまるで野犬の群れのように駆け抜けて、空を急速に暗くさせるのだった。
数十秒後には、ゆっくりと舞い降りていた雪が激しい吹雪となり、数メートル先の視界を奪うまでに激しく吹き荒れるのだった。
「うわ! なんだよ、これ? さっきまで晴れてたのによぉ」
樹が驚きの声をあげる。
「龍嵐だな」
楓が答える。
「龍嵐? なにそれ?」
「イエヌの人間は、龍は神が人間に恵みと糧を与えるために下界に降りてきた時の仮の姿だとして崇めているってのは何回も説明しただろう。そして、下界での寿命が尽きた時に龍は元々いた天上の世界に帰ることができるが、人を食い殺してウェンカムイとなった龍は天上の世界への帰還が許されなくなる。龍嵐はそのウェンカムイとなった龍の嘆きや怒りだと古くからイエヌでは言われている。そういえば、4年前もこんなふうに龍嵐が吹き荒れていたな……」
容赦なく吹き荒れる吹雪。それはまるで底意地の悪い巨人が鼻息を荒げているかのような激しさだった。それは、イエヌの山を歩き慣れている楓さえ腹筋に力を込めて重心を低くしないと、吹き飛ばされてしまいそうなになるほどの強烈な雪と風だった。
「先生……」
「なんだ? 栗橋」
「ありがとうございます」
八雲がそう呟いたきり、それ以上、しゃべることはなかった。
楓の肩に熱い湿り気が滴り落ちる。だが、それは吹き荒れる龍嵐だけではない。
死者4名、負傷者2名。イエヌで4年ぶりに発生した龍による食害事件はこうして幕を閉じたのだった。