過去②
レラは夢をみていた。
それは遠い過去の影に埋もれてしまった、今は昔の古い記憶。
窓の外では白く凍てついた空と木々が延々と続いている北の大地。しかし、室内は暖かな温度と適度な湿度に保たれた快適な空間が広がっている。
そんな中、ひとりの少女が部屋の片隅にあるベッドの上で眠っているのだった。幼き日のレラである。
レラは荒い呼気で頬を赤く染めている。ああ、そうだ。たしかこの時のレラは風邪をひいてしまい、寝込んでしまったのだった。
そして、その横には銀髪の女性が心配そうな顔をして、レラの顔をみつめている。
レラの母親である。
母はいつだってそうだ。レラが風邪などで体調を崩した時はいつも仕事を休んで一日中、看病してくれる。風邪はなった時は辛いのだが、母にうんと甘えることができたのでレラはちっとも寂しくなどなかった。
今日だってそうだ。
レラが林檎を食べたいというと、母をすぐに剝いてくれ、しかも消化しやすいようにすりおろしてくれる。
レラが「食べさして」と大きく口を開けると、母はスプーンで掬ってすりおろした林檎を口まで運んでくれるのだった。
「もう、レラは本当に甘えんぼうさんね」
母は困ったような顔をして、微笑む。
「もうすぐお姉ちゃんになるのに、そんなに甘えんぼうさんで大丈夫なのかしら?」
母は瞳を閉じて、自らのお腹をさすって慈しむのだった。
もうすぐ生まれてくるレラの妹。姉となるレラは、その妹のことをいっぱい可愛がってあげるつもりだ。
母のようにやさしく抱っこしてあげて、髪も結ってあげて、大きくなったら絵本を読んで、お菓子もつくってあげるつもりだ。
しかし、この幻想世界とは異なる地点でこの光景を眺めていたレラの心に、堪えきれないほどの哀しみとやるせなさが突き刺さるのだった。
そう、この光景はレラの心の中にある泡沫の幻。
現実の母と父、そしてまだ見ぬ妹は、この後、雪龍に食害される運命にある。
母はいまわの際まで、必死になってレラと妹の身を案じていた。
今でもレラは、母が言葉の通じぬ獣相手に泣き叫びながら、お腹の妹の命乞いをしていた時の光景を覚えている。
〝ママ……!〟
〝ママ……!〟
レラの流氷のように美しい銀髪。純血のイエヌ民族のみに見られる身体的特徴のために、幼い頃から周囲の人間は常に褒め称えてくれる。
もちろん、レラにとっても銀髪は自慢だったが、それは希少性だとか歴史的価値だとかそういう価値観によるものではない。
レラにとって、世界でいちばん好きな人との共通点。自分が母の娘であることの最大の証だからこそ、銀髪はレラにとっての誇りなのだ。
そして、再びレラは幻想の世界に意識を没頭させる。
母がスプーンですくってくれる擦りおろした林檎を口の中に含み、心の中でつぶやくのだった。
「ママ、大好きだよ……」