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雪龍③

 楓のパジェロを飛ばし、大急ぎで狩り小屋にたどり着くが、時はすでに遅かった。


 おそらく窓から龍に侵入されたのだろう。人間の力では絶対に不可能なほど、窓とその付近の壁には大穴が開いており、辺りには死臭が充満している。


 そして、部屋の片隅には、まるで玩具の人形のように首が無残に折れ曲がったいぶきの兄の死体が転がっている。その死体の頭髪は剝ぎ取られ、左目の眼球はすでに眼窩にはなく、わずかに視神経だけで繋がっている状態で床に落ちている。頭蓋骨にはぽっかりと大きな穴が開いており、そこから脳と脳脊髄液が落ちた豆腐のように床にぶちまけられている。


 だが、八雲たち4人を真に戦慄されたのは、そのいぶきの兄の死体ではなかった。


 床と壁、そして天井までに飛び散った血しぶきだった。部屋の中央にある血糊のついた手形は被害者がいかに激しく抵抗したかを雄弁に物語っている。


 兄はただの一撃で叩き殺されたので、この血は十中八九いぶきのものである。


 しかし、いぶき姿はこの小屋のどこにもなかった。


 だが、八雲を始め、4人とも誰もが悟っていた。『もう、いぶきはこの世にいない』その答えを示すように、大破した壁のすぐ下の床と地面に、人を引きずったような血と雪が交じり合った跡がこびりついている。まちがいなく、いぶきはこの小屋の中で身体の一部を食害されたのだ。


 そして、それは、小屋の外を出てもずっと続いている。大きな足跡のすぐ傍には小さな足跡も存在している。いぶきを食害した龍は、おそらく子連れなのだろう。獣が凶暴性の増す要素のひとつである。


「いくぞ」


 楓が先頭になってその痕跡を辿り、森の奥深くまで歩を進める。

 3月も終わりに近づき、ここ2、3日は暖かくなってきたが、今日はまた寒さがぶり返してきた。しかし、暖かくなったのというはあくまで街に住んでいる者の体感である。この人里離れた森の奥では未だに一面の銀景色が広がり、雪塊が木から落下する音が随所に聞こえてくるほどの静けさと冷たさだった。


 やがて、2キロほど歩いたところで八雲たちは、ある一角のトド松の根元の雪だけが異様に盛り上がっていることに気づく。


 土饅頭である。


 ヒグマや龍などの大型の獣は、自らの食べかけの獲物を盛り土の中に埋めて保存する。それが土饅頭である。そして、その土饅頭から黒い人髪がはみ出ているのに気づくと、八雲は夢中になってその土饅頭を掘り出すのだった。


 中から出てきたのは、変わり果てた姿のいぶきだった。しかし、その身体は右肩から顔にかけての上半身と両足の膝下までしかなく、その他の部位は完膚なきまでに食害されているのだった。


 跪き、その身体を掘り起こして、強く抱きしめる八雲。 


 このイエヌに来て、樹の次にできた大事な友達だった。


 自慢だと語っていた艶やかなみどりの黒髪も、八雲の頬にキスをしてくれたつぼみのような小さな唇も、その、男心をくすぐった愛らしい少女が、今は見る影もないただのグロテスクな肉塊に変わってしまっている。その事実が八雲の心胆を完膚なきまでに打ちなめすのだった。


 だが、そんな八雲の姿を見下ろして、レラは冷徹に言い放つ。


「先生、こいつはもうダメです。わたしたちだけで龍を()めましょう。


 もともと、満足に狩猟もできないような人間や龍のこともろくに知らない本土の人間に今回の龍狩りは荷が重すぎます。もっとはっきり言ったら足手まといです。彼らは警察の人間に保護してもらって、わたしたちふたりで龍を追いましょう」


 その言葉に樹が瞳に剣呑な光を孕ませてレラを睨みつける。


「ボクたちが足手まといだとぉ?」


 だが、その凶悪な眼光を目の前にしても、レラは怯む様子がない。

「そうよ。いくら先生やわたしでも龍相手ではあなたたちを守りながら戦うことはできない。いくら短い付き合いとはいえ、わたしは知り合いが龍に食べられる姿を見るのは心苦しいわ」


「えらそうに言うけどよ。ライフルを持っている楓ちゃんはともかく、オマエのほうはどうなんだよ。トリカブトやエイの毒を混ぜた特製の毒矢かなんか知らないが、そんなチンケな武器で龍の固い鱗に覆われた体に傷をつけることができんのか? あっ?」


 樹の言葉に対して、レラは冷徹な視線だけで返答をする。その視線は失笑にも値しないモノを見る目である。


「わたしにはこれがある」


 その刹那、レラの周囲の大気の温度が下がり、木々がざわめく。


 次の瞬間、轟音と共に八雲たちの目の前にあった岩に握りコブシほどの大きなの穴が50センチほどの深さで開いているのだった。岩がもし人間の身体ならば間違いなく即死レベルの破壊力である。


「さらに、こういう事もできるわ」


 レラがそう言うと、穴の開いた岩の先端が、まるでバターのように斬れてなめらかに滑り落ちるのだった。


 その威力、殺傷能力の高さに呆気に取られる樹。今、目の前で何が起こったのかまったく理解できていない様子だった。


 だが、八雲は即座に、レラが目の前の岩を破壊した方法を理解できた。


〝イエヌ神術(しんじゅつ)だ〟


 太古の昔より、純血のイエヌ民族の中でもさらに限られた才とイエヌの大地に祝福された者にしか修めることができないとされる秘術である。


 火や水などの神に祈りを捧げ、そのチカラを借りることによって行使できるこの術は、イエヌ民族の神秘中の神秘と謳われてきた。


 レラという名前は、イエヌ語で『風』の意。おそらくレラの神術は風の神のチカラを借りたものなのだろう。その威力の凄まじさは見てのとおり、その破壊力は銃器に匹敵する勢いだ。


 大型の動物を狩るための銃器、それも龍などの強靭な肉体を持った生物を仕留めることができるようなライフルの免許を取得するには、かなりの年月を要する(法律で許される十八歳の時にまっさきに銃猟の免許を取得した楓でも、ライフルの使用許可をもらったのは昨年だと語っていた)。


 だが、レラは一刻でも早く両親の仇を討つために、死にもの狂いで神術を会得したのだろう。その執念、意志の強さを感じ八雲の肌に鳥肌が立つ。


 さすがの樹もその威力には呆気に取られている。


「先生、はやく決断してください。これ以上、龍に殺される被害者を出したくありません」


 抑揚のない口調で訴えるレラだったが、その右手は爪が掌に食い込むくらいに激しく握られている。最愛の肉親を龍により食害で喪った彼女は、感情を表に出さないだけで激しい情念が渦巻いているのだ。


 しかし、楓はレラの訴えを却下する。


「いや、栗橋と蜂須賀は重要な戦力だ。当初の予定通り連れていく」


 固い声でそう自らの決断をレラに言い放つ楓。


 レラは不服そうにその横顔をみつめるのだった。



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