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雪龍

 楓は祖父の代からイエヌの山を猟場としてきた猟師の一族で、現在は教職についている傍らも猟友会にも所属している。楓自身も幼い頃から祖父と父の薫陶を受けて育ち、獣害事件がおこった際には警察の要請を受けて出動する祖父や父の背中を何度も見てきた。


 そんな関係もあり、楓には警察関係者の知り合いも多く、ヒグマが人里に降りてきた時や獣害事件がおこった際にこうやって呼び出しを受ける事が多い。


 今日もそうだ。


 楓たちがこの前に狩りをしていた天塩の森で、大型の獣に食害された女性の遺体がみつかったのだという。


 楓はガンロッカーからライフルを取り出す。『MURATA90式』──明治時代に銃豪・村田経芳が開発し日本軍の武器にも採用され、民間に払い下げられた昭和初期にはクマ撃ちに使用する猟銃の代名詞ともなった村田銃。そしてMURATA90式はその流れを組む楓の愛銃で、姉崎家では祖父の代から村田の銃を愛用している。


 そして、楓は特英科の3人とゲージの中に入れた猟犬のリュウを車に乗せて、天塩の森に向かう。


 現場に到着すると、すでに顔なじみの警察関係者がいて、楓は遺体の検証を始める。


 ヒグマに襲われたというだけあって遺体の損傷は激しく、衣服はすべて剥ぎ取られて全裸にされており、腹部には大きな穴がぽっかり開いて中からは明るいピンク色の腸などの内容物が垂れ落ちている。その様子は、酔漢が食べ残したどんぶりの淵から麺がはみ出ているラーメンのようだった。


 だが、楓が遺体の損傷よりも目をひいたのは被害者の女性が着ていた思われる衣服だった。


 これだけ寒い日の森を歩いているにもかかわらず、女の服は上から下まで真っ白なのだ。


〝これじゃあ、わたしは密猟者ですって言ってるようなもんだな〟


 通常、猟師はオレンジや赤などの派手な色の服装をして猟場に入る。自然界に存在するような地味なものだと野生動物と間違われて他の猟師に誤射されてしまう可能性があるからだ。とくに白と黒はご法度だ。黒はクマと間違われ白は雪に紛れてしまうからだ。比較的服装に無頓着な楓だって、猟に出る時はオレンジ色のタクティカルベストを装着している。それなのに、こんなにも雪が残った森の中、白色で統一された服装でいるというのは、目立ちたくない密猟者ということになる。その証拠に女の遺体のすぐ傍には、鳥を撃つためのエアライフルが転がっていたのだという。この天塩の森はヒグマや龍のみならず、貴重な鳥類も数多く存在する。希少価値があり、なおかつそれが法律で保護されているものだからこそ大金を出したいという金持ちのバカはどこの国でも存在する。おおかた、貴重な野鳥を密猟しようとして、ヒグマに襲われ食害されたのだろう。


 だが、被害者の遺体の検証を続けていた楓の瞳が驚きで見開かれる。


 そして、しばしの沈黙。


「どうしたんだよ、楓ちゃん?」


 不審に思った樹が問いかける。


「まずいぞ、これは……」


 そう呟く楓の声音には、隠しきれない動揺が滲み出ていた。


「この女はヒグマに殺されて食害されたんじゃない。龍に殺されて食害されたんだ」


「龍? この女はヒグマにやられたんじゃなかったのか? 楓ちゃんだってヒグマにやられたって言ってたじゃん」


 樹が声を張りあげて尋ねる。


「いや、あたしも電話で聞いてそう思ってただけだが、そうじゃない。龍が人を襲うケースはヒグマよりも稀なんで間違えたんだろう。遺体の牙の跡を見たらあきらかにヒグマのものではない。それよりも大型な獣である龍──ほぼ間違いなくウパシカムイ(雪龍)によるものだ」


「ウパシカムイ?」

「ああ、龍の中では最も人間の生活域の近くで生活していて他の希少種である(ラヨチ)(カムイ)などと比べると個体の数も多い。主な生息地は森や山で、身体はヒグマよりも一回りほど大きく、翼はあるが退化していて飛ぶことはできない。龍の中では比較的小柄で名前のとおり全身が雪のように真っ白な龍だ」


「でもさあ、それがなんだっていうの?」


「いいか。基本的に龍が人を襲うパターンっていうのは決まっている。①不用意に縄張りに足を踏み入れた。②仔連れの個体を刺激した。③手負いにした。④背を向けて逃走した。ようする龍に()らなければ()られると思わせるような状況をつくりあげるか、本能を刺激するような行動をとってしまわない限り温厚な動物である龍は人を襲ったりしない。しかし、それはあくまでも森の中でドングリやサルナシの実を食べているような龍の場合だ。この前も説明したとおり、一度でも人間を襲い、人間の脆弱さと旨さを覚えた龍は以後は積極的に人間の肉を食うようになる。ヒグマよりも体が大きくはるかに強力な爪と牙を持つ猛獣がだぞ。古代からイエヌの人間は、神が人間に恵みを与えるために下界に降りてきた姿だと龍をカムイと呼んで崇めたが、人の味を覚えた龍はウェンカムイ(悪しき神)と呼ばれ、どんな手段を用いても抹殺しなければならない超A級の魔獣として恐れていた。そして、4年前にレラの両親を食い殺したのもこの(ウパシ)(カムイ)だ」


 その場の酸素濃度が変化したかのように、空気が重苦しいものに変わる。


「くそっ! 獲物がヒグマなら他のハンターに誤射される恐れがあったからこそクンネを置いてきたが、こうなるなら連れてくればよかった」 


 だが、その重苦しい空気を打ち破ったのは、楓たち四人のうちの誰かではなく無関係な第三者であった。


「なんでい、応援の猟師がやってきたっていうから期待したら、若いねーちゃんとションべンくさいガキどもじゃないか」


 挨拶をするまえにそう挑発してくるのは、中年の男の猟師だった。無精ヒゲのあいだからはヤニ臭い吐息を漏らしている。


「いっちょうまえにライフルなんか構えているが、龍を狩るのはシカを狩るのとはワケが違う。龍に食われちまう前にさっさと帰りな」


 生徒たちの前ではなければ、絶対にひと悶着があっただろう。しかし、教師としての楓が理性を働かせて我慢できた。なにより、楓よりも瞳に剣呑な殺意を孕ませている樹を制することによって楓は逆に冷静を保つことができた。事実、狩猟は一般的に男のほうが多い世界なので、この手の侮辱は数えきれないほどの経験がある。


 一瞬即発の空気が流れる中、それを打ち破ったのは八雲だった。


「先生……」


 八雲はそのおとなしそうな見た目とは裏腹に肝のほうは意外と座っている。腹が割かれ内容物が飛び出しているような死体を目の当りにして顔色を変えなかった男だが、今は取れたての茄子のように青ざめている。


「今日、いぶきちゃんはお兄さんとこの天塩の森に猟に出かけているみたいなんです」


「そういえば、この前に留萌に行ったとき狩り小屋の鍵を貸したが……。行こう、栗橋。あいつらも散弾銃くらいなら持っているが、そんなものではとても龍に太刀打ちできない。杞憂に終わってくれればいいんだが……」



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