純血のイエヌ少女⑤
狩猟の日の夜に食事を取れば、あとはもうやることがない。
その日は、日付が変わる時間帯の前には4人はもう熟睡していた。
しかし、夜中にとつぜん目を覚ました八雲は、なんだかすぐに二度寝してしまうのはもったいないような気がして、たいした目的もなく小屋の外を出歩くのだった。
寝ている時も火を焚いている小屋の中とは違い、外はやはり3月とはいえ刺すような厳しい寒さが残っている。最低限の防寒具しか着ていない八雲は寒さに震える。
しかし、クライドリの時とは違い、今の寒さは不快ではない。むしろ、心身を引き締めてくれるような心地の良い冷たさだ。
「うわぁ……」
ふと、空を見上げると、そこには満点の星空が広がっていた。
都会では、ネオンの光に紛れて消えてしまっている星も、この天塩の空では輝くことができる。そんな大小さまざま星の光が白雪に反射して瞬いている。
風は、八雲が自らの足音を認識できるほどに吹いていない。
幻想的なまでに凪いだ風景だ。
そして、八雲はその美しい景色の中に溶け込み、甘い郷愁に全身を浸す。
八雲は2歳の頃から10歳までの8年間、この天塩の森で暮らしていた。そして、5年前に東京に移り住んだ。
かつては、この星空も山の稜線に沈んでいく美しい夕日も当たり前だった。しかし、幼少の頃の八雲にはそれがいかに贅沢なものだった理解できていなかった。
八雲は無言で佇み、その瞳に星空を焼きつけ、耳で草木の歌声を聞き、その肌でイエヌの緩やかな大気の流れを感じる。
それは、質量や速度などいった科学的な観点からいえば、何もしていない時間だったが、けして無為な時間でなかった。
そして、それは今の八雲にとっては最高に満たされた時間なのは間違いない。
だが、そのとき、八雲は自分以外の人の気配に気がついて、後ろをふりむく。
そこには、レラが立っていた。
星の光がふりそそぐ闇夜の雪景色のなか、妖精のような幻想的な雰囲気を持つ少女が白い息を吐き佇むその光景は、まるで一葉の絵画のように調和のとれた美しさを保っている。
「ああ、レラか」
その美しさに見惚れ心臓が早鐘を打つ。
「レラもこの星空を観に来たのか?」
しかし、レラは質問に答えず、ゆっくりと八雲に佇む。
そして、お互いに手を差し出せば届きそうになるくらいの位置まで近づくと、まるで独り言のような小さな声音で、逆に八雲に問いかける。
「あなたはなぜこの学校に入学してきたの?」
まるで祈りを託された聖言であるかのように、その言葉が八雲の胸に突き刺さる。
おそらくレラは、入寮初日に脱走した八雲の覚悟を問い質すために、この場に来たのだろう。
八雲は静かな、だが確固たる信念と想いを言葉に乗せて、レラの質問に答える。
「俺はこの自然を守りたい。俺は東京に住んでいたから、都会の人間がどれだけ自然を恐れず蔑ろにして生きているかを知っている。多くの自然が残されているこのイエヌも例外でない。今でも多くの森や山が殺され、さまざまな動植物が絶滅に追いやられている。だから、人と自然が調和できる世の中に変えていきたい。それが具体的にどんな社会なのか、そのために俺がどういうふうな職業につけばいいのかはまだ分からないけど、この高校ならそれを見つけることができると思って俺はイエヌに来た」
月が陰り、その言葉を聞いた瞬間のレラの表情を八雲は読み取ることができなかった。
そして、レラは八雲の何も言わないどころか、振り返りもせずに小屋に戻っていく。
かつてレラが佇んでいた場所は、最初から誰もいなかったかのような静謐に包まれている。
その後ろ姿をただ見守ることしかできなかった八雲は呆然と立ち尽くすのだった。