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第一章 永劫回帰(ウロボロス)/5

 その様にやはり、と千姫は確信した。


多重基因ダブル――混濁しているのか。何とも面倒な、器用な事をしたものだな。……羽羅、すまん、時間が掛かるぞ」


 煙草を取り出しながら言う千姫に、羽羅は返答の代わりに溜息を吐く。

 腕をぶら下げ、佇む化物を見据えた。

 紅い瞳は敵を射抜かんと睨みつける。

 べたべたと無節操に悪魔は駆け寄った。

 腕を後ろに振り被り、ただ振り下ろすだけの単純動作。関節を固める、拳を握るなど何もしない。のたうつ様にただ振るう腕。

 伸びた腕に羽羅は身を低くするだけで避ける。

 動き自体は緩慢。ならば避けるという行動自体は造作無い。

 しかし力は人間の比ではない。

 関節の伸び切った鞭の如き腕は石畳の床を抉った。

 ――それは化物が悪魔であるが故。

 避けた流れをそのまま利用し、床擦れ擦れまで体制を低くした。右手を振りかぶり、脚を千切るつもりで紅き少女は喰い攫う。

 足首から肉と骨が抉れ、繋ぐ物が無くなり化物の体は一瞬宙に浮いた。


「――何?」


 直後、紅い相貌が驚きで見開かれた。

 肉を抉ったその接合部分から直ぐに骨が生えてくる。肉が肥え、即座に脚が誕生した。まだ千切った骨肉があるというのにだ。

 ――それは化物が不死者であるが故。

 その様子を見て千姫は嗤い出した。


「随分と相性が良いみたいだな、その男は。死霊魔術ブードゥーに向いている」


「余計な口叩いてないで、あれを早く何とかして――糞、気持ち悪い。アイツはどうあっても喰えないわね」


 悪態と共に手にある死んだ肉塊を放り捨てる。

 同じようにまた腕を振るってきた。またも頭を低くするだけで回避する。

 しかし今度はそれで終わりではなかった。

 左右の腕を交互に振り回してくる。間髪入れず振られる腕の一発一発が床を削る威力。

 勢いに乗っているのか、先ほどよりも腕の動作が速い。常人がこの速さで振るったとしたら、間違いなく肩を外すだろう。

 その場では回避しにくくなり、仕方なしに後ろへ退いて行く。鼻先を掠めるほど紙一重に躱した。

 避けにくい地形に苛立つ。

 いちいち周囲を確認しなければならないほど、横に長い椅子が密集しているからだ。

 しかしそれすらも抉り、腕を振るう悪魔。

 何度も何度も。ただケモノのように

 ――羽羅は背後を一瞥すると舌打ちした。後ろには階段がある。避けているうちに端まで来ていたらしい。

 だから後ろに下がれない。

 しかし目の前では肉の鞭を叩きつけて来る。

 横へ退く――と脚に力を入れ腰を沈めた瞬間、


「――――ッ!」


 階段を走って降りてくる気配に心臓が跳ねた。

 しかしもう跳ぶ体制に入ってしまった。

 降りて来る人、横に退避する自分、振るわれた腕。

 降りてきた人影は腕に強打され、呻き声をあげながら階段を転がり昇って行く。

 人影は神父だった。恐らくここでの物音に訝しみ様子を見に来たんだろう。

 ――何てタイミングの悪い。

 殴打された神父の様態も気になるが――目の前の振るわれる鞭を対処しなくては。


   ▲


「――因果因明いんがいんめい帰衣帰着きいきちゃく


 千姫は中空に文字を描いていく。

 それは漢字であったり、


「Sie stellten sich zur Ursprungsabweichung zureck, wie gemein《異を邪として刻に帰せよ》」


 それは魔術文字ルーンであったり。

 月の灯りを帯びた玻璃ハリとよばれる結晶クリスタルの石棒はいつまでも光を失わず、大気に刻み続けている。

 二重の円に漢とルーンの文字が入り混じる異端の魔術陣。


「――我願我充ががんがみつ浄土浄命じょうどじょうめい


 言葉を重ねるごとに宙に浮かぶ陣の微々たる回転は次第に加速を付けていった。

 “世界”に語りかけ、陣と対象とのパスを明ける。それにより陣に起こる現象と対象に起こる現象は一致していく。

 詠唱が長ければ長いほど、魔力を籠めれば籠めるほど、二つの現象の相違は薄れていく。

 衝撃を与えれば対象は吹き飛ぶ。切り裂けば対象も裂かれる。

 ならば火を与えれば――


CENカノ――――!」


 指で挟んだ煙草を押しつけた。微弱な火は陣の中心に触れ、即座に陣のあらゆる文字が燃えていく。


   ▼


 不意に異臭が現れた。

 鼻を鈍く刺す、重く胸やけするような奇妙な臭い。――肉の焼ける臭い。

 本能的に羽羅は退いた。


「、、、、、、、、、、、、」


 瞬間、目の前の悪魔は全身に炎が舞い上がる。油を注いだように激しく燃え、濃い橙色を伴っていた。

 耳を抉るような金切り声を上げ、悪魔は苦しむ。


「さあ、これで奴は『ただ』の悪魔だ。もう再生はしない。存分に戦え、羽羅」


 声のする方を見れば参拝客用の赤い椅子の背もたれに腰掛け、新しい煙草に火をつけていた。

 その姿に厭きれつつも内心、状況に心を躍らせている自分に気づく。

 視線を戻すと、悪魔から炎は消えていた。

 しかし奇妙なことに悪魔の体自体は全く燃えていない。邪のみを焼いたのか。

 ――上等。

 私はほくそむ。

 背を曲げ腕をぶら下げる悪魔を目掛けて羽羅は跳躍した。

 流れるように放物線を描き、一度も着地せずに距離を詰める。

 前に掛かる重心を拳に乗せ、無駄のない動作で悪魔の腹を殴打した。

 強烈な衝撃を受けた悪魔は堪らなく吹き飛ぶ。その腹にはこぶしだいの穴が空いていた。

 今度は再生しない。

 拳に付いた内臓の欠片を見、眉を顰めてから刀の血を振るように振り除く。


「ギ、、、、が、、」


 醜悪な呻き声を上げながら尚も悪魔は立ち上がる。腹に向こうが見えるような穴を空けているのに。

 腹に穴をあけて動けるようなアレは、もはや生き物では無い。

 アレには感情も無い。戸惑いも、脅えも、妬みも恨みも、痛みさえも感じない。

 何も感じず死を与えることを唯一とするこの世を這う亡者。

 亡者は歩み寄る羽羅に再度を腕を殴りつけた。同時に空いた穴から赤い粘膜が流れ落ちる。

 腕が当たることはない。

 振るわれた腕をろくに視界に捉えず、片手で掴んだ。


「見苦しい」


 そのまま掴んだ腕を引き、千切る。


「、、、、、、、、、、、、、、、、」


 痛みを感じない筈の化物は吠えた。自らの身体が壊されていることは理解しているのだろう。

 息を荒くして残った腕で反撃をするも、また千切られた。


「、、、、、、、、、、、、、、、、」


 これではどちらが化物か分からない。

 人間を超越した悪魔を、更に悪魔を超越した怪物は赤子のようになしていた。

 無い腕を嘆くソレを見下ろしながら羽羅は歩み寄る。


「千姫、これはもう――駄目なのよね?」


「ああ。一度実界した存在は、その時点で物質エーテル界に縛られる。完全に元へ戻ることは決して有り得ない」


 そう、と呟いて、ふらつき首が左右に揺れる悪魔を見る。

 ――醜い。

 それが私の抱く感情。

 悪魔の頭部を壁に強く叩きつけ、死者の命を私は絶った。


      ▼


「命を散らす死というのはね、その行為自体が世界に力を放出するのさ」


 その力は魔力と言える、と片手に煙草を挟みながら千姫さんはうれしそうに語る。


「生き物は生まれ、生き続けることで時を経験し、価値を得る。そして、生まれた時に受けた価値を勘定するようにね。……その死が人間としての死と懸け離れれば懸け離れるほど、それは異形の死に近づき、発散する力は増大する。そして、その力はあらゆることに使われる。霊的な存在を誘き寄せる撒き餌にもなり、怪奇的な現象を引き起こす触媒にもなる。ともすれば、神異だって起こせるのよ。

 ……今回の一ヶ月の間、起こった死は三つ。そのどれもがヒトの死とは逸脱した死で、それぞれの間に挟む期間も短く、漂う力はまだ新鮮な内に使用された。だから魔術師でもない彼が、祈りっていう簡素な儀をたった二年積み重ねただけで、不完全ながらもウロボロスの韻が不死者を生み出すよう作用し、それに世界が応えてしまったんでしょう。

 ――まぁそれで、やはり死という絶対的なモノが覆せる筈はないんだけどね。どんな三流魔術書を読んだのか知らないけど、彼はまんまとそれに誑かされたのね」


 加えてここは魔力が妙に濃い、と千姫さんが呟くも、寝起きの頭には少々飲み込みづらい。魔術のことを語る千姫さんは、いつもどこか嬉しそうだ。


 ――俺が目を覚ましたのはつい数刻前。

 事務所の何処を探しても誰もいないので、どうしたものかと思案していれば、千姫さんと何だか疲れ切っている羽羅が一緒に扉を開けたのだ。

 話を聞けば、もう事件は終わったのだという。羽羅に協力してもらっている所をみると、俺の居る意味が余計に分からなくなる。

 隣ではテーブルに突っ伏して微動だにしない羽羅。力を使ったらしく、結構身体に来ているようだった。


「それで、志藤先生は……?」


 かつて二月ばかりだけ教えを請うた教師の身を訪ねる。


「さぁ。一応神意会には連絡しておいたけど、まぁ……目を覚ますことはないだろうね。無意識を失えば意識は保っていられない。裏が無ければ表という

ものは存在しなくなるんだからね」


 冷たく言い放つと、再び煙草を咥えた。

 ……あんまりだと思う。

 不慮の事故で奥さんを失って。

 それで本当かどうかも判らない呪いのようなことを二年間も信じて続けて。

 それを続けるためだけに二年間生きていたなんて。

 そしてそれも報われない。

 結局動き出した奥さんの死体だって、ただ自分のもう一つの魂が入っているだけで奥さんでも何でもない。

 介する肉体だけが奥さんで、中身も、存在ですらヒトではない。

 あまりにも、報われなさすぎる。


「でも彼にはその方が良かったんだと思うよ。失敗して、もう二度と生き還らないと解って尚生きながらえるなんて、彼にはきっと耐えられない。……もし仮に彼が無事だったとしても、自ら命を絶つだろう」


 最後だけ、強く力が籠る。


「自分が死を嫌っていたくせに死を撒き散らしていたのよ? そのぐらいは当然だわ」


 羽羅は腕を組んで突っ伏した体制のまま、首だけを動かしてこちらを見やる。

 まるで何かのホラー映画のように長い髪が顔に纏わりついていて、何とも怖い。なまじ美人なのがより一層、だ。

 だけどそんなことより一つの疑問が浮かび上がる。


「……嫌っていたのに、殺していた?」


「そうだよ。彼は二年間ずっと、ゆるやかに自己喚起の魔術を自身に施していたの。自己喚起はさっき説明したよね?

 彼は死というものを特に尊厳していた。それは表の意識。なら無意識は?」

 ああ、と頷く。


「……そういうことよ。あの三件の犯行の時刻は早朝か夕方以降の夜に限定されていた。これは彼が教会に行った帰りの時刻と一致している。つまり彼は教会に行く度に、しばらく無意識と意識が反転していたのね。それで町を徘徊しては目に止まった人間に自己喚起の魔術をかけていた。そういうことだと思うわ」


 ……なるほど。

 それじゃあ、あの異常な犯行は全て無意識が行っていた行為だということか。

 一件目の犯人、飯川順次にとっては実際は人の痛がる様は本当は一番見たくない光景。 

 二件目の犯人、遠藤竜也は死体を最も嫌っていた。

 三件目の自殺者は自分の身体が傷つくことが何より怖く嫌悪していたことだったのか。

 全ての犯行は無意識の行為。理性の裏側。行動理念の最低順位が最高順位に成り変わる。

 なら普段過ごすその表の意識は至って正常だ。他人が痛がる様子や、死体や、自分が傷つくことなんて俺だっていやだ。

 これじゃあ警察がいかに周りを洗おうとも、千姫さんが周囲を洗い出そうとも異常な点が浮き上がる筈がない。

 だって自己――何とかの魔術を程かされるまでは、本当はごく普通の人間で、素行が悪い訳でも何でもないのだから。

 だけど何て、事件なんだろう。

 本来はこんなことを起こした志藤先生を恨み、非難を浴びせるものだけど、俺にはそんな気が起きない。

 志藤先生も悲しみを一身に受ける人の一人。

 奥さんを失った直後は虚脱感が彼を襲い、その後とてつもない悲しみが彼を包み込む。

 その後は気が遠くなるような寂しさを抱えて。

 もちろん、俺は志藤先生ではないし、幸い大切な人を失ったことはまだない。

 けれど、もし羽羅が――と考えただけで、何が何だか分からなくなりそうだった。

 だから俺が思ったことはただ一つ。


「――悲しいですね」


「――――」


「――――」


 漏らした呟きは、この事務所に重い空気を創り出し、俺達全員の会話を止めてしまった。

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