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第三章 鬼(ウラ)/4

 結局、浮かんだ策は邪道にも程がある手段だった。

 まず、思考に初め浮かんだものは使い魔を利用する事だ。

 使い魔とはその名の通り魔的な存在を使役することに他ならない。千姫が好んで利用する使い魔は鼠の姿をしたものだが、それから外れて蝙蝠こうもりの類を用いる事にする。だが、使い魔だからと言って易々と結界と思しき空間に放り込むわけにはいかない。

 使い魔とは名の通り、魔の存在なのだ。それ自体が矮小な魔力の塊と言える。ならば結界に引っ掛かるとどころではない。そんなものを結界の中へと無防備に入れることなど、サイレンを鳴らしながら敵のアジトの突っ込むような無謀さと無意味さだ。故にそんなことは行わない。

 上空から見渡すという事も考えた。しかしそれは様々な理由から直ぐに廃案になった。まず、結界の上空制限が何処までだか分からないからだ。結界と言っても範囲は様々で、地に刻み込んでその刻み込んだ範囲内に干渉すれば何かしら作用するという平面なタイプと、強いた陣を元に球状に範囲を及ぼすもの、はたまた敷いた陣から上或いは下若しくは上下に延びていくタイプ。大雑把に別けてもこれだけの分類が可能だ。術の施しの認識が可能であるならば話は別だが、在る事を認識出来ない結界を相手にこれらの範囲など見分けられる筈がない。

 平面と球状ならば問題はない。しかし上下に延びる筒型は非常にいけ好かないものだ。すなわち、範囲の限界の見当がつかないからだ。ほんの数十メートルかもしれないし、大層圏を飛び出すような馬鹿げた範囲ではない、とは言い切れない。そこが厄介な点なのだ。

 どの程度か分からない以上、使い魔を不用意に上空を飛ばせるわけにはいかない。ならば斜めから見降ろすという考え方もあるのだが、それは雑木林の敷地の広さに断念せざるを得なかった……のだが、これを千姫は邪道な手段で克服しようという事だ。

 方法は単純明快、蝙蝠に魔力で強化したCCDカメラを植えつける。強化されたカメラの映像機構は捉えた信号を相当に劣化を減らして従来の映像技術を上回る存在となるだろう。

 そう、これは科学と魔術の混在である。“魔術は俗世に関わるべからず、魔術は魔術に在れ”という根本理念を完璧に度外視した所業だ。

 しかし一度その策が浮かんだ千姫にはそれ以外の方法は考えたくも無かった。それは、面倒臭いから。どう考えても、これが一番効率の良いやり方だ。魔術界隈の道徳を天秤に入れなければ。

 だから千姫は足早に大型の電気店へと向かう為に、町の中心へと向かった。


      ▼


「……何で、あんなこと言ったのさ」


 息も切れ切れに、膝に両手を立てながら羽羅に投げかける。

 あんな事とは他でもない。あの小料理店での不穏な発言についてだ。あの店の経営状況を悪化させかねない――というか悪化させるだろうたる発言だ。もう不穏その物だろう。

 しかし当の本人はというと、


「何でって……不味かったからに決まってるでしょう?」


 と首を傾げている始末。え、何か悪い事でもしたのとでも言いたげなその表情は、別に悪気など無かった事が覗える。

 勝手な憶測で、加えて失礼なものなので羽羅に失礼なのだが、もしかして羽羅は我儘に育ったのではないか。自由奔放に勝手気ままな教育を受けたのなら……いや、むしろ押しつけた教育がそうしたのだろうか。少なくとも食事の上での作法は出来ていたように思える。ということはそういう方向の教育は行き届いていたという事で……。


「うーん……」


「な、何よ」


「――え、あ、いや、ごめん」


 気づけば顎に指を添えて羽羅の顔を覗き込んでいた。

 と、ここで再び羽羅の腹の虫が泣き声を上げる。独唱ソロでの唄はなかなか可愛いものだった。

 鋭い眼光を向けて来る羽羅。その視線に対し弾かれるように反対を向く俺。


「あ、じゃあ……どうする?」


 どうする、とは無論中断されてしまった食事について。流石に不味いと公言した連れ合いと共にふてぶてしくあそこで食べ続けることは俺の小さい心では叶わなかった。

 故に昼食は中断。未だ羽羅の腹には“不味い”煮物が放り込まれたのみである。

 俺の言葉にそうね、と一瞬だけ羽羅は考えると、


「私の家に来る? さっきの……お詫びに御馳走でもしてあげるけど」


      ▼


「――ん?」


 歩きながら煙草を咥える千姫は、町の往来で不意に足を止める。周辺にいた歩行者は迷惑そうに千姫を避けて歩いて行くが、邪魔な存在である当の本人は完全に意に介していない。その灰の双眸が向ける存在に釘付けだからだ。

 それは周りにいる人間と同じ歩行者だ。車道を挟んで向こう岸の歩道を歩く、男と女の二人組。男の服装はごく普通の服装と言うべきか。白いコートを着込んだ、まだ高校ぐらいの幼さが残る少年だ。そちらは特に何も感じない。有り触れた男児なのだろう。

 だが、異質なのは女の方。外見に於いても既に周りから目立っていると言える。今の御時世、着物なんていうものを着込んでいるのだ。橙のそれに身を包むのは、流麗な長髪を流す麗しき少女。――――その少女の存在が、あまりに異質すぎる。

 まるで、あの少女の周りだけ異界の様になっている。ちりちりと、何かを溶かす様に――何かが渦巻いていた。

 魔力の目を凝らせば、周囲のぶれに心底驚く。蜃気楼のように歪み切った感覚を覚えるのだ。

 従って、確信する。アレが今回忌縛の対象となった“鬼”であるということを。

 思わず生唾を飲む。

 嫉妬の塊。憤怒の塊。殺意の塊。そんな印象を抱かせる異形の少女。人間のなりをしたそれは、明らかにそれの在り方ではない。抗えない意義、それに基づいた存在だ。

 口から煙草が落ちるが、気がつかない。

 自然と、心臓が高鳴った。――それは歓喜にも似た高まり。

 どうする、どうする、と思考を反芻させる。ゆっくりと、千姫はコートの内ポケットへと手を手を伸ばした。這う指が取るそれは、破璃はりで仕上がった至高の水晶。それを用いた魔術になら、絶対の自信を胸に抱いている。

 少女を視界に捉えるも、意識を集中しなければてられてしまいそう。

 と、少女が立ち止まった。横断歩道へとぶつかってしまい、停止を余儀なくされている。


「――――ッ」


 そこで、少女と目が合ってしまった。鋭利な氷柱で撫でられているような、様々な悪寒が背後に入り混じる。

 やるか、やらないか。思考がその極限の二択にまで迫られる。ぐるぐると回り、思考が埋め尽くされる。

 が、一度千姫は深く溜息を吐いた。

 意識が昂ってしまったため、冷静な思考回路に戻す。

 昂ることは、無理も無い事だ。忌縛の対象など、そうそうみることが出来ないのだから。

 魔術沿慨神意会には、天使の階級ヒエラルキーを模った階級が存在する。その段階は全てで九つ。第一階級から第九階級に分けられる。その内、忌縛の任務を受ける事が出来るのは第三階級までだ。その階級までに含まれる人員の数は僅か百二名。これらの人数しか、世界で忌縛対象と関わる事が出来ない。忌縛対象とは世界を脅かす存在なのだ。ならばそれを対処し得る者にしか機会が回らないのは必然だ。

 だから、千姫が身を震わすのは無理のない話と言える。本来なら、たかだが第六階級ではそんな任務が回る筈がない。けれど、千姫の師が影響し、その任務が課されることとなったのだ。


「――はっ、あんな化物を私に回すなよな」


 そう、遠くにいる師へと千姫は愚痴た。


      ▽


 結論から言えば、羽羅の屋敷で出された料理は格別に美味しかった。

 見た事のあるような料理から、見た事のないような料理まで全て、今まで俺が口にしたものの味を超えていた。何やら屋敷専属の料理人と名乗る人がそれぞれの料理や食材について産地や隠し味など色々と饒舌に話してくれたが、正直半分も理解出来なかった。けれど、とにかく旨いということは舌という身に染みて分かった。出されたものの全てが日本料理ということが、羽羅と羽羅の屋敷のイメージと合致していた。

 そう、そんな事があったから、六時半という夕食時の前に薄暗い町を出歩いている。

 今日も今日とて、自分で作った不味くも無いが上手くも無いという食事を取ろうと思っていたのだが、躊躇われてしまった。舌が、肥えてしまっているのだ。欲を言えばまたあの料理を食べたい。もう毎日だって食べたいと思うほど。けれどそんなのは図々しい。不可能なことだ。

 だから、なけなしの金を叩いて外食へと身を投じる決意をした。最高級の料理からワンクッション置いて、自分の料理に戻ろうという魂胆だ。……まあ、そのワンクッションまでには恐ろしいほどの高度差があるわけだが。


   ――


 向かう先はとある喫茶店だ。フランス語だかドイツ語だかの名を看板として掲げている、ちょっとこじゃれた雰囲気のお店。木造風の雰囲気で構成された店内に、仄暗いランプのみを飾り付けた空間は、カップルを呼び込むのに適している。だから、一人でそんな場所へと行くのはどうかと思うが、旨い飲食店と言えばそこしか思い浮かばなかったのだから仕方ない。

 大通りを僅かに外れて静かな雰囲気の通りへと出る。この通りの雰囲気は独特のものがあった。大通りのように車で騒がしい訳でもなく、かといって商店街のように人混みにまみれている訳でもない。けれど、寂れてもいない。

 そんな独特な直線を、街灯は照らし出している。この道を真っ直ぐ十分か十五分歩けば目的の店に到着できる。そう思って歩いていると、突然の夕立が来た。だから走り出す。

 ザァザァと地面を叩く音は、中々の雨の強さだと判断できる。足元では既に水たまりが所々に出来ていて、それに雨が強く当たって靴やジーパンへと跳ねていた。

 それを見て、これ以上このまま走り続けることは無理だと判断する。何せ目の前が雨のカーテンのようになっているのだ。周りを見れば、皆頭に鞄を被せたりコートを被ったりと即興の雨具を作って走っている。そんな中、俺は通りに沿わず、少し斜めに走り、傍に在ったシャッターが降りた何かの店の屋根の下へと逃げ込む。白いシャッターに貼ってある張り紙を見れば、どうやら今日は定休日だったらしい。

 空を見上げ、髪を掻き分けながら今からどうしようかと考えていると、俺と同じようにベージュのコートの女性が屋根の下へと走って来た。その女性の全身をちらりと見ると、その腕には金色の腕輪がされていた。


「あ、それ……」


 と、口にしてから慌てて塞ぐ。何でもないことのように目を逸らし、咳きこんだりもしてみる。

 けれど女性は激しい雨音の中でもしっかりと俺の声を聞き取っていたらしく、じっとこっちを見ていた。恐る恐るその女性の表情を除けば、煙草を挟んだ口を少し開けて驚いていた。

 視線を俺に移すと、


「お前は……あいつと居た……それに、腕輪これ――見えるのか?」


 そんなことを女性は言った。


      ▲


 木造の板張り特有の軋む音すら立てない可愛げのない廊下を私は歩く。一直線に伸びる通路は奥の方で直角に折れていて、それらは障子張りの扉で囲まれていた。

 私はこの家というものが酷く嫌いだった。憎んでいると言って良い。それぐらいの感情を私は抱いている。歩けば否応なしに他者からの視線を強く感じ、眼を瞑れば虚像の母の温もりを思い出す。

 気を休める事の出来ない家など、帰りたい家ではない。だから私はこの家に自分の生活感というものを持ち込むのが嫌だった。それは私がこの家の住人であるということを自分で認めるようなものだから。けれど生活感のない私というのは、やはり人間からは一線以上も逸脱した存在であるという事を暗示している。

 直ぐにでもこの家を出たかった。この家を出て、独りで生きていきたい。だけどそれは怖かった。それは別に、俗な理由によるものではない。――人間に囲まれながら過ごす事がこの上なく私にとって恐怖というものになってしまっていたのだ。


「……羽羅」


 曲がり角から姿を現したのは、中年の男。群青の和服を身に着け、裾を床に引き摺っている。後ろに持っていった髪の下に携えている双眸は、酷く空だ。

 だからその眼で見られることが嫌で、私はいつも常に強く睨み返す。すると直ぐに、父は私から目を逸らす。……それが、堪らなく嫌なのだ。

 けれど今日は違った。外して終わるのではなく、こちらを見返してきた。


「お前は、出かけている時は一人ではないのか?」


 唐突にそんな問いかけを投げてきた。

 ドクン、と心臓が一度跳ねる。それと同時に思い浮かぶものは少年の顔。

 二人で会っていたことは別に悪い事でも、他人から目を背けなくてはならないようなことではない……一般的には。私に於いては――私達に於いては――高司家に於いてそれは、該当するものではない。

 一人の人間と深く接するということ。それは私が幼い頃から強く言い聞かされてきた禁忌である。

 だから、父が目を見据えて言ってくるのだ。それだけの、ことなのである。

 けれどそれを露見させる事も、認めさせる訳にも、ましてや壊させることなどは決してさせたくはなかった。自然と、私の思考はそこへ廻っていた。

 その到着点に何ら疑問を抱かず、私はその問いに沈黙という返答する。


「……螺旋は」


 その沈黙を受け取ると、父は不意に口を開いた。螺旋は、ともう一度続ける。


「果てしなく、同じ光景を廻り回る輪廻の存在故、螺旋と言うのだ」


「何が、言いたいの?」


「永遠に続く絶対事項。それは崖下に戻っても、螺旋は螺旋。……だから、必ず繰り返す」


 そう、父は断言した。その言葉に私の心が揺さぶられたのは確かだった。

 頭に衝撃を受けた様な眩暈を覚えながら、私は父を睨みつけた。けれど、父は目を逸らさない。それが無性に気に食わなくて、私は強引に足音を立てて父の横を通り過ぎていった。


      ▼


「――で、伊佐見だったか。お前、アイツの何なんだ?」


 と、火のついた煙草の先端をこちらに千姫さんは向けて来る。誠に無礼な態度なのだが、不思議とそれに不快感は覚えない。あまりにも、目の前のこの人に対して自然過ぎる仕草だからかも知れない。

 仄暗い喫茶店の店内で橙色の煙草の火は、怪しく光っていた。


「えーと、何て言いますか……友達、ですかね……」


「…………本当に、それだけか?」


「え?」


 視線を落としていたコーヒーから視線を挙げれば、灰色の双眸で深く、深くこちらを見抜いていた。

 その瞳から放たれる光が、俺を貫いたような錯覚が視える。思わず、退いてしまった。背中から一筋の汗が垂れるのを感じる。

 返答に窮していると、先に口を開いたのは千姫さんだった。


「お前まさか、アイツに惚れちゃいないだろうな?」


「な!?」


 思わず立ち上がりそうになり、腰が一瞬椅子から浮いてしまった。もうそれで全てが露見されたようなものだ。目の前の女性には俺の意など容易に受け取れただろう。


「そ、そ、そんな訳ないじゃないですか!」


 けれど阿呆にも言い訳なんて物をしてしまった。しかもどもりながら。自分でも酷いと分かりつつも、口が止まらなかった。


「……はぁ」


 と一息溜息を千姫さんは吐いた。それと共に左手を額に持って行き、何だか俯いている。その体勢のまま、傍にあった銀の灰皿に煙草の先端を押し付けた。隣の椅子に掛けてあったコートへ手を伸ばし、ポケットからまた新たな煙草の箱を取り出した。何やら箱には英語か何かで書かれている。ラという最初の文字だけ読み取れたが、叩いて取り出した一本の煙草を指で挟むと直ぐにしまってしまった。

 慣れた動作で煙草に火をつける。その時の手の動きが、なんとも魅力的だった。

 一息煙を吐き出すと、


「いいか、悪い事は言わない。アイツは止めとけ」


 と言い放った。表情は真剣そのもの。だから、ふざけている訳ではないことは確か。

 けれど、そんな今日会ったばかりの見知らぬ女性にこんなことを言われて了承なんて出来る訳がない。


「どうしてですか?」


「……アイツは、人間じゃない」


「…………まあ、同じ人間とは思えないほど綺麗だと思いますけど」


「は? あ、いや……そうじゃなくてだな」


 空いた手で頭をぼりぼりと掻き毟ると、


「良いか、アイツはな――“鬼”なんだよ」

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