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第二章 (前)千里眼(オニ)/2

「伊佐見は何をやっているの……」


 煙草の煙を思いっきり吐きながら未だ顔を見せない部下に愚痴を零す。

 現在朝の七時半。良しと言うまで出勤は六時、と言っているのに来る気配が全くない。確かに、諾が出勤に遅刻することが無いわけではない。しかし今までは何かしら連絡が入っていた。それも全て一時間以内には入っていた。加えてその大抵の理由と言うのが自分に非が無かった。駅のホームで迷子と一緒に親を探したりとか、重い荷物を持ったご老人をバス停まで送ったりとか。まぁ、人柄が良いと言えるのかもしれないが。けれど何ともまぁ、妙な星の下に生まれたものだ、と千姫は思う。

 もしかしたら、彼は自然と見えているのかも知れない。そんな推測が頭を過った。

 “幻視の眼”。

 この世の在りとあらゆる存在物を視覚する呪われた眼。それは物質に限らず、霊や魔力などのアストラル体、更には“空気”などという科学はおろか魔術ですら説明のつかない不確定要素すら視覚する。感じるのではなく視覚する。本当に、それは異形だ。

 確かに魔術にも“幻視”を行う為のものは存在する。だが、それはあくまで後天的なもので術式を施したに過ぎないし、効力も“幻視の眼”の足下にも及ばないだろう。

 幻視は精々張られた結界を見破る程度。しかし彼の眼はヒトの感情ですら視覚する。

 ……良く、彼は生きていたものだと思う。ヒトの感情が駄々漏れの世界で。ある意味では先天的なことが幸いして、それが彼にとっては“当たり前の世界”だからというのも一つの理由ではあるのだろうが。それでも、よく精神が正常でいられる。――いや、もしかしたら、既に。


「しかし、今でも視えてるんだったら……私の作った眼鏡は失敗という事になるぞ……?」


 顎を擦りながら眉間に力を籠める。

 眼鏡。それはつまり諾が掛けている、千姫が二年前に与した眼鏡だ。あの眼鏡はフレームこそ千姫が作っていないものの、レンズは正真正銘千姫お手製の魔力加工レンズだ。

 付加された効果は“魔殺”。故にそのレンズを構成する性質は“魔殺の水晶”と呼ばれている。

 一般的に水晶というものは極めて魔力を通しやすい。それは強化することも容易いし、変形させること自体は容易である。脆いため原形を保つのが困難と言うところが欠点とは言えるが。

 だが中にも、魔力を通しにくい水晶も存在する。しかし敢えて千姫が使用したのは魔力を通しやすい水晶。魔力に通じやすい水晶に術を施し、諾の眼のパスを完全に断ち切る。

 何故こんな回りくどい事をするのかと、それは単純な理由で、魔力に抵抗のある水晶でも諾の眼は通用してしまったからだ。

 千年以上続く九十九家の倉から引っ張り出した秘宝中の秘宝。何百年という絶対的な年月を積み上げてきた筈の水晶も“幻視の眼”の前では通用しない。

 に恐ろしき、とはまさにこの事である。


「まぁ……駄目なんだったらまた創るだけだがな……上等じゃないか」


 水晶を専門とする九十九の人間として、それは挑戦状とも言える。千姫は独り、声を殺して僅かに嗤った。


   ――


 一息、息を吐く。

 煙草を灰皿に押し付け、火を消した。煙っていた先端は押しつけることにより沈静化していく。

 千姫は諾を待つことを諦めた。今度は足を使って調査を行おうと思っていたので、あまり時間が遅くなるのもよろしくない。帰って直ぐに纏めるという時間を考えれば、なるべく早い方が好ましい。

 最近は諾に働かせすぎたと千姫も反省していた。朝の六時に呼び出し、午後の十時に返すという不当労働。諾が愚痴るなど初めてと言って良いぐらいに珍しいことなので、やはりよほどの事なんだろう。だから仕方ない、今日は有給にしてやるか、と千姫は頭を齧る。

 グレーのジャケットを羽織り、煙草を内ポケットに入れ、扉を開ける。

 が、その扉は半開きの状態で停止する。それは他でもない、千姫自身の身体が停止してしまっているからだ。


「……チヒメ」


 千姫が目を絞り、身を固まらせた存在の元凶である男が呟いた。

 黒のテラードに黒のレイヤード、黒のスキニー、漆黒を身に纏う一人の男。瞳を隠すように垂れた前髪の隙間から、墨色の双眸が千姫を捉えていた。


「……クライド」


 呟きを返すように、千姫は男の名を呟いた。


      ▲


 がちがち。

 気づけば、歯が小刻みに振動している。気を抜けば、歯が小刻みに振動してしまう。

 目の前には沢山の学生がいた。皆銘々様々な話を展開させている。テレビの話、部活の話、服の話、勉強の話。

 がちがち。

 それは私にとって関係のない話で、酷く遠くにある話しに感じる。皆楽しそうだ。下らない話に花を咲かせ、下らなく笑っている。

 けれど私は、一人悪寒に耐えていた。

 がちがち。

 口の前に組んだ手をやり、自然と周りから悟られない様に隠す。

 その組んだ手の平には、直ぐにでもあの温もりが蘇りそうだった。

 がちがち。

 いや、実際蘇っていた。

 生命を感じる温かさ、脈を通る血液、潰れる血管、凹む気道。

 自然と眼で追うのは皆の首筋。あれをぽきりと折れば、皆死に絶える。ただの肉片、ただの物質に成り下がる。

 或いは内臓を潰すのも良いかもしれない。脈動する心臓など尚良いだろう。温かいし、瑞々しいし、更には中身が詰まっているだろう。――嗚呼、その点では頭も良いか知れない。

 がちがちがちがち。

 気づけば、自分でも驚くほど歯と歯をぶつけていた。傍から見れば、まるで冬の高山を歩く人のそれに見えるかも知れない。

 気を落ち着かせるため、溜息を吐くと、


「――どうしたの、ウラちゃん?」


「え――」


 気づけば、組んだ手の先に瀬織がいた。

 ぴょこぴょこ揺れる結った髪を横に携えて、机の下から覗きこむように瞳を見せていた。その瞳には、はっきりとした気遣いが含まれていた。


「何か……顔色悪いけど、具合でも悪い?」


「いいえ……大丈夫よ」


 けれど瀬織は食い下がらない。


「でも……ホントに具合悪そう。熱とか、あるんじゃない?」


 そう言って瀬織は立ち上がり、腕を伸ばしてきた。向かう先は私の額だろう。

 私は何故かそれを避けようとしなかった。当然、近づくと共に瀬織の身体と私の顔は近づく。

 手が額に当てられる。温かかった。それは生きているから温かいのだろう。

 私の視界は瀬織の身を包む制服のみになる。

 途端に、視界が霞んだ。

 がちがちがち。

 頭の中は一つの事に支配された。


 ――“人間”特有の甘い匂い。


「――――ッ!」


 思わず勢いよく立ちあがった。全く周囲に気を配らず立ち上がったため、椅子が大きな音を立てて倒れる。


「――あ」


 見れば、手を伸ばしたまま怯えるような、謝るような顔をしている瀬織がいた。


「――ご、ごめん」


 目を伏せながら、伸ばした腕をゆっくり降ろしながら、瀬織は弱々しい声で謝る。

 気がつけば、教室内を満たしていた雑談はとっくに無くなっていて、皆の視線が私に集まっていた。

 違うんだ。別に貴女の好意を嫌がった訳じゃない。嬉しかったし、孤独な私には有り難かった。


 ――ただ、食べたくなっただけ。


「――っ」


 息を呑む。

 何だ、何だというのだ。この思考は。何を考えても、何に巡らせても、辿り着くところは一つじゃないか。


「ウラちゃん!?」


 気づけば、私は教室から廊下へ足早に駆けていた。

 走りながら思う。怖い、と。


      ▲


「――――」


 目を覚まし、初めて二度寝をしたいと自堕落にも思ってしまった。それは眠気から来る欲求ではなく、単に現実から頑なに逃避したいだけ。

 目の前の蛍光で塗料された針式の目覚まし時計をもう一度見ようと思う。……間違いなく七時。それは当然、夕方の七時などではない。そう、焼けた朝日立ち昇る早朝七時である。


「……ヤバい」


 まず思ったのはそれ。何がヤバいかと聞かれれば、それは当然仕事の話である。見知った千姫さんとの二人しかいない職場とは言え、仕事は仕事である。遅刻は厳禁。加えて俺の上司は千姫さんである。素の状態でさえ平気で俺をき使うのだ。ならば、遅刻などしたどんな罰が下るのだろう。

 食事は要らない。まずは仕事場に出勤するという事が大切だ。だから仕方なく、所に置いてあるカップラーメンを御馳走になるとしよう。これ以上食べると顔面の肌が蕎麦色になりそうで怖いものだが、この際文句は言えまい。

 だから俺は顔も洗わず、寝癖も整えず、一目散に部屋を飛び出した。

 羽羅がいないことに、一切の疑問を抱かずに。


      ▼


 気づけば、私は諾の部屋の前にいた。

 学園からこのアパートまで、十分な距離を持って町中を駆け抜けてきたというのに、息は全くあがっていない。けれどそれは、別に私にとって珍しいことではなかった。

 インターフォンへ手を伸ばして、気づく。諾はこの時間、いる訳がないのだ。

 時刻は十時過ぎ。既に所へ出勤してしまっているだろう。

 それでも、駄目元でインターフォンのスイッチを押す。軽快な音が無人の部屋に鳴るのが聞こえた。


「――――」


 出ない。

 けれどもう一度押す。


「――――」


 出ない。

 もう一度。


「――――」


 出ない。

 もう一度。


「――――」


 出ない。

 もう一度。


「――――っ」


 何度も、何度も押した。出ないということは分かり切っているのに、何度も何度も何度も押した。まるで駄々をこねる赤子のように。

 自然と、涙が頬を伝っていた。

 諾に会いたい。諾に会いたい。諾に会いたい。それだけが意識の中で繰り返される。その繰り返されるのと同調するように何度もインターフォンを押す。

 諾に会って、このごちゃごちゃした思考をぶつけたかった。受け止めて欲しかった。優しい笑顔で受け止めて欲しかった。

 彼は私の本当の姿を“視て”、それでも尚一緒にいてくれる人だ。そんな掛け替えのない人だから。いつも一緒にいる人だから。だからこんな時も、一緒にいて欲しかった。

 欲しかったのに。


「――諾ぃ」


 驚くほど、情けない声が出た。まるで弱い、少女のようではないかと自分で驚く。

 それでも嗚咽を止められなかった。流れる涙は際限なく、永遠に流れるのではないかというほど溢れて来る。

 怖い。怖い。何が怖いかは分からないけれど何かが怖い。

 だから諾に私を守ってほしい。

 涙を拭う手を、見やる。その手は、昨夜諾の首を絞めた指。


「――――ッ」


 思わず息を呑む。

 そうだ、私は昨日、とんでもないことをしてしまったんだ。

 元々、聞かされていたことだろう。それを捻じ曲げてここまで彼と関わって来たのは自分なのだ。

 だから、今会えば、私は彼に何をしてしまうのだろう。

 そう思うと、とても怖い。怖い。怖い。怖い――


   ――


 仕方なく、私の足は自宅へと来ていた。幸いなことに、ここまで来る間に思考の波は収まっていた。今なら、冷静な思考が出来るだろう。

 重い木彫りの扉を開ける。


「羽羅お嬢様、お帰りなさいませ。……今日はお早いのですね」


 そこにはまたも、岸臣はそこにいた。

 恭しく礼をすると、岸臣は簡潔にそう言う。それは別に問い詰める訳でも、諌める訳でもない、特に意味のない言葉。この時間に帰る事に対し、気づいたもののそれを無視するのは失礼、と岸臣は判断したらしい。

 手を伸ばそうとして、岸臣は引っ込めた。私が鞄を持っていないことに気づいたのだろう。私も今気づいた。けれどそれも仕方ない。それほどまでに、気が動転していたのだから。


「……風呂を、沸かして参ります。酷く汗をお掻きになっているようですから」


 使いとしての気配りなのだろう。確かに体中が汗だからけで気持ち悪かった。ここは岸臣の言う通り、入浴をしようと思う。

 けれど何も岸臣に声は掛けずに、私は屋敷へと向かった。

 そして玄関に足を踏み入れ、廊下へと頭を上げた瞬間。


「羽羅、話がある」


 冷静になっていた思考はその人物を見た事により、再び何かが沸騰しかけた。

 その人物は、紛れもない父。


      ▲


「すいません、遅れました!」


 息を荒げ、途切れそうになりながらも謝罪を告げる。

 何を言われのか、と来るまでにあらゆる状況を想定していたというのに。


「あぁ……、別に良いよ」


 その一言であしらわれる。


「あ、あれ? 良いんですか? それで」


「良いよ、別に。私だって鬼じゃない」


 嘘吐け。と思いつつも、それは飲み込み、謎の行為に肖る事にした。


「んで、今日は何で遅れたの?」


「いえ、普通に寝坊しました」


「ふぅん……。……そ」


 と、言って俺を見て煙草を吹かす。

 ……いや、俺ではない。俺の後……だけれど別に後ろの扉を眺めているの様には見えない。率直に言えば、千姫さんは何処か遠い眼をしていた。


「何か、あったんですか? ……ていうか、誰か来ました?」


 と、俺が尋ねると何故か目を見開く千姫さん。数瞬呆けたままいたが、煙草が落ちそうになってようやく千姫さんは意識を取り戻した。


「お前……分かるのか?」


「いや、分かるっていうか、別に、何となくですけど……」


「……別に、視えてるわけじゃないよね?」


「え? あぁ、この眼ですか? えぇ、この眼鏡のお陰で視えませんけど……」


「そうか……なら良いんだが。…………ん〜……お前にここの監視カメラにでもなって貰いたいな」


「――へ?」


「いや、何でもない、気にするな。とりあえず今日の遅刻は不問」


 これが鬼の目に涙だろうか。そう思った。まあ、口にしたら何をされるか分からないので思っただけ。


   ――


「……女の子って、よく分からないんですね」


「――あ?」


 煙草を咥えていた千姫さんはそれを落としそうになり、慌てて歯で掴んだ。何だかその反応が定番になりつつあり、且つ失礼な気がするのはこの際目を瞑ろう。

 しかし自分でもこう思っている間に迂闊な発言だと自覚してしまった。


「いや別に……何でもないですよ。忘れて下さい」


 だから頬を掻きながら言い訳をすることにした。

 忘れてくれという願い悲しく、千姫さんの口は歪んだ。それは魔術師である時の嗤いにも似ていたが、何だかいやらしくて癪に障るにやけ。


「……何ですか」


「いやぁ……別に? 何で怒ってるんだ? 伊佐見」


「……」


 それで、言葉が無くなってしまう。その言葉で自分がとても典型的な態度をとってしまったのだから。「べ、別に何でもないんだからね」、とか言わないだけマシだと思っておく。……思っておこう。


「ああ……女の子で思い出した。この前の失せ物探しの少女、居ただろ?」


「あぁ、沙耶さやちゃんですか?」


 十二歳の女の子。突然、手に小さな財布を持ってやって来た。依頼の内容は失くしてしまったネックレスを探して欲しいと。

 とてもじゃないが見つけられる筈がない、千姫さんはそう言った。当然警察など、確認は取った上での発言だ。

 正直、俺も同感だった。たかだが四桁もいかない一つのネックレス。子供の玩具みたいな物で、高価だからと拾われることもない。

 依頼料は一万円。それも当然と言えば当然で、沙耶ちゃんは親へは内緒で独り来たらしい。中学に上がったばかりの彼女では、その額が限界だったのだろう。大金を積まれれば、千姫さんは意地でも探し出すのだろうが、そうでもないので俺の願いも虚しく流石に投げ出してしまったのだ。

 それでも、俺は一緒に探し続けた。

 聞けば、三日後にはこの町から引っ越してしまうらしい。だったら尚更、放ってはおけない。

 だから俺は、誰にも内緒で眼鏡を外して見つけ出した。


「そう、その子がな、伊佐見に渡してくれって、これ頼まれてたんだ」


 引き出しを開け、取り出されたのは小さな青いケース。珍しく、投げる事もせずにケースをデスクの上に置いていた。

 俺はそれに近寄り、手に取って、蓋を開けた。

 軽い磁石の抵抗を受けると、そこに在ったのは銀色のネックレス。綺麗に折りたたまれ、十字架を模したものが鎮座している。


「これ……シルバーじゃないですか?」


 数百円何て言うものではない。ちゃんとしたアクセサリーショップで購入された、シルバーネックレス。


「ああ、そうみたいだな」


 買えば、少なくとも一万は超えるだろうそれを、買ったのは誰なのだろう。両親に買ってもらったのか……それとも、自分で?


「……親に内緒でここまで来たんだ。買ったのは彼女本人だろう」


 俺の疑問を読み取ったのか、千姫さんはそう言った。


「そう、ですね。何か凄く……申し訳ないです。お礼は要らないって言ったのに……」


 申し訳ない。お小遣いの殆どをはたいて買われたであろうそれを貰うのは何だかとても悪い感じ。

 けれど、とても嬉しかった。


「とは言え、彼女に返す手立てはもうない。大事にしてあげなよ」


「……はい」


 丁寧に、ケースの蓋を閉じた。


   ――


 ネックレスのケースを鞄に仕舞ってから数時間。


「……そういや、何で女の子なんて言ったんだ?」


 書類から不意に目を外した千姫さんはそんなことをぶり返した。

 どんな顔をしていたのかよく分からないが、俺の顔を見ると、


「女の子ねぇ……特に難しいんじゃない? あいつは」


 などと言いただした。だからつい、


「別に、羽羅の事だなんて言ってないじゃないですか」


 しまった、と思う。

 千姫さんは口から煙を中空に吐き出して、


「……うん、そうだねぇ?」


「――――」


 何て目の前の人は言ってきた。

 何という王道。信じられない。人間本当に焦っている時は結構、有り得ないと常々思っている行動を敢えて取ってしまうらしい。

 仕方なく、腹を割って白状することにした。

 一息吐いて、口を開く。


「……羽羅がですね、昨日様子おかしかったんですよ」


「あいつは別に……そう言う時もあるでしょう。というか、むしろそっちの方があいつらしいよ? 最近、羽羅は変わったよ。ここ二年あいつにしては……いや、あそこの“家”にしては異様に落ち着いている」


 その言葉に出会った頃の――二年以上前の羽羅を思い浮かべる。

 強く在りながら、何処までも孤独で、何処までも儚く、周囲に散らばる花々よりも可憐な女の子。……俺には、二年で羽羅が変わったとは思えなかった。


「羽羅は、変わってませんよ。まだ……弱いままです」


 強くありながら、弱い在り方。そんな矛盾が羽羅には丁度良い。


「……ま、何でも良いけどね。君が決めた事なら、私は何も言わない。……けれど忠告はしてあげる。――――お前は、殺されるぞ?」


「望むところです」


 即答。二年前に何度も言われ続けた事。何度言われても、どれだけ強く言われても決して曲がらなかった俺の心。

 “こんな眼”を持った人生の中で、初めて本気でぶつかろうとしたこと。誰に何を言われても、譲れる筈はない。


「……そ。なら、これ、あげるわ」


 デスクの引き出しを開けて、何だか小さなものを投げて来る。電灯の光に反射してキラキラ回るそれを凝らしてキャッチした。

 握った手を広げると、そこには綺麗なシンプルなデザインの指輪。銀色の彩色に彫り込まれた“Z”のような文字。

 それを少し観察し、


「これを羽羅に上げろって事ですか?」


「……伊佐見、相変わらずぶっ飛んだことを言うね。“空気”視えるんだろ? ……逆に麻痺したのか?」


 何だか酷く無礼なことを言ってから、また続けた。


「お守りだよ。いざと言う時の、ね」


「要りませんよ」


 そう言ってぶら下げた腕を後ろにやり、下投げで返そうとすると、


「まぁそう言うな。人の好意は受け取っておくものだぞ」


 片手で肘をつき、片手で煙草を吹かす千姫さんの態勢を見て、これでは恐らく投げても受け取らないだろうと判断し、揺らした腕の先の手を、指輪と共に握った。


「でも、絶対に使いませんよ」


「あぁ、分かった分かった。好きにしろ」


 ふと時間を見れば既に十時過ぎ。何だか妙に疲れてしまった。

 帰ります、と言って鞄を手に取ると、


「ああ、待て待て」


 そう言って慌てて呼び止められる。何事かと振り向けば、少し耳を疑う言葉を言われた。


「明日、来なくていいよ」


 一瞬首かと思ったが、そうではないらしい。だったら、とその言葉に甘える事にし、所を後にした。


      ▽


 アパートの階段を昇り、自分の部屋の扉を見ると思わずぎょっとしてしまった。

 体育座りで羽羅が扉に寄り掛かり、顔を膝に押し付け俯いていた。垂れている長い髪で表情は見えないが、その姿はとても儚く、ガラスのように脆く見える。可憐で弱々しい。そんな印象を抱かせる。

 足音に気づいたのか、羽羅は呆――とした虚ろな目でこちらを見やる。その黒い瞳に本当に俺が映っているのか、とても不安になる。

 ああ、と既視感に襲われた。

 そう、この光景には見覚えがある。……俺と羽羅が、初めて会った時のことだ。羽羅は覚えているのか分からないが、俺は二年経った今でもよく覚えている。あの日は季節外れの雪が降った日で、同じように羽羅を見掛けて、虚ろな目で、力の無い目で、俺を見ていた。

 ――頭を振る。過去に耽りそうになった自分を振り払った。もう、同じ失敗は繰り返さない。今在る羽羅は、目の前に居る羽羅なのだから。

 だから俺は、何も言わずに羽羅の隣へ座り込む。肩が触れ合う至近距離。傍から見ればとても奇妙だろう。自分の家が目の前にあるというのに扉の前で座り込んでいるのだから。ただ鍵を失くしてしまったように見えるのだろうか。それとも、恋人同士に見えたりするのだろうか。……いや、こんな変なことをしている恋人何かいないよな。


   ――


 どのくらい、そうしていただろう。未だ残暑がある季節とはいえ、こうして何もせず外にいるというのは流石に寒さが堪える。どのくらい? 三十分? 一時間? まぁ、そんな時間はどうでも良い。羽羅は寒くないのだろうか。

 そう思い顔を横に動かすと、羽羅の顔が上げられていた。


「入れて」


「え?」


「部屋に入れて」


「あ、ああ。分かったよ」


 唐突に言われたので何の事か一瞬分からなかったが、意見としては俺も同意見であるし、何よりこれ以上羽羅を外気に晒しておくことも嫌だったので抵抗など特になく、鍵を開け部屋へと招く。

 しかし何故か、羽羅は入ろうとしない。自分で入れろと言ったくせに、どうしたんだと思い羽羅の手を掴むと、


「冷た……」


 その手はとても冷えていた。まるで冬場、外へ出ていたかのように冷え切っている。俺よりも圧倒的に冷たいということは、俺が見た時より前から、それもかなり前から居続けたという事になる。


「一体どれだけ待ってたんだよ、羽羅」


 その事実に、思わず声を荒げてしまう。しかしその言葉に羽羅は答えなかった。

 ったく、と呟きながら強引に引き寄せ、部屋へと招き入れた。


   ――


「シャワー用意するから入りなよ」


「いい」


「いいって……そんな冷えてるのに」


 だが羽羅は座った座布団の上から動こうともの、もはや顔を上げようとすらしない。この初めて見る羽羅の様子に内心焦りを覚える。


「……分かった。とりあえずコーヒーか何か淹れてくる」


 足早に台所まで向かい、やかんに水を注ぎ、レンジの裏にあるガスの元栓を開け、火をつけた。お湯が沸く間に粉末のコーヒーを一杯分ずつ、二つのコップに入れていく。

 手を動かしていても思うことは羽羅のこと。出会った時から、起伏が激しい娘であることは分かっていた。けれどここまで沈んでいるのは恐らく初めてだ。

 だから、臆せず、隠さず、顔を合わせて直球で何があったのか聞こう。まず何より、話さなくてはいけないのだから。

 そう思い、首だけを振り向かせ羽羅を横目に見ようとする。


「――あれ?」


 しかし、在るのは座布団だけ。安物の四角い青地の座布団が虚しくぽつんと置いてあるだけ。

 何だ、洗面所にでも云ったのか? と身体を振り向かせ、確認しに行こうと思った。


「諾」


 振り返った眼前には佇む羽羅。亡霊のように覇気のない姿に思わず一歩、後ずさる。


「……どうしたの、本当に、羽羅。何があっ――」


 たの、と紡ぐ前に羽羅に首と肩の付け根を掴まれる。そのまま強引に右側へと押され、その強い力に逆らえず倒れこみ、床へ音を立てた。続いて腹の部分に衝撃を受ける。堪らず、胃の中の物を戻しそうになった。

 何が何だか分からない中、何とか頭部の痛みに耐えて目を開けると、そこには馬乗りになった羽羅がいた。


「羽、羅……?」


 そして気づく、その光景を見て。

 眼鏡が外れていた。先程の衝撃で外れてしまったらしい。そしてこの眼で、思わず、羽羅を直視してしまった。

 見下ろす瞳は燃える血のよう。髪は血染めの絹。歯は喰い千切る地濡れた牙。俺の首を掴む指の爪は血を吸った鋭利な刃。

 だがそれも錯覚。目の前の羽羅は至って普通である。だから息を呑み、気を確かに保つ。

 何か言おう、とどうにか喉を動かそうとすると、


「諾」


 それより先に羽羅の唇が動いた。その唇の赤は、まるで血の口紅。


「諾」


 もう一度、俺の名が囁かれた。見つめる瞳はとても深い。そしてその深さに重い重い悲しみを内包しているように感じる。

 同時、俺の首に冷えた感触が伝わった。――羽羅の指だ。

 ポケットには千姫さんから貰った指輪が入っている。……けれどそれを使う選択肢など俺にはない。


「諾」


 また、俺の名が囁かれた。その目からは涙が溢れていた。まだ垂れない溜まっているだけ。

 喉を締める力が強くなる。そろそろ呼吸することが困難になるほど。脳が酸素を訴える。けれど俺はそれどころではない。

 好きな女の子が泣いている。それだけで占める思考は十分だ。


「私は……」


 羽羅が瞬きをした。際に流れた涙は頬を伝い、顎へと溜まって、一筋の跡を残す。

 泣いている。羽羅が泣いていた。それを見るのは、泣いているのを見るのは初めてだ。だから、俺の思考も慌ててフル稼働する。目の前の少女を守りたい。泣いているのなら、慰めてあげたい。

 けれどどうすればいいのか分からない。

 思考をどうにか駆け巡らせていると、嗚咽のように唇がまた開かれた。


「……私はきっと、諾を殺してしまう」


 それは二度目の告白。過去に浴びた予告。

 けれど二年前とは違い、泣きながら俺へと告白する。

 ぽたり。一滴ひとしずくが俺の頬に垂れた。


   ――――――

「本編の雰囲気を多大に壊す恐れがあります。それでも見たい! と言う方や、別にラプラスとかどうでも良いしっていう方はダイバーダウン!」


      ↓




























      ↓


「はい。どうも読む気力を起こしていただいてうれしい限りです。今回もきっと、崩れた感じ」


「六だな」


「女っぽい男ね」


「そこにそんな喰いつかないでもらえません? 二人とも」


「どうもあの時は雰囲気違うように感じたんだよな、承t――」


      ↓






      ↓


「「「放送事故がありましたことを深くお詫びいたします」」」


「……えー、これは定例行事なのか? と怖れられているかも知れませんが、安心して下さい。作者の気まぐれです。とりあえずまだやる気があるという事です」


「それはそれでどうなのよ……」


「もう皆まで言うな、羽羅。それに誰も気にしちゃいないさ……」


      ▽


「何か気になったのが、所々当初と雰囲気が違う気がするのだけれど、そこら辺はどうなの」


「特に諾のモノローグだな。あのセリフは有り得ないだろ。常識的に考えて」


「しかも何かしら音声を取る事になったら、あれが諾の声で再生されるわけよね(地球が破滅しても有り得ないけれど)」


「「――気持ち悪っ」」


「はいはい、すみませんね!」


「大体ああいうのは羽羅が言うべきなんだよな」


「ナイスです! 千姫さん」


「何でよっ!」


   ――


「……(紙ry)。……ふむふむ。……一応雰囲気それには作者の意向があるみたいだね」


「ほうほう」


「どうも、作品の内容がえらく気持ち悪いんじゃないかと思ってるらしい。何か自分でもこんなの気持ち悪いだけなんじゃ……とか感じてるみたい」


「それは私のことか!? ってか私の事ね!?」


「……まぁ、他にいないしなぁ」


「ですよね。……まぁ、今回もまたさらに俺の命は危ないわけですが。そこら辺どうでしょう? 高司羽羅役・キャスト高司羽羅さん」


「どう……って、コメントできる訳ないじゃない」


「「ですよねー」」


   ――


「まぁ、つまり言えば、このコーナーもその本編のアレ的な雰囲気を少しでも緩和する為にも設けられたらしいですよ!」


「それは本当? 気まぐれじゃないの?」


「考えだしてた頃、ちょっとは考えてたらしいですよ! 塵芥ぐらい!」


「それは無いと同義なのよ……」


「塵も積もれば山となるっていう諺があってだな――」


      ▽


「何だ? ……(紙ry)。……『そろそろ目的のキャラ紹介に移ってくれないか』だそうだ」


「誰が喋らせているのかと……」


「今回は“一応”メインヒロイン、羽羅だって。感想は?」


「……紅くなってる眼を見れば一目瞭然ですね」


「一応って何よ……一応って……」


      ▽


『名前、生年月日その他諸々個人情報を提示して下さい』


「……高司羽羅。生年月日は諸事情により割愛。血液型はAB。身長は160。痩せてる……わよね? うん、スリムスリム。黒目、黒髪よ。長さは腰まであるわね」


「あと時々、瞳、髪共にくれないだな」


「えぇ……そうね」


「……ねぇ羽羅。スリーサイ――」


 (――デュクシ!)


 (――救急車のサイレンの音)


「……(走り去る車を横目に)にしても髪綺麗だよな。枝毛なんか一本も無いんじゃないか?」


「えぇ、そうかもね。梳いていて引っかかったことないもの」


「何かやってるのか?」


「いいえ。あぁでも……何か家にあるのは外国のシャンプーらしいわね」


「……お値段は」


「(ピーッ)――って聞いたわ」


「……ブルジョワめ。カップラーメン生活の私と諾に謝れ!」


「それは二人とも面倒臭いだけでしょう。それに諾は今だけよ」


「……かっとなってやった。反省はしていない」


「労働基準法は守ってね……」


   ――


「ちなみに、歳は17よ。前回言い忘れてたけど、諾もね」


「……ってか、作中は時代いつ何だ?」


「まぁ、とりあえず携帯は普及してないみたいね」


「……ってことは十数年以上前か。意外と古いんだな」


「そうね。……そしてこうやって補完していくのね。あざとい事」


「――――ってまた生年月日割愛かい」


   ――


『趣味は?』


「……料理かしら。和と中華限定だけどね」


「へぇ、そうなんだ」


「諾には結構作ってるのよ? 泊めて貰ってばかりじゃ悪いもの」


「ははぁ……何だか仲睦ましいじゃないか? え?」


「……う、煩いわね。別に良いじゃないの」


「などとラブコメっぽい雰囲気を出しても本編じゃあんな有様なのでした」


「しかもロリコン主人公はまた寝てるのよね」


「お前がやったんだがな。そしてロリコン属性追加されたか。哀れ主人公」


   ――


「んで、名前の由来だが」


「えぇ……ってかこれらは定番なのね」


「『岡山県総社市の鬼城山に伝わる温羅うら伝説の鬼・温羅』から、だって。……感想は?」


「見ればわかるでしょ」


「でも、否定できないだろ」


「……えぇ。タイトルで盛大にネタばれしてるしね。昔のテレビか!? っていう」


「○○現る! ……だな」


   ――


『羽羅を一言で表すと』


「和風人形」


「鬼」


「ちょっと千姫……いらっしゃい」


「何だぁ? 二年前の決着をつけるか? …………分かった、仕切り直しをしようじゃないか」


   ――


『羽羅を一言で表すと』


「姫」


「ヤンデr――分かった、悪かった」


「……しかも自然に復活してるわね、諾。主人公なのに影薄いわよ」


「煩い。何故かこういう役回りなんだ」


「それにしても、何か似たような表現だな、羽羅に対して」


「もう一個言っていいなら、深窓のお嬢様何だけど」


「…………やっぱ伊佐見、さっきので頭どうかしたか?」


「……どういう意味よ」


「そのままなんだが……何処の世界に深窓のお嬢様がゾンビをはたき倒すんだよ――――悪かった」


「役に立たない魔術師に言われたくないわね」


「何だと?」


「大体魔術師なんて全然出てこないじゃないの! 魔女とか! カテゴリから抜きなさいよ!」


「ちょいちょい、目の前にいるんだが」


「だったらマント羽織ってステッキでも振りなさいよ! 或いは鏡持って唱えなさいよ! あと箒とか!」


「一応あるんだが」


「「え!?」」


「鏡はないがな」


「「なんだ……」」


「……箒もな」


「「なんだ……」」


「……でも実は?」


「ねぇよ!」


   ――


「何だかボリュームアップした気がしないでもないこのコーナー。お付き合い頂き嬉しい限りだわ」


「……次は千姫さんだそうです」


「まぁ、そうだろうな」


「楽しみね?」


「別に……」


「何かまた来たよ? ……『書くのが恥ずかしくなって来た気もしないでもない』」


「……じゃあ止めれば良いじゃないの」



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