四.断罪
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この話をもって起承転結の『転』が終わります
下げて上げてまた下がる、ジェットコースター展開(?)をお楽しみください
「アラン……私、空を飛んでます」
肌に突き刺さる冷たい風。耳当て越しでもごうごうと響く風の音。それらは決して不快なものではありませんでした。だってそれは、風とひとつになっていることの証でしたから。
「そうですね。ようやく、夢が叶いましたね」
目の前に広がる、海よりもずっと淡く儚い青。この青のどこかに、お母様がいるのでしょうか。今、ここから叫んだら、お母様に届くでしょうか。
……いえ、まだ我慢しましょう。もっともっと、お母様に『頑張ったね』と褒めてもらえる私になれるまで。
「一緒に来てくれてありがとう、シシィちゃん」
いつの間にか、ブリジッタ様が隣に立っていらっしゃいました。この〝飛行機〟というものには、空を飛ぶために考えもつかないくらい大掛かりな仕掛けがいくつも施されていると聞きました。その仕掛けがとんでもなく大きな音を立てるものですから、よくよく注意していないと人の気配にも気づかないのです。
「さっきも言ったとおり、私がやろうと企んでいることは神への叛逆だ。ほとんどどさくさに紛れてシシィちゃんを連れ出してしまったけど、君が望まないならこちらに合わせる必要はないからね。私はシシィちゃんの意思を尊重するし、どんな選択をとろうが君の身はちゃんと保護しよう。それが、君のお父上と約束したことだから」
そうです、浮かれている場合ではありません。私は心惹かれる空から目を逸らしました。もう、戻ることはできないのです。何も知らずに空に焦がれていた、あの頃には。
「私、ちゃんと決めたんです。私が大事にしたいものは何なのかを考えた時、すぐに答えを出すことはできませんでした。でも、さっきわかったんです。私が守りたいのは、みんなの笑顔なのだと。笑って過ごせるささやかな暮らしを、取り戻せる可能性があるのなら何だってします」
あの時アランが言ってくれなければ、私はあの場で神様に裁かれる道を選んでいたことでしょう。それがずっと、正しいことなのだと信じていたから。そうして自らを捧げることで、何もかもが救われるのならばそれでいいと。そうして自己犠牲の道を選ぶ自分を、美化していたのかもしれません。実際のところは、贖罪の方法がわからずに、目を瞑っていただけだったというのに。
「それに……今だからお話しますけど、私、ずっと空を飛びたかったんです。何度も何度も空を飛ぼうとして、失敗してきました。異端だとわかっていながら、それでもずっとやめられなかったんです。だから覚悟はできています。今からやろうとしていることが、その何倍も罪深いことだと……」
本当のことを言うと、怖いです。これが正しい選択だったのか、まだわからないのですから。ですが、私はもう逃げません。目を開いて、これからの世界をしっかりと見届けてゆこうと決めました。足元からくずおれそうでも、正体不明の何かに突き動かされて進んでゆく。恐怖を抑えて、進んでゆくのです。
「ふふ。そのことは知っていたよ。ギルバートさんが前に教えてくれたからね。優しい自慢の娘だと、そうおっしゃっていたよ」
お父様の名前を聞いた私は、目に熱いものが浮かぶのを止められませんでした。お父様……ごめんなさい、お父様。最後まで私、頼りない姿しか見せられませんでしたね。お父様。それなのに、背中を押してくださるお言葉をありがとうございました。あなたの娘でいられて、私は、幸せです。
ブリジッタ様に涙を見られたくなくて、私は再び空の方に目を向けました。空の彼方でお父様は、お母様と再会なされたのでしょうか。そうであればいいと、願わずにはいられません。
「ブリジッタ様。その……陛下は何故、怪我をされたのですか」
溢れる涙をそっと拭って、話を逸らしました。これ以上、泣いてしまってはいけません。
「ああ。あれはペルガモン家が所有する遺物だよ。銃器と言ってね、金属の小さな塊をものすごい速さで発射させる武器なんだ。射出された金属の塊は、人の身体を簡単に貫いてしまう……恐ろしい武器なんだ」
ブリジッタ様はそうおっしゃって、遠くの方に目を向けました。その目には何が写っているのでしょう。何に、思いを馳せられているのでしょう。
「そういえばアランくん。さっき思ったんだけど、君は〝銃〟を知っていたのかい?」
突然話を振られて、アランは驚いた様子でした。目をぱちぱちと瞬かせ、きょとんとした表情を浮かべています。
「……いえ。ただ何となく、危ない気がしただけです」
そっか、そうだよね。とブリジッタ様は笑ってそうおっしゃいました。けれども目だけは笑っていなくて、どこか考え込むような、少しだけ厳しい目をしていました。何か気になることがあったのでしょうか。
「ちなみにね、シシィちゃん。私が連れてきた兵が持っていたのも銃の一種なんだ。うちの遺物、〝書物〟の記録から再現したんだが、なるべく武器としては使いたくないと今日思ったね」
「他にも先史人類の叡智を再現されたんですか?」
思わずうわずった声を出してしまいました。ブリジッタ様の目に気を取られていたからです。ブリジッタ様はもうすっかり普通の笑顔に戻られていて、私の声を、興奮したあまりの声だと勘違いされたようでした。それでもブリジッタ様があまりにも嬉しそうなご様子だったので、そういうことにしておきました。
「あるよ。例えばほら、これとか。〝通信器〟っていうんだ。柔らかい部分を耳にはめて、前に突き出た部分に向かって話すと、遠く離れていても会話ができる。結構便利だよ。今回はオスカーくんにも持たせていたけれど、大活躍だったね」
ブリジッタ様の声に誘われて、ミコ様がやって来られました。ミコ様も遠くの空を眺めながら、真剣な目をしていらっしゃいました。
「先史人類の叡智は、知恵と技術の詰まった素晴らしい結晶です。ティアティラの書物と、スミルナの蒸気機関とを組み合わせて復元させた、と銃も、通信機も、この飛行機も。しかし一度使い方を誤ってしまうと、取り返しのつかない事態を招くことになりましょう。そのようなことのないように、上手に利用していきたいものですな」
馬鹿みたいにひとりで思い悩んで、ぐずぐず迷って。少しずつ見えてきた道は、このまま歩いて行ってもよいのかまだ自信が持てません。厳しい目。真剣な目。澄み渡る青だけが、空の色ではないのです。時折牙をむく空に、呑みこまれてしまわないように、と。
「さあ、そろそろ着くよ」
飛行機がゆっくりと高度を下げてゆきます。ブリジッタ様のご主人、ジョバンニ様が操縦する飛行機は安定を保ったまま、だんだん空から離れてゆきました。私たちを乗せて、もう二度と、あの青に触れられない錯覚すら覚えるほどに。
***
ティアティラのお屋敷で、思いもよらぬ再会が私を待っていました。連絡が途絶えていたラオディキヤ家の子、シユとシアの姿がそこにあったのです。
「シシィ、元気だった?」
「シシィ、久しぶりだね」
私の姿を見るなり、双子が私に抱きついてきました。力強く、顔まで押しつけて。声はくぐもっていました。泣き声に聞こえるくらいに。
「シユ、シア……ああよかった。無事だったのね」
嬉しかったです。膝をついて、両手でいっぺんにふたりを撫でます。よかった、よかったと。繰り返しそう呟いて抱き締めます。けれども。
「僕らだけだよ……」
「無事じゃない……」
何となく、わかっていました。ふたりが、ふたりだけで家を離れてここにいる理由を。
「父様母様が」
「リンファが」
言葉が、出てきませんでした。絞りだすような擦れた声が、心を引き裂くような声が、持て余すほどに苦しくて。
もう一度、力の限り抱き締めました。後に続く悲しい言葉を、ふたりに言わせたくなかったから。
「ごめんなさい……私が代わりに、傍にいるから」
時間は止まりません。どうしようもなく悲しくても、懐かしいあの時には戻らないのです。
立ち止まることもできません。足を止めてしまうと、後ろから時が追い立ててくるのですから。
手元に戻ってこないあの時と同じくらい、幸せな未来をもう一度、この手で。
「こんな悲しい思い、二度とさせないから」
***
ブリジッタ様に先導されて、ティアティラ家の鏡の間へとやって来ました。ミコ様はもちらん、旦那様のジョバンニ様、アランとオスカー、そして私の服の裾を掴んで離さないシユとシアも一緒です。
「さあ、皆様。ティアティラ家の〝鏡の間〟へようこそ」
他の聖騎士家の鏡を見たのは初めてでした。見た目はそっくり同じ形をしています。上の方に封じられた禍の名だけが、鏡を識別する手掛かりです。傷ひとつない、滑らかな鏡面。重厚な装飾と匂いたつ神秘的な雰囲気には、見ているだけで圧倒されてしまいます。
「この鏡を割る手がかりだけは、ずっと掴めないでいた。皆も知っているとおり、人の力で鏡を割ることはできない……先史人類の叡智の力をもってしても」
ブリジッタ様は懐から何かを取り出し、ティアティラの鏡へと向けました。キーラ様が持っていたものに似た銃でした。鳴り響く乾いた音に、思わず目をきつく瞑ってしまいます。それなのに、どれだけ経っても鏡が割れる音は聞こえません。代わりに聞こえたころん、という軽い音に目を開けると、相変わらず綺麗なままの鏡がそこにありました。細い煙の立ち上る銃の先を見つめてから、諦めたようなため息を吐いてブリジッタ様はおっしゃいました。
「このとおり。銃で撃っても傷ひとつつかない。私たちが相手にするのはこういう存在なんだ。一筋縄ではいかない。そこで私は考えた。我々が、神に対抗するための策を――」
シユとシアがもの珍しそうに、ブリジッタ様の銃を見に行きました。私は皆さんから少し離れて、頭の中を整理することにしました。たった今うかがったお話が、容赦なく私を揺さぶってかかるのです。少しくらくらして、フィラデルフィアの鏡に寄りかかりました。
フィラデルフィアの鏡に眠る、私だけに見える女の子。幾星霜もの日々を孤独に過ごしてきた、囚われの叛逆者。思えば、彼女について私はほとんど何も知りません。以前に少しだけ調べてみた時も、彼女の素性についての記述はほとんど見つけられませんでした。何も知らないのに、私は彼女を〝悪〟だと教えられたとおりに信じこんでいました。
ブリジッタ様がおっしゃったとおり、もしもそれすらも、間違っていたのなら……
右手でそっと、鏡越しに彼女に触れました。冷たく硬く、曇りひとつない鏡。そんな中に囚われ続ける彼女に思いを馳せながら、何の気なしに呟きました。
「やっぱり、知らないことだらけっていけませんよね。私、もっと知りたい。この世界のことを、もっとちゃんと勉強したいです、アラン……」
「シシィ様、それは……」
私の呟き声に対して、アランが張りつめた声でそう答えました。どうしたのでしょうか。不思議に思って、アランを振り返ります。
「アラン?」
怯えたような、驚いたような、複雑な表情でアランは私を見ています。
いえ。そうではありません。私ではなく、私の背後の鏡を見ています。鏡の中に、〝彼女〟を見ている……?
その時です。突然、触れていたはずの鏡の感触が消えました。それと同時に、鏡があった場所から眩しい光が放たれたのです。目を覆うのが遅れてしまって、視界が金に黒に灼けついて。
「っ――」
覆った手の隙間から、光の中に裂け目のような真っ暗闇が現れたのが見えました。それは昔読んだ絵本に出てくる化け物の口のようで、大きく、悪意を持ってゆっくりと開かれてゆきます。その中心に、ぽつりと佇む女の子の姿がありました。
それが誰なのか、何となくわかった気がしました。そちらへ行きたくないのに、何故だか私は彼女の方へと吸い寄せられてしまいます。
「シシィ様――」
最後にアランの声が聞こえました。喉を引き裂くような、それはそれは痛々しい声で。戻らなきゃ。そう強く思うのに、駆け戻りたいと思うのに、どうして……身体が、動かないのです。
「アラン!!」
私は精一杯手を伸ばしました。嫌。嫌、やめて。私は、あちらへ帰りたい! そう叫んだ言葉が、眩しい光の中で燃え尽きました。呼吸が苦しい。光が絡みついて締め上げているのか、光に貫かれているのか……だんだん視界が白く塗り潰されてゆきます。身体が、熱い。指の先から光に解けてゆくような……
怖い、怖い、怖い……私を、ひとりにしないで。アランの手にあと少しで触れられそうだったのに。弾かれるように、何もかもが真っ白になりました。
そして――ぷつり。糸が切れたように、私は何もわからなくなりました。
お読みいただきましてありがとうございます(〃´-`〃)
楽しんでいただけましたら幸いです





