二.審問
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王都にて行われる予定だった国王と聖騎士家の緊急会議は、急遽ひとりの少女に対する異端審問の場と化した。
ペルガモン家の告発により連れてこられた少女の姿に、聖騎士家の人々は動揺を隠すことができなかった。少女の名はセシリー=フィラデルフィア。〝叛逆〟を封じる家の者。
「シシィが……嘘でしょ……」
シシィの親友、エーファが引きつった声で呟く。その声が届いたのか、シシィは群衆を振り返った。その顔は絶望に充ちているかと思いきや、どこか安堵の色の浮かぶ、穏やかな表情だった。
少女と共に捕らえられたふたりの男は、後ろ手に縛られ床へと転がされていた。アランは、交差する剣に首元を押さえられてなおよく吠えた。怪しい白装束のオスカーは、冷たい眼差しを送る群衆の中から主を探す。彼の主、ブリジッタ=ティアティラの姿はそこにはなかった。
「放してください。シシィ様に手を出すな」
よく躾られた少女の狗に、人々は耳を塞ぎたくなるほどの悪言を垂れ流す。
「なんという無礼でしょう。立場をわきまえていないのかしら」
「見ましたか、あの醜い傷を。まるで悪魔そのものではないか」
「あのような者を手元に置いていた彼女はやはり……」
ざわざわと広がる悪意の渦は、さながら砂糖に集る蟻のよう。無抵抗なものへ一方的に、寄って集って喰らい尽くす。
国王が杖の先端で床を打つ。静粛にせよ、と暗に告げる。重々しいその音に、蟻の群れはすごすごと散っていった。物陰に身を潜め、再び狩る時機をうかがいながら。
「これよりセシリー=フィラデルフィアの異端審問を始める。証人は前へ」
国王の言葉を受け、ひとりの女がしずしずと歩み出る。貞淑な雰囲気をまといながらも、その目には燃えるような怒りの色を煌々とたたえて。彼女の名はキーラ=ペルガモン。当主である姉のアナスタシアとは対照的にはきはきとした性格で、やや血の気の多い女性だった。
「キーラ=ペルガモン、証言を述べよ」
「はい、陛下。申し上げます。彼女は、陛下の使いと偽り我が家に乗り込んで来るなり、突然『鏡が割れた』などとのたまったのです。彼女の言ったとおり、鏡は無残にも割れていました。ですが、鏡の間はペルガモン家の者以外、何人たりとも立ち入れないようになっていたのです。それを知っていたとは……状況から考えても、彼女が鏡の破壊に関与していたことを疑う余地はないと存じます。ええ……それこそ〝叛逆〟の罪の名に相応しく」
違う。それは嘘だ。アランは怒りに染まった目を剥いた。この場にシシィを弁護する者はいない。こんな無茶苦茶な審問があってたまるか。抑えきれずに激昂した彼は、自らの立場を忘れてしまった。
「違います! シシィ様は何も……」
「馬鹿者め。お前さんが声を上げたところで、シシィの立場は変わらぬどころか悪くなる一方じゃ。ここは抑えなされ」
怒りに任せたアランを諌めたのは、ところどころ聞き取りづらい、ざらつく微かな声だった。耳障りなその声が誰の声なのか、アランにはわからない。だが、聞こえてきた方向は間違いなく隣のオスカーからだった。首を回してオスカーの方を見る。オスカーは黙っていろと目で訴えていたが、アランは別の者に気を取られていた。オスカーの首元から、黒い紐のようなものがはみ出していたのだ。
「許されていない者が勝手に発言するでない。無礼者め」
群衆から野次が飛ぶ。この声は恐らく、ルイ=エフェソス。フィラデルフィアを目の敵とする彼は、ここぞとばかりに声を張り上げた。
「何か弁明はあるか? セシリー=フィラデルフィア」
国王はアランの声を全く無視して審問を続ける。国王は必死だった。こんなはずではなかった。千年王国は〝至高の世界〟。それなのにどうして……よりによって自分の代で。
わからない、わからない。こんな時にどうすればよいのかがわからない。国王も不安だったのだ。しかし必死に平静を装っていた。自らの不安を悟られぬように。この不安が民へと伝染ることのないように……
「はい……申し上げます。キーラ様のおっしゃったことに関して一点だけ、訂正させてください。私は鏡を割ってはおりません。ですが私は、今回の一連の原因に心当たりがございます」
凜とした声でシシィは語る。捕らわれながらも背筋を伸ばし、堂々とした彼女は威厳に満ちていた。そんな姿をした彼女を、アランは目を細めて見つめていた。
「申してみよ」
「はい、陛下。私はフィラデルフィアの血を受け継ぐ者ゆえ、遺物〝叛逆者〟の姿を目にすることができるのです。そして私は、この度の混乱の原因が〝彼女〟にある可能性を提示します。それは私が目撃したからです。鏡の中から抜け出した、彼女の姿を……」
シシィはもはや、悲劇のヒロインではない。自らの恐怖と向き合い、感情を整理し、今の彼女にできることをやってのけたのだ。
賽は投げられた。あとは、運命に身を任せるのみ……
「今まで黙っていたこと、お詫びいたします。自分でもどうしたらよいかわからなくて……けれど、彼女のことを解決できれば、今後鏡が割れることを防げるかもしれないのです。お願いします……どなたか力を、知恵を、お貸しください」
皆がシシィの方を見ていた。国王も、聖騎士家の者も……衛兵ですらも。皆がシシィだけを見ていた。狂人そのもののシシィの発言に、驚き呆れ、言葉を失って。
「……そ、そのような妄言、誰が信じるものか」
「そうですわ。叛逆者の名を出せば皆が驚くとでも思っているの?」
「早く正直に『私がやりました』と白状しなさいよ」
「このようなことになってしまうから、裏切りの芽はさっさと摘んでおくべきだったのだ」
そう。だから誰も、芋虫のように床を這いつくばった者のことなんて、気にかける余裕すらなかったのだ。
聴衆の焦りがひと塊となって、蜂の羽音のような唸りと共にシシィへ襲いかかろうとした、その時だった。不定型な塊が、か細い少女の腕に首に絡みつかんとする寸前でそれは霧散した。ぎりぎりのところでシシィは守られた。ひとりの青年が、シシィを庇って立ち塞がったのだ。
「シシィ様が裏切り者? そんなわけはない。シシィ様は誰よりも、この国のことを考えていらっしゃった。誰にも相談できずに、ずっとひとりで悩んでいらっしゃった……」
後ろ手に縛っていたはずの縄はいつの間にか緩んでいた。捕らわれ憤怒に染まりながらも、アランは冷静に、シシィのためにできることをやってのけたのだ。衛兵が縛った結び目には粗があったらしい。平和な世が当たり前であった王国においては、衛兵ですら、罪人の扱いに慣れていなかったのだ。
温かな湯に浸っているのが当たり前だった人々。急に冷たい空気に放り出され、寒さに震えることしかできない。解けた縄ははらりと落ちて、湯冷めした人々を嘲笑う。
「誰も知らないくせに! 見ないふりをしてきたくせに! またそうやって誰かに押し付けて、自分たちの地位さえ守られれば満足なのか? この中の誰かひとりでも、この国のことを本気で考えたことがあるのかよ!?」
許しもなく荒々しい言葉でまくし立てるアランを、咎める者は誰もいなかった。誰も声すら上げなかった。上げることができなかった。そう、それは国王ですらも。
「やれやれ。〝初めの愛から離れてしまった〟か……」
気味の悪い静寂の中に落とされた、誰にも聞こえない呟き声。同時にゆったりと立ち上がったのはミコ=スミルナ。歳に見合わぬ滑らかな動きで、重苦しい空気をすり抜けてゆく。
「若者よ、鉾を収めなされ」
そう言ってミコは、まずアランを諌めた。制されたアランは目を逸らした。感情のやり場を持て余してしまったのだ。しかし一瞬の後にアランはミコの方を振り返る。はっとした様子で、じっとミコを見つめて……
「陛下。発言してもよろしいでしょうかな」
ミコの声に、国王はようやく我に返った。王の許しを得たミコは、しわがれた声を張り上げ皆に問いかける。
「千年王国が滅びの運命に瀕していることは明らかでしょう。これまでも幾度か、こうして皆で集まり話し合いの場を設けてきましたが、いずれも中断を余儀なくされました。なので今、この場で皆様に問いましょう。どなたかこの事態を食い止める案をお持ちの方はいらっしゃいませぬかな?」
滅び、の直接的な表現に、人々は殴られたような顔をした。鏡が初めて割れた時に、誰しもが脳裏にその言葉を思い浮かべはした。しかし、眼を背けていたのだ。まさかそのような最悪の事態が起きるはずはないと、自らに言い聞かせて……恐ろしいものが来ませんようにと、神に祈りを捧げつつ。
「神の怒りを買った人間を探し出し、神にその身を引き渡す。そして、神の裁きを受けさせるのだ。これ以外にどうしろと言うのだ?」
わずかな思考の後に、そう答えたのはルイ=エフェソス。裏切りを是としない、頑ななエフェソス家前当主。第七の禍を封じる、千年王国最後の砦。そんなエフェソス家の者らしい考えとも言えた。
「神の怒りを買った人間がいるのなら、そうするべきなのかもしれませぬ。しかし、そのような人間はいないと私は考えております。フィラデルフィアが封じる〝叛逆〟の鏡は割れておりませぬゆえ」
今度は、ミコはほとんど囁くような声で語りかけた。人々はそんなミコの声に聞き耳を立て、より一層ミコの言葉に惹きつけられてゆく。
「我らは神の遵従なる僕。絶対的な服従と引き替えに、我らはこの千年王国を与えられたのですから。この国は我らにとって至高の世界。それを手放してまで神への叛逆を企てる者などいやしないでしょうに。では、なぜ鏡が割れ続けるのか。この婆は時折考えてしまうのです……まるで、神の気まぐれのようではないかと。それはとても、理不尽な試練だと……」
ミコの発言は、その場の者たちの度肝を抜くものだった。スミルナ家は代々慎ましやかな気質の家。そんなスミルナ家の長たる彼女が発した大胆な言葉は、異端ともとれる際どいものだったからだ。
「ハハ……ミコ殿、何を仰るかと思えば。そのような発言、気をつけられた方がよろしいかと」
「何のことはありませぬ。ただの年寄りの戯言……どうか御容赦を」
ミコは軽く会釈をしたものの、悪びれもせずにさらりと言ってのけた。
「いいえ。聞き捨てなりませんわ、ミコ様。このような時分に、そのような異端まがいのことをおっしゃるだなんて。一体どういうおつもりなんですの?」
猛然とまくし立てたのはキーラ=ペルガモン。ミコの言葉は、生来の血の気の多さと、聖騎士家としてのキーラなりの誇り、そして彼女なりの愛国心に火をつけたのだ。
「まさかミコ様まで、そのフィラデルフィアの女と同じように、この国を陥れる気でいるのではないでしょうね?」
ミコは落ち窪んだ目でキーラを真っ直ぐに見つめた。深い深い瞳は、感情を読みとる隙すらない。恐ろしいまでに深いミコの瞳に、キーラはぞくりと総毛立つ。
「異端、でございますか。ならばこの場で、この老いぼれに神が鉄槌を下されましょう。そうすれば、滅びを食い止められましょうな。さあ……さあ!!」
その時だった。アランとシシィの耳が、否、その場の人々全ての耳が、耳障りな低音をとらえた。それは蜂の羽音のようにも、誰かの唸り声のようにも聞こえた。得体の知れぬ音に耳を澄ませ、一同は静まり返る。
音は段々と大きくなり、ついには嵐の晩をいくつも詰めこんだような、耳をつんざく轟音となった。
「なんですの、全く……警備はどうなっているというの?」
しかしキーラの文句は、無機質に擦れて響き渡った女の声に掻き消されてしまった。
「やあやあ皆様、遅れてしまって申し訳ない。議論中にお邪魔しますよー!」
聖騎士家の誰もが聞き覚えのある声だった。そして時を同じくして、円卓の間は眩い光に包まれた。白い白い、強烈な光。人々は咄嗟に目を覆い、顔を背けたが間に合わなかった。太陽の光よりも眩しく冷たいその光は、皆の視界を奪っていった……
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