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Dear Lucifer  作者: 桃原カナイ
第二章.そして彼は堕ちて行った
13/23

一.異端

いよいよ第二部が始まります!

起承転結でいう『転』にあたる部分(*`・ω・´)

物語は大きく動き始めます


「はい、ブリジッタ様……聖騎士家に招集がかかったのですね。承知しました。シシィ様たちとは合流できましたので、このまま王都へ向かいます」



 オスカーさんが右耳の辺りを押さえながら、早口でそう言った。ブリジッタ様? 何を言っているのだろう。マスク越しに聞こえてくる声はくぐもっていて、余計に現実味のない感覚に襲われる。



「どういうことなんですか。教えてください」



 僕はそう言った自分の声を、僕はまるで他の誰かの言葉のように遠くの方から聞いているような心地でいた。



「……そうですね、お話いたしましょう」



 オスカーさんが早足だったその歩みをゆっくりと緩めた。こちらを振り返ったオスカーさんの珍妙な姿は未だに見慣れず、ぞっとしてしまう。顔にぴったりと張りついた、眼鏡のようなガラス。その奥にしか、僕の知るオスカーさんの気配はない。



「旦那様は、この現状を以前より予想されていました。覚えていらっしゃるでしょうか。私がティアティラ家からフィラデルフィア家に参ってすぐのことです。〝おまじない〟と称し、私はシシィ様とアランにワクチン……天然痘に罹らないための処置をしました。これが旦那様からの最初の命令でした。おふたりが今無事でいらっしゃるのは、そのためなのです」



 そう言われてみると、ぼんやりと思い出されるものがあった。腕を出して、変わった形の針を刺された。ぴりっとした痛みが走ったのを覚えている。幼かったシシィ様は泣き出してしまわれて、ご機嫌を戻すのが大変だったなあ……なんて。そんな、平和だったある日の光景ばかり。眩しいくらいに像を結ぶ。


 ああ。だからあの時、オスカーさんは慌てていたのだろうか。旦那様がラオディキヤ家へ出かけるとおっしゃった、あの時。



「なんで……オスカーさん。その、ワクチンってやつを、どうして旦那様にもして差し上げなかったんですか」



 シシィ様にとってのご家族は、旦那様しか残されていなかったのに。家族を失う悲しみを、僕は嫌というほどに思い知っている(・・・・・・・)。寂しくて苦しくて、僕なんかでは到底埋めることのできない穴。


 ……あれ、どうしてだろう。僕は家族を知らない(・・・・)のに、どうして。



「旦那様が決められたのです。自分には、不要だと。いずれ千年王国(このくに)が滅びゆくことを知っていながら、民を見殺しにするしかできない自らへの罰なのだと」



 オスカーさんの方から聞こえてくる言葉の端が震えていた。そのせいでちゃんと耳にまで届かなかったのかもしれない。聞こえた気がする言葉の意味が、わからなかった。



「千年王国が、滅ぶ?」


「……その件については、ブリジッタ様から詳しい話をうかがってください。ブリジッタ様はスミルナのミコ様、そしてフィラデルフィアのギルバート様と協力して、滅亡を食い止めようと尽力していらっしゃったのです」



 ああ、確かに旦那様は、ブリジッタ様とミコ様との親交が深かったな。それくらいの感想しか思い浮かばなかった。自分の国がなくなってしまうだなんて、そんなことは受け容れられなかった。



「……どうして、お父様。お父様は領民からの支持も厚く、素晴らしい領主です。それなのに、どうして……私なのですか」


「シシィ様」



 違います。と、僕はまるでうわ言のように繰り返す。違いますよ、シシィ様。そうではありません……旦那様はシシィ様を突き放したのではありません。違います、違います……どうか、ご自分を責めないで。

 ああ。僕はなんて情けないんだろう。シシィ様に必要な言葉が、見つからない。



「ギルバート様……旦那様が、そう望まれたのです。希望の切符は、若い世代へ。ご自分は、ひと足先に奥様のもとへ逝くことを許して欲しいと」



 オスカーさんは僕の探す言葉の先を示してくれた。そうだ。僕なんかの言葉ではない。旦那様の言葉こそ、シシィ様が欲する言葉なのではないだろうか。



「オスカー。それは、本当ですか?」



 シシィ様の足が止まる。旦那様の言葉が届いたのだろうか。そんな淡い期待は、シシィ様の表情によって簡単に打ち破られた。


 絶望。シシィ様の瞳は何も映していなかった。血の気のない頬に、立っているのがやっとな足元。シシィ様の全てが、絶望に打ちひしがれている。

 このままでは、シシィ様の心が壊れてしまう。何とかしなくては。僕にできることはあるだろうか。



「希望って、何ですか。オスカー、私はもう、許されない身なのです。空を飛ぶという禁忌を破りました。ルシファーを夢に見てから、鏡が割れるようになりました。そして……ルシファーが、鏡から抜け出したところを目撃しました。それなのに、何もできなかったのです。崩れゆく千年王国(このくに)を、ただ眺めていた……そんな私にも、希望はあるのですか」



 シシィ様。聞いてください。悲しさのためにご自身を傷つけないでください。僕は繰り返す。シシィ様に届くまで、何度も。



「だってこの国は、神様が造られた〝至高の世界〟なんですよ。それが破滅に向かって行った先に、希望なんてあるわけがないじゃないですか」



 シシィ様。旦那様を亡くされて、心細いのですよね。日常があんなにも簡単に崩れ去って、不安で不安でたまらないのですよね。そんな心を見せまいと、ご自身の感情を隠して隠して……今までよくぞ、耐えてこられましたね。



「私には勇気がありませんので、代わりに私のしたことをこの国の人々に報せてください。私は人々から憎まれ、神様からは罰を受けるでしょう。でもそうすれば、この世界に希望が訪れるかもしれませんね」


「諦めないでください。そんな理不尽、僕が許しませんよ。悲劇のヒロインを気取るのは、もっと余裕のある時にしてください」



 シシィ様。自棄(やけ)にならないでください。そんなくだらない犠牲に酔ったって、残るのは虚しさだけなんですから。



「シシィ様がご自分を責めるのなら、破滅を食い止めるために尽くすことで償いましょうよ。だって、この国始まって以来の危機なんですよ。聖騎士家の方々も協力してくれるはずです手を取り合って力を尽くせば、大抵のことは何とかなるんです。その姿を見れば、神様だって心を打たれて怒りを静めてくれるかもしれないじゃないですか」



 ねえ、シシィ様。頼りないかもしれませんが、ここに僕がいます。僕を見てください。あなたをずっと横で見てきた僕が、ここにいます。



「そりゃあ多少、フィラデルフィアは反感を買ってしまうかもしれません。でも、『憎まれっ子世に憚る』とも言います。シシィ様はいい子過ぎますから、少しは憎まれた方がいいです……存分に世にはばかってくださいよ……僕は、シシィ様にいなくなって欲しくありません」



 シシィ様にとって旦那様がただひとりのご家族であったように、僕にとってはシシィ様しかいないのだと。



「悲劇のヒロインって、私、そんなつもりじゃ……」



 それは日常生活においてはあまりにも当たり前のことで、今まで気づくことすらなかった。



「……なんですか、それ……私、本当のことを言っただけなのに……でも、何だか、力が抜けてしまいました……」



 シシィ様はぽつりと、ため息のようにおっしゃった。



「わかりました。アランがそう言ってくれるのなら、私……もう少しだけ、頑張ることにします」



 その声は、先ほどよりも絶望の色が和らいでいた。よかった……僕は、少しだけシシィ様の役に立てたらしい。

 僕の声はようやく、シシィ様の心に届いたのだ。



「……お嬢様、お気遣いできず申し訳ありませんでした。私はこのようななりですので、どうぞアランの背中をお使いください。アランなら喜んで差し出してくれることでしょうから」



 オスカーさんは、今にもくずおれそうなシシィ様にそれだけ言うと、促すように僕の方を見た。僕はすぐにシシィ様に背を向けてしゃがみ、どうぞ、と冗談めかして言った。シシィ様がくすりと笑う……よかった。ほんの少しでも笑顔が見れたなら、それだけで僕は充分だ。

 ありがとう、とシシィ様が呟き、僕はシシィ様を背負って立ち上がる。



「さあ、ひとまずは王都へ向かいましょう。先程、ブリジッタ様から聖騎士家の招集がかかったとの連絡を受けましたので」



 そうだ。さっき、オスカーさんがひとりで何か喋っていた。あれは何だったのかを尋ねようとしたが、オスカーさんが先に口を開いた。



「シシィ様、ルシファーはどのような姿をしているのです?」



 次に現れた時に、私たちも何か行動ができるよう教えてください、と。そういえば、僕はルシファーの特徴を聞いていなかった。こういうところが頼りないのだろう。



「ルシファーの姿は、フィラデルフィアの血を引く者しか目にできないとお父様から伺いました。なのでふたりが目にすることはないと思いますが、ルシファーは正装をした幼い女の子で、くせっ毛で白っぽい金色の髪を持っています。目の色は一瞬しか見たことがないので……青ではなかった気がします。アランみたいな紫がかった色だったような」


「なるほど、見た目の特徴は大体アランなんですね。髪の色もまんま同じじゃないですか」


「いや、僕の髪は直毛ですし。似てるって言われると何だかなあ」



 などと他愛ないやり取りをしているうちに、転送台に到着した。いよいよ屋敷を後にし、王都へ向かう……といったところで、オスカーさんが右耳の辺りを押さえて立ち止まった。また、ひとりで何か喋っている。



「もしもし、ブリジッタ様……ええ、はい。承知いたしました」


「何ですか?」



 僕は何をしているのかを訊いたつもりだったのに、オスカーさんは再びわけのわからないことを言い始めた。



「王都へ行く前にペルガモン家に寄りましょう。第四都市アマークも混乱が激しいらしく、連絡がつかないのだそうです。我々ならば感染の心配が少ないので、アナスタシア様とキーラ様を王都へお連れするようにとのご命令を賜りました」


「……どうやって?」



 ここにブリジッタ様はいないのに、どうやって指示を聞いたのだろう。



「まあ、また後でご説明しますよ」



 説明が面倒になったのか、時間がなかったのか。あるいは両方か。半ばオスカーさんに押し込められる形で、僕らは転送台に乗った。ゆっくり別れに浸ることも叶わない、あっさりとした出立だった。




***




 僕たちがペルガモン邸へ向かうと、使用人たちに追い返されそうになった。無理もない。シシィ様と僕を別にしても、異様な姿のオスカーさんがいるだけで僕らは怪しさしかない来訪者だと思う。オスカーさんは例のおかしなマスクを外していたけれど、効果はあまりなかったようだ。



「すみませんが、通してください。聖騎士家の方々に、王宮への招集がかかっているんです」


「ならば王宮の使者が参られるはず。不審な方を屋敷へ入れるわけにはいきません」



 この押し問答は永遠に収拾がつかないように思われた。が、騒ぎを聞きつけたペルガモン家当主、アナスタシア様の登場によりようやく終結することとなった。



「何の騒ぎかと思えば……フィラデルフィア家のセシリーさんではありませんか。ずいぶんとその、珍奇な格好の方もいらっしゃいますが。良いでしょう。お話を伺います」



 当主の承認が下りたのならば仕方ないと、僕たちは無事屋敷へ迎え入れられた。しかし、思いもよらぬ障壁が、新たに僕たちの眼前に立ち塞がることとなった。障壁とはずばり、アナスタシア様その人である。



「アナスタシア様。緊急事態なのです。急ぎ王都へ参りましょう」



 シシィ様が必死にそう訴えられたが、アナスタシア様は知らぬ顔で僕たちをお茶の席に座らせようと譲らなかった。



「この私が、お客様に対してお茶の一杯も出さないなんて思って?」



 それがたとえフィラデルフィアの方であっても、と一言つけ加えるのをアナスタシア様は忘れなかった。根負けして、一杯だけならと仕方なく席に着く。


 ペルガモン家とフィラデルフィア家の関係は、良好なものとは言い難い。そのことを承知していた僕は、アナスタシア様やキーラ様の前では身構えてしまっていた。けれども、こうして面と向かってお話してみると、アナスタシア様がフィラデルフィアに……シシィ様に抱くものは、負の感情だけではないのではないかとも思えてくるから不思議だ。


 アナスタシア様が、表情の引きつった使用人にお茶を用意するよう言いつけている時だった。突然、シシィ様が席を立った。顔色が真っ青だ……怯えた瞳をしていらっしゃる。何か、怖いものを見たかのような。



「セシリーさん、どうかして?」



 僕は前に見たことがある。今と同じシシィ様の表情を……ラオディキヤ家で、見たことがある。



「アナスタシア様、驚かないで聞いてください……」



 後に続いたシシィ様の言葉に、アナスタシア様は瞠目された。声を上げられることもなく、まるで、そのまま時が凍りついてしまったかのように。シシィ様も、立ち上がったまま動かない。見開かれた大きな目は、瞬きもせずにアナスタシア様を見据えたままだ。僕もオスカーさんも、その意味を悟り息を呑む。逃げられもしない、恐ろしい時間……



「お姉様。さっき外が騒がしかったようですけど、何かありまして?」



 扉から顔を覗かせたのは、アナスタシア様の妹、キーラ様だった。キーラ様の声をきっかけに、止まってしまった空間が再び時を刻み始める。



「セシリー=フィラデルフィアじゃない。どうしてあなたがいるのよ」



 シシィ様に気づくと、キーラ様は瞬時に表情と声を強ばらせた。そんなキーラ様に背中を向けたまま、アナスタシア様は口だけ動かしておっしゃった。



「キーラ……ペルガモンの鏡を見てきて頂戴」


「どうして?」


「いいから、急いで!」



 アナスタシア様のただならぬ剣幕に、キーラ様は納得のいかない表情のままでその場を立ち去られた。



「セシリーさん。突然どうして、あのようなことを?」



 そう問いかけるアナスタシア様は、全身でシシィ様を拒絶されていた。声で威嚇して、目で睨み据えて、態度で突き放して。先ほど一瞬感じた柔らかさは、もうひとかけらもそこにはなかった。シシィ様の言葉を、シシィ様そのものを拒絶して……シシィ様は、アナスタシア様を納得させられる言葉を必死で探していた。



「私は信じませんよ。信じませんからね」



 アナスタシア様はそう言って、震える指を固く組まれた。それは他の誰でもなく、アナスタシア様がご自身に向けた言葉だった。


 そう時間も経たないうちに、遠くの方から足音が近づいてきた。はしたないほどに大きな足音を立てて、キーラ様が部屋に飛び込んで来られた。興奮と驚きの入り混ざった様子で、頬を紅潮させたままでキーラ様は叫ぶ。



「お姉様……どうしましょう」



 肩でするほどの息を整えることもなく、キーラ様はほとんどひと息で告げられた。

 誰もが望まなかった、恐ろしい事実を。



「ペルガモンの鏡が、割れています!」

本日もお読みいただきましてありがとうございます!

楽しんでいただけましたら、幸いです( ﹡・ᴗ・ )b

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