8.邂逅
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わずか十歳の天才ピアニスト、そういう触れ込みで私は制作された。
当時、様々な形態のアンドロイドが発明され、汎用化される中、私は希少な存在だった。
外見は人間そっくり、それだけでも十分特殊だったが、私の脳もどきには他の追随をゆるさない超進化型AIと超高速CPUが搭載されていたからだ。
制作当初はあどけなさの残る仕草や口調、それにやや未熟な演奏をしてみせていた私だったが、ピアノを弾けば弾くほど、時が経てばたつほど自らの学習によって熟していくことができたのは、この脳もどきのおかげだ。
もう一つ、私には面白い特徴があった。それは肉体が時とともに成長、劣化する素材でできていたことだ。
この素材、はじまりは人間の欠損部の代替品として開発されたもので、どれだけ人間そのものの身体に近づけられるか、メンテナンス不要でかつ装着者の希望どおりの成長と劣化をすることができるか、そういった贅沢な要求を満たすために作られたものだった。それを初めて適用されたアンドロイドが私だったのだ。
栗色の髪にハシバミ色の大きな瞳、愛くるしい十歳の少女――なのに伊吹マナと名付けられたのは日本人が日本人のために制作した所以だ。ハーフという設定になってはいたが。
私がピアニストとしても一少女としても成長していく過程は多くの人間を大いに喜ばせた。そのころの人間は、家族や友人、恋人といった絆を作り保つだけの精神力を急速に失いつつあったがゆえに、無条件に私に親しみと共感を覚えたのだった。そう――私はある種の愛玩物だったのである。
ピアニストという職業を与えられたのは、過去に流行ったような囲碁やチェスで性能を競うよりもインパクトがあるからだ。運指の滑らかさや力強さ、腕の動きに追従する上半身の柔らかさや躍動感、息遣い、ペダルを踏む足の微妙な力加減にタイミング――それより何より、アンドロイドに芸術を追求することができるのか? この題目はしばしば議論のネタとして利用されたものだ。
ただし、私のことは誰もが人間だと思い込んでいた。演奏会をひらき、求められれば握手をし、年相応の少女らしい受け答えをしてみせ、泣いて、笑って、すねて、恥じらって――しかし誰にも私のことをアンドロイドだと見破ることはできなかった。『その瞬間』までどれだけ人間らしく振舞うことができるか、それもまた私の性能を示す定量的な指標とされ、その後大々的に宣伝に使われることになっていたからだ。第三百二十五条が私だけの特別なルールだという意味はここにある。
だから男の言う通り地球が滅亡したのであれば――私がアンドロイドであることを知る者は、今や私自身だけとなってしまった。
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