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5.私をゆるして

「……なんのために私達が夫婦になる必要があったのか、やっぱりよく分かりません。それにどうして今もこうして生かされているんですか? さっきの話だともう十三年もたっているのに」


 問いかけると、男は両肘を机に着き、手のひらの上に形のいい顎を載せた。そして私を食い入るように見つめてきた。


「ペットだよ」

「……ペット?」

「そう。つがいの観察。雄と雌のモルモットを同じ籠の中に入れておけば、何が起こるかは決まっている。だろ?」

「ちょっと待ってください!」


 思わず立ち上がる。


「そんなの無茶苦茶です!」

「どうして?」


 男の表情は変わらない。


 なぜ分からないのだろうか。さっき初めて会った時にも言い換えた言葉を、私は今度こそ発した。


「確かに夫婦になる必要があったのかもしれません。逆らえるわけがない状況だったことも理解できます。でも私はまだ十四歳ですよ? おかしくないですかっ?」


 言いながら自分の胸を叩き――。


「……え?」


 あり得ない感触に気づくのと、男がその視線を少し下げたのはほぼ同時だった。


「君はもう成人している。あれから十三年が経ったんだ」

「う、そ……」


 ぺたぺたと体を触っていく。胸ばかりじゃなくて頭の先から爪の先まで。手も足も、腹も臀部も。何もかも。


「そんな……」


 むき出しの二の腕がやけに細く見えたのは気のせいではなかったのだ。長くなり、相対的に細く見えていただけだったのだ。


「嘘……嘘だ……」

「嘘じゃない。鏡を見てみるかい?」


 ぶんぶんと首を振ると、栗色の長い髪がさらさらと空を舞った。


「……髪、随分伸びたね」


 男が感慨深げにつぶやいた。


「当時のことだけれど、君も僕と夫婦になることを了承している。それしか生きる道がなかったんだ。ああでも、僕と君は清い関係のままだよ。僕もそれぐらいのことはわきまえている」

「……だったら別に夫婦にならなくたっていいじゃないですか。『彼ら』に嘘をつけば済む話じゃないんですか」

「それは駄目だ」

「どうしてっ」

「『彼ら』は人間の生態以上に、人間の心に興味を持っているから」

「こ、ころ……?」

「うん。夫婦関係にある僕と君がどのような生活を送りどのように生を終えるか、そこに一番興味を持っているんだ。生殖活動や子孫をつくることだけではなくて、お互いを真に想いやっているはずの二人の心の変化こそを」


 呆然と話を聞いていたが、突如気づいた。


「あの」

「うん?」

「こんなふうに話していても大丈夫なんですか……?」


 急に声を潜めた私に、男は軽く椅子に座り直して姿勢を整えた。


「それは大丈夫」

「どうして?」

「今は『彼ら』から接触アクセスされていないから。接触アクセスの直前には脳が『そのこと』を感じとるから分かるんだ」


 ――聞けば聞くほど分からなくなっていく。


 やっぱり男の話は嘘なのだろうか。


 それとも真実なのだろうか――?


 仮に男の話がほらではないとしたら……ではなぜ私は頑なにこの男の妻となることを拒んでいたのだろうか?


 ただ『夫婦』という形式にはまってみるだけのことで、それは生き続けるために必須の選択だった――そうではないのだろうか?


 地球が滅ぼされていく様を直視させられ、無力さを痛感していたはずなのに、なぜ当時の私は最後まで妻となることを拒んでいたのだろうか?


 生き残った者同士、お互いを思いやりながら暮らすぐらい造作もないことで、それどころかこんな幼い私と夫婦になることを受け入れてくれて、男には感謝しかないはずだ。――それ以外の気持ちが芽生える理由はないはずだ。……たとえば『恐怖』なんていう感情を覚えるなんてあり得ないはずだ。なのに――。


「お互いが夫婦だと信じていることがとても大切なんだ」


 男が繰り返した。


 納得がいかないことばかりだが、


「夫婦って、たとえばどういうことをするんですか?」


 ついそんなことを訊ねてしまったのは、私の中の十四歳のせいだ。


「もちろん、その……変なこと以外で」

「君はどう思う?」


 逆に訊ね返され、私は少し悩んだのち、


「手を繋ぐ……とか?」


 自分に危害が及ばないような行為を言葉にしたら、一拍遅れて笑われてしまった。


  

 ◇◇◇



「なぜ君はそんなに僕の妻になることを拒むんだ……!」


 今よりもだいぶ若い男が怒りの感情もあらわに言い募ってくる。けれど私はただ頭を横に振り続けている。「無理なの」と言葉に出すことにもすっかり疲れ果てている。


 ――ああ、また記憶にない頃のことを夢を見ている。これもきっと十三年前のことだ。


「ただの口約束で、しかも形だけのものじゃないか。僕は君には一切触れるつもりもないというのに……!」


 もう二人の会話を邪魔するものはない。


 騒音の源であった大規模な破壊活動はずいぶん前に終了していて、代わりに息苦しいほどの静寂がこの小さな宇宙船スペースシップを包み込んでいる。


 あれほど青く美しかった地球も意地が悪いくらいに散々に破壊され、砕かれ尽くされ――そして宇宙空間にばらまかれた欠片のすべてはいずこかへと消えてしまった。地球上で活動していた無数の命も、地球に常にまとわりついていた月も、何もかも――。


 窓ごしに広大な宇宙空間を眺めながら、私は無意識に一つのメロディを口ずさんでいた。


「……おい、やめてくれ。こんな時に鼻歌なんてどうかしてる」

「ベートーヴェンの月光。……もう二度と月は見れないのに曲だけは残ったなんて、滑稽じゃない?」

「そういう感傷的な話はあとにしてくれないか」

「私、ピアノが好きなの」

「だからそういう話は今は」

「相手の好きな物も知らずに夫婦だなんて言えるの?」

「……ああ、そうか」


 男が合点がいったという顔になる。


「しっかりとした会話ができるし見た目も大人びているけど、案外……」


 ごめんと謝りかけた男に、私は目を見開く。


「なにそれ? まさか私が結婚に夢見ているとでも思った?」

「違うのか?」

「違うわ!」

「じゃあどうして」


 深いため息をついて男が私のそばに膝をつく。視線を合わせる。その仕草はまさに大人が子供にする所作だ。


「どうして君はそんなに意固地なんだ。このまま夫婦にならなければ『彼ら』に殺されてしまうんだぞ?」

「イブよ」

「は?」

「私の名前。イブ。それと私だって死にたくないわ」

「だったら」

「だからこそ。だからこそ私はあなたの妻にはなれないの。お願い、分かって」


 瞳の奥まで覗き込むように見つめると、ややあって男が狂ったように立ち上がり頭をかきむしる。


「僕には君を理解できないっ……!」

「理解できなくていい」


 私は淡々とつぶやく。


「理解できなくていいの。……あなたのためにも」



 ◇◇◇



 目覚めたら室内は薄暗かった。


 男いわく、一日のサイクルが分かりやすいように、夜は太陽の姿が見えなくなるように宇宙船スペースシップの軌道を設定しているらしい。


 空気が抜けて吸い込まれる、生き物特有のか細い音が隣のベッドから聴こえる。暗闇の中で男の胸が上下する様がぼんやりと見える。その姿を見ていたら、


「……かわいそうな人」


 思わずつぶやいていた。


「かわいそうな人、あなたはただのありふれた人間でしかないのに……。きっと私には想像できないほどの深く辛い孤独の中で生きてきたはずなのに……」


 もう私は目覚めているというのに。

 十三年間、一人きりで過ごしてきたというのに。

 なのに男は自らの言葉を裏切ることなく、私に触れることもなく眠っているのだ。


 形ばかりの妻になることも拒まれて――。


「……ごめんなさい」


 謝罪の言葉ばかりが出てしまうのは、喪失していた記憶の一部を取り戻したばかりだからだ。


「……ごめんなさい。あなたと夫婦になってあげられなくて……ごめんなさい」


 様々なことを思い出してしまえば、私が男にしてあげられることは謝罪だけだった。


「私をゆるして……」


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