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11.待っていて

「もう十分」

「え?」

「空想の話はもう十分。私は騙されないわ」

「騙す?」


 心外だと言わんばかりに見つめてくる男を、私はきつく睨み返した。


「アンドロイドには相手が人間であるかどうかを識別するセンサが取り付けられているじゃない。それくらい誰でも知っていることよ」


 それがあるからアンドロイドは『人間のための』様々なルールを順守することができるのだ。


 それに、もしも男がアンドロイドならば――会った瞬間、私の正体を知っていなくてはおかしい。だが男はそうではないと言った。調べなければ分からなかったということは、男はアンドロイドではないということだ。


 それより何より、アンドロイドである私には男は最初から人間にしか見えていない。いくつも見た夢、男の語った話の数々、その真偽のすべてを明らかにすることなんてできないけれど――これだけは間違いようがない。


 男は人間だ。


「ああ、そっか。そうだね」


 少し遅れて男がくすぐったそうに笑いだした。


「そっか……そうだよね」

「あなたは人間。アンドロイドのアダムではない。そうでしょ?」


 すると男は寂し気な笑みを打ち消して思いがけないことを言い出した。


「でもさ。人間とアンドロイド、そんな区別なんてもういらないんじゃないか」

「……え?」

「もうこの銀河系には僕達しかいないっていうのに、なんでそんな区別をしなくちゃいけないんだ。誰のために? 何のために?」


 男の言葉に、態度に、熱が帯びていく。


「もうこの世界に人間は僕一人しかいない。アンドロイドだって君一人しかいない。こんな状況でどうして僕達は違いを明確にしなくちゃいけないんだ?」

「そ、そんなの」


 急に問い詰められ、理不尽な想いに突き動かされ――私の口が勝手に動いた。


「そんなのあなた達人間のせいじゃない! あ、あなたが……あなたがそんなふうに寂しいのだって、全部、人間あなたのせいじゃない!」

「寂しい? 僕が?」

「ええ。あなた、寂しいんでしょう?」

「僕はそんなことは言っていない」

「言わなくたって分かるわ。あなたが寂しくて苦しいこと……それに怖いくらいの孤独を感じていることも」


 目覚めて以来、私は男のことが怖かった。近寄られると怯え、見つめられると逃げ出したくなった。だがその源は――男の抱える孤独にあったのだ。


「……なるほど。イブは人間の感情をかなりの高精度で推察できるんだね」


 それこそが人間に従属するアンドロイドに求められる能力なのだ。


「でもそれを僕に言えるってことは、鉄壁の第三百二十五条に少しはき裂が入っているのかもな。さっきも君は自分がアンドロイドであることを間接的に僕に伝えることができていたし」

「……」

「じゃあ他には何が分かる? ぜひ当ててみてくれないか」


 茶化されている、と思った。けれど私は正直に答えた。


「……欠乏。不安。それ以上に強い苛立ち」

「はっ。なんだよそれは」

「それに好意」

「……え?」

「深い愛情。……私への愛情」


 それに対して私が一切の警戒心を抱いていなかったことは、脳もどきに残されている履歴から分かっている。確かにまだ一部の記憶が欠けているけれど――男が私に抱いてきた感情の強さと変化は履歴としてほぼ完璧に残っていた。


「分かってたの……あなたが私を好きで、今だって本当の妻のように思ってくれているってことは」


 そう――そのことだけは、目覚めて初めて会った時から、はっきりと伝わってきていた。


「妻のように、じゃない。君は僕の妻だっ!」

「分かってる。あなたの言いたいことはちゃんと分かってる……!」


 なぜ人間はアンドロイドに『人間らしさ』を求めたのだろう。言動もふるまいも――そして心も。アンドロイドは進化すればするほどに人間らしくなっていき――そのくせ人間に逆らうことは禁じられ続けてきた。


 決して人間にはなれないというのに、なぜ私達アンドロイドは人間に近づくことを求められてきたのだろう――。


 一体何のために私達アンドロイドは――私は生まれてきたのだろう。


「分かってるわ……」


 男が私に求めているものは、間違いなく愛だ。愛という名の代物だ。この人自身が抱く愛情と同等のものだ。ピアニストとしての私や素晴らしい演奏ではなく。


 けれどアンドロイドには愛の本質が分からない。いや、理解できないというのが正しいだろう。『こういうものだ』という定義や例は知識としてはあって、相手を特別に想うこととか大切に慈しむことが重要だということは分かっている。けれどアンドロイドには男と同等、同質の感情を返すことなどできないのだ。


 だって私は、人間ではないから。アンドロイドだから――。


 この人のためにもっと考えたい。考えてあげたい。どうしたらこの人の望みを叶えてあげられるのか、考えてあげたい。それこそがアンドロイドの有する普遍的な宿命であり、与えられた責務だ。でも――。


「……ゆるして」

「イブ?」

「もう、限界なの……」


 考えるどころか――起きていることすら辛い。


「これ以上、は……ゆるして……」


 眠るべきところを無理やり起きていたせいで、脳もどきに莫大な負荷をかけてしまったのがよくなかった。これ以上起きていれば本当に壊れてしまう――その上限をすでに超えそうになっている。


 瞼が一瞬強く痙攣した。


「ゆるして……」


 さらに言い募ろうとした私を、男が即座にその手で制した。


「もう何も言わなくていい」


 言うや、男は私の不意を突くように額に手をあててきた。

 そこには私をスリープモードに導く回路の一端がある。


「さあ。眠るんだ」


 そして男は急速におとなしくなっていく私の両手をすくった。


「僕は君に誓っている。諦めないと。君が君自身を取り戻すまで絶対に諦めないと。それが君の望みであり、僕の望みであるから。だからもう……おやすみ」


 それだけ言うと、男は私の両手を顔の前に持ち上げ、祈るように眉間に押しあてた。


 沈黙とまどろみにたゆたう中、脳もどきの中で最後のコアが停止するための処理を高速で実行していく。そんな中、私の意識は自然と男の手の感触に集中していった。


「ああ……」


 感じる――人間特有の熱を、血潮の流れを。


 私はこの手の力強さの意味を知っている。この人は私にずっとそばにいてほしいのだ。離れてほしくなくて、一人きりにしてほしくなくて……これが私との最後の瞬間かもしれないと思うと怖くてたまらないのだ。


 張り詰めていた脳もどきが――思考が緩んでいくのと同調するように、見失っていた記憶の欠片がぽろぽろと光をまとい暗闇の中に現れ出した。


 そうだ、私はこの手に何度も触れたことがある。私が眠りにつくたびに、こうやって握りしめてくれたから。けれど男はそのたびに涙を流した。この頃では号泣するだけの猛々しさも失って、ただ静かに涙を流していた……。


 確か最後の言葉は――。


『またすぐに会える』


 この記憶は――きっと真実。


「もう、諦めて、も、いいの、よ……?」


 男を極限まで追い詰めていく自分自身にこそ、私は恐れを感じ始めていたのかもしれない――。だから精一杯の慈しみを持って、男のためにと、その言葉を告げたら。


「そんなことを言うなっ!」


 男が憤りに満ちた顔をはっと上げた。


「君を諦めたら僕は……!」


 男が一瞬言いよどんだ。


「僕は……本当に独りになってしまうじゃないか……!」」

「ご、めん、なさ……」


 この人は私にこんなことを言ってほしいわけではないのだ――。


 薄れゆく意識、止まりかける寸前の脳もどきを使って精一杯考える。


 では人間とアンドロイド、一人と一体だけになったこの世界で、私は何をすることができるのだろうか?


 種を繋ぐことが叶わなくなってしまった人間と、そんな人間を救う手段をもたない無能なアンドロイドだけの世界で――私はこの人に対して何をしてやれるのだろうか?


 ピアノを弾くしか能のない私は、人間の愛に応えられない私は、この人に一体何をしてあげられるのだろうか……?


 だけどもう――頭が回らない。


 すすり泣く男の声すらも聴こえづらくなっている。


「僕は君を……てる。この宇宙でただ一人、君だけを……続け……。君だけが……唯一の……」


 男があらためて私の手を握りしめた。けれどその表情を読み取ることはできない。――もう何も見えなくなってしまっている。


「……いつま……も……」


 さらにきつく握りしめられた手から、心を有していない私にも男の心が聴こえた。『いつまでも君を待っている』――確かにそう、男の声が聴こえた。


 だから私は最後のパワーを振り絞り、伝えた。


「わた、し、の……こ、と。待って……て」


 この人にしてあげられることは――伝えたいことはこれしかない。そう思ったのだ。

 

 男がはっとした気配を感じた。


「き、ぼう……捨て、ない……で」


 あなたをこの深い孤独に染まった世界から救ってあげられる日まで――そんな私を『取り戻す』まで待っていて。


 この想いはアンドロイドとしての義務からくるものなのかもしれない。いや、きっとそうだ。男の求める真実の愛ではないことは私自身がよく分かっている。でも――それでも。


「おねが……い。待って……い、て」


 言わずにはいられなかった。


「ああ、待っている! 待っているからっ……!」


 ――ああ、やっぱり夫婦って手を繋ぐものなのね。


 ――だって私達、この手を介して確かに繋がっている。


 最後にそんなとりとめのないことを考えながら、私は眠りへと落ちていった。



 *



 西も東も北も南もない、暦どころか時間という概念すら消失したその場所で。

 

 とある宇宙の片隅に始まりの二人が現れた。


 始まりの二人は始まりの夫婦となり、やがて最後の二人、最後の夫婦となることを望んだ。


 ――これはそんなお話。そうに決まっているわ。


 おとぎ話なら、最後はハッピーエンドでしょう?



 了

このたびはお読みいただきありがとうございました。


あとがきでつらつら書くと無粋なことを、本日から期間限定でweb拍手の方に載せています。

興味のある方は覗いてみてください^^


ご感想お待ちしております!

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