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カルチャーショック

 鹿を解体するには、まず肛門からナイフで裂いて、内臓を抜く。

 この時、内臓が破れると肉に臭みが移ってしまうので、接合部のみを注意深く切り外す。

 内臓が取れたら、すぐに冷却魔法を使い、鹿を冷やす。これを怠っても、肉に臭みが出るのだと以前ミッチェルさんから教えてもらった。

 内臓取りが終われば、次は皮剥ぎだ。皮を剥ぎやすいように、首の部分を持参した縄で括って、近くのちょうど良い高さの木に吊す。腹が割かれ、首吊り状態になりながら、つぶらな瞳を向ける鹿に、思うところがないと言えば嘘になるが、生きる為だ仕方ない。できる限り、美味しく頂くから許せと心の中で謝る。

 身を傷つけないように慎重に皮を剥いでいく。後ろで眺めていたローグから、恐らく「すごい」と言う言葉が口にされて、嬉しくなる。


「よし、皮は剥ぎ終わったぞ」


 額に浮かぶ汗を、腕で拭った。

 剥いだ皮を脇によけ、骨の形に沿って、肉をパーツごとに切り出しておく。

 全て切り終えると、ローグは感謝の言葉を口にしてから、肉に手を翳した。

 次の瞬間、目の前の肉が、頭や一部の内臓を残して消え去った。


「て、転移魔法……?」


 目の前で至極あっさり展開された魔法に、口元が引き攣った。

 物や人を指定の場所に飛ばす転移魔法は、使える者が少ない上に、かなり多量の魔力を消費する。

 上級魔法使いしか、使えない高度な魔法だ。もちろん、私も使えない。

 それをあっさり行使したローグに、驚愕を禁じ得ない。

 ……まさか、この村は、魔法石だけではなく、村人の所有魔力量までインフレしていたりしないだろうな。

 思わず疑惑の視線を送ってしまうと、ローグはバツが悪そうに、残した頭や内臓は森の獣が食べるから……と、恐らくそんな言い訳をし出した。

 違う。そう言う意味じゃない。

 自分の凄さをどこまでも無自覚な狼獣人を前に、この村のことは一体どこまで論文に書いて大丈夫なのかと、頭を抱えた。




 帰宅すると、ローグが風呂を沸かしてくれた。

 ローグの毛皮も血に濡れていたので、家主を差し置いて風呂を頂くわけにはいかないと固辞したのだが、ローグは自分は今から夕飯の調理で汚れるから良いのだと、首を横に振った。

 ……せっかくだから、完全にローグに任せた状態の狼獣人の料理を食べてみたい。一体どんな調理法を使い、どんな香辛料を使っているのか、興味がある。

 ここはローグの言葉に甘えることとしよう。


「……驚かん。私は、もうどこに魔宝石が転がってようが、驚かんぞ」


 風呂は木でできた、大きな桶のような形をしていた。

 張られた湯の中に、当然のように沈められている、青い魔宝石に、口端が引き攣った。

 相変わらずの、大盤振る舞いだ。

 石鹸などはないようだったので、洗い桶で頭からお湯をかぶって、できるだけ体を綺麗にしてから、風呂に右足を入れた。


「うわっ」


 その瞬間、肌を優しく撫でられたような感覚に、すぐに足を抜いた。

 ……な、何だ、今のは。

 おそるおそるもう一度右足を入れても、先ほどのような感触はない。気のせいだったかと、反対の足を入れた瞬間、再び先ほどと同じ感覚がして、びくりと体を揺らした。


「……もしかして、魔宝石が体の汚れを吸収しているのか?」


 湯を沸かして、快適温度に保つ以外に、そんな魔法まで展開しているのか? 

 そんな仮説を証明すべく、私は大きく息を吸い込むと、頭から湯の中に潜った。

 全身を、泡で包み込まれているかのような優しい感触がした。滲んだ視界の中で、魔宝石がきらきらと美しく輝いている。


「……ぷはっ!」


 すぐに風呂からお湯を出して、自分が使っているお湯を見下ろした。


「………魔宝石の無駄遣いにも、程があるだろう」


 お湯の中には、汚れどころか、浮かんでいてしかるべきな髪の毛一つ見当たらなかった。

 ………いや、体や頭くらいなら自分で洗えば良いだろう。狩りや調理は自分の手で行うくせに、何で変なところずぼらなんだ。



 湯から上がると、ローグもちょうど調理が終わったところらしく、台所から良い香りが漂っていた。

 風呂を上がったことを伝えると、ローグは一つ頷いて風呂場へと向かった。

 ローグの姿が見えなくなるなり、私は台所の魔宝石を確認する。


「……水瓶に一つ、竃に一つか。……うん、まあ想定の範囲内だな」 


 ……もう、私もこの家の異常性には慣れた。

 魔宝石のおかげで水を汲む必要も、火を熾す必要もない。……素晴らしいではないか。

 だいたい、私の家でも、水道や、竃代わりの魔法具はある。それが、高価な魔宝石によって代用されているだけで、実質何も変わらない。驚くことじゃない。

 時間にして、たった半日。この半日の間で、私の常識は緩やかに、だが確実に崩壊している気がする。

 私が一人遠い目をして黄昏ている間に、さっさとローグが戻ってきた。なるほど……ローグのような風呂の時間を節約したい人ならば、あの魔宝石の効果は必須なのだろう。

 頭から湯に潜り込んで、さっさと出てきたのだろう。灰色の髪も肩の毛皮も湿っているが、先ほどまでのこびり付いた血の跡はどこにも見えない。

 ローグはまだ温かい料理を皿に盛ると、テーブルに運びだした。慌てて、私も手伝うことにする。


「……うん! なかなか美味い」


 ローグが用意したのは、鹿の肉や内臓を、野菜と共に煮込んだスープと、フライパンで焼いた平たいパンのようなものだった。スープには、木彫りのさじが添えられている。

 スープは塩とコショウだけの簡素な代物だったが、なかなかどうして悪くない。鹿肉は調理が難しく、下手に調理するとうま味がなくなる。さすが、鹿肉の扱いは慣れているのだろう。

 パンは、木の実を挽いて粉にしたものを使ってるのか、小麦のそれと違い、食感がごわついていて固い。だけど、私はこういう噛み締めるタイプのパンは嫌いじゃない。というか、嫌いなもの自体があまりない。

 普通に美味い美味いと食べていたのだが、何故かローグは申し訳なさそうに耳を伏せていた。

 明日は、村長の奥さん……彼の母親の料理を食べさせてくれるらしい。楽しみであるが、別にこのままでも私は構わないんだがな。


「………というか、ローグ、やっぱり独り身なのか? 珍しいな。私と同世代で」


 家の様子からそうかとは思っていたが、この手慣れた料理といい、いつまでも現れない奥さんや子どもといい、彼が独身であるのは間違いないようだ。

 獣人は総じて、人間より平均結婚年齢が低いらしいので、彼の年齢まで独身でいるのは珍しい。……まあ、人間の平均結婚年齢を10も過ぎて独身である私が言えた話じゃないが。

 早くに奥さんを亡くしたのか、はたまた、実は見かけよりも10以上も若いのか。

 どっちにしろ、つっこみにくい話題だ。


「しかし、ローグが独身なら……」



「……まあ、こうなるわな」


 食事と片付けを終え、歯を磨いた私とローグは、一つしかないベッドの前に立っていた。

 ローグはベッドのことまでは失念したのか、とても動揺しているようだ。顔には出ていないが、尻尾が形容しがたい動きをしている。獣人はこれがあるから、分かりやすい。


「……まあ、ここは居候である私が床で寝るのが筋だろう」 


 幸い、寝袋もある。

 テント生活に比べれば、気温や湿度が完璧に調整されている分、ここの床は天国だ。

 しかし、床に寝床を作ろうとする私を、ローグが許さなかった。

 自分が床に寝るから、私がベッドに寝ろということらしい。

 ……いや。さすがにそれを甘えるわけには。

 暫く押し問答が続く。


「うわっ」


 らちがあかないと思ったのか、ローグが私の体を抱えてベッドに放った。

 ベッドはバネが効いていて、マットも柔らかく、落とされても痛みは全くない。

 ……いや、このまま甘えるわけにはいかないだろう。

 背を向けて去ろうとするローグの尻尾を掴む。

 ローグはびくりと体を奮わせて、こちらを振り返った。

 威圧感のある金色の瞳に見据えられ、思わず怯みそうになる。しかし、居候としてここは譲るわけにはいかない。

 目を逸らすことなく、見つめ合うこと、数秒。

 折れたのはローグの方だった。


「……て、あれ?」


 次の瞬間、私はふわふわの毛皮に額を埋めてベッドの上に寝転がっていた。

 抱き締められている。

 ……何が起こっているのか、よく分からない。


「いや……私は床に寝ると言ったけれど、一緒に寝ようとは……」


 思わずいつもの人間の言葉でつぶやくも、当然ながらローグには通じない。

 そのまま早々に眠ってしまったらしく、返って来たのは寝息だけだった。


「……まあ、良いか。これも狼獣人ならではのスキンシップなのだろう」


 恋人ではない独身の男女が、一つ屋根の下に同居し、同じベッドに抱き締めあって眠る。

 人間ならあり得ないことであるが、所変われば常識も変わる。魔宝石の件でそれを認識したばかりだ。

 きっと、狼獣人にとっては、この行為は大したことではないのだろう。


「しかし、硬質に見えて、こんなに毛皮が柔らかいとは……また一つ……新たな発見だ……」


 温度管理された部屋の中では、顔に当たる毛皮はひたすら心地良くて眠気を誘う。

 カルチャーショックの数々に疲れていたこともあり、私はそのままローグの腕の中で、眠りに落ちて行った。




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