ローグとの生活
あまりに容易に受け入れられているのは、彼ら狼獣人が、周囲の他の獣人達に守られているだけの純粋無垢な存在だからか。はたまた、私を試しているのか。
「後者だろうなあ。おそらく。じゃなければ、200年もの間これほど完璧に自身の種族の情報を隠蔽できたはずがない」
ならば、一層緊張感を持って、ローグに接しなければなるまい。
私は言うならば、彼らにとって「人間」代表なのだ。
彼らが人間に敵意を抱いてしまわないように、細心の注意を払わねば。
一人拳を握り締めていたところで、ローグが帰宅した。
出る前にカタコトながら必死にお願いした、結界の魔法具も忘れずに持って来てくれたことにホッとしつつ(紛失したら、魔法工学教授に一体何を言われるか)、お礼を言って木製のテーブルの上に土産物を広げる。
「えーと。食べ物や画集は、犬獣人語では確か………」
持って来た土産物の多くは、常温でも保存が効くタイプの食べ物だ。
もしテントでの張り込みが長くなり、例のまずい缶詰がなくなったら、食料代わりにしようと思っていたのだが、思いの外早くローグと遭遇できた為、全て丸まる残っている。
お茶や酒等の嗜好品や、ちょっと珍しいものを中心に集めてみた。舌に合うかは分からないが、全部少しずつだから、何かしら当たりはあるだろう。
他にも、文字や言葉が分からなくても問題がない、画集や、綺麗な装飾がされたオルゴール等も持って来た。
ローグはどれも興味深げに手にとってくれたものの、特別喜んでくれている様子もない為、土産物の選択を間違えたかと一人反省する。
……予想していたよりも、村の文化は発展してそうだものなあ。これくらいの土産物じゃ、感動はしないか。
その時ふと、ローグの視線が、一点に注がれていることに気がついた。
「あ……それは……」
ローグが見ていたのは、琥珀色の魔宝石の欠片だった。
異なる文化を持つ集落では、普段使用している貨幣が機能しないことも多く、そう言った時にはどの集落でも共通して価値がある魔宝石が貨幣の代わりになる。だから調査をお願いする時は、滞在費の支払いも兼ねて、必ず魔宝石を土産物にするようにしている。
赤ん坊の爪ほどの大きさしかない小さな小さなその石は、それでも他のどの土産物より高価な品だ。使い果たした私の貯金は、ほとんどがこの石の為に使われたと言って過言ではない。
……しかし、あの見事な魔宝石を見てしまうとなあ。いや、まさか魔宝石の相場がインフレを起こしている村があるとは思わなかった。こんなクズ石じゃ、この村の人達からは鼻で笑われてしまいそうだ。
そう嘆息するものの、何故かローグの視線は魔宝石に固定されたままだ。
……こんなクズ石持ってきてと、怒っているのか? いや、黙ってあれを見ているところからすると、そう言うわけでもなさそうだ。
ちらりと室内に置かれた魔宝石に視線をやる。きらきらと光輝きながら、除湿魔法を展開し続けるその石の色は、鮮やかな赤色だ。
純度も大きさも、比較にもならない、お粗末な土産物の石の色は琥珀色。……石をじっと見つめるローグの瞳と同じ色だ。
……もしかしたら、この村では魔宝石の色によって価値が違ったりするのか? 私が買った店では、琥珀色より赤の方が人気が高くて、高価だったが。
すぐ傍に特上品がある状況でクズ石を渡すことに少し気後れはしたものの、まあこんな小さな石でも指輪くらいにはなるだろうと、ローグに石が入った小瓶を渡す。
渡されたローグの表情は特別変化は見られなかったが、次の瞬間尻尾が勢いよく立ち上がり、左右に揺れた。
……これは、喜んでくれているんだよな? なんで、あんなクズ石にここまで喜んでくれているのかは不明だが、費やした貯金が無駄にならなかったようでよかった。
荷物を、ローグが貸してくれた棚に入れ終えると、ローグが出かける準備をしていた。
どうやら、夕飯の為に狩りに行くらしい。これは、是非とも同行させてもらわねば。
着いて行くと言う私の主張に、ローグはおそらくは危険だなんだと言うことで難色を示していたが、最終的には折れてくれた。
「食べ物に関しては、どうやら完全に自給自足の生活のようだな」
家を出るとすぐに見えてくる、ローグのものらしい畑を見ながら、一人考察する。
半農、半狩猟生活と言ったところだろうか。この辺りは、まあ事前に予想していた通りではある。
……しかし、恐ろしいのは、この畑の傍らにも、無造作に魔宝石が放置されていることである。しかも、家の中の魔宝石にも劣らない、超一級品のものが。
恐らく、土壌の水はけや栄養状態を管理したり、作物に有害な虫や獣が寄らないような小規模結界を作成したり、より作物の栄養価やうま味成分が高まるようにする魔法が、魔宝石から常時展開されているのだろう。富豪の農家では、そういったことの為に魔宝石を使うこともあると聞いたことがある。魔宝石作ブランドとして、王族や貴族向けかなりの高価な値段で、市場にでまわっているだとか、なんだとか。
……それをこんな小規模な個人の家庭菜園規模で行っているとは。カルチャーショックで、くらくらする。
家の中のあれでも大概だと思ったが、外の誰でも見えるところに魔宝石をぶん投げているってどうなんだ!? 誰でも簡単に盗んでいけるぞ!?
一体この村には、どれだけ多量の魔宝石の貯蔵があるんだ………知りたいような、知りたくないような。知ってはいけないような。
「……ミステ?」
気がつけばずいぶんと前に進んでいたローグに名前を呼ばれ、慌てて後を追った。
「ーーしかし、狩猟のやり方は、ずいぶんとまあ原始的なんだなあ」
あれだけの魔宝石があれば、かなり性能が良い魔法銃だって作れるだろうに。
私は一人そんなことを思いながら、血塗れのローグを眺めた。
当然ながら、この血にはローグから流れたものは含まれていない。全て獲物の鹿の、返り血である。
ローグの狩りには、銃という文明の利器は用いられなかった。
というか、武器すら使わなかった。
木の上で、存在感を殺すこと、約半刻。
ローグは鹿が現れるなり、上から跳びかかり、瞬く間にその牙で頸動脈を噛み切った。
原始的というか、獣的というか。
こうやって自らの肉体のみで獲物を狩ることが、狼獣人としての誇りなのかもしれない。
「あ、この場で鹿を解体するのか。なら、手伝うわせてもらおう」
身を隠していた木から降り、鹿を解体しようとしていたローグに駆け寄る。
鹿を解体するなら自分がする、という私の主張にローグは驚いたようだったが、私が自分の小刀を取り出して、慣れた手つきで鹿を切り始めると、そのまま黙って私がしたいようにさせてくれた。
私が今まで調査していた獣人の中には、狩猟で生計を立てている獣人もそれなりにいた。彼らは総じて無口で、自分の仕事が邪魔されるのを嫌う。
そんな彼らから話を聞き出す為には、彼らにとって役立つ女だと思われる必要があった。
私は一人、本やら、狩った直後の獲物等を買い込み、一人で獣の解体を練習した。(なお、解体した獣は一人で食べきれない為、他の教授陣に無理やり押し付……もらって頂いた)
練習のかいがあり、今の私の獣の解体の腕は、「俺の妻より綺麗に捌く」と熊獣人の猟師であるミッチェルさん(56歳、頑固)からお墨付きをもらったレベルだ。