恋と失恋の自覚
※ミネアの魔法について加筆修正しました
父親と母親が喧嘩しているのか、戯れているのか判断がつかずに戸惑うナリスの目元を、ルフは片手で覆い隠す。
「--まあ、そんな欲張りでお馬鹿さんな君さえ可愛いと思ってしまうんだから、どうしようもないね。惚れた俺の負けだ」
--そして溜息交じりに、私に優しく口づけたのだった。
『………ねえ、君達。夫婦仲良しなのは良いが、私のこと忘れていないかな。それとも、気づいていて無視してるのかい? ……ああ、くそ。ミステに狼獣人の言語能力を貸してるから、ちゃんと文句も言えやしない。何だか私も、子どもと夫に会いたくなったぞ! 虎獣人との交渉が長引いた後のこれだから、私はもう一ヶ月も家族とまともに顔を合わせてないのに!』
◆◆◆◆◆◆◆
「--待って! 待ってくれ、ローグ!」
必死にただ追いかけても、駆けるローグには追いつくことができない。
……やっぱり彼は怒っているのだろうか。
「いや……だったら、とうに走り去っているはずだ」
私とローグの距離は縮まらないが、その反面広がってもいない。
私の鈍足ならば、とっくに置いていかれていてもおかしくないのに。
黄金色の瞳がほんの一瞬こちらに向けられ、また視線が前へと戻った。
前を駆ける速度が、わずかに遅くなる。
今の動作で確信した。……ローグはきっと、私を誘導しているのだ。
二人きりでゆっくり話ができる場所まで。
「……ここは……」
たどり着いた場所に、なんとなく覚えがあった。
ここはきっと、私が先日ローグと再会した場所だ。
そして、きっと。
「ローグ。……ロウ。きっとここは、25年前に君が私を助けてくれた場所だね」
ぴたりと足を止めたローグの視線が、ゆっくりと私の方へ向けられた。
『ーーだれか……だれか、おとうさんを、たすけて』
誤って崖に落ちて気を失った父の傍らで、幼い私は泣きながら助けを求めていた。
木々の間から降り注ぐ雨が冷たくて。
遠くから聞こえてくる、正体もわからない獣の遠吠えが、怖くて仕方なかった。
きっとこのまま、私は父と共に死んでしまうんじゃないかと思った。
その時、隣の茂みが揺れてーー……。
『……子犬?』
現れた、小さくて愛らしい灰色の子犬。
すぐにどこかへ行ってしまったと思ったら、大勢の大人の獣人を引き連れて戻って来てくれた。
私と父の命の恩人で--私の最初のお友達さん。
「……狼獣人は、幼い頃は狼の姿をしていて、大人になると人型と獣型、どちらの姿も取れるようになるんだな……他の獣人にはない、特別な性質だ。さすが未知の種族だな。実に興味深い」
……違う。こんなことが言いたいんじゃない。
私はこんなことを言う為に、ローグの後を追ったわけじゃない。
「そうだ……言葉。狼獣人の言語能力を、ミネアから魔法で借りたんだ。だからようやく、ちゃんと謝れる。その……すまない。私は色々勘違いさせる言動をしてしまったし……そもそも番になってしまったのも、私がロウをただの子犬だと思って、無責任に好意を向けてしまった結果なのだろう? ……本当に、申し訳ないことをしたと思っている」
ローグに、謝りたかった。
だけど、謝罪の言葉より、今、まず私が伝えないといけない言葉は。
「だ、だから……ぜ、全部わた、私が悪いから、責任を………ローグはとって欲しくないかもしれないが……ローグが嫌でないなら、私は責任を……」
違う。
違う。
違う。
そうじゃない。
そんな言葉を伝えたいんじゃ、なくて。
『何で、25年前という時効と言ってもおかしくないような大昔の……しかも当時お互い3歳で、判断能力の面でも情状酌量の余地が十二分にある頃の過ちの為に、例え嫌われていても狼獣人に嫁ごうだなんて殊勝なこと思えるんだ? ギルフの場合と何が違う』
頭の中に、先程ミネアから言われた言葉が過ぎる。
違う。
ギルフとローグじゃ、全く違う。
だって、ローグは。ローグは………。
『--本当に?』
口の中が、どうしようもなく、乾いた。
心臓が、破裂しそうな程煩い。
『本当に、全然違うのかい? 君はそれを研究者として、客観的事実として、はっきり違うと口にできるのか?』
--本当に、全然違うと、断言できる。
研究者としてでも、客観的な事実として、ではなく。
ミステリューズという、一個人の、主観として。
だって、私は………。
「私は………君のことが、好きなんだ」
脳で理解するよりも早く、想いが音になって、ポロリと口からこぼれ落ちた。
「君を異性として好きだから、責任を取ると言う名目で、これからも一緒にいようとしているんだ……」
ああ、私は何て馬鹿なんだ。
こんな単純な事実に、今の今まで気づいていなかったなんて。
かあっと顔が熱を持つのが分かった。
熱い湯に浸かったみたいに、全身がひたすら熱い。
いつから、彼を好きになっていた?
分からない。「好き」と言う感情ですら、今気づいたばかりなのに、過去のことなんて、わかるはずがない。
でも、そんなことはきっと、今はどうでも良いことなのだろう。
「っ……重ね重ね、すまない………私が君を好きだなんて言う権利、ないのにな……」
初めての恋の自覚は、初めての失恋の自覚でもあった。
「こんな………可愛げの欠片もない女に惚れられても、嬉しくも何ともないだろう」
私は、ローグが勘違いしていたような「私」には、けしてなれないのだから。




