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ズーティットからの手紙

 思わず、激しく噎せ込んだ。


「親父殿? 急にどうした。体調が悪いのか」


「……あ、ああ、大丈夫だ。心配するな」


 最愛の番であるイツナに背中をさすってもらいながら、何とか動揺を抑えこんだ。

 ……いつの間に、結婚前提の意識になったんだ。この愚息は。

 先日までは、さんざんミステさんが自身の番ではない可能性を口にしていたというのに。


「村長として、結婚儀礼の日程を決めるのは構わないが、あまりに急な話ではないか? どういう心境の変化だ?」


「………星祭りの夜。ミステが、俺が贈った指輪を、左手の薬指にはめてくれたんだ」


 微かに頬を赤らめながら、ローグは衝撃の言葉を告げた。。


「人間にとって、左手の薬指に指輪をはめるのは、結婚を承諾したという意味なのだろう? ……ミステが俺を受け入れてくれるというなら、俺の気持ちはもう揺るがない。一刻も早く、名実共にミステの番になりたいんだ」


 ……駄目だ。これはもう、完全にミステさんが自分の番になることを信じて疑っていない。

 私は天井を仰いで、頭を抱えた。

 確かに、ミステさんの行動は、人間の常識を当てはめてなお、求婚を受け入れたようにしか思えないものだ。

 手紙を読む前ならば、私もイツナと手を取り合って愚息の快挙を喜び、即急に結婚儀礼の準備を進めていただろう。

 だが、しかし。手紙を読んでしまった今の私にはわかる。


 ーーローグが人間の常識に則って指輪を贈ったということを、ミステさんは気付いておらず、狼獣人独自の慣習だと思い込んでいるのであろうことを……!


「あー……ローグ。実はな。先刻ズーティットから手紙が届いてだな。……人間語の通訳ができる村長の娘が、数日中にここ来てくれることになったんだ」


 私の言葉に、ローグは僅かに眉をひそめた。


「ようやくか? ……想定していたよりも、ずいぶん遅かったな」


「ズーティットで唯一通訳ができるミネア嬢が、村長のメルヴィル共々、ハムステルンの虎獣人との交渉の為に、しばらく村を空けていて返事ができずじまいだったらしい。村に戻ってからは、すぐこちらに向かってくれているようだから、今ごろは中央地帯にさしかかったところだろう」


 そこで一度言葉を切った。

 ……さて、ローグには一体どこまで伝えるべきか。

 本当はすっぱり引導を渡してやった方が良い気もするが……。


「……親父殿?」


「いや………だから今は遠方から遥々やって来てくれる、ズーティットの客人を歓迎する準備の方が先決なのだ。お前の結婚儀礼云々は、客人が帰ってからでも十分だろう」


「………それもそうだな」


 私の建前に、分かりやすくしゅんと耳を伏せた息子の姿に、罪悪感で胸が痛む。隣にいるイツナに至っては、息子を哀れむあまり最早泣きそうだ。

 ……だが、ローグ。許せ。その場凌ぎでも結婚の日にちまで決めてしまったら、お前はきっと立ち直れなくなるから。


「……とりあえず、ローグ。指輪を薬指にはめてもらったことを喜ぶのは良いが、お前は勇み足が過ぎるぞ。……まずはズーティットの通訳を通して、ミステさんと会話をしてから、色々判断しなさい。……もしかしたら、とんでもない誤解をしている可能性だってあるのだから」


 手の中の手紙を、くしゃりと握りつぶす。


 ズーティットから届いた、一通の手紙。


 ーーその中には、ミステさんが優秀な文化獣人類学者であり、研究に夢中になるあまりに異性との距離感を誤り、相手を勘違いさせることがあるので気をつけて欲しいという旨が書かれていた。




◆◆◆◆◆◆


「サテ・シュアレ・ナ」


 そう言って私の唇に優しく口づけをし、部屋を出て行くローグの背中を、私はただ唖然と見つめていた。


「………サテ・シュアレ・ナって、どういう意味なんだ」 


 犬獣人の言語では、全く聞いたことがない言葉だ。

 意味の推測すら難しい。

 不可解なのは、この言葉だけではない。


「ーーっなんでローグは、この言葉を口にする度、当然のように私にキスをしてくるんだ………っ!」


 時間差でかあっと熱くなる頬を、両手で挟みこんだ。

 何度経験しても、この恥ずかしさは消えてくれない。


 星祭りの夜から始まった、ローグの新しい習慣。

 私には法則性を見出せない謎のタイミングで、件の言葉と共に所構わずキスをされる。

 あまりにも突発的に行われるので、その度私は固まってしまい、何の抵抗も拒否もできないでいる。


「……嫌じゃない……けして嫌じゃないのだけれども……っ!」


 なんというか……モアモアして、モヤモヤして、モンモンとしている。

 文化獣人類学者の端くれとして論文を書いているにしては、あまりに抽象的で不明確な表現なのだが、それ以外にこの奇妙な感覚を現す言葉が上手く出てこない。

 唇が、顔が、全身が、内側から発熱しているみたいで、モアモアする。

 胸の奥で、なんというか、色んな落ちつかない感覚がぐちゃぐちゃに混ざっていて、モヤモヤする。

 ローグの新しい慣習の意味が分からなくて、「サテ・シュアレ・ナ」をなんて訳すれば良いのかと、悶々としている。


「……全ては、この指輪から始まったんだよな」


 左手の薬指にはまった指輪に視線を、落とす。

 途端、口の端から「ふへっ」と空気が抜けるような間抜けな音がしたかと思うと、自分の意志とは関係なく、口元がゆるゆるに緩んだ。


「………おかしいっ! 指輪を受け取って以来、私は何だかとっても気持ち悪いぞ!」 

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