ピタマタナヤとセヤルナハミ
大地の女神ピタマタナヤは、ふくよかで大柄な、お世辞にも美しいとは言い難い姿で伝えられている。
ただし彼女の体内に満ちているのは、脂肪ではなく莫大な魔力。
包む肉体がはち切れんばかりの多量の魔力を抱えたピタマタナヤは、その魔力の重みが故に、神域から動くことができない。
ピタマタナヤの番である、風の神セヤルナハミは、彼女の外見が美しいと言い難いものであっても、関係なくピタマタナヤを、心から愛し慈しんでいた。しかし、どれ程ピタマタナヤを愛おしむ気持ちがあっても、風の本質ばかりは変えられない。
風はけして、一つの場所には留まれない。セヤルナハミは、定期的に愛するピタマタナヤの元を訪れたが、一定時間以上に彼女の傍に留まることは叶わず、ピタマタナヤもまた、自身の魔力の重さに縫いつけられ、セヤルナハミを追うことができなかった。
セヤルナハミを想うピタマタナヤは、彼が去る度に嘆き悲しんだ。ピタマタナヤの涙は結晶化して魔宝石へと変化し、彼女が守る大地一帯に散らばった。
彼女の嘆きの声を間近で聴き続けた神域の草木は、強い魔力にあてられ鉱物化した。
しかし一年に一度、星祭りの夜だけは、ピタマタナヤは番と寄り添えぬ悲しみから解放される。
星祭りの夜は、セヤルナハミの魔力が最も高まる夜。
愛する番の嘆きを払う為、セヤルナハミは自身ができる最大級の風魔法を使って、ピタマタナヤが内包している魔力を空へと高く打ち上げる。
常に内包していた魔力から解放され、細身の美しい姿に変化したピタマタナヤは、打ち上げた魔力が空から落ち、自身の中に 再び戻ってくる翌朝まで、束の間の番との逢瀬を満喫することができるのだ。
星祭りの夜は、ピタマタナヤが、そしてまたセヤルナハミが一年で最も幸福な夜だ。
そして得てして幸福な番は、自身の幸福を誰かに分け与えたくなるものだ。
愛する番と寄り添うことができたピタマタナヤは、自身の大地に住まう狼獣人の番にも祝福を与える。
それ故に、この夜に番になった狼獣人は、一生幸福に過ごすことができると言われているのだ。
「……あくまで、ただの伝承だがな」
実際に俺達狼獣人は、神の実在をこの目で確かめることはできないし、星祭りの夜に番になったから、必ず幸福になれるという確信はない。
伝統に乗っ取って信仰はしているが、それはあくまで慣例的なものだ。村の老人はともかく、村の大方の若い奴らは心から神を信じているわけではない。俺もまた同じだ。
先日まで番と縁がなかった俺としては、ピタマタナヤの祝福なぞ、今までただの迷信だとしか思っていなかった。
……だが、いざこうしてミステを前にした今。ついついこの迷信に縋りたくなる自分がいるのは否定できない。
自分でも現金だとは思うが、それが俺とミステの幸福につながるというのなら、俺は今までろくに信じていなかった女神に、土下座だってできる。
ミステは俺の星祭りの説明に人間の言葉で何か言いながら関心したように頷いていた。
ちなみに、ピタマタナヤの伝承については敢えて説明を省いた。……祭りの前に、指輪の意味を悟られるのは、何となく気まずい。当日改めて説明しよう。
そんなことを一人考えていると、ミステは何か言いたげな視線をこちらに向けて来た。
……これは……まさか、俺にヘルデヤのように笛を吹いて欲しいとか思っていないだろうな。俺はヘルデヤ程うまくは吹けないぞ。
ミステの前で格好悪いところは見せたくないので少し躊躇ったが、珍しい笛を見てみたいだけかもしれないと思い直し、棚から取り出した俺所有の笛をミステに差し出した。
そのまま笛を受け取ってくれるのを期待したが、ミステはただ興味深げに眺めた後、何かを期待するような目で俺を見て来たので、諦めて笛を口に当てた。
……これを吹くのも一年ぶりか。
ろくに手入れもしていなかったが、果たしてちゃんと音が出るか。
曲を間違えたりはしないか。
そんな心配が脳裏を過ぎったが、幼い頃から何度も繰り返し拭いて来た楽器というのは不思議なもので。
一度演奏を始めると、心配とは裏腹に勝手に口と指が動いた。
ピタマタナヤ ピタマタナヤ
母なる女神よ
年に一度の聖なる夜を、
どうぞ存分お楽しみ下さい
セヤルナハミ セヤルナハミ
父なる風よ
母の憂いをはらい下さい
ゆるり二人でお過ごし下さい
偉大なる神々よ
敬愛すべき、我らの父母
お楽しみ下さい
お過ごし下さい
ピタマタナヤとセヤルナハミを讃える、歌詞にすればそんな意味の曲を静かに吹き上げると、ミステは感嘆のため息を吐きながら拍手をしてくれた。
思わず口元が緩む。
村人の誰もが当たり前に演奏できる曲で、こんな風に感動してもらえると、少し気恥ずかしいものがあるな。
……それにしても、こんな風に誰かと音楽を共有する時間というのは、良いものだな。
言葉も通じない。文化も違う。そもそも種族が違う。
……だがしかし、音楽に対して心を揺さぶられるという点では、ミステと俺は同じだ。
音楽は、ある意味で共通言語といっても良い。
ただ、俺が吹いた曲をミステが聴いてくれた……それだけで、何か分かり合えた感覚がある。
俺の一部を、ミステが受け止めてくれたような、そんな不思議な感覚が。
「ミステは……人間は、どういう音楽を聴くんだ? 教えてくれ」