オトモダチサン
……犬獣人の言葉で「友達」は何て言うのだったかな。
否、ちょっと待てよ。関係性を表す名詞は、同じ音でも意味が違っている場合があったりするから、下手に口にするのは危険か。
以前貓獣人の間で「恋人」を表す単語を、虎獣人の前で使ったら、虎獣人の間ではそれが不貞を前提とした恋人という意味で使われていて、トラブルになったことがある。ここは敢えて意訳して説明するべきではないだろうか。
………そうだな………「共に楽しみを共有する、親しい相手」くらいがちょうど良いか?
私が「お友達さん」の意味を説明すると、ローグは少し黙ってから、他の歌詞の意味を聞いた。
短い歌だ。全部の歌詞を説明するのにも、そう時間はかからない。
私の説明をローグは真面目な表情で暫く聞いてから、躊躇いがちに口を開いた。
「………ミステ」
「うん?」
「ミステ………オ、トモ、ダチサン」
うん?
意味が分から瞬きを繰り返す私に、ローグは難しい表情のままほんのり頬を染めて、指で私と自身を交互に指し示した。
「ミステ………ローグ……」
「あ、ああ」
「ミステ……ローグ……オ、オトモ、ダチサン……」
………こ、これは。
これはローグが私のことを、親しい友達だと思っていてくれているということなのか!?
……う、嬉しいな……これは予想外に、とても嬉しい事態だぞ!
「そうだ! お友達さんだ! 私とローグは、お友達さんだぞ!」
すっかり犬獣人の言語に訳することも忘れて、人間の言語で肯定の意を示す。口元がどうしようもなく、揺るんだ。
普段の態度から嫌われてはいないとは思っていたが、こうもはっきり友人認定をしてくれるとは思わなかった。
ふふふ……こんなにはっきり、私を友人認定してくれた相手は、ミネア以来だぞ。基本的に、多種族の領地のフィールドワークは、迷惑がられるのが、普通だからな。
胸の奥が、何だかぽかぽかした。ローグに向かって満面の笑みを浮かべてみせると、ローグも笑みで返してくれた……気がする。残念ながら、基本的に彼の表情は読み取りづらい。はっきりと確信は持てない。
表情そのものに確信は持てないが……それでも、彼の好意は確かであると信じて疑わない自分がいた。
彼は私の滞在を、心から歓迎してくれている。そんなこと、表情が読めなくても、態度で分かる。その事実が、どうしようもなく嬉しい。
……おかしいな。ミネアの家のように、今まで私のフィールドワークを受け入れてくれた家も、多くはなくても確かに存在した。だが、その時の気持ちはこんなにもわくわくするものだったのだろうか。
その時の滞在は、こんなにも心穏やかで落ち着くものだっただろうか。
「……ローグ。星が綺麗だぞ」
奇妙な照れくささを誤魔化すように、窓を開けて空を見上げた。
思わず人間の言葉で口にしてしまったので、慌てて犬獣人の言語に翻訳する。
……どうも、ローグといると、気が緩んでしまうな。
暫くの間、黙って二人で星を見上げた。
会話もないのに、寄り添うだけのその時間が、たまらなく心地良い。
ローグも私と同じ感情を共有してくれていると思うのは、彼が私の「お友達さん」だからなのだろうか。
先ほどの書きかけの論文の一節が、不意に脳裏に過ぎる。
『彼らの生活は、私達人間から見れば、ひどく閉鎖的で、かつ、禁欲的なもののように思える。その気になればいくらでも豪華絢爛な暮らしができる高い能力を有しながら、どの家庭も等しく清貧であり、娯楽に欠けている』
『だが…………』
「だが……『穏やかな幸せに満ちている』……と続けるのは、学術論文にするには、あまりに主観的な結論か」
これでは都会人が田舎に抱く幻想と、何ら変わりない。
論文なら、もっと客観的データを軸に結論を出すべきだろう。
しかし、そんな風に冷静に反論する自分がいる一方で、その結論を否定できない自分がいた。
論文には相応しくない結論であっても、それは私にとっては確かな真実だからだ。
普段住んでいる人間社会はもちろん、今まで滞在したことがあるどの村の生活よりも、ここに鮮烈に惹きつけられる私がいる。
それは、この村が魔宝石によって、人間社会にも劣らない不便がない生活を確立しているからか?
私の文化獣人類学者としての未知の社会への好奇を満たしてくれ、同時に文明への回帰を切望させない、都合が良い場所だからこそ、この村に惹かれているのだろうか。
否定はできない……だが、きっとそれが全てでもない。
不意に肩に回された、温かい手に、小さく体が跳ねる。
人の肩に手を回しながら、ただ星を見上げているローグの無駄に整った横顔をちらりと見てから、私もまた星を見上げた。
うん? ……おかしいな。何だか熱っぽいし、動悸がする。特に顔が、熱い。
慣れない環境に、体調でも崩したのだろうか。
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オトモ、ダチ、サン
オトモ、ダチサン
オトモダチサン
聞き慣れないその単語を、喉の奥で何度も唱える。
忘れないように。
この先も、ミステに間違うことなく、その言葉を告げられるように。
ーー人間にとって「番」に相当するであろう、その単語を。




