交わす音
お茶を半分程飲み終えたローグは、静かに私に言葉をかけた。
恐らく「進捗はどうだ」とか、そういう意味なのだろう。
私は順調であることを告げ、同様にローグの進捗を尋ね返す。
ローグもまた、順調だと思われる返事をくれた。
こうやって互いの進捗を世間話のように聞き合いながらも、その実、私はローグが何をしているのかよく分かっていないし、きっとローグもまた同様だろう。
私はローグが木で何かを作っていることは知っているし、ローグもまた私がノートに人間の言葉で何かを書いていることは知っている。
だが、それだけだ。
それが、互いにどんな意味を持つ行為なのかは知らないし、敢えて踏み込もうともしていない。
その縮まらない距離感が妙に心地良いのは、きっとその作業がそれぞれにとって、誰の手も借りずに一人で向き合うべきことだと、本能的に察しているからなのだろう。
同じ一つの屋根の下で生活していたとしても、全てを共有すれば良いってものでもない。休憩時間の共有くらいがちょうど良い時もある。
「……遠吠えに混じって、どこからか笛の音が聞こえてくるな」
飲み終えたカップを机に置いた時、ふと、テントで聞いた寂しげな獣の声に混ざって、どこからか笛の音が聞こえてくることに気がついた。
夜に溶けるような澄んだその音に聞き惚れていると、祭りに向けて誰かが笛を練習しているのだとローグが教えてくれた。
「祭り? 祭りがあるのか? 間もなく?」
聞き捨てならない貴重な情報に、身を乗り出して事情を聞く。
祭りと言っても、それは私が想像したような、あちこちに出店が並ぶそれとは随分違うもののようだった。
年に一度、魔宝石の洞窟に溜まった魔力が空に向かって噴き出し、村の一帯の夜空を様々な色に染め上げる。
その美しい空を見上げながら、家族でご馳走を食べ、贈り物を交わし、それぞれの家庭で定められた音楽を奏でるのが慣習となっているらしい。
「ふむ……祭りというよりも、人間で言う聖ケルスティーの日に近いな。興味深い行事だ」
しかし……ローグはこの筋肉質な手で、一体どんな風に音楽を奏でるのだろうか。ちょっと想像がつかない。
そう思っているのが伝わったのか、ローグは少し躊躇った後、棚から骨で出来た笛のような楽器を取り出し、私の方に差し出した。
「……これは、鹿の骨か? 造り自体は、中に空洞を作って、穴を開けただけのわりと単純なもののようだな」
ローグの次の行動を期待して、敢えて笛に手を触れずにじっと眺めていると、ローグは観念したかのように笛に口をつけた。
次の瞬間、外から聞こえてきた澄んだ音が、確かな音量をもって部屋中に響き渡った。
「……不思議な曲だな」
奏でられた曲は、私が今までに来たどの音楽とも違っていた。
単調なようで、複雑で。
澄んでいて軽いのに、それでいて所々ずっしりとした威圧感も感じさせた。
初めて聞くはずの曲なのに、何故か泣きたいくらいに、懐かしい。
「だけど美しいな。……すごく美しい響きだ」
様々な矛盾する要素が、調和を持って重なり、響き合うその音には、今まで体験したことのない、不思議な感動があった。
「………素晴らしい演奏だった」
演奏を終えたローグに、感嘆のため息を吐きながら拍手をすると、心なしかローグの口元が緩んだ気がした。
そして、その緩んだ口元から、完全に想定外の言葉が飛び出して来た。
「……え? 私も、か?」
私にも、さっきのあれを演奏しろと言っているのか。……無理だ。私は楽器はからっきしだ。見よう見真似で、あんな複雑な曲なぞ吹けるわけがない。
片言の犬獣人の言葉で必死に拒否を訴えながら首を横に振る。
「うん? 違う? ……人間の音楽を、ということか?」
しばらく噛み合わない会話を続けてから、ようやく自分の勘違いに気がついた。
なるほど。自分が狼獣人の曲を披露したのだから、私も人間の曲を披露しろというのか。道理と言えば、道理だ。
……しかし、披露しようにも、私は人間でありながら、ろくな人間の曲を知らないのが現状である。他獣人の音楽は、文化獣人類学において興味深いテーマなので色々と聞いて覚えてはいるのだが、そもそも私は音楽自体にはそれほど興味がないのだ。
しかし、ここで他獣人の曲を披露するのは、さすがにローグが求めているものとは違う気もする。
楽器は持って来ていないので、必然的に披露するのは歌になるわけだが……私が歌える曲と言えば……そうだな。
「ーーお友達さん。お友達さん。大切な人。
お友達さん。お友達さん。貴方が好きよ。
お友達さん。お友達さん。離れていても。
お友達さん。お友達さん。心は共に。
……心は永遠に」
遠い昔を思いながら歌ったのは、7音の言葉だけでなる、単純なメロディを繰り返すだけの、簡単な曲だった。
人間の間でもそこまで一般的な曲ではないが、まあ子どもが手遊びをしながら歌う、所謂「童謡」と言う奴だ。私が物心がついて、最初に覚えた曲でもある。
……懐かしいな。父に教えてもらったこの歌の影響で、私はロウのことを「お友達さん」と呼ぶようになったんだよな。
あの頃は「永遠に」の意味も分かっていないまま、音だけ覚えて歌っていたっけ。
「……オトモ、ダチ、サン?」
片言で私の言葉を真似たローグは、何故か複雑な表情でこちらを見つめていた。
……どうやら、歌の意味が気になるようだ。




