穏やかな時間
再び母がポカンとした表情を浮かべる様子が、何だかとても居たたまれなくて、そっと目を伏せた。
「……手は、出してないのよね」
「……ああ」
「…………同じベッドに、一緒に寝て?」
「…………同じベッドで寝はしたが、誓って手は出してない」
「……………貴方達、その……番、なのよね?」
「……………それは、間違いない」
母はしばらくぱちぱちと瞬きを繰り返した後、蒼白な表情で口元を押さえた。
「ま、まさかローグ……貴方、禁欲期間があまりに長過ぎて、ついには番にすら下半身が反応しなく……っ」
「ち が う……! というか、いい加減にしろ! いくらお袋殿でも、これ以上息子の下半身事情を明け透けにしようとするなら、怒るぞ!」
「だって大事なことじゃない! ローグ、貴方、28にもなって、まさか赤ちゃんがロック鳥に運ばれてくると思ってるんじゃないでしょうね!? いい!? 子どもって言うのは男女の性的な営みがあって初めて、ねえ!」
「だから生々しい話をするなっ! それに子作りの仕方くらい、当然知っているに決まっているだろう!」
何なら昨日から、そういった妄想で頭がいっぱいになっている……とは、さすがに口にしない。お袋殿がよけいに俺の下半身事情に干渉してくるのが目に見えているからな。
……28にもなって、何で俺は母親とこんな話をしなければならないんだ……。情けないにも程がある。
「……ともかく、ベッドはいらない。俺とミステの問題だから、性的な事情にはあたり踏み込まないでくれ」
「だけど……」
「……久しぶりにお袋殿の料理が食えてよかった。今日はありがとう」
辛うじてそれだけ口にすると、俺は山のような料理の器を手に、ミステ共々逃げるように自宅へ帰還したのだった。
「……どうせ、姿が見えなくても落ち着かないのだから、一緒だ」
俺の毛皮に額を埋めるようにして眠ってしまったミステを眺めながら、一人小さく呟いた。
母の提案通りに、実家からベッドを借りてミステをそこに寝かしたとしたら、俺はきっと今とは違う意味で、落ち着かない夜を過ごすことになっていたことだろう。
ミステは、ちゃんとそこにいるのだろうか。
どこかへ行ってしまいはしないだろうか。
……いや、そもそも彼女の存在そのものが、俺にとって都合が良い夢幻だったのではないのだろうか。
そんな妄想に囚われて、夜中に何度もミステの様子を確かめに行く羽目になっていただろう。
……それくらい、ミステが現れたのは、俺にとっては奇跡のような出来事なのだ。
眠るミステを起こさないように、そっとミステの華奢な体を抱きしめた。
触れる場所から伝わる熱に、口から安堵のため息が漏れた。
目をつぶってその姿が見えなくても、この熱さえ感じさえすれば、確かにミステにここにいることが認識できる。
その安心感が得られるならば、一人性的な衝動を耐え忍ぶ苦しみなんて屁でもない。
「……せめて、次の祭りの夜までは、このままで」
俺の求婚に対するミステの答えがたとえ拒絶であったとしても、この温もりの記憶さえあれば、きっと俺は生きていけるから。
せめてこの一週間だけは、ミステの熱を感じながら眠りたい。
そんなことを思いながら、俺は目を瞑ったのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『 ……以上の事柄からも分かるように、狼獣人の所有魔力や身体的な能力は、一般的な人間に比べ、非常に優れている。もし彼らが閉鎖的な自身の村を捨て、外の世界で生きていくことを選択した場合、彼らは【戦士】としてひとかどの財産を築くことができるだろう。
だが実際のところ、彼ら狼獣人は、ほとんどが村を出ることがないまま一生を過ごす。時たま、外部の人間を番の相手と見なし村に引き入れることもあるが、大抵の場合は、顔見知りなごくごく身近な相手と番になり、子を成す。その高い能力は、もっぱら生活の維持、特に毎日の食生活を維持する為だけのみに、使われているのだ。
彼らの生活は、私達人間から見れば、ひどく閉鎖的で、かつ、禁欲的なもののように思える。その気になればいくらでも豪華絢爛な暮らしができる高い能力を有しながら、どの家庭も等しく清貧であり、娯楽に欠けている。
だが…………』
私はここまで論文を書き進めた所で、ペンを止めた。
……この先、続けるべき言葉が、うまく出てこない。
候補はいくつか思いつくのだが、どれも何となくじっくり来ないのだ。
小さく唸りながら少し考えた後、諦めてペンを置いて、ノートを閉じた。……この先は、しばらく考えてから続きを書くことにしよう。
そんなことを考えながら、ちらりと隣のローグを横目で見た。
小さな小刀で木を削っていたローグは、すぐに私の視線に気づいて作業の手を止めた。
魔宝石の洞窟へ行った日から、夕飯や風呂を終えて空いた時間はこうやって、隣で別々の作業を行うようになった。
私は論文の案をノートにまとめ、ローグは何か木彫りの彫り物をはじめる。
それぞれ自分の作業に集中している為、この時間は互いにあまり干渉しない。
だがどちらか一方が作業が中断をすると、自然ともう片方も作業を止めて一緒に休憩に入るようになった。
私は既に慣れた手つきで、お茶を二つ淹れると、片方のカップをローグに差し出した。
ローグは小さくお礼を言うと、お茶を受けとって口に運んだ。
私も同じタイミングでカップに口をつける。
隣り合って座りながら、二人で静かにお茶をすする。
……ただそれだけの、どうしようもなく穏やかなこの時間が、私はとても好きだ。




