鹿の睾丸と純情
「さあ、どうぞ。たくさん食べてちょうだいな」
息子の嫁候補のもてなしに、母は随分張り切ったらしい。
祭りの時でも、これほどまでは並ばないご馳走の数々に、俺は思わず口元が引きつった。
「お袋殿……これはさすがに作りすぎじゃないか。食べきれないぞ」
「もちろん、余って持ち帰らせるのが前提だもの。ローグ。どうせ、貴方のことだから、塊肉をそのまま煮たり焼いたりした、簡単な調理しかしてないんでしょう。狼獣人の食生活を、貴方基準で把握されたら不名誉だわ。保存魔法をかけておいてあげるから、持ち帰ってゆっくり食べなさい。温めるくらいは、貴方にもできるでしょう」
……随分な言われようだが、事実なだけに、反論も出来ない。
俺一人なら、どんな適当な料理でも構わないが、ミステには美味いものを食べさせてやりたい。ここは母の好意に甘えるとしよう。
「おい、しい! 色々、いっぱい。作った、どう、気になる。欲しい。教える、する」
「ああ、作り方が知りたいの? これは簡単なのよ。粉を水で練った生地に強化魔法をかけて、鹿の骨や肉の端切れでダシをとったスープに固体化魔法をかけたものを包んで、揚げただけなの。今度、よかったら一緒にやってみましょう?」
どうやらミステは、母の料理を気に入ってくれたらしい。笑顔で次々料理を口に運びながら、母にそれぞれ作り方を聞いている。……いや、もしかしたら気を使っただけか?
「……あの鮮烈な甘さは、お袋殿の料理でも味わえないものだしな」
……付け加えるなら、あの缶詰の衝撃的な不味さも、だが。
横目でミステの様子を眺めながら、母の料理を口に運ぶ。
俺にとっては子どもの頃から食べ慣れた味だ。成人して以降は口にする機会は年に数度になったが、それでもやはり舌は馴染みの味を覚えている。
今日の昼までは、俺にとって、一番美味しいと思える味だった。
だが、あれらの味に比べたら、どうしたってインパクトに負ける。癖や野性味は十分あるはずなのに、それでも何というか根本的に素朴なのだ。狼獣人の料理は。
「ミステ? ……やっぱり、あまり口に合わないか?」
途中、手が止まったミステに、やはり無理をさせていたかと内心焦る。
しかし、俺の言葉に、ミステは首を横に振って、再び料理を口に運びはじめた。
……かえって、気を使わせてしまったか? だが、料理を食べるミステの表情を見る限り、演技には見えない。
……うん? どうも今口にした料理だけは少し苦手そうだな。僅かに眉間に皺が寄っている。お袋殿には悪いが、あの料理だけは持ち帰りを辞退させてもらうか。あれは……
「……鹿の、睾丸」
ーーその瞬間、脳裏に不埒な連想が頭をよぎってしまった俺は、直ちに水風呂に飛び込んで頭を冷やすべきだと思う。
……心なしか、気恥ずかしげなミステに、興奮なんかしていないぞ……!
俺は自分ではあまり調理はしないが、母の料理を食べていた幼少期には、散々食べた部位だからな……! 好き嫌いは分かれる部位ではあるが、宴会の機会にユーフェリアが食べているのだって、普通にみたこともあるし、別に何も感じなかったぞ……! (……よくよく考えれば、あの時ルフはユーフェリアを直視できていなかった。あの時の謎が解けた気がする)
「……なのに、何で今さらこんなものに……」
28にもなって、脳内だけが突然第二次成長期に戻ったようで、情けない。……というか、第二次成長期を迎えて俺が人型を取れるようになった頃は、性的な関心が一切なかったから、その時のつけが今頃回って来たようだ。
俺はそっとミステから視線を逸らすと、目の前の揚げ料理にかぶりついた。
途端、生地中から熱いスープが飛び出して来て、一人静かに悶えることになってしまった。
……ミステの好み的にも、俺の平常心を保つ為にも、鹿の睾丸は親父殿とお袋殿に食べてもらうことにしよう。
「それじゃあ、これ、持って帰りなさいね。魔法をかけておいたから。容器は返しても返さなくても良いから。邪魔じゃなければ、貴方の家で使いなさい」
「ああ、ありがとう。お袋殿」
食べた跡をさっさと魔法で片付けて(家事に関する魔法の腕ばかりは、お袋殿には敵わない)、残った料理が入った容器を受けとった。
「あ、あと、すっかり私も失念していたのだけど。貴方の家、ベッド一つしかないわよね? 昨日の夜、困ったでしょう。客間のベッド一つ持って行ってもいいわよ」
告げられた言葉に、どきりと心臓が跳ねた。
「……いや、お袋殿がそう言ってくれるのはありがたいが……今のままで大丈夫だ」
「え?」
母は少しポカンとした表情で俺を眺めてから、すぐにぱあっと顔を輝かせはじめた。
「まさか本当に? 本当に、体から落とすことにしたの? ……やるじゃない! さすが、私とあの人の子だわ! 何だかんだ言っても絶対手を出せないと思っていたのだけれど、意外と雄らしいところもあるのね。見直したわ」
「ち が う! 勝手に不本意な妄想を膨らませないでくれ! お袋殿!」
「……あら、じゃあ、ローグ。貴方、やっぱり床で寝たの? だったら、ベッドはもう一つ必要でしょう。変な遠慮はしないで、ベッドを持って行きなさい」
「……………」
断じて、手は出してない。
出しそうになった感じは否めないが、何とか踏みとどまった。
ミステのことを考えれば、間違いを犯さない為にも、ベッドはもう一つあった方が良いに決まっている。
……だが………。
「……あのベッドで、二人寝るスペースはあったから、新しいベッドは遠慮しておく」




