初恋の鎖
村の誰もが、ミステの登場を喜んでくれた。
優しい村の皆は、俺が幼い頃の過ちの末に、一生番を持てないであろうことに、我が事のように胸を痛めてくれていたから。
ミステが25年前に村に現れた俺の番であり、俺と結婚する為に村に現れたのだということを疑う者はいなかった。
「ーー本当に、彼女が25年前に現れたローグの番なの? 番紋も現れてないのに、皆、何でそう簡単に信じられるのかしら。理解に苦しむわ」
ーーただ一人、幼なじみのユーフェリアを除いては。
「……おい、ユーフェリア。せっかくローグが番に再会できたというのに、なんでそう水を差すようなことを……」
「だって、ルフ、そうでしょう!? 私達狼獣人と違って、人間という種族は、それこそ星の数ほどいるわ! 同一人物かどうかなんて、分かるはずないじゃない」
「だけどなあ……」
「いい、ルフ。ユーフェリアの疑いは最もだ。俺も最初は、その可能性を疑った。……だが」
ちらりとミステに視線をやる。
ミステは、一歳になるルフとユーフェリアの次男坊に気をとられて、こちらの会話には気づいていないようだ。
ユーフェリアそっくりの白い毛皮を丸める次男坊に、ミステが向ける視線は慈愛に満ちており、その姿に自然と口元が緩んだ。
「だが一日も共に過ごしたら、確信できた。彼女は、25年前のあの娘だ。彼女に結婚の意思があるかどうかは、わからないが、それだけは確かだ」
こんな風に俺の心を揺らすのは、28年間で彼女だけなのだから。
俺の言葉に、ユーフェリアは何故か傷ついたように顔を歪めた。
「………仮にそうだったとしても、どうして今頃現れるのよ。人間の結婚適齢期ですら、とおに過ぎてるのよ。25年も放っておいて、今更過ぎるわ」
「ユーフェリア。それはミステさんにも、色々事情が……」
「事情って、何!? 番よりも大切な事情が、いったいどこにあるというの!?」
ユーフェリアはルフに向かって吠えると、すぐに心配そうに眉を下げて俺を見た。
「ローグ。……私は、あなたが心配なのよ。ただでさえ、幼い頃の過ちで苦しんで来たあなたが、これ以上傷つかないか心配なの」
白い華奢な手が、そっと俺の腕に置かれる。
「だから、ローグ……ちゃんと通訳の人が現れるまでは、彼女にあまり心を傾けちゃだめよ。信じて傷つくのは、あなたなんだから」
ユーフェリアがそう口にした途端、不意に次男坊が火がついたように泣き出した。
「っ大変!」
ユーフェリアは慌てて俺から手を離すと、次男坊を抱き上げてさっさと奥へと行ってしまった。
「ルフ……大丈夫なのか。お前の次男坊は」
「あー、気にするな。気にするな。かんの虫が悪いと、すぐああやって愚図りだすんだ。よく知らない顔が二人も現れたから、びっくりしたんだろ。満足するまでひとしきり泣いたら、こてんと寝てくれるから、楽なもんさ」
すっかり狼狽えてしまった俺と違い、ルフは平静だった。
……二児の父親だものな。長男はもう8歳か。俺なんかとは、経験値が違う。
ルフもユーフェリアも、俺と同じ年齢の幼馴染みなのに、随分と差ができたものだと、改めて実感する。
「そういえば長男はどうした?」
「ああ、隣のハルヤ達と森に遊びに行っている。人間の嫁さんに興味を示していたみたいだから、偶然会うことがあれば声をかけてやってくれ」
「ああ。なら午後にでもまた出直そうか」
「いや、それはやめてくれ。……というか、ローグ。お前も、お前の嫁さんも、正式に番になるまでは、この家に近づかないでくれ」
一瞬、なんの冗談かと思ってルフを見たが、ルフの表情は真剣だった。
闇色の瞳が、真っ直ぐに俺を射貫く。
「ローグ。頼むから、今更俺の幸せな家庭を揺さぶってくれるなよ」
「………おい、ルフ。お前、20年も昔のことを、まだ気にしているのか」
あまりにも馬鹿馬鹿しい邪推に、ため息が漏れた。
「狼獣人は、一生ただ一人だけの番しか愛せない。……だから、10年前に番になった時点で、ユーフェリアはお前のものだ。ユーフェリアの心変わりを疑うことは、彼女に対する侮辱だぞ」
例え、20年前のユーフェリアの初恋の相手が、俺であったとしても。
俺がその時点でミステを番にしていて、ユーフェリアの想いを受け入れなかった時点で、その感情は何の意味もなくなっているのだから。
俺の言葉にルフは、苦虫を噛みつぶしたかのような表情を浮かべた。
「……知っているさ。ユーフェリアは、誰より俺のことを愛しているし、子ども達のことも宝物だと思っている。例えお前が今、本気でユーフェリアを口説いたとしても、ユーフェリアはけして応じはしないだろう。そんなこと、わかりきったことだ」
「……なら」
「それでもっ。それでも、『番』という形式に囚われる以前の、初恋の感情は、特別なんだよ……! ユーフェリアにとって、番とは別の意味で、お前が特別な存在であることは事実なんだ……っ!」
「………………」
『ローグ……おおきくなったら、わたしをつがいにしてくれない?』
頬を赤く染めて、8歳のユーフェリアがそう言ったことは、確かに覚えている。当時の彼女は、確かに彼女なりに真剣な気持ちで、それを口にしてくれたのだろう。
だが……。
「……初恋って言っても、8歳だぞ。お前の長男と、同じ年齢だ。ルフ。間違いなくユーフェリアは、お前が気にしているほど、俺のことを気にしてはいない」
ユーフェリアにとって俺は、ただの幼馴染み。それ以上でも以下でもない。
さっきのあれも、幼馴染みに向ける心配以上の含みなぞ、あるはずない。
「……鈍感野郎が。だいたい3歳の頃の初恋に未だ囚われている奴が、8歳のユーフェリアの初恋を、どうしてそこまで軽く見れるのか、激しく疑問だな」
「いや………それは、俺は意図せずにミステと番になってしまったからで……」
「番紋の存在に気づく前から、他の異性には一切関心も見せなかった男がよく言う。……何にせよ、お前とお前の嫁さんは、しばらくこの家に近づくな。俺はユーフェリアを動揺させたくないんだ」
それだけ言うと、ルフはさっさと玄関の扉を閉めてしまった。




