気になる視線
私は幼少期、父から育てられた。
それは母親が育児放棄をしていたとか、早死にしたとか……そういうわけでは全くなく。
母と父が結婚したばかりの当時、まだ駆け出しの文化獣人類学者だった父にはろくな収入もなく、家族三人が父の収入だけで生活するのは不可能だった為、父親に代わって母が一家の大黒柱として国内外を飛び回っていたというのが、事実だ。
幸い、商家の末子として生まれた母親には商才があった。母親が稼ぐ収入だけで、一家三人優に生活できることができたどころか、母は父の研究のパトロンとして出資し、父親を後に高名な文化獣人類学者まで育てあげたのだ。
今も忙しく世界中を飛び回っていて滅多に会えない母だが、父とは違った意味で、私は彼女を尊敬している。
母が私に構えない分、必然的に私の子育ては稼ぎの少ない父に任せられたわけだが……残念ながら、父親は私の子育てくらいでは、研究を中断してはくれなかった。
それどころか「赤ん坊や幼子は、大抵の社会では尊ぶべき存在として丁寧に扱われる為、むしろ子連れで調査をした方が、コミュニティに受け入れてもらいやすくなる」という独自の仮説を提唱し、生後半年も過ぎた頃には、私を自分の調査地に同行させるようになったらしい。
……うん? 今までわりと深く考えたことはなかったが、父のこの行為はわりと問題があるのではないか。免疫力があまりない生まれたばかりの子を、どんな病原体がいるかわからない未知の地に連れ出すんだぞ。
我ながら、よく生き延びられたものだと、改めて思う。頑丈に産んでくれた母に感謝だな。
まあ、そんなわけで、父と共にあちこち飛び回っていた私は、友達がいなかった。元々社交的な性格でもないし、幼少期の私はさらに人見知りだった。種族や言葉の壁を越えて、現地の子と打ち解けられるはずもない。
だから、あの村で何がよかったのか、私に懐いてくれたロウが、私にとって生まれて初めての友達だったのだ。
『いやだいやだいやだ! なんでロウはいっしょだめなの!? くびわしてない! なのに、ここのこだなんてうそよ! ロウ! ロウ! ロウ! いっしょいこ!? やくそくしたでしょ……やくそく……ロウーーっっ!』
初めての友との出会いは、同時に初めての喪失でもあった。
首輪をしていなくても、この家の子どもなんだと父から聡された私は納得ができず、大声で泣き喚いた。
だけどどんなに泣いて名前も呼んでも、必死に手を伸ばしても、滞在していた家の家族の腕にしっかり抱かれて悲しげに鳴くロウは、私の元には来てくれなかった。
今考えれば当たり前のことだが、同時の私はそれにひどく傷つき、以後三日間まともに食事もとれなかった。
私の憔悴を見かねた父が、別の犬を飼うことを提案してくれたが、私は首を横に振った。
あの子じゃなくては、駄目だった。
小さい、灰色の、可愛いあの子以外の飼い犬なんて、考えられなかった。
「………ミステ」
過去に記憶を飛ばしている間に、ローグが目を醒ましたらしい。
ローグは、その琥珀の瞳を私に向けて、恐らく「おはよう」と言った。
私は、その瞳の色に不思議な懐かしさを感じながら、同じ言葉を返した。
昨日のスープの具を、パンの残りに挟んだ朝食を食べ終えると、村の人達に滞在の挨拶をして回ることになった。
ローグの家は、村の中でも離れにあるので、他の家に着くまで少し歩いた。
村全体でも、住民数およそ200。世帯数にして、60世帯ほどの、小さな村だった。
扉に鍵がかかっていないのか、ノックと声がけだけで勝手に戸を開けて中に入って行ったローグにはぎょっとしたが、住人は既に長から私のことを聞いていたのか、特に驚きもなく歓迎してくれた。
村人の服装は、男はローグのように上半身裸の状態の人が多く、女性は女性で簡素な造りのワンピースのような服を着ていた。昨日あったローグの両親の服は比較的装飾が多く、多少凝った造りをしていたので、その辺りは村長と一般村人の差なのかもしれない。
毛皮や瞳の色は、人によって違う。毛皮はローグのような灰色をはじめ、金、銀、茶、黒、白等。瞳は、黒や灰、茶、青、緑、赤。そして金。
毛皮が灰色が一番多く、白が一番少ない。瞳は黒が多いが、わりとばらけている。
「……そういえば、幼児を全く見ないな」
おそらく6歳以上だろう子どもは、珍しい他種族の登場に興奮して、飛びつかんばかりの勢いでやって来てくれたが、それより小さな子どもを見ていない。
人間のよそ者である私に警戒して、親が出さないようにしているのだろうか。
そう思った時、ローグは足元にまとわりついていた子犬を、ひょいと私の腕の中に乗せてくれた。
「いや子犬ではなく、子ども………」
どうやらこの辺りの単語は、犬獣人と狼獣人の間で誤差がありそうだ。
私は小さく溜息を吐いて、腕の中の子犬を見下ろす。
「……かわいい」
長い茶色の毛皮に覆われて、好奇心に満ちた黒い瞳を向けてくるその子犬は、とても愛らしかった。
そういえば、訪問した家庭の半分近くは子犬を飼っていたが、成犬は見なかった。もしかしたら、野生動物の保護の一環として、大きくなるまでの間一時的に子犬を育てているのかもしれない。
そっと毛皮を撫でると、子犬は嬉しそうに尻尾を左右に振ってくれた。その仕草に、ロウのことを思い出した。
……毛皮や瞳の色は違うが、もしかしたらこの子は、ロウの孫やひ孫かもしれないな。
思わずぎゅっと抱き締めて、頬ずりしようとしたが、その前にローグから腕の中の子犬を回収してしまった。どうやらこれ以上お触りは禁止らしい。
「………ケチ」
その家以降も子犬はいたし、中には家主が私に向かってわざわざ子犬を抱くか?と差し出してくれた人もいたのに、勝手にローグが断って私に触らせてくれなかった。
……落としたり、傷つけたりすると思われているのだろうか。とても悲しい。
欲求不満で、つい無意識のうちに目の前のローグのもふもふに触れてしまっていて、ハッとしたが、ローグが全く嫌がっていないようなので、移動中はお触りを継続することにした。
……ローグの毛も柔らかいけど、子犬の方がふわふわだったとか思うのは贅沢なんだろうな。
そんな感じで、私は想定した以上に友好的に、村人達から歓迎された。
……ただ一人、白い毛皮のアルビノ美女を除いては。
「……あれは……睨まれていたな………」
ユーフェリアと言う名のその女性は、ローグの幼なじみらしい。
ローグには心配そうな視線や言葉を投げかける一方で、隣の男性が話している間は、ずっと私のことを睨みつけていた。
……何か気に入らないことを、私はしてしまったのだろうか。
もしかしたら彼女はローグが好きで、私のような変な女がローグと同居することを嫌がっているのかもしれない。
そんな私の仮定は、ローグによって否定された。
ユーフェリアは、隣にいた、これまた幼なじみである男性ルフと10年前に番になり、子どもも二人いるらしい。だから、自分のことを異性としてどうこうは全く思ってないと、そんな感じのことを言っていた。
うーん。……なんか納得できないんだよなあ。
私の考え過ぎだろうか。
※年齢を若干引き下げました。