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夢で見る過去

 今、我が身に起こっていることが信じられなくて、ミステの顔を凝視してしまう。だがミステはただ潤んだこげ茶色の瞳で、こちらを見つめるだけだった。

 自然、湧き上がって来た唾を、飲み込む。風呂に入る前に感じた熱が、再び俺を襲った。


 ーー誘われて、いる。

 これはどう考えも、閨に誘われている。


『間違いが起こる時点で、番なのは確定しているしな。むしろ既成事実を作ってしまった方が、手っ取り早い気もするぞ。体から落として、離れられないようにしてしまえ』


 日中、親父殿から言われた言葉が、脳裏を過ぎった。

 あの時は何を馬鹿なことを、としか思わなかったが、こうなると途端に事態が現実味を帯びてくる。

 ……番の雌が、勇気を出して閨に誘っているのに、雄が拒絶するのは野暮なのではないだろうか。

 手を出さないことこそが、ミステを傷つけてしまうのだとしたら。


 ーーいっそ誘いに応じて、体から愛を育むのもありかもしれない。


「!?」


 そう思った瞬間、俺はベッドの上でミステを抱き締めていた。


「ローグ……?」


 甘い声に、どろりと理性が溶け出しそうになる。

 全身で伝わる温かな熱が

 腕の中にすっぽりおさまってしまう細い体が

 すぐ傍から漂ってくる木の香りにも似た、ミステ自身の香りが

 ……どうしようもなく、俺を狂わせる。


 俺は一番大きく息を吸い込むと……


「ローグ? ……寝る。した?」


 ……固く目をつぶって、寝たふりをした。


 ミステの誘いをあからさまに断れば、彼女を傷つけてしまうかも知れない。

 だけど、こうやって寝たふりをしていれば、誘いを拒絶したわけではなく、ミステの言葉を俺が間違って解釈したのだと、そう思わせることができるだろう。


 ……本音を言うと、すごくすごく手を出してしまいたい。

 今だって、一つのベッドでこんなにミステと密着しているのは、かなり生殺しの状態だ。正直、今夜はこのまま寝られる自信はない。もう理性を投げ捨てて、欲望に身を任せてしまいたい。

 だが、しかし。考えても見て欲しい。俺は25年の間、自分の番と遠く離れた状態で生活していたわけだ。番がいなければ、性的なことに対する興味を抱くこともなかったわけで。


 ーー……上手くデキる自信が全くない。


 ………何せ俺は、自分には一生縁がない行為だと思っていたわけだからな。28にもなって、情けないどころの話じゃないが、本当に俺は性に関する知識に乏しい。敢えてそう言う類のものを遠ざけていた。

 そんな俺が、ミステの期待に応えられるはずがない。

 ……どうしても事前の情報収集やら準備が必要なのだ。




「ーー……それに、もっと、大切にしたいしな」


 俺が寝たふりをしている間に、毛皮に顔を埋めるようにして寝てしまったミステの耳に、聞こえないことを承知で囁いた。

 穏やかな寝顔を見下ろしながら、頬にかかった髪をそっと横に流す。


 大切にしたいと思うのは、初めての閨をというわけではない。


 ミステのことを、大切にしたいから、今は手を出さないと言うのとも、少し違う。


「俺は、……二人の関係を、もっと大切にしたい」


 たった一日。

 その短い間で、急速にミステに惹かれている自覚はある。

 だが、それはミステ自身が俺にとって好ましい相手だったこともあるが、それ以上に、ミステが諦めていた俺の番であったいう事実が大きい。

 彼女が、俺がこの世界で唯一婚姻を結べる相手だからこそ、惹かれているのだ。婚姻を結べる相手なら、誰でもよかったのだろうと誰かから言われても、完全には否定できない俺がいる。

 だって俺は、自分が知らずに番に選んだ25年前のミステのことを、ちゃんと覚えてすらいないのだから。……彼女を前にしても、すぐに俺の番だと確信できないほどに。


 一方で、ミステの方はどうだろうか。

 言語の解釈が間違っている可能性も大いにあるが、ストレートに彼女の言葉を解釈するならば、ミステは俺の嫁になるために、この村に来てくれたというわけだ。だが、それは一体何の為だ。

 25年前の愛を覚えていて等という俺に都合の良い解釈は、どう考えても無理がある。ミステはおそらく、俺と同年代。物心がつくかつかないかの幼い恋を、今もずっと抱き続けているとは考えにくい。

 可能性として一番高いのはきっと……同情と、責任感だ。

 おそらくミステは、何かしらの形で、自分が俺の番であり、俺がこのままでは一生独身でいつづけることを知ったのだろう。

 幼い頃の自分がしたことに責任感を抱いたミステが、同情心から俺に嫁ぐことを決意した。……それが一番違和感がない答えである気がした。

 俺の為に自己犠牲を払おうとしてくれている、その精神は、美しいと思う。……だが、それは、俺にとって、ひどく悲しいことでもあった。


「俺はミステにちゃんと、俺を愛して欲しい」


 俺は、俺が思っていた以上に我が儘らしい。

 同情で結ばれるのではなく、愛情で結ばれることを望んでしまう。

 諦めていた番が、すぐ傍にいてくれるだけでは、満足できないのだ。

 体だけじゃ、いやだ。……ミステの心が欲しい。

 だから、ミステにもゆっくり、俺自身を見て欲しかった。


 眠るミステの額に口づけを落とし、その体を抱き締めたまま、目をつぶる。

 体を襲う熱は相変わらずだったが、一方で、ひどく穏やかな心の自分もいて。……番は心をかき乱す一方で、精神安定剤の役割を果たすという矛盾は、こう言うことかと理解する。

 大きくミステの香りを吸い込みながら、俺は存外早く訪れた眠りに身を任せた。




◆◆◆◆◆◆◆◆


 夢を、見た。


『ロウ。ロウ。わたしの、いちばんのおともだちさん。さいしょのおともだちさん』


 灰色の可愛らしい子犬を腕に抱きながら、幼い私はくるくると回っていた。

 目が回る時特有のくらっとした感覚を楽しみながら、私は子犬に頬ずりをした。


『だいすきよ。せかいでいちばん、あなたがすき。……ねえ、ロウは、のらいぬなんだよね。くびわ、ないものね。わたし、ここをでるとき、おとうさんにロウもいっしょにいい? ってきくの。きっといいっていってくれる。そしたら、ずっといっしょだよ』


 子犬が応えるように、一声鳴いた。

 家の周りに飼われていた犬からは聞いたことがない、珍しい鳴き声だったので、幼い私はロウが私の言葉を肯定してくれるのだと思って顔を耀かせた。


『わあい! ロウもうんっていってくれた! わたし、ロウのこと、だいだいだーいすき。ずーっとずーっとずーっといっしょよ。やくそく、ね!』


 肩から首もとにかけての、灰色と白が混ざったふわふわとした所に、鼻を埋めた。

 柔らかくて、お日様の匂いがするそこが、私のお気に入りだった。

 小さなロウの体を抱き締めながら、大きくその香りを吸い込んで………




「……うーむ。どうもリアル過ぎる夢だと思ったら」


 ローグの毛皮に鼻先を押し付けている状態で、目を醒ました。

 おまけに、両手はローグの体をがっちりとホールドしている。

 昨日はあんなに共寝に動揺したのに、現金なものだとそっと手を離してみたが、ローグはローグで私の体をしっかり抱き締めていたので、あんまり意味がなかった。

 頭上で寝息を立てているローグを起こすのも忍びないので、せっかくなので鼻先にあるもふもふを堪能することにした。

 鼻を埋めたそこからは、夢と同じ、日の香りがした。


「あれから25年間……さすがにロウも、寿命を向かえているだろうな」


 ロウ。………私の、最初の友達。

 愛すべき、小さな子犬。

 夢の記憶を思い出して、胸の奥がきゅうっと締めつけられるのを感じた。

 叶うならば……もう一度、会いたかったな。あの子に。

 

 

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