畑違いの元エロゲ業界人がなろうに投稿してみた話
私は文章を書くという行為が苦手です。苦手というか、無意識に避けていたと言っていいかもしれません。
自分で言うのもなんですが、私はなんとなく出来てしまうタイプで、授業でやっただけのアクリル水彩や油絵では学生美術展で入賞してますし、書道なんかもなんとなく段位持ち、音楽は独学でしかやってないのに仕事にしてしまうと、今思うと自分でも『なんなんだコイツは』って思うタイプの人間でした。
学業のほうも、そんなに勉強していないのに江○取に受けってしまって、ゲームや音楽にハマった結果、当然のように人生ナメきったサブカルクソ人間が出来上がった訳です。
そんなふざけた人間が高校を卒業して大学生となり、その卒業を待たずに当時のネット上での知り合いについていってホイホイと成人男性向けゲーム、つまりエロゲの業界で音楽の仕事をはじめることになりました。どうしてこうなったのか、当時の私を問い詰めたいと切実に思っています。
エロゲを作るには、絵、シナリオ、声優、音楽の4つの要素が必要になります。前に挙げたほど重要度が高いものになります。
絵と音楽については、かじっていただけあってそこそこ理解していましたが、シナリオ、物語をどう作るかについては全く理解出来ていませんでした。声優についてはそもそも興味を持っていなかったのでさっぱりです。
当時の私にとって、シナリオライターというのは、気がつくと姿をくらませてたり、締め切りぶっちしたりする困った存在で、ひどい時は行方不明のライターさんの実家まで、少し付き合いがあるという理由だけで私が出向くことになり、ライターさんのお母様に「息子の行方を知りませんか?」と聞かれたときには絶句するしかありませんでした。ちなみに彼は入院してました。
そんなこんなでシナリオライター = やベえ奴という認識から、シナリオを書く = やべえという認識になるのに時間はかからなかったわけです。
そうはいっても、エロゲの要素の中でもシナリオは重要度が高いです。どんなに絵と声優と音楽が良くても、シナリオがダメならそれはそびえ立つクソです。ライターの腕にかかるプレッシャーも強かったでしょう。それこそ逃げ出したくなるくらいに。
実際彼らはどのようにしてシナリオを組み立てていたんでしょうか。想像してみても全くわかりませんでした。
やらかした過去を忘れて、遅れ馳せ場ながら真人間に戻って普通の生活を送りつつ、なろうの読み専をしていたとき、まるでSAGA PLANETSのシナリオみたいな作品に出会いました。黒歴史時代を懐かしく思うと同時に、シナリオを書くっていうのはどういうことなんだろう? という疑問が湧きました。
何かを知るには、実際にやってみるのが一番早い、と思っている私です。
だからこそ、あの業界を引退してしばらくたった今、なんか適当に物語を書いてみようと思ったのです。
本当に適当に書きました。とりあえず最低5話は書いてみようという目標だけ立てて、プロットとかそういうもの何も考えずに適当にレッツゴー。名前なんかは中学生時代の友人の名前をそのまんま。何も考えてないことがよくわかる展開。
少し書いてすぐわかりました。これはひどいと。
キャラクターに動機も信念がなく単なる舞台装置でしかない、掘り下げて無いから考え方がブレブレ、そもそも致命的なほど魅力が無い。ストーリーも考えてないからとにかく平坦。いったいどこで盛り上がるというのか。
まず、キャラクターですが、普通の人間はつまらないということがわかりました。夜の中のラノベのキャラが、大抵の場合大なり小なりの歪みを抱えたぽんこつなのは、きっとその方が面白いからなのでしょう。僕は友達が少ないあたりからその傾向は顕著な気がします。
また、物語が盛り上がるにはカタルシスが必要です。抑圧と開放と言えばいいでしょうか。ピンチからの大逆転であったり、目標を見失いそうになった主人公が自分なりの答えを見つけたりといったものがそれに当たります。これって、適当に書いていって用意出来るものでしょうか。
自分には無理だと思いました。だからこそプロットというものが重要視されるのでしょうね。
プロット無しで、キャラクターが勝手に動いて物語が出来る、という人も居るのでしょうけど、それは多分常人ではないです。人の枠から一歩踏み出しちゃった何かではないかと思うのです。
まあ、そもそも盛り上げるどころか、起承転結の起すらままならないという有様だったわけですが。
キャラクターに書き手がやったことないことをやらせようとした場合、途端に何を書けばいいかわからなくなります。ギターとかなにいってんの、私はピアノとヴァイオリン(下手)しかわかんないよ。そういや度重なる引っ越しで、思い出のあるYAMAHAのアップライトピアノは業者に引き取られていったなあ。さすがにあれを毎回移動するのは無理ではあるんですが。
世の中の作家さんやシナリオライターは、どのように自分が未経験のことを、さもやったことがあるかのように書いているんでしょうか。取材や資料を見ただけで書けるものなんでしょうか。もしかしたら想像で書いているのかもしれませんが、リアリティを持たせることが出来るというのは本当にすごいことです。
というわけで、やってみた結果、見事な大爆死を遂げたのでした。
しかしながらこれは本当に貴重な体験でした。やってみなければ一生わからないものです。百聞は一見に如かず。百見は一考に如かず。百考は一行に如かずです。
とにかく書いている時間がとても面白いんですよ。元々何かをアウトプットするというのは面白いものですが、絵や音楽とは違った面白さです。絵や音楽は、見る聞くといった直接五感に訴えるものですが、文章は違います。書き手はいかにして景色を伝えるか考え、読み手は表現からその風景を読み取るというプロセスを挟みます。私にとって絵や音楽は、独りよがりであっても許されるものでしたが、文章はそうではないのです。新鮮な感覚でした。もちろんバンド演奏とかで独りよがりはダメですよ。
なろうで作品を連載している全ての人に尊敬と感謝を。私はまた読み専に戻ります。もしかしたら気の迷いで、今度はプロットを作ってから何か書いてみるかもしれません。きっとそれは火浦功が新作を書くよりは高い確率である筈です。
なろうというのは本当にすごい場だと思います。
SoundCloudのような失敗をせずに、このまま伸びていってほしいと思います。