「お釣りいりません(キリッ)」って一度でいいから言ってみてー!
コンセプト:超絶鈍感難聴主人公が意図せず幼馴染と接近する話
文字数8000前後。何も考えず2日くらいで書いた短編です。
「一度でいいから『お釣りいりません』って言ってみてー!」
温かみを感じる木製の家具に、コーヒーの香り。
郊外に位置するいい雰囲気のカフェ。
雑音一つ立てるのもはばかられるほど静かでリラックスさせてくれるこの空間は、俺ーー松下友春の思い付きでぶち壊された。
「……それで、『今度は』何の思い付きですって?」
涼しげな目を片方だけ俺にやり、『今度は』を強調する対面の女の子。
幼なじみの大谷美奈ちゃんだ。
「話が早くていいね。さすがみぃちゃん」
「昔の呼び名で呼ばないでよ、バカ友春。ていうか声大きい」
さすが10年来の付き合いなだけあって、俺のなれなれしさや非常識さにも慌てず、ちくりと注意してくる。
おおぅ、いい蔑みの視線。ぞくぞくしてきた。
しかしこのまま蔑まれ続けると本格的にMに目覚めてしまいそうなので、軽くSも楽しみたい俺は真剣に、静かに、本題に入る。
「昨日レトロ映画見てたら西部劇のヒーローがこのセリフ言ってたんだよね」
「ふぅん」
「自分を匿ってくれたカフェの店長に『ハンバーガー代だ。釣りはいらねえ』って言いながら袋いっぱいの紙幣をテーブルにドンって置いたんだよ」
「へぇ」
「それがあんまりカッコよかったから俺もやってみたいと思って」
「……要するに友春は、七夕の短冊に『ウルトラマンになる』って書いた4才の頃から進歩してないってことね」
「うぐぅ……」
幼なじみがいて困ることNo.1
昔の話を持ち出されて妙に恥ずかしい。
しかしなんと言われようとも、カッコいいものに影響されるのは男のサガだ。
今までもそんな風に幼なじみを振り回してきたワケなんだけど……
「……仕方ないわね。でも行き当たりばったりはイヤよ?」
「さっすが! みぃちゃん話せる!」
「だから呼び方。あと声のボリューム」
まあ、今までもそんな風に幼なじみは渋々付き合ってくれるんだけど。
俺が言うのもなんだけど、なんでこんなに世話焼いてくれるんだろう……?
「はぁ……。せっかく友春の方から誘ってきたから期待してたのに……」
「え、なんて?」
「うるさいこの超絶鈍感難聴男!」
なぜか怒られたが、美奈ちゃんの理不尽な怒りは慣れっこだ。
俺は美奈ちゃんの現在進行形で膨らんでいく頬をぷにぷにしたらどんなに気持ちいいだろうかと考えながら話を進めていく。
「まあとにかく、早速この店の会計で言ってみようと思うんだよね」
「別に言うだけなら自由なんじゃない? どんな反応されるかは知らないけど」
「まあ、言って自己満足できればそれでいいや。ああ、好きなもの頼んでよ」
「友春のおごり?」
「そうだけど?」
「……悪いわね」
「いいよいいよ。付き合ってくれたお礼させて」
怒りから一転、肩を縮こまらせて恐縮する美奈ちゃん。
忙しく変化する表情がなんとも俺を飽きさせない。
実際10年幼馴染やって見飽きないっていうんだから相当だよな……。
それから急に遠慮がちになった美奈ちゃんと席を立ち、伝票を用意してレジへ。
いよいよこの時がやってきました、俺の願いが叶う瞬間が。
「すみません、お会計を……」
「はい。ではこちらーーあ、少々お待ちください」
と。
ウェイトレスさんが何かに気づいたように店の奥へ消えていく。
何か緊急事態か?
そう思いながら少し待つと……
「おめでとうございまーすっ!」
ぱぁんっ! と。
勢いよくクラッカーが鳴らされ、俺の頭に紙吹雪が舞った。
しかしそれで終わりではなく次は店中の店員さんたちが拍手を送ってきた。
どこからともなくファンファーレっぽい音楽が鳴り響く。
「と、友春。何かした?」
「いや何もしてないけど……」
突然のことに驚いて俺の背中に隠れる美奈ちゃん。
もちろん俺にも心当たりはない。
しばらく2人でポカンとしていたが……
やがて店員さんの口からその理由が語られた。
「お客様お2人が開店から1000組目のカップルです!」
「え、そんなサービスやってたの?」「え、か、カップル⁉︎」
タイミングは同時、しかし着眼点はまったく異なる驚きの声が重なる。
しかしそれにツッコミを入れる間も無く花輪を首にかけられ、陽気な店員がハーモニカの演奏を始め、立派な記念品を贈呈され、あれよあれよと俺たちを置いてきぼりにして行く。
店員さん、自分に酔いすぎじゃね?
騒ぎがちょっと収まったところで店員さんに声をかけた。
「え、ええと……。とりあえずお会計を」
「ご心配なく! カップル1000組目の記念として無料です!」
……はい?
「いや、払いたいんですけど……」
さっさと目的達成したいんですけれど。
大きいお札で払って『お釣りはとっといて(キリッ)』ってしたいんですけど。
しかし店員さんは俺の切実な願いを『突然のサービスに恐縮しているお客様の言葉』として捉えているらしく。
「ご安心ください。お客様の正当な権利ですから!」
と力説されてしまった。
結局俺たちは根負け。
店中のスタッフから祝福の声と口笛を受けながら店を後にした。
望まないミラクルに目的達成を阻まれ、釈然としないまま首をかしげる俺。
一方さっきから不自然なほど静かな美奈ちゃんは……
「と、と、友春と私がカップルって……いや、うん、うぅん、…………うん」
などと、花輪を首に掛けられたまま悩ましげな供述をしており……。
★★★★★★★★★★
「カップルって……あのカップルよね? 辞書の説明だと『夫婦や恋人など2人組の異性』ってなっているあの……で、でもそれはそう見えるわよね。若い2人が一緒にお茶してるんだからこ、こいっ、恋人同士に見えても……不自然じゃ、ないわよ……ね?」
「おーい、美奈ちゃん。着いたよ」
「…………ハッ⁉︎ ここはどこ?」
さっきからブツブツと独り言を続けると美奈ちゃんに声をかけると、ようやくこっちの世界に戻ってきてくれたらしい。
ちなみに何を言っているのかはよく聞こえなかった。
深刻そうな顔して呟いていたから、聞き耳立てるのはマナー違反だと思って。
というわけで喫茶店での望まないミラクルから20分後。
お釣りを断ることを諦めきれない俺は、次のお店に到着していた。
「ここ。美奈ちゃん行きたいって言ってたでしょ? 寄って行こうよ」
「え、ああ……。お、覚えててくれたんだ」
最近できた雑貨屋さん。
見た目はクール系の美奈ちゃんだけど、中身は以外とファンシー趣味の乙女だ。
美奈ちゃんを促して店に入る。
当たり前だけれど店内は女性が多かった。
それに合わせて店の装飾は全体的に明るいパステルカラーで統一されている。もちろん商品も女子高生ウケしそうなものばかりで、棚に並べられては次のブームが起こるのを待っているみたいだった。
まあ総合的に言うと。
「俺1人じゃキビしいな……」
適当に1人で見て回ろうと思っていたのだがそれすら叶わず。
背中がかゆくなるような感覚を覚えて、すぐ美奈ちゃんと合流しようと思った。
……と。
「…………」
食器類、その中でもマグカップが並んだ棚の側。
美奈ちゃんはその内の1つを手にとりじっと眺めていた。
丸っこいフォルムにデフォルメされたペンギン柄のかわいいカップ。
いかにも美衣奈ちゃんが好きそうなグッズである。
気になるお値段は……税抜きだと3桁、税込だと4桁。
うん、これくらいなら。
「美奈ちゃん、それ買っていこうか」
「と、友春。突然声かけるからビックリしたじゃない」
「ごめんごめん。気に入ったなら買っていこうよ、それ」
「いいわよ。これくらい自分で買えるし」
「せっかくだから付き合ってくれたお礼させてよ。飲食代も浮いたし」
「……あ、ありがと」
「それに『お釣りいりません!』って言いたいし」
「…………結局そっちが本命なのね」
「え、どうしたの急に不機嫌そうな顔して」
「いいから、さっさと、会計!」
「は、はいっ!」
尻を蹴り上げられそうになって、俺は慌ててレジへ直行。
今日の美奈ちゃん、ちょっと情緒不安定すぎると思うんだ。
「いらっしゃいませ、1077円になります」
レジ係の店員さんは20代後半くらいの女性だった。
「どうも。じゃあーーあ、ところで」
「はい?」
「来店1000人目記念とか、そういうサービスってやってないですよね?」
「はい。そういうのはカウントしてないです」
「ああ、よかった……」
2件連続であんなことになるとは思ってないけど、念のため。
さあ、お待たせしました。
俺の夢がようやく叶う瞬間です。
俺は財布の中の黄熱病研究者を2人取り出す。
そして今回こそ、カッコ良く923円を残すのだ。
袋詰めが終わって店員さんと目が合いーー今だっ!
「お返しが923円にーー」
「お釣り、とっていてください」
言えた。
言えたよ、俺。
どうかな、あのカウボーイみたくカッコよくなってる⁉︎
「…………」
「…………」
「お客さん」
「は、はい……?」
しかし、だ。
店員さんの温かく諭すような、優しく指導するような声。
続けてフランクな口調がーー多分お姉さんの素が出始める。
「お客さんの気持ちは嬉しいわよ? こんな行き遅れ30前後のためにお釣りをチップとしてくれるなんて」
「い、いや、行き遅れアラサーて……」
「本当に嬉しいわなんなら今すぐメアド交換したいくらいLINEでもいいけど」
「せ、切羽詰まってるのはよく伝わってきました……」
なんか、面倒くさそうな素の顔だった。
取り残されてしまった人って、こんなに必死になれるんだね……。
そんな俺の思いを知ってか知らずか(知られたらめっちゃ怒られると思うが)、店員さんは「でもね」と言いながらお釣りの923円を俺に握らせる。
「そんな余裕があるなら、彼女のために使ってあげなさいな」
「カノジョッテナンノコトデスカ……?」
「このマグカップを見てた黒髪の美人な女の子よ」
「ああ、美奈ちゃんのこと……。でも彼女はーー」
「トボけちゃダメよ。女の子ってそういうの地味に傷ついたりするんだから」
美奈まで……いや、皆まで言うな、みたいな雰囲気で店員さんは俺をたしなめる。
しかし何か名案を思いついた表情で彼女は耳打ちしてきた。
「ところでこのお釣りの使い道だけど……ちょっとこっちに来てくれる?」
「は、はい……」
そんなこんなで、自称行き遅れお姉さんから解放されたのは10分後。
「ごめん、美奈ちゃん。待った?」
「…………遅い」
正体不明の怒りに正体明確な原因が重なり、美奈ちゃんの不機嫌はすごみを増していた。
うわあ、足で地面をトントンしてる。
こうなると機嫌直るまで長いからな……。
「なに、してたの?」
「えっと……コレ買ってました」
右手で美奈ちゃんへのおみやげを差し出すと同時に。
俺は左手の自分用を美奈ちゃんの目線に持ち上げた。
すると、美奈ちゃんが驚いたように目を丸くする。
わー、店員さんの言った通りの反応が返ってきた。
「おそろい」
「え……っ」
「だからみぃちゃんとおそろい。みぃちゃんのはペンギンで俺のは白熊」
美奈ちゃんの怒りが陽に当たりすぎたヒマワリみたいにしおしお枯れていく。
みぃちゃんと呼びにツッコミを入れるのも忘れるほど。
「わざわざおそろいにするために買ってきたの?」
「うん、まあ」
「…………もう」
しょうがないわねぇ、みたいな表情で美奈ちゃんはため息をつく。
うっわぁ、この反応まで行き遅れ店員さんの予想通り……。
あの人は女性心理のスペシャリストか。
そういえば、『おそろいのカップを使って飲む2人のモーニングコーヒーは格別よ?』とも言ってたけど、住む家が別なんだからどうやってモーニングコーヒーを一緒に飲めって言うんだろうね。合宿でもしろってことなのかな?
「美奈ちゃん、ちょっと顔赤いけど大丈夫?」
「べ、別に心配しなくてもいいから。……それで、言えたの?」
「あ、うん。もちろん」
2つで2000円にしてくれたから問題なーー
あ、やべ。
ちょうど払ったどころか、いつの間にかオマケされていただとぅ……?
★★★★★★★★★★
「なかなか達成できないなぁ……」
それから1時間後。
急に上機嫌で『ここまで来たなら最後まで付き合うわよ』と言う美奈ちゃんを連れて、いろんなところで買い物をした。
別に金が余ってるわけじゃなくて必要な物だけ買ってるんだから、俺を金持ちかなんかと勘違いしないでよねっ!
「そもそもチップ文化が発達してない日本でこれやるって迷惑なんじゃない?」
「店員さんも慣れてないから受け取ってくれないしね」
美奈ちゃんの冷静な分析を受けて、店一件一件の反応を思い出してみる。
どの店の従業員もやんわりと、困ったような表情で断ってきた。
みんな仕事意識高いなぁ。俺だったら喜んで受け取るけど。
……と。
1つ妙案を思い付く。
「……そうだ、次は今にも吸収合併されそうなコンビニとかさびれた弁当屋さんとか行ってみようよ。そういうとこなら仕事意識の低そうな店員1人くらいいそうだし」
「友春……今すごく失礼なこと言ってる自覚ある?」
「んー、まあまあ」
ただ、ここまで美奈ちゃんを付き合わせておいて結局今日はダメでしたというのは男らしくないような気がする。
まあ、カッコ良くなりたいって理由でお釣りを断ろうとしてる時点でだいぶ男らしくないんだけどね。
そう思っていると、前方に手頃なさびれ方をしているコンビニ発見。
店員は大学生風の男。
あくび混じりにレジ前でお客を待っているあたりいかにも仕事意識が低そうだ。
コンビニの中に入り、ジュースの入ったペットボトルを2つ取る。
だいたい300円いかないくらい。
1000円出したらお釣りは700円ちょっと。
一瞬で時給分のお金が入ると思えば店員も食いついてくるだろう。
かなり失礼なことを考えながらレジの前に立つ。
すると。
「え?」
すっと、黒い影が横入りしてきた。
黒いジャンパーに黒い帽子、黒い靴って。
色はどうでもいいけどマナーの悪い客だなぁ……
と思ったところで、ぎらり。
その男が刃物を握っていることに気づいた。
脅しつけるような重低音がコンビニのレジへ響く。
「金を出せ、早く」
シンプルだが、すべてが一言に集約されている言葉。
強盗。あまりの運の悪さに俺は真後ろで凍り付いてしまう。
今日の俺、カップル1000組目だったり偶然強盗と出くわしたり、運の振り幅がすごい。
凍り付いたのは俺だけじゃないらしく、仕事意識の低い店員は突然の緊急事態のカラーボール1つ投げられずにいた。
直立不動の姿勢。
人間、ホントに恐いとなぜか直立するよね。
しかし強盗はそれが気に食わなかったらしい。
イラついたように身を乗り出して、レジスターを乱暴に掴んだ。
そのままぐいっコードを引っ張る。
え、レジごと全部持って行こうとしてんの?
どこのアグレッシブ強盗?
ちょっと欲張りすぎじゃね?
ていうか困る。
レジないと買い物できないじゃん。
買い物できないとお釣り断れないじゃーー
「友春遅い。ジュース買うのにどれだけ手間取って……ひっ」
俺がレジのことを危惧している間に、美奈ちゃんが気付いてしまったじゃん。
しかも最悪なことに強盗と目が合ってしまったらしい。
強盗がとっさに刃物を美奈ちゃんに向ける。
やべえ。
レジのだけじゃなく美奈ちゃんの危機まで……
その瞬間。
ぷっつん、と頭の中で何かがキレた。
「おい! なにジロジロ見てやがる! どっか行かねえとお前からーー」
「人のレジスターに手ぇ出してんじゃねえよぉぉぉっ!」
桜井友春、黒帯。
格闘技を始めたキッカケはバトル漫画に憧れて。
いやぁ昔からブレねぇなぁ、俺(拳を強盗の顔に入れながら)。
いかにもな強盗はそのままおにぎりの棚にぶつかって、脳震盪を起こしたみたいに倒れた。
ふー、危なかった。
「あ、みぃちゃん大丈夫?」
「…………(ガクガク)」
「もう大丈夫だよ。警察呼ぶから」
よほど恐かったのだろう。
顔が真っ赤になり、息が切れ、うわ言のようになにか呟いている。
「だ、大事な……愛する女って……わ、わたし……?」
意味のわからないことを言っていた。
こりゃちょっと重症だなと思い、俺はさっさと要件を済ませようと店員に声をかける。
お釣りチャレンジ。
「店員さん、とにかくこの商品だけ売ってください」
「い、いやそれは……」
「お願いします」
「ひ、ひぃっ……」
「さあ、早く」
せっかくちょうどいい店と店員見つけたんだから。
ていうか久々に人は殴ってアドレナリンがどぷどぷなんですけど。
このまま引き延ばされるようだとマジで……。
「け、けいさつ……」
「早くしろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
はい。
もちろん警察沙汰で、そんな時間ありませんでした。
★★★★★★★★★★
そしてすっかり陽は暮れて、夕方と夜の境目。
俺たちは無事に警察からの取り調べを終え、歩いて帰宅しているところだった。
「俺は助けた側なのにどうして取り調べされたんだろう……?」
「あの剣幕じゃグルの仲間割れと思われて当然よ」
第三者視点で眺めていた美奈ちゃんいわく、何事もなかったかのように振る舞う俺の姿が一番恐かったとのこと。
いやあの時は必死だったからさぁ……。
まあそんなこんなで結論から言うと。
俺はお釣りをチップにできない星の下に生まれてきたらしい。
「はぁ……」
「いつになく弱気ね」
「ショックだよ。美奈ちゃんに1日付き合ってもらって成果なしなんて」
「いいじゃない。私はいろいろあって楽しかったわよ?」
「…………」
「どうしたの、急に黙り込んで」
「美奈ちゃん……なんか急に優しくなったよね?」
「そっ、それは……まぁ……うん……」
この小説最初の美奈ちゃんのセリフと比べてみてよ。
超不機嫌そうだから。
「まあいいや、今日1日で諦めついたし」
「いいの? せっかく私が友春の夢応援してあげようと思ったのに」
美奈ちゃんは焦らすように「んー」と言いながら2歩、3歩と先を歩く。
そして4歩目でくるりと振り向いて。
「昔はさ、よく手を繋いで歩いてたよね」
「え?」
「昔の話。小学生の頃とか、家が近いからよく手を繋いで帰ってた」
「……そうだね。もう10年くらい前の話だけど」
「300円」
「え?」
「300円くれたら……手、繋いであげる」
え、なに。
デレたの?
脈絡のない話に脈絡のない話が重なってたわけじゃないの?
こういうスキンシップは小6を最後に自然消滅してそのままだったのに。
と、いろいろ考えている間が気に食わなかったのか、美奈ちゃんは不安そうな表情で手をゆっくりおろし始める。
「いらないなら別にいいけど……」
「い、いや! 買う! 絶対にこれは買いだ!」
「人の手を株みたいに言わないでくれる?」
「それくらい心から買いたいってことだよ。はい、300えーー」
「なにちょうど払おうとしてるの!」
怒られた。
……ああ。
手を繋ぐことで頭のいっぱいだったけど、大事なのはそっちじゃなかった。
「じゃあ1000円で」
「はい、お釣りは700ーー」
「お釣りいらないっす」
「そう? じゃ、ありがたくいただくわ」
ちゃりん、というあっけない音と共に美奈ちゃんはお金をしまった。
はいそこ、「700円騙し取られてるぞ!」って言わない。
俺の念願叶って。
言えたし、渡せた。
なんか思い描いていたのとだいぶ違うけど。
だいぶ、嬉しい方向に傾いてきたけど。
「ん」
「では失礼して」
俺の手と美奈ちゃんの手が重なる。
柔らかくて、ちょっと冷たくて、最高の触り心地。
お釣りがどうとか、カッコ良さがどうとか、全部頭の中から吹き飛んでしまう。
「みぃちゃん」
「なに、ともはーーはるくん?」
「来週までにはもっと面白いこと考えてくるわ」
「次は強盗に絡まれない方向でね」
「どうだろ。俺の運の振り幅すごいから」
「しっかりしてよね、まったくもう」
「……ていうかさ」
「うん?」
「これじゃ俺たち、付き合ってるみたいだね」
「…………」
「…………」
「…………ですって?」
「え、今なんて言っーー」
「『みたい』! ですって⁉︎」
結局そのまま、いつもの理不尽な怒りが爆発。
みぃちゃんの機嫌は1週間元に戻らなかったとさ。
おしまい。