4-13 それを知り、王は動く
non side
ミナトや他の子息達からの期待の視線に耐え切れず、忍が彼らへ事の次第を説明している頃。ダウエルもまた、シン国宰相ハッサドと面会していた。
『ダウエル殿。何事です?』
『ハッサド宰相、我々は重大なことを見落としていたようです。その責は後ほど如何様にもお受けいたしますが、まずお話を』
『ともかくお座りを。珍しいですね、貴方がそのように狼狽えるとは』
平時から任については冷静さを欠いたことかない財務の長であるダウエルが、この時ばかりはその静かさをどこかへ置いてきていた。そして話だそうとした時。
『ダウエルか』
『これは陛下。いかがなさいましたか』
奥の王族の私的居住区より悠然と現れたのは、シン国当代国王アルダーリャトである。小休憩を取り終え公務に戻ってきた彼は、自身の執務室に戻ろうとしたが何やら慌てた雰囲気を感じ、自室に隣接する宰相の部屋を訪れたのだった。
『ダウエル。お前がその様に取り乱すとは稀だな。何があった』
『陛、下』
宰相に話すつもりが国王自らに聞かせることになるとは。ダウエルはごくりと唾を飲み込んだ。
『では……申し上げます。私の下で暮らしております『契約者』のシノブ殿が、我が財務部署に勤めていることはご存知かと思います』
『そうだな』
『あの者はこの度、三方の文官から申告された今月の集計と来月の予算の検算を担当しておりました。その報告を先程受けていたのですが、『北の元文官の資産がおかしい』と申したのです』
アルダーリャトの片眉が微かに動く。『北の元文官』とはつまりダミエ・ドル・グルヴェの事であることは彼もハッサドも知っている。そして獣神と契約者に手を出そうとしたことも然り。ストにて捕らわれたグルヴェは現在、準男爵位の剥奪の上、王宮の罪人部屋にて殆ど監禁に近い軟禁生活を送っている。牢に入れないのは隣の鼠との繋がりが未だに明確になっていないからだ。
『どうやら過去6年分の申告書類を見比べていたようです。貴族各位のおおよその資産額もいつの間にか学んでいたらしく、例に挙げてきました。
先ず申告にある資産ですが、準男爵でありながら子爵並みに150ルーン持っていることがそもそも不思議だと申したのです。北地方の国への納税額が30ルーンに対し税収は25ルーン。ですが申告によればきちんと30ルーン納税されている。では足りない5ルーンの出処は?と』
『!』
『この時、シノブ殿は室内に居たビフェル男爵の息子に『準男爵位の資産が男爵位の資産額を超えることがあるか』と聞き、そして『あり得ない』との彼の確認を取っております。
年2回の納税、1年で10ルーンの支出。本人の資産から賄っていたのであれば150ルーンなど維持できないはずだ。では残り1年分の10ルーンはどこから捻出したのか。資産で全て補ったのなら当然100ルーンを切る、それなのに150ルーンを所持出来るのは別の場所から収入を得ているのではないかと』
『……』
アルダーリャトとハッサドは唖然としていた。本当に今の話を契約者のあの者が言ったのか。彼は平民出ではなかったか?書類を過去6年分を遡って目を通したことや過去の書類を調べるという着眼点も驚きに値するが、今の話は余りに平民とは思えぬ思考だ。国の頂点に立つ自分達ですら思い付けなかったのに。
『シノブ殿が……誠にそう、話したのですか?他の者の意見を述べたのではなく?』
ダウエルに問うその声も微かに震え、ハッサドはその事を自覚すると内心で自嘲した。今の内容に、自分は予想以上に気が動転しているようだと。
隣の仕える主と視線が合わさり、2人の胸中を真っ先に過ぎったのは『あり得ない』だ。まず、学問というのは貴族以上の者だけが享受できるものだ。それなのにシノブは恐るべき算術の腕を持っているという。アルダーリャトやハッサドは話に聞いただけだが、それでも貴族ですら全問正解したことがない試しの問、口頭10問筆記30問を淀みなく満点を叩き出したというではないか。不正を被らされぬよう、その時財務部署に居た全ての者の前で行うと進言し、その視線を物ともせずに。何とも肝が据わった者だと思っていたが……まさかこれ程までに頭の回転が速いとは。
『シノブ殿は他には何か申していたか?』
アルダーリャトが言えたのはそれだけだ。これは本人から話を聞いてみねばなるまい。もしや他に何か隠していることがあるのではないか、そしてそれは重要な事となるのではないか。彼の英明な頭脳は素早くそんな答を弾き出した。
『グルヴェ準男爵のことを話してくれました。北地方のネイアとストの関所で、2度会ったと。当時、シノブ殿は『獣神の契約者』が国が保護に動くような大事になるとは思っておらず、獣神様には深紅の瞳の色を変えてもらっていたそうです。一旅人としてネイアを訪れたはずが、ネイアの隊長が文官として来訪したグルヴェに彼らの滞在を告げてしまった事で対面したと』
部署で話してくれた忍の感情を消した面立ちがダウエルの脳裏に浮かんだ。ダウエルは忍が女である事を知っている者の1人だ。彼女は簡潔に非常に淡白な声で話していたが、あれは女の身ではさぞや嫌な思いをしたに違いない。グルヴェの容姿を自分は知っている。だからこそ尚更、嫌悪感があったのではと。
『ネイアの顔を立てる為と顔合わせしたその際、シノブ殿は彼が獣神と契約者に対し私欲を抱いている事を知り、即立ち去りました。それ以降ネイアには足を向けていないようです。
彼らがストを目視出来る距離まで進んだ時、獣神様がストを避けるべきと仰られたことで近場のトーラへ向かったのですが、ストの子供らが引き留めに駆けてきたそうです。何でも彼らの大切な者を人質に脅されていたとか。シノブ殿は無視できずにストに向かいグルヴェと2度目の対面をしました。人質の解放をミイド殿と獣神様に託し、ストの民への危惧もあったからとグルヴェと私兵に対して牽制を兼ねて対峙したそうで……』
『という事は、シノブ殿は武術を嗜んでいるのだな』
『はい、そのようです。ひと段落ついた時、ストの門より首都兵が怒涛の勢いで入所してきたそうです。グルヴェとその私兵を捕らえに来たようだったとのことですが、一方で自分達も探していたと。ただ、シノブ殿の眼には『保護』ではなく『捕縛』の意が強く映り危機感を覚えた為、ストの民の手を借りその関所より離れたとのことです』
この時、口内で舌打ちを飲み込んだアルダーリャトと微かに苦い顔になったハッサドの脳裏を過ぎったのは、謁見の間で忍と初見した時の光景だ。あの時彼の契約神である馬神はこう言っていたのではなかったか。〈あれを、保護と宣うか〉と。
〈その方らが保護と言い寄越した首都兵。あの者らは、口調こそ丁寧ではあるが慇懃無礼にも程がある。唐突に現れ同行を求めたかと思えば、警戒を示す我が契約者の首に撃を入れ気絶させ、剰え大切にしていた物を2つとも破砕した。謝罪1つも無く、さも当然であると言わんばかりに我が契約者を見下した挙句、医師の1人も寄越さず、この間に通されるまで待たされた部屋は賓客の護衛用の部屋。これが無礼と言わずに居られようか〉
その端整な面立ちに憤りを隠さずこちらを批難した馬神の科白は、一字一句違えることなく鮮明に憶えている。忍はそんな彼を宥め、本人もこちらの問いに非常に淡白に答えていたが……その内心は分からないのだ、自分達には。ただ、確実なのは忍はアルダーリャトとハッサドに好印象を持っていないということ。忍は首都兵を良く思っていない。2度も不信を抱かせたのだから当然と言えば当然である。
あの謁見の間以来、アルダーリャトは忍と会っていない。宰相のハッサドは機会はあったが、それでも好意的な会話が出来たかと聞かれたら首を傾げざるを得ない。目の前のダウエルの屋敷へ会いに行った時も、あの顔は無表情に近くて忍から歓迎されているとは到底思えなかった。個人的な話が出来たのは宰相印の印籠を外した為で、忍と対話するには身分が邪魔をする。
『なんと言われようとも、閣下は『侯爵』であり、私は『平民』なのですから』
ハッサドの脳裏に忍の言葉が甦った。あの科白。あれは、こちらがどれだけ歩み寄ろうとも自ら一線を引き退くということだ。『獣神の契約者』は一国の王に等しい存在。それなのに飽くまで自分は平民だと言うのだ、あの者は。爵位が無いからか?とも考えたこともあるが、恐らく叙爵は辞退するだろう。忍がそれを受けるより、『身分不相応なことはお受け出来ません』と言って断る方が容易に想像が付く。
……どうすれば彼はその胸襟を開いてくれるのか。
ハッサドは思い悩んでいた。忍はこの国、シン国の民ではない。が、だからと滞在中の他国の為政者に不服従を示すことは出来ない。それは本人も良く分かっているのだろう。だからこそ自らを『平民』だと口にし、為政者側である自分や主君と一線を引いている。忍は成人になってそう幾ばくも経っていないはずだ。かの歳であれ程に芯を持っているのも珍しい。貴族相手に進言出来る、つまり忍は一線を引いていながらも主君と宰相である自分の庇護下に居るのだと理解している。
つまり一国の王と同等の立場であるということを、だ。
どうしてこの国へ来たのか、何故帰郷の望みが薄いのか。母国はどこかーー。こちらが知りたい事を、彼が教えてくれたことはない。知りたいと思っても、今のままでは語ってはくれまい。まずは、心の内を見せてもらえるほどに親しく……いや、信頼されなければ。
ハッサドが思案している隣で、アルダーリャトもまた忍の事を考えていた。最初はただの他国の民だと思っていた。獣神がどの様な理由で選んだにしろ、自分達が保護するべき選ばれた『獣神の契約者』だと。だが会ってみれば予想よりも小柄な者であった。今までに見知る民とはどこか変わっていて、身の内に揺るがぬものを持っている様にも感じる。アルダーリャトは自らの容姿が周囲が軽く騒めく程度には整っていることを理解している。謁見の際に意識的に纏わせている風格に反応しない者がいないことも。
だが、忍は無反応。そしてこの外見にも何も示さず、それが彼には新鮮で興味を抱かせた。今もまた、臣下の報告に関心が大きくなる。余りに民とは思えぬ思考、そして垣間見える教養と学識。
……興味深い。
アルダーリャトは、行動に移すことを決めた。
忍は19歳。この話ではまだ薫花の4月。彼女の誕生日はオリネシアでは繁生の1月12日なので、もうちょっとしたら20歳。(地球では次は21歳ですが、年日数が違うので、ずれています)