幕間 報告
ミイドside
ダウエル様に書類の報告をしていたシノブさんの声を少し耳に入れながら、充てられた書類を進めていた。だが、ある点から彼女の声が急速に冷めて淡々とした声音になっていくのにぱっと顔を上げた。
話していたのはあのグルヴェ文官、いや今は元文官か。彼のことだった。シノブさんは2度も彼に嫌な思いをさせられている。思い出したくはなかっただろうな……。
『ネイアとスト?何故彼と会ったんだ?この2関所に接点など無かっただろう?』
『確かに接点はありません。説明するには少し、私が首都に来る前の旅路の事をお話ししなくてはいけなくなります。よろしいでしょうか?』
『構わない、いや是非聞かせてくれ』
明らかに興味が増した表情で先を促すダウエル様に対して、シノブさんの顔はあまり思わしくなくて心配になる。けれど俺も少なからず興味をそそられるものだから、書類をしつつ彼女とダウエル様の会話に耳を傾けた。
『彼とネイアで会った時、私は契約神である馬神の獣神、皇雅と旅を始めたばかりの頃でした。無駄に騒がれたくなくて、彼には瞳の色を変えてもらっていました。当時は『獣神の契約者』がこんなに大事だとは思っていませんでしたので、獣神と契約者である事を秘匿しながらの旅だったのです。私はただの旅人としてネイアを通るつもりでした。
ところがそこにグルヴェ元文官が来訪と知らされ、ネイアの隊長が一言の断りもなく私達のことを報せてしまったのです』
『何?』
『彼が野心を持たない人間であったなら、無問題でした。ですが彼にはある執着がありました。それが獣神。彼は獣神を我が手にと望んでいた……権力に固執する類の人間だったようです。私のこの容姿も侮られる一因となったことは否定できませんが。私達はネイアの顔を立てるために留まり、顔合わせ後、即立ち去りました。それ以来ネイアを訪れることはしていません』
『……では、ストは?』
ダウエル様の顔つきがどんどん渋くなっていく。伯爵の位にいるからと、自分より下位の貴族全てを見知るわけではないらしい。初めて知ると、その目が語っていた。
『ネイアの後はシダ村で少し滞在して、シロムを始め幾つかの関所を通過しました。ダルムが1番長く滞在したと思います。紅涼を越した後にもう1度シダ村へ滞在し、その頃、そちらにいるミイドさんが旅に加わりました。北地方の次は東地方だろうと、ストを通り東地方へと思っていたのですが、皇雅がストが目視出来る地点で避けるべきだと口にしましたので、トーラの関所を通過する事にしたのです』
〈シノブ〉
彼女がそこまで話した時、出勤してから1度も開口することがなかった獣神様がシノブさんを呼んだ。シノブさんは彼をちらっと見やり、次いで俺に視線を向けると微かに首を振る。……言わないつもりなのか。綺麗にシダ村の件をすっ飛ばしたことに驚いたが、その瞳がいつもの明るいものでないことに心臓が音を立てた。
『トーラに向かった?それならばストは無関係なのでは』
ダウエル様の言葉に黙って否定を示し、シノブさんは口を継ぐ。
『その子達がストから私達を追い掛けて来たのは、トーラへと進路を変えてわりと直ぐのことでした。彼らは親や姉、親しい人を人質に取られ、私達をストへ誘き寄せる手段にされたのです。『ストへ連れてこれなければ人質がどうなっても良いのか』と。その時はグルヴェ元文官がストに居るのだとは知る由もなく、私達はストへ向かいました。彼は、私と皇雅を諦めておらず、私兵を配し、住民から人質を取ってまで手に入れようとしたのです』
『……』
ダウエル様はもう何も言わなかった。と言うよりは言えなかったのだと思う。僅かに口を開け、絶句していたから。……あいつは、あの首都兵に捕らわれた後一体どうなったのだろう。爵位剥奪ぐらいはされていて欲しいんだが。
『皇雅とミイドさんには私兵に囚われていた人質の解放に向かって頂きました。私はこのまま放置すればストの住民に危害が及ぶのではという懸念もあり、そして2度とその姿をストに見せることはないようにと、彼とその私兵に相対しました。
ひと段落したと思った時、首都兵がストへなだれ込んできたのです。彼らはグルヴェ元文官とその私兵を捕らえる為にストへ来たようですが、一方で私達も探していた。陛下の元へ、私達を保護し連れて行く役目も担っていたのでしょう。けれどその勢いは『保護』よりも『捕縛』の含みが強いように思えた為、私達は彼らのその烈度に危機感を覚えて住民の助けを借りてスト、そして彼ら首都兵から逃れました。それから東地方の森へ入り、後はダウエル様もご存知かと』
彼女の今告げたことは、それもストのことは事実だということは誰よりも俺が分かっている。けれどシノブさんは全てを正直に話すのではなく、所々を微妙に歪めて伝えた。あいつにストへ誘き寄せられたことは事実だし、人質の件も首都兵に危機感を覚えて逃げたのも確かに真実。
だが私兵達をその卓越した剣技や体術で死なないまでも伸していった事や、あいつに辛辣な言葉を投げたことは1つも言わなかった。言わなくても良いのかとは俺は言わない。聞かない。俺が最も尊重するのはシノブさんと獣神様方の意見であって、位が格上とは言えども貴族ではないんだから。
『……では、報告に戻らせて頂きます。
件のグルヴェ元文官は準男爵で、まず自己資産申告額は150ルーンとなっています』
少し間が空いて、シノブさんは何事も無かった様に書類の報告を再開する。ダウエル様を始め、皆が一瞬『は?』と私事の話から仕事に戻した彼女を見つめた。恐らく今の話を聞いた大半が詳細を知りたいと望んでいるだろうが、シノブさんは言うつもりはないらしい。その口振りが『もう言う事はない』と感じさせている。
俺は充てられた書類を終わらせ、彼女の報告を待ちながらダウエル様に告げる声を聞いていた。
『国の納税指定額が30ルーン。北地方の税収申告額は25ルーン。地方によって納税指定額が違いますので、恐らくその地方における3割が納税額に指定されているようですが……それでは彼は不足分の5ルーンをどうやって捻出したのでしょうか』
旅の事を話す前の報告時と同じ冷静な声音で告げるその科白に、はっとダウエル様が瞠目したのが分かった。