4-9 和解
『だから、何の望みも私に言うことはないと?ダウエル殿には告げることはあっても』
……納得、してはくれないか。言っとくけど宰相様?『希望を言え』とか言ったら強要だからね?
『……』
『私は確かに陛下に次ぐ地位を持っています。しかしそれは、願いを叶えて差し上げられる範囲も広いという事でもあります。本当に、何も無いのですか?』
『ご厚意は感謝致します。しかし閣下、いえ陛下でも、私の本当の願いは叶えられない。だから私は申しません。叶えられない望みなど、口にするだけ虚しいだけです』
だってさ。1番の願いって皇雅と白貴とミイドさんの4人でまた旅に戻ることだもん。あの謁見の時に陛下、確かに言ったよね?『無理だ』って。
『陛下ですら叶えられない?あり得ません。陛下は大国シン国の王なのですよ。その様なことは……』
〈宰相。我がシノブの意を汲めぬならばその口を閉じよ〉
あ、皇雅いらついてる。……駄目だよ、この国の宰相様なんだからね?目で訴えると〈分かっている〉と視線が言っていた。本当に分かってるのかな、喧嘩売っちゃ駄目だよ?
『シノブ殿の意、ですか』
〈そうだ。シノブの1番の望みを、あの日、国王自ら退けたではないか。その方は国王の隣で聞いていたであろうに忘れたか?あの望み以外、シノブにとっては例え叶えられずとも、それでも良い事しか言うてはおらぬ。湯浴み然り、遠出然り〉
ふん、と鼻息1つ。ああ、だからそう喧嘩売るように言っちゃ駄目だって。
『それは、誠のことですか?』
『……ええ、まあそうです』
お風呂……あ、湯浴みだっけ?湯浴みがあるなんて知らなかったから別に水浴びでも良かったし、東地方の森に行くことだってまず無理だよね、って諦めてたし。何故かダウエル様に知られて行けることにはなったけどさ。
『重ねて申し上げますが、ご厚意には感謝しています。ですが、現時点では特別閣下にお願いするような望みは持っていません。本当にお気遣いなく』
……1つだけ挙げるなら、働きたいな、とは思うけど。無理そうな気がする。平民が働くなら市井に出るしかない。それはきっと許してはくれないだろうから。かといって、王宮で働けるか?ってなったらそれも無理だと思うんだよね。王宮にそんな低い位の人間が出入り出来るわけがない。……うん、無理でしょ。
『シノブ。宰相自ら足を運んで頂いたのだよ?本当に良いのかい?』
『わざわざ足を運んで頂いたからこそ、この機会にしっかり意思をお伝えしておくべきだと判断したのですが……』
それじゃ駄目だったのかな。もしかしてあれかな、貴族だから何かしら駆け引きがあるとか?ダウエル様は苦笑していた。
『あの日、陛下は私が『大変貴重な存在になった』と仰いました。ですが私はそうは思いません。契約理由はとても些細な事でしたし、私自身は何も変わってもいない。偉業を遂げたわけでもない。それなのに仰々しく敬われ、今も困惑することの方が多いのです。どこまで突き詰めても、私は平民です。陛下や閣下の命令には従わなければならない立場にあります』
『……陛下や私が、貴方に命令すると。そう言いたいのですか』
『いいえ。私と閣下の身分差を明確に申し上げただけです』
命令するかどうかは陛下や宰相様次第ですよ?基本は従わないとね。内容にもよるけど。きっぱり言うと、彼は困ったように微笑んだ。
『どう伝えれば、私の誠意は伝わるのでしょうか』
『……』
『宰相、侯爵という身分が貴方との距離を遠ざけるのであれば、今、この時間は取り払ってしまいましょう。ハッサドという一個人としてお話がしたい。……和解の機会を、シノブ殿』
『和解?』
『ええ。貴方の中での私や陛下は、余り印象が良くないですから。……そんな胡乱な表情をしないで下さい、獣神様も。他の意図などありませんよ』
そう言って、宰相は懐から何かを取り出しテーブルに置いた。それを見てダウエル様が息を飲んだのが分かって尋ねれば、『宰相印だ』とのこと。印籠と言うらしいんだけど……あれだよね、これさ。あの有名な時代劇の「この紋所が〜」って時に出てくるあれ。まさかここで見ることになるなんて。で、何で印籠出したの?
『この印籠は陛下より賜った宰相たる証。印籠を我が身から離した今の私は、宰相ではなくハッサド・イド・ファリ・ヴェルダニードという1人の男でしかありません』
つまり。
目の前のこの宰相は、身分を離れ一個人として私と話すという態度を示す為にこの印籠をテーブルに置いた、と。良いの?平民相手にそんなことして。……信用、しても良いのかな。
〈うむ、嘘はついてはおらぬ。この男は、シノブと言葉を交わしたいがために印籠を手離して見せたのだろう〉
皇雅までそんなことを言う。獣神には嘘は通用しないのは私が1番分かってるしね。それなら信じて良いでしょ。
『では、我が国に来られて既に2年ですか』
『はい。次の繁生で3年目です。次は南地方をと思っていたのですが……』
『南地方ですか。確か南地方の文官とも顔合わせはしていましたね』
『ああ、あの謁見の時の。ヴィスルダ・アフド・グールカルエ殿と仰っておられましたね』
脳裏に浮かんだのは、いかにも武人って感じのがっしりした体躯の男性で。歳は……知らない。そこまで言ってなかったし。
『そう、ヴィスルダ殿です。良く憶えていますね』
『人の顔と名前を憶えるのは得意な方なんです。本当に顔と名前だけですが』
『それでも大したものです。では東地方と西地方は?』
『東地方はミリフドル・カーン・クアリウス殿。西地方はハインリヒト・ルエ・アースライド殿だったかと』
流石だと言う皇雅に、驚きつつも嬉しそうなダウエル様。いや、そんな凄いことでもないと思うよ?大体の人は憶えるでしょ、地方を管轄する文官なんだから。
『シノブ殿の得意なことは他にはありますか?』
『……算術?でしょうか』
『え?』
『え?……何か?』
『シノブ殿は算術が出来るのですか?本当に?』
『ええ、まあ』
何で?前のダルムでのミイドさんと同じ反応してるの、宰相も。そんなに凄いこと?計算能力があるのって。
和解と言われて一個人として彼と色々話して、私と皇雅は部屋から退室したけれど。その後ダウエル様と宰相が何を交わしていたかなんて、想像もしなかった。
この話での季節は薫花の1月末です。まだ3年は経っていません。なので忍もまだ19歳です。