4-3 有意義な茶の時間
『シノブ、入っても良いかな?』
『あ、はい。どうぞ』
読んでいた本を閉じて扉へ目を向ける。この声はイーニス様だよね。今日はどうしたんだろう?
お世話になってるこのハイドウェル家の一人息子、イーニス様は年の近いお兄ちゃん的な人で。いや、こっちは平民で向こうは貴族なんだからこんな事も考えたら不敬に当たるか。まあそれは置いといて、凄く優しい人なんだ。この4ヶ月、彼の明るさに助けられたこともあるし。
『新しい茶菓子が手に入ったからね、シノブもどうかと思って』
『有難うございます』
〈……良く訪ねてくるな。貴族というのは暇なのか〉
こらこら。皇雅、それは言っちゃダメでしょうに。厚意で構ってくれるんだからさ?イーニス様に聞こえなくて良かったけど。
〈主殿は茶や茶菓子が好きなのか?〉
元々お茶もお茶菓子も好きだけど、ここで出るお茶って玉露みたいで美味しいんだもの。これで嫌いなんて言ったら罰が当たる。白貴の質問にはこくりと頷いておく。折角訪ねて来た言わばお客様を置いて自分達だけで話すなんて失礼になるだろうし。
軽く押し頂いて両手で口元へ茶杯を運ぶ。ああ美味しい。やっぱり日本人には日本茶だよね、うん。
『シノブはどこかで作法でも習ったのかな。綺麗に飲むね』
はふ、とひと息ついた所でイーニス様に微笑まれた。
『母国には茶の文化がありましたので……それでかもしれません』
流石にこのお茶が日本茶だから知ってました、なんて言えるわけがないけど。
『へえ、茶は高級品なのに。シノブの国では違うみたいだね』
『ええ。民にも手が届く値段でしたから、広く深く浸透していたと思います』
『民も、飲んでいた?』
『はい』
そんな、まさか信じられないと雄弁に語る表情のイーニス様。いかん、ちょっとまずい事言ったかな?
『……まあ、茶の話は置いておいて。シノブ』
『はい』
『この国で暮らす以上、知っておいた方が良い事があるのも確かなんだ。身分については特にね。良ければ僕が教えようと思う。どうかな』
『お願いします』
知っておいた方が良いことなら、是非とも知りたい。『知りませんでした』で済むなら良いけど、それでいちゃもん付けられるなんて事になったらそれこそ堪ったもんじゃない。イーニス様はうん、とにっこり笑ってメリダさんがお茶セットと一緒に持って来たものを私に差し出したのだった。
『シノブにも分かりやすいように、爵位について纏めてみたんだ』
『……もしかしてイーニス様のお手製、ですか?』
どう見ても万人向けにきっちり作られたものではなく、手書き感満載に記されているその紙。照れ臭そうにする様子にその『もしかして』が正しいことがを知った。え、何、本当に?わざわざ居候の平民なんかの為に、貴族の子息ともあろうお人が?あんぐり口を開けそうになって、はっと誤解を招くかもと慌てて言葉を継いだ。
『私に教える為にわざわざ、作って下さったんですか?イーニス様自ら?』
『シノブは本当に無欲だからね。僕やメリダ達が動かないと何もしようとしない。もっと望んでいいんだよ?ハイドウェル家は君の後見ではあるけれど、平民の出自だからと縛り付けたりはしない。そんなことは欠片も思っていないのだから』
何て優しいんだろう。異国の生まれだって押し通して、はっきりと国名すら明かさない私にこんな風に接してくれるなんて。イーニス様は何でも望んで良いって言ってくれたけど。けど!一応自制してるんですよ、これでも。自分で言うのも何だけど、無欲ではないし無関心でもないとは断言出来る。数ヶ月経った今も旅に戻れるなら戻りたいし、首都の散策だってしてみたいと思ってる。ただ、それはどうしてもお付け目役が付いてくるだろうし、ハイドウェル家の人達の手を煩わせるかなぁと口には出さないだけで。
この日、イーニス様は貴族階級について色々と教えてくれた。
先ず国の頂点に国王が居る。シン国は言わずもがなアルダーリャト陛下。あのイケメンですね。で、次点が侯爵。侯爵は王族の傍系の家か、建国当時から居たり国益に影響がある功績を立てた人が叙爵されるのだそう。現在侯爵位なのは宰相閣下を含め3家。宰相閣下はハッサドと言うらしい。あの綺麗な人かぁ……まあどうでも良いけどさ。彼は傍系の王族なんだとか。
その下に伯爵、子爵、男爵、準男爵。騎士爵はいない。ついでに公爵もいない。公爵は大公とも呼ばれ国王より上の位らしいんだけど、とりあえず頂点が国王のこの国には存在しないって事はわかった。うん。
『我がハイドウェル家は伯爵でね。侯爵が上位貴族と位置付けられているんだ。伯爵家もそうだけど、子爵や男爵、それに準男爵位も複数ずついるよ。中堅貴族には伯爵、中堅の下位には子爵。下位貴族に男爵、準男爵となっているんだ。その下は各家が持つ勢力があったり、地方の各関所の体長副隊長格があったかな。官職の中では最下位ではあるけれどね』
何ですと?!
ぱっと近くに居たミイドさんを見てしまったのは、仕方ないことだと思う。『副隊長って官職だったの?!』って目を向ければ、気不味げに視線を逸らす。……ミイドさん、覚えてらっしゃい。
今更だけど、まさか官職だったなんて知らなかった。知っていたらもっと頑固に反対してた。そんな地位にいたのに、ただの平民に戻っちゃったんだよ?私のせいで。
『……ミイドさん。後でたくさん、聞かせてもらいますからね』
低く宣告する私とびくりと肩を震わす彼を見て、瞬きするイーニス様。
『おや。ミイド殿はどこかの官職持ちだったのかな?』
『俺……いえ、自分はダルムの副隊長を勤めていました』
『過去形だね?』
『彼女がダルムを去る時、官職を部下に引き継がせて旅仲間に加わらせてもらったのです。今は1人の平民です』
『まあその眼を見ればわかるが、悔いは無さそうだね。それなら僕は何も言わないよ』
どことなく満足そうに微笑むイーニス様とほっとしたように息を吐くミイドさんを見比べ、隣に座る皇雅や白貴に顔を向ける。
『男同士、通じるものでもあったのかな』
〈不仲よりは良いではないか。理解も示している故、シノブが気にすることではなかろう〉
〈まあ、主殿は彼の退出後にミイド殿を問い詰めるのだろう?主殿は笑顔で怒るからな、彼としては戦々恐々だろう〉
む。なんか非常に失礼な事を言われた気がする。私、そんなに怖いかなあ。じいちゃんの本気の怒りよりは随分弱いと思うんだけど。
話が時折脱線しつつも、この日はイーニス様に色んな事を教えてもらった。彼が出て行った後でミイドさんとはにっこりとお話しましたよ、勿論。
最強の祖父と比べてはいけないとは気付いていない忍。オリネシアの人間から見れば、あれの本気は別次元です。