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闘神の御娘(旧)  作者: 海陽
4章 1部 首都アトゥル
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幕間 本心の笑み

オリネシアでの『着物』は和服では無く、『着る物』の意味です。


イーニスside

父上が陛下から召集され、休日ではあるが王宮へ出向いた時。僕はまだ彼女達が来る事すら想像も出来なかったのだ。我がハイドウェル家が代々担っている財務の任務に何かあったのか、くらいしか。

だから噂になっていた獣神の契約者の後見に父上が選ばれたのだとは思いもしなかったんだ。けれど実際に王宮から戻って来た父上は見知らぬ4人を連れて来た。中性的で1番小柄な人が、渦中の契約者と知ったのは紹介を受けてからだ。


『息子のイーニスだ。今年の紅涼に24になる』


『……ご子息のイーニス様。本日よりハイドウェル家の皆様にお世話になりますシノブと申します。ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします』


父上の紹介に丁寧に礼をする彼女。今年で成人(19歳)を迎えるというには大人びている印象を持った。貴族ですら成人を迎えても子供っぽさを残す人が多いくらいなのだから。しかも他の令嬢や夫人なら大切にしている髪を、父上も見ている前で自ら躊躇無く切り落としたという。異国ならば習慣も違うのだろうが、それでも何故という気持ちが強かった。




彼女は父上が自由に使うように、と与えた部屋にいつも居る。母上や僕、家令のヒード達使用人が連れ出さない限り自分から外へ出ようとはしない。窓際に腰を下ろして貸し与えた書を読み耽る。契約した獣神や『ハクキ』と名乗った美丈夫、ミイド殿と共に過ごすのだ。まるで極力僕達に手間を掛けさせることはしない、とでも言うように。『ご迷惑をお掛けします』とは言われたが、これでは迷惑にすらならない。逆に構いたくなる程に大人しい。


何度も何度も声を掛ける。


シノブは会話を持ちかければきちんと返してくれる礼儀正しい娘だ。話の節々に、彼女には教養もあるのではと感じる事もしばしばある。それを家の者(使用人達)や僕、母上や父上も知っているし不躾に欲を見せたりする他の貴族よりも余程好感が持てた。


一人息子であった僕にとって、シノブは妹のようだ。けれど会話を重ねても硬い口調は崩れず、笑顔を見せてはくれない。笑わないわけではない。けれどその笑みは本物ではなくて取り繕ったものだ。母国でも平民の身分だったらしく、僕達が貴族だからと一定の距離を置いているようにも見える。獣神の契約者という時点で貴族と平民などという差は無くなっているというのに、身分差で距離を置かれるなんて寂しい。シノブ、どうすれば君はその殻を割ってくれるのだろう。






『シノブ。君は何故いつも男物を身に付けるんだい?』


『今日も部屋に居るのか?』といつも目に掛けているからなのか、シノブの着物がいつも男物である事に気付いたのは彼女が我が家に来てひと月頃のことだ。けれどたったひと月では彼女の殻はまだ硬すぎて、こういった話を持ち掛けるのは気が引けた。年頃の女性に男が着物の話を不用意にしたら警戒される。まだ出会ってからひと月。シノブに警戒されて、妹にしたいのに仲良くなれないなんて羽目にはなりたくない。だからこの話を彼女に出来たのは、4ヶ月……繁生に入った頃だった。まだまだ態度は硬いけど、漸く彼女の硬い態度が解れる鱗片が見えてきていたから。

使用人頭のメリダに茶の用意をさせてシノブの部屋に邪魔をすることにした。最初は庭の四阿あずまやでとも思ったが、完全に警戒が解けていない彼女を不安にさせてまで選ぶ選択肢ではない。


『この着物は……ダウエル様にお願い致しました。イーニス様も以前、私がダウエル様にお願いした事をお聞きなのではないのですか?』


メリダが淹れた茶を啜りながらその言葉に父上と話した事を思い出した。彼女が性別を有耶無耶にしておいて欲しいと頼んだことを。その時は父上と同じく、聡い子なんだなと驚くのと同時に感心したものだ。下手な令嬢達よりもこの子は上手く立ち回る事が出来るだろう。これで男でもあれば活躍する事も出来ただろうが……。


『ああ、性別を有耶無耶にしておいて欲しい、だったね』


『はい。シン国では男女ではっきり着物の形状が分かれています。宰相閣下は私を男と思っておられる様子。それなのに女物を着ては自分から女だと言っているようなものですから。私自身、動き易い男物が好きですし』


『しかし、それでは』


女には着飾ったりする楽しみがあると、母上が昔口にしていたことがある。シノブはその女としての楽しみを捨てるつもりなのだろうか。それを聞くと、ふわりと笑ったんだ。それは彼女が、この屋敷に来てから初めて見せてくれた心からの笑み。


『私は母国でも良く男と間違われていたんです。短髪だった上、顔も他の人より男に見えやすいようでしたから。……それに』


『それに?』


『あれこれ自分を飾り立てるのは苦手なんです。多分似合わないでしょうし、その、ごてごてきらきらと装飾品を身に付けるのは私の趣味ではないので』


なんとまあ、はっきり言ったな。趣味ではない、苦手と言われれば無理を通して押し付けるのは可哀想だな。しかし……ごてごてきらきら、とは……くくっ。漏れそうになった笑いを噛み殺していれば、シノブは憮然とした面立ちを見せる。


『……イーニス様。噛み殺すくらいなら、いっそのこと笑って下さい』


『ぶはっ』


その言葉に堰が切れて久し振りに大笑いした。ごてごてきらきらが苦手、要は彼女は質素を好むらしい。貴族が好みそうな豪奢なものや華美なものは好まないのだ。その点もまた、僕やその場に居たメリダの好感を上げたなんてシノブは知らないだろうな。父上にそっくりそのままお伝えしてみよう。『ごてごてきらきら』にどう反応するのか……楽しみだな。


この茶の時間以来、シノブは徐々に僕に自然な態度を示す様になってくれた。今まで殻に篭る態度だったのは心の整理が必要だったからとのこと。


『あの時、すぐにでも踵を返し首都兵達から逃げれば良かったのでしょう。でも結局、私は首に打撃を受けて気絶し知らない間に王宮に運ばれて、大切にしていた物を失いました。この国に来て直ぐに手にし、ずっと使い慣れてきた物を壊されて……動揺せずにはいられなかった。それを消化するのに4ヶ月も掛かってしまいました。ご迷惑とご心配をお掛けしました』


寂しそうに折られた愛剣と愛用していた護身用だと言う木棒を僕に見せてくれつつ、頭を下げる。真っ二つに折られた剣身に首都兵に怒りを覚えた。ひびならともかく、ここまで見事に折られていては新しく剣を鍛錬し直すしかない。細身のそれはきっと彼女だけの為に作られた物だったはずなのに。


『全ての兵や貴族があの首都兵達と同じだとは、もちろん思っていません。ダルムの兵達はとても良くしてくれましたし、ハイドウェル家の皆様も良くして下さってますから』


そう柔く微笑んで、けれどすっと表情を引き締める。


『ですが。忠誠を誓われるイーニス様方の前で言うことではありませんが、陛下や宰相閣下に心を許す事は恐らく遠い先の事になるかと。イーニス様やハイドウェル家の皆様だから本心を言う事も出来ますが、あのお二方には難しいです』


『それは何故?』


『陛下と宰相閣下の命がなければ、私は大切な物を壊されることもなく旅を続けていられましたから』


心の整理がついたと言えど、やはり苛立ちややるせなさを感じずにはいられないのだ、とシノブは言った。首都兵に対して怒りはある、けれどそれをぶつける程幼いわけではない。その首都兵に指示を出した陛下と宰相殿が大本の原因だと思うのだと。けれどそのお二人はこの国の頂点にいるお人だから何も言えやしないのだ、と。


『シノブは……消化しきれるのかい?とても大切な物だったんだろう?』


『『出来るか』ではなく、『しなくてはいけない』んです。私のような平民に当たる人間が、私物を壊されたからと陛下方に苦情を申し立ててどうなると言うのでしょう。この国では簡単に首が飛ぶのでは?』


『!』


こてりと首を傾げるシノブの瞳に浮かぶのは紛れもない諦めの色。獣神の契約者でありながら、しかも女の身だと言うのに淡々と自分の死すら仄めかす。一国の王にも等しい獣神とその契約者、彼らを害する事はそれこそ死に値すると言うのに。

どこまでも自らを民だと卑下する姿を見て、力になってやりたいと強く思ったのはこの時。


いつかは『兄』と思われたい。それくらいに心を開いてくれる様、僕も努力しようと思う。

『最近はシノブと茶を交わすそうじゃないか。どうだ?彼女の様子は』


シノブの部屋で茶を飲み過ごした時の事を、後日父上が尋ねてきた。初めて本物の笑みを見せてくれた事や聞けた本心を報告すれば、ほっとした様に表情を弛める。ついでに、例の科白を伝えてみた。そして返ってきたのは、極めて珍しい、父上の笑い噴き出した姿。


『ごてご……っ、そうか、っっ……』


くくく、と必死に笑いを噛み殺す様子から、どうやら父上もツボにはまったようだ。凄いな、シノブは。ここまで父上を笑わせることが出来るなんて。


『この4ヶ月近くの態度は、心の整理をつけたかったからだと言っていました。やはり大切な物を壊されたことは心に穿つものがあったようです。心配と迷惑をと詫びを言われました。これからは、少しずつでしょうが心を開いてくれるかと』


『……そうか、やはり辛いものがあったか。自ら乗り越えられたと言うことは、精神もそれなりに強いのだろう。イーニス。私も無論だが、お前も良く彼女を見てやってくれ』


『勿論です、父上』


聡いシノブを妹にしたい気持ちは健在どころか強くなっている。父上に言われずともそのつもりだ。……さあ、今日も彼女を茶の時間に誘いに行こうか。今度の茶菓子は喜んでくれるか、楽しみだ。

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